第四十六話 - 脱走(SIDE:アイリス)
燃え広がる部屋に充満していく黒煙。
無残に切り捨てられた大量の人々の中、一人の幼い少女を含めた数人の兵士がまだ息をしていた。
少女は床にへたり込んで、少し遠くにあるドア口に目を向けていた。
鈍い光をギラめかせる銃を両手にした”敵たち”がこちらを見下ろしいる。
少女は──私はガタガタと震えながらも両手で母親の腕を握っていた。
その腕は火の中なのに温かみ感じることができなくて、空っぽのように思えた。
それでも「ママ、ママ」と言葉をかけ続けて、その虚ろに開かれた目が瞬きするのを待つ。
でも、次第にそれが無駄に思えてきた時。
自然と涙が止まらずに溢れ出る。しゃっくりを止めることができなくて、何度もママ!ママ!!と叫ぶ。
息をしない母の身体は、熱い炎の巻き上がる部屋の中央で横たわっていた。
その姿が目に焼き付いて離れない。
「──同じだ」
思わず呟いた。
すると私を取り囲んでいた風景が一気に霞んでいき、どこかへと吸い込まれていく。
次に瞬きをした時、私はいつもの背丈に戻って立ち尽くしていた。
息をしない母はもう目の前にはいなかった。
その代わりに横たわっているのは──
「ごめんなさい……レイン、ごめんなさい」
かつて私が捕虜にし、そして護衛として時を共に過ごした男。
仕方がなかった。そして、レイン・サイフラは何も分かっていなかった。
彼が捕虜管理施設の管理官である時点で、もう私は彼を殺すことを避けられなかった。
だってこの国から逃げるには、管理官を殺して脱走するしか方法はない。
前の捕虜管理施設で、そこの管理官は仲間に言っていた『このままだと、この女の管理権を移譲される』と。きっと他の施設に移送されたばかりの時は管理が少し甘くなる。だから移送されるために、あのクソみたいな拷問だって死ぬ気で耐えた。
でも──
「こんなのってないよ……いやだ……私最悪よ」
気づけばシャワー室の床に座り込んで、止まらない涙を溢す。
同じだ。私は母を殺した奴らと同じことしていている。
私は手錠で縛られた両腕を前に出すと、無意識に心臓マッサージをレインの胸に向かって始めていた。
バカだ。
生き返ってしまえば、それこそ計画が台無しになるのに蘇生なんかしてる。
そんな無意味な行動をしていると、突然声が響き渡る。
《──アイリス・ベルヴァルト。貴女を、当AIの持ち得る最大限の意志で 非難する》
背筋に寒気がするこの金属的で単調な声を私は知っている。
レインの左手に巻かれた白いリングに視線を移して、目を見開いて話しかける。
「……シールリング。あなたシールリング?」
シールリングは電子音を発するだけで返事はしない。
でも私にはそれだけで充分だった。四つん這いになって、シールリングに向かって言葉をかける。
「レインの蘇生はできる?」
《YES──ただし現在は応急措置のみ可能。ユーザーの脳機能の停止により、当AIの演算機能も失われつつ有る。よって至急、救護を呼ぶ──》
「いま救護を呼んだらレインにトドメを刺す、いいわね?」
さすがに今すぐに人が来たら大問題だ。
絶対に計画を成功させて、こんな国からは逃げなくてはならない。
あの実験施設の全容を見てこの国が狂っているのはもう充分に理解した。
シールリングを脅すように言いつけると、床に落ちていた手錠の鍵を拾い上げて両手を自由にする。
しかしシールリングは冷たい電子音で答えたのだ。
《拒否、救護を要請する》
「ちょっ、もう要請したの!?」
驚いて、声を上げてしまう。
シールリングはピピピッと細かい電子音を発し始め、明らかに嫌な予感がした。
すぐに動き出さなくてはいけない。目から涙を拭き取ると、レインの顔を見ないようにしながら彼の上着やズボンのポケットに入っているものを全て漁り出す。
まずはレインの送信機で、首の自爆装置を解除する。
そして彼の IDカード の入った軍人手帳を手に入れ、次にこの施設に関することの書かれた資料に目を通す。
資料の最後に地図があるのを見つけ、それを破り取る。
