第四十五話 - 奴隷と主人
早朝5時半、俺は速攻で尋問室にベッドと最低限の医療機器をその隣に設置し、アイリス・ベルヴァルトをそこで休ませていた。彼女の健康状態は最悪のようで、外傷の方は魔導石による魔力供給でなんとか治癒できそうと医者から聞いているが……精神的なダメージがむしろ危ないらしい。
実際、彼女は今でも眠り続けていてる。
その姿を俺はマジックミラーで遮られた隣室で監視していた。
アイリスのツギハギだらけの身体と、焼き爛れた皮膚を見ながらどんな事をされて来たのかと思う。
曹少将によると、李少将の管轄に入る前にアイリスは連合中央政府の研究施設にいたそうだ。公爵家の娘であるアイリスがそんな所に送られていた事は普通じゃありえないことだそうで、李少将でさえ不可解に思っているのだそうだ。
まぁ、詳しいことは後々に送られてくる詳細記録で判明してくるはずだ。
ていうかさ……
「管理官! 凄いですね、なんかすっげぇ可愛い娘が捕虜になったんですね!」
「こんなに綺麗なのは久しぶりだよな!」
「やべぇ、男職場に光が差したみたいだな!」
部下の監視官達が超うるさいんだけど……。
思わず「うっせーよお前ら」と言って、溜息をつく。
すると彼らは目を輝かせながら言うのだ。
「だってこの捕虜を尋問したり拷問したりするんですよね! なんか興奮してきた」
「新しいペンチ買おうかな……」
「水攻め か 火攻め、迷うんだよなこれが」
監視官達の発言にドン引きしながら、「お前らマジ怖いよ……」と震えた声を返す。
ほぼ忘れかけていたが、捕虜管理施設の監視官の大半はこんなサイコパスっぽい人格の持ち主ばかりだ。こいつらに捕虜の管理させていたら、なんの情報も敵側から引き出せなさそうだ。
「いいから、お前らは見回りして来いって!」
とりあえず、無邪気な目