レインから必要な物を剥ぎ取れたのはいいけど、私の着ている服はポケットなど全く無い。おそらく、捕虜がものを隠し持つのを防ぐためだ。
「急がなくちゃ……」
少しの間だけアタフタしてると、とにかく奪った品々は下着に挟む。
そして最後に武器を一つでも持っておこうと思い、レインの腰にあった軍用ナイフを取り外す。
それを服の中に隠し、脇に挟む。
これなら誰にも私が武器を所持していることには知られないはずだ。
「死なないでねレイン」
無責任だとは思いながらも、レインにボソッと言う。
でも誰だって自分が死ぬのは嫌だ。ここにいれば私はいつか殺される。
少なくとも廃人にされるのは確実なんだって分かっている。
今は何も考えないようにしたい。
私はレインに背を向けるとシャワー室を出た。
---
頭の中で地図を思い出しながら歩く。まずは武装する必要がある。
捕虜たちから取り上げた武器は地図上にあった「魔導武器一時保管室」にあるはずだ。
そこに到達するまでは約2分。シールリングが救護要請をしたとして、レインの姿を実際に人が見るのは恐らく数分後。
だから私の脱走がバレるのは、私が目的の保管庫に到着する少し前だろう。
「落ち着いて、アイリス……大丈夫……」
自分にそう言い聞かせながら、バクバクと跳ね上がる心臓を落ち着けようとする。
途中、何人かの監視官とすれ違ったが私があまりにも堂々と歩いているせいなのか、未だに声をかけられてはない。
人が見当たらない時は、短距離だが全力で駆け抜ける。
そして人の足音が聞こえると、すぐに息を整えてゆっくりと歩く。
できるだけ周りに溶け込め。そうやって何度も自分に言う。
いつ自分が脱走してることがバレるのか緊張しながら歩くと、曲がり角に差し掛かった。
奥から人が近づいてくる足音がするので、すぐに顔を俯かせておく。
「くそッ、B棟の連中は相変わらず不愉快にさせてくれるな……」
独り言にしては少し声が大きいのが前から聞こえてくる。
ちょっとだけ視線を上に向けると、トイレから男性職員が出てくるのが見えた。
きっとさっきの足音も彼のなんだろう。
壁の端に寄って、その男とすれ違う。
今度もまたやり過ごせそうだ。そしてちょっぴり早足で歩こうとした時だった。
「おい、お前。捕虜がなんで一人で歩いてるんだ」
うわぁ……声をかけられた……。
あのトイレから出てきた男だ。彼は立ち止まってこちらに問いかけている。
私は足が震えそうになるのを抑えながら、少し振り返るが何を言えばいいのか分からない。テンパってしまって、頭が真っ白になっていく。
「まさかあのノイズシリーズの新入り管理官は、捕虜の野放しも許してるのか? ふざけやがって、上に報告してやろうか……」
「は、はい……」
吐きそうになるのを我慢して、小声で返事をする。
その男は、顔さえは見ていないのだがとても不愉快そうな声を上げている。
もうそろそろ前に進んでいいんだろうかと思って、足を一歩前に進めようとするが──
「お前……どこかで見たな」
嘘でしょ!? と叫びそうになる。
その男の足音がこちらに近づいてくる度に恐怖で体がこわばる。
もう足が自分の意志じゃ動かせないくらいになっていた。
「そうかここに移送されてたんだったな、アイリス・ベルヴァルト」
「え?」
思わず顔を上げてしまう。
そして目の前に立つ男を見て息を呑み、冷や汗が全身から滲み出たのを感じた。
なにせ、私の目の前に立つのはここに移送される前の捕虜管理施設の管理官。
要するにこの私を拷問した張本人──”王管理官”が立っていたのだから。
口を少し開けて、何かを言おうとするものの声も出ない。
それを見た王管理官はイライラした顔をすると、いきなり私の顔を横から拳で殴って壁に叩きつける。
「このクソアマ、のうのうとしやがって」
頭痛でクラクラしながら、よろめきつつ王管理官から距離を取る。
私が以前に収容されたA棟の管理官だが、こいつは本当にひどい。
たいした能力もないくせに偉そうに振る舞うもんだから『バカは黙っててよ』とこいつに言ってしまったのだ。それから、なんかその言葉が凄くショックだったらしく……とても嫌われている。
「わ、私……サイフラ管理官に呼ばれているんで。もう行きます」
口から自然と出た言い訳に任せて、王管理官から離れようとする。
さっき殴られたせいで口の中が血の味でいっぱいだ。
あの男、いつか機会があったら殴り殺してやりたいかも。
そう思って歩み進めようとした時だった、壁に備え付けられた赤い非常ランプが点滅し始める。同時に警報音が全施設に広がった。息が喉に詰まって、足が止まる。
《B棟にて捕虜の脱走を確認。繰り返す、捕虜の脱走を確認。捕虜は、十代女、長い金髪、緑の瞳、そして白人。見つけ次第、生かした状態で捕らえよ──》
すぐ後ろに立ち止まっている王管理官と目が合う。
彼は自分の手に握られたデバイスに表示された脱走情報を確認すると、何度も私の顔と比べる。
あ、やばいかも。
「お前まさか脱走しッ──!!??」
王管理官が声を上げようとした瞬間、脇の下に隠していた軍用ナイフを抜くと彼に向かって突き刺す。剣はまっすぐと王管理官の肩を貫くと、そのまま彼を床に押し倒した。
苦痛で顔を歪ませ、悲鳴を上げる王管理官は涙目になりながら床を転げまわっている。
なんだか レインみたいに戦場にいる連合軍兵士とは比べ物にならないくらい弱い。
「喚かないで、キモい」
そいつの頭を持ち上げると、思いっきり床に叩きつける。
何度か叩きつけると、白目を剥いた。レインと違って本当に弱い、カスだ。
拷問の時にされた数々の暴言や暴力を思い出して殺意が沸く。
私の女として、人間としての尊厳さえ無視したこいつを活かしておく必要なんかない。
レインでさえ殺そうとしたんだから、こいつの命なんか虫ケラ以下。
そう思ってナイフを振りかざそうすると、発砲音が遠くから聞こえてくる。
視線を向けると、別の監視官が拳銃を腰から抜いてこちらに照準を向けていた。
思わず舌打ちすると、ナイフをその男に投げ振る。するとその男も脇腹にナイフを受けて転がり回る。
逃げなきゃ死ぬ。
足元の王管理官を一蹴りすると、まっすぐと自分の向かうべき方向へと駆ける。
死にたくない。絶対に死にたくない。その一心で駆ける。
無我夢中で走ると、すぐに目的の一時保管庫には辿り着いた。
響き渡る警報音と赤い光に意識を失いそうになりながら、目の前にあるドアを開けようとする。しかしそのドアは当然ながら全く開く気配さえしない。
「どうやって開くのこのドア! なんなのこれ!」
ガチャガチャやってると、どんどんパニックになってくる。
これじゃダメだと思って自分の顔を両手で覆って落ち着かせる。
えっと……よく考えたら誰でも武器保管庫に入れるはずがない。
入るのに一定の権限が必要……? あ、IDカード。レインのIDカードがある!
《──レイン・サイフラ、承認しました》
下着からIDカードを乱暴に取り出して、それをドアの隣にあった読取機にスワイプする。ミーネルヴァ学園にいる時にちゃんと科学陣営の道具や機械について勉強しておいてよかったかも。
ドアは重い音を立てて開かれた。
「おい、いたぞ! 動くんじゃねぇ、撃つからな!」
保管庫の中に入ろうとすると声が響き渡った。
見つかった。すぐに部屋に飛び込んでドアを閉める。
そして壁にあった南京錠の形をした赤いボタンを勘で押してみると、ドアの上に『緊急施錠中』とのサインが浮かび上がった。
外からドアをガンガン蹴る音が聞こえる。
きっと彼らでは権限不足で中に入ることはできないんだ。
でもそれも時間の問題だ。保管庫の電源を上げて、ライトを付ける。
ボロボロな裸足で保管庫の奥へと進んだ。
「これ全部、魔導武器なんだよね……」
まるで小さな倉庫のような保管庫には、棚に置かれたケースに様々な武器が納められている。まずは自分の怪我を回復させ、身体強化をするために魔導石が必要だった。
できるだけ強力な魔導石を複数装備しなくては、敵の大群から逃れることはできない。
幸い、ここの監視官達は対魔術師の装備は有していないようだ。
ほぼ全員が護身用の拳銃の装備である。だからと言って安心というわけではないけど、状況に希望がまだある。
「この剣と、重装備型のストーンをいくつか持って……この魔導石をセットするためにケースも探さないと」
震える手で泣きそうな声を上げながら武器を両手いっぱいに抱える。
保管庫のドアが激しく蹴り上げられる度に怖くて仕方がない。
敵国で一人なのがこんなに怖いだなんて思ったことがなかった。
レインも同じ思いをしていたのかな、と考えてしまう。
《非常事態警報を発令、レベル3。脱走中の捕虜は、十代女、長い金髪、緑の瞳、そして白人──》
先ほどまで鼓膜を震わしていた警報音は、今では悲鳴のようなサイレンと共鳴している。
急いで自分の着ている服を脱ぎ捨てると、下着姿を露わにする。
もちろん寒いが、今ではこんなことを気にしていられる余裕なんかない。
服には、自分では装備できない魔導石を大量に放り込んで袋のように包み込む。
そしてベルトを腰に回すと、使える魔導石や剣を装備していく。
はぁ……と息を吐くと目を閉じた。準備はできた。
「────、──」
シューシューと蛇のような音を腹の奥から発して、魔術詠唱行う。
そして両手で腰の両端に装備された魔導石ケースに触れる。
すると装備した魔導石全てが回転を始める。キュルキュルと高速回転をする魔導石から送られる魔力に身体が力を帯び始めた。
普通の魔術師が安全に、そして同時に使える魔導石の上限は2個。
プロになれば3個まで使えるようになる。
今、私が装備して同時に動かしているのは4個だ。
身体中の血管が浮き出て、皮膚の上から魔術回路の筋がくっきりと見える。
全身が破裂しそうで、魔力のコントロールを失えば暴発して命はない。
ゆっくりと、着ていた服で包まれた大量の魔導石を持ち上げる。
そして──
《非常事態警報のレベルを変更、レベル5》
そうアナウンスされると同時にドアの上にあったサインが『強制解錠』と表示される。
ズンッと低い音が響くと、ドアが開かれる。
現れたのは何十人もの監視官が盾を前にして貧相な装備でこちらを威嚇する姿だ。
拳銃と盾。
まるで魔術師と戦うための専門装備が用意されていないのが一目瞭然だった。
彼らからすれば、捕虜が脱走することは想定されていなかったのだろうか。
「武器を捨てて投降しろ!」
そう叫ぶ監視官達。
しかし彼らはお互いに恐怖に満ちた顔で目を合わせあっている。
魔導石を装備した魔術師の姿を見て、怯えているのだ。
私が一歩だけ前進すると、監視官達はざわめきながら後退をする。
この国は生体兵器に頼りすぎている。無能者はやっぱり無能者で、非力だ。
ふぅ、と息を吐くと手にした 服に包み込んだ大量の魔導石 に大量の魔力を送る。
そしてガッと思いっきり彼らへ向けて投げ込むと、自分は保管庫の棚の影に身を隠し──
「クソこいつ、逃げ──ッ!」
監視官達の悲鳴の後に、激しい爆発音と爆風が施設全体を揺らしたように感じた。
大量の魔導石を故意に暴発させることによって、爆発物にしたのだ。
身体の傷もそろそろ癒えてきて、身体能力も強化され始めた。
今ならこいつらの銃なんて怖くもない。
「動くな撃つぞ!」
「くそ拳銃でどうすんだよ!」
「まだ対魔術師の部隊は来ないのか!」
私が姿を表すと、監視官たちはパニックの渦中で口々に叫ぶ。
もう彼らの統率は失われているようだった。
見渡してみると、先ほどの爆発は非常に高い威力のように見える。
ただ、彼らも分厚い盾を用意していたせいで監視官たちへの被害はそれほどのものでもなかった。
でも彼らを混乱させるには充分のようだ。
刹那、銃弾が飛んで来る。
音が鳴って反射的に防御魔法を展開する。
すると大きな火花が結界にぶち当たると、角度を変えて天井に穴を開けた。
銃声のした方向を見ると、拳銃を構えてこちらを狙う監視官が何人かいる。
彼らは私が銃弾を弾いたのを見ると顔を真っ青にして構え直す。
「集中砲火しろ! 救援が来るまで足止めするんだよ!」
……その装備で?
そう思っていると止まらぬ射撃音と、それを弾く防御結界の音が響き渡る。
小口径の弾丸は結界に当たる度に全くの別角度に飛んでいき、全く意味をなしていない。
そろそろ急がないといけないかも。
「──邪魔なんだけど」
「うお──ッ!?」
自分の背後で大規模な魔力推進を発生させることによって、私は一瞬にして敵の懐に飛び込むとそいつの盾を思いっきり蹴り上げる。同時に盾と触れる膝の位置に小規模な魔法陣を展開させると、爆発的なエネルギーを送り込んでから……蹴りあげるッ。
重たい盾は監視官と共に吹き飛ばされると、その方向にある空間が大きく広がってから一気に歪む。すると何十人もの監視官が壁に打ち付けられる。
彼らは衝撃でやられたせいか、大量に血を咳き込むと床の上で無様に丸くなった。
「殺せ! こいつはもう殺せ!!!」
アナウンスがしつこく《生かした状態で捕らえよ》と繰り返す中、誰かがそう叫んだ。
叫びを合図にさらに銃撃が増える。
「────、───」
新しい詠唱を唱えて、足を前に大きく踏み込んで加速する。
そして一人の監視官の襟を掴むとそれを壁に叩きつけて、気を失わせた後に自分の背後で盾になるように持つ。
「おい撃つな! あいつに当たるぞ!」
監視官が仲間に当たるのを恐れて射撃を一瞬やめた所で、一気に駆ける。
男一人を引きずりながら走るが、それでも身体は風を感じるほど軽やかに動く。
もう一段とスピードを上げると、走る度に床のコンクリートが破壊されていった。
地図によれば、このまま右に曲がって”エレベーター”だ。
たしかあの上下に動く箱なんだろう。あれに乗るのが最初のゴール。
ここは地下施設だから上を目指せば出られる! 引きずっていた監視官は投げ捨てて、全速力で駆ける。
「もうすぐ──ッ」
そう口にした時、突然、今までとは比べ物にならないほどの威力がある銃弾の雨が降り注いだ。とっさに防御魔法陣を展開して耐えたが、完全にギリギリな状態で結界が歪んで壊れる寸前になっている。
上を見上げると、施設の最上階から何人もの兵士がワイヤーを使って降下してきていた。その装備は完全に監視官達のものとは違って実戦用のものだ。
彼らの首にはレインと同じような白いリングが巻かれていて、無能者とは思えないほどの速さでこちらへと向かってきている。
「……生体兵器ね」
魔術は、専用の杖がなければ射程が非常に狭い。なので遠距離攻撃に弱い。
私は跪くと、全ての魔導石をフル回転させて攻撃魔法陣を複数展開させる。
そして限界まで力を試させ、結界が弾け飛びそうに鳴った瞬間に前に押し出して無数の魔力の塊として飛ばす。
繰り返すけど、魔力の射程はとても狭い。
でもそれを分散化して同時に打ち出せば、杖がなくても広範囲攻撃は可能になる。
かなりの技術と演算能力が必要になるけど、今のは成功した。
その無数の攻撃に大勢の兵士がワイヤーから断たれて、真っ逆さまに施設の底へと落下していく。それでも何人かの生体兵器は近くに無事着地をしたようだった。
彼らが着地すると床が大きく割れて食い込む。それはこの生体兵器達のパワーがとんでもない量であることを示していた。
もうすぐでエレベーターに辿り着けるのに、もう少し急ぐべきだった。
目前でさっき着地した生体兵器集団がそれぞれの武器を余裕たっぷりにチェックしながら、こっちを見ている。
一人のリーダー格のような少女は首元のシールリングに触れると、会話を始める。
「この人がお兄ちゃんを殺そうとしたんだね」
《肯定、HK324 アイリス・ベルヴァルトです。マスター、殺さないように細心の注意を払ってください》
「ユイナね、殺さないようにするのは苦手なんだけどなぁ」
……お兄ちゃん? レインを兄と呼んだ?
前から近づいてくる生体兵器達に目を凝らす。先頭の中心を歩く黒髪の少女は完全に私より年下だ。少女は黒い軍用グローブを両手にはめながら、私を一目見ると鼻で笑う。
レインは左手首にシールリングを装着していたが、ここにいる生体兵器達は首にシールリングを巻いているようだ。
そして彼らが腕につけたエンブレムには「NS Type」と縫われている。
現在、主に現役のタイプはSタイプとMタイプ。じゃあ、彼らもプロトタイプなのだろうか?
無言で剣を二本抜いて、構える。
「アイリスさん、ここは無能者の国なんだよ?」
「……なにそれ」
「郷に入れば郷に従えってあるじゃん?」
「……?」
先頭に立つ生体兵器の少女と会話をした。
何を言っているのか分からないけど、警戒して口元をきつく締める。
今、対生体兵器魔導石である アブレイム・ストーンはない。でもこの4つの魔導石を同時稼働させればなんとか勝てるかもしれない。不安は顔に出さずに、感情はできるだけ殺す。
双剣をくるりと手元で回転させると、二つの刃を交差させる。
余計な思考は一切受け入れず、敵の姿や呼吸だけを見極める。
そして──駆ける。
「おぉ、すっごく速いね」
爆風を巻き上げながら接近する中、生体兵器の少女はそう賞賛をすると彼らは機関銃をこちらに向ける。そして射撃音と共に放たれる回転する大口径の銃弾たち。
その全てを冷静に把握して、銃口の方向から弾丸軌道を予測する。
片足を進行方向とは逆の方に地面を蹴りつけ、瞬時にスライドをする。
膝が地面に擦れて血が噴き出るが、自分の真上を銃弾がヒュッと飛んでいったのを感じた。次は先程とは反対に地面から蹴り上がると、慣性を利用して高く飛び上がる。
空中で一回転。
そしてベルトにぶら下げた、いくつもの爆発型ストーンを生体兵器集団の真上にから投げ捨てる。
──閃光、そして爆発
生体兵器たちがそれぞれ別方向に散ったのを確認して、最寄りにいた少年の頭を鷲掴みにすると着地と同時に地面に叩きつける。彼の顔はトマトのように潰れ、歯や鼻の軟骨が床にべっとりと散らばった。
「うっわ……!」
しかしその少年の顔は火のように熱い蒸気を発生させると、治癒細胞による顔面の復元が即時行われる。その治癒スピードは、レインどころか、魔術師のものを遥かに上回っていた。こんなの非論理的だ。
彼らが体制を持ち直して、包囲射撃を私に対してする前に大きく飛び跳ねると、一旦は彼らから大きく距離を取る。
よく観察すると、先ほどの爆発によって何人かは重症レベルの怪我を負っている。
身体中に破片が刺さっているやつだっている。
それなのに異常なほどの蒸気を発しながら、彼らは自分の傷を修復していく。
最初は自分よりも年下の兵士がいたことに衝撃だったけど、そんな余裕のある状況じゃないのかもしれない。
「そんなんじゃ、倒せないよ。生体兵器は」
少女が面白がって大笑いするのを見て、私はちょっぴりだけイラッとした。
でもこいつらは本当に手強い。だからってここで捕まっていいわけがない。
必死に知識を振り絞って、最終的に一つの結論に至る。
これが成功するかなんて分からないけど、理論上は可能なはず。
だから私は賭けることにした。
彼らのすぐ近くまで歩み寄る。彼らは自分達に力を誇りにしているし自信を持っている。そのせいで私が近づいても警戒なんかせずに余裕をぶっこいてるのだ。
甘すぎる、まるで甘いなぁ。でも──
「──だから私、子供は大好き」
今度はニッと思いっきり笑ってみせると、壁に手のひらを添える。
そして特大の防御魔法を高速展開した。
生体兵器たちはなぜ私が壁に防御魔法をかけているのかを理解できていないそうで、少しだけ距離は取るものの一層に大きく動こうとしない。
そして一気に壁一面にあった特大の防御魔法陣を手の平サイズに圧縮し──飛び退く。
「えっ……散開ッ!!!」
少女の命令が響くが、遅い。
地響きが轟くと鈍い炸裂音と共に、一面の巨大な壁が崩壊する。
真っ白な光が眩き、頬に熱を感じさせた。
大きなコンクリートの塊が無残に降り注ぎ、真横に立っていた生体兵器の少年少女達を次々に潰していく。私は足元に転がってきた血塗れのアサルトライフルを見下ろす。
そして悲鳴と叫びが瓦礫に埋もれていくのを黙って聞いた。
この「NSタイプ」の生体兵器たちは尋常じゃない再生能力を持っている。
だから普通に傷つけても、すぐにダメージが治癒されてしまう。
でも瓦礫に押し潰された彼らは、治癒をしても瓦礫の重みですぐに傷がまた開く。
要するに、誰かに助けてもらえないかぎり。
治癒をしては、すぐにまた潰される──つまり生き地獄ね。
「なにいまの……」
砂埃が舞う中、血溜まりの広がる瓦礫の隣で誰かが立ち上がって呟いたのが聞こえた。
剣を構えて腰を低くする。
「へぇ……防御魔法陣を展開してそれを壁に向かって圧縮したんだね。だからあなたが圧縮をやめた瞬間に、圧縮された魔力が一気に広がって壁と共に爆散……」
「そうね。膨大なエネルギーを圧縮して、それを一気に解放した時──それは爆発エネルギーになるからね。防御魔法陣じゃなくても良かったけど、攻撃魔法陣を出したら、あんた達が警戒しそうだったし」
防御魔法陣を展開したのはただのカモフラージュだった。
魔力さえ有してれば、どんな魔法陣でも良かったのだ。
こんなデタラメな戦法はどの国にも存在しないけど、魔法力学の教科書で読んだことを応用すれば可能だと思った。
ちゃんと成功してくれて良かった……。
「うっ……………」
しかし、砂埃が晴れたあと鮮明に見える例の少女の姿は無残なものだ。
片腕の関節が外れて、二の腕の肉はごっそり剥ぎ取れている。
血をポタポタと垂らしながら彼女は顔を上げるが、その顔の半分は皮が剥がれて全身が瓦礫の破片で突き立てられている。背中には何本もの排水パイプが刺さっていて、生きているのが不思議なくらいだ。
「痛いなぁ……さすがにちょっと痛いよ」
唇を小刻みに震えさせて、掠れた声を出す少女。
余計な”罪悪感”が心の中で溢れかえる。
しかし向こう側もそれでおしまい、と言うわけではないようだった。
彼女は首のシールリングに触れると、ヒューヒューと苦しそうな呼吸をしながら金属的な声を上げた。
『ノイズ・システム──NSタイプを解放します』
少しの間だけ、辺りを静寂が包み込んだ。
今……この少女はなんて言った? NSタイプを解放?
じゃあさっきまでの戦いは、完全な力も出してない状態だったって事なの?
目が見開いてしまい、歯を食いしばる。
私の姿を見て少女が嘲笑うような視線を向けてきた瞬間──
「なッ────!?」
大きな衝撃波が少女を中心に放たれ、身体が吹き飛ばされそうになる。
視線の先、そこには全身の配線を白銀色に輝かせていた化物がいた。
左目は紫色に輝き、彼女の周りには様々な記号が飛び散っている。
頭上では0と1で構成された文字列が円陣の形で回転しているのがハッキリと見える。
──機械じかけの悪魔
彼女の全身からは溢れ出るエネルギーがバチバチと放たれており、さっきまであった傷が渦のように回転する水蒸気にかき消されていく。皮や肉が復元されていき、身体に刺さった破片や排水パイプも新しく復元された肉に押し出されていく。
「──私、ユイナっていうんだ」
「冗談でしょ……」
次の瞬間、少女──ユイナの声が耳元で聞こえた。
あんまりの展開に理解ができずに視線を移すと、ユイナが私のすぐ隣に移動していた。
すぐさま飛び退こうとするが、足をガシッと掴まれてそのまま地面に叩き付けられる。
痛みで悲鳴も出ないなか、近づいてくるユイナの足音から逃げようと四つん這いのまま移動する。このままだと捉まる。こんな国で死にたくなんかない。
だが顔を横から蹴り上げられ、痛みで意識が揺らぐ。
顔を上げると、しゃがんで私の事を見下ろすユイナがいた。
口の中に銃口が打ち込まれ、仰向けにひっくり返される。
ユイナは立ち上がると、銃を私に咥えさせたままこう言ったのだ。
「ようこそ♪ ビローシス連合国へ」
※お気づきかもしれませんが、終始 アイリスは下着姿のみで戦っていました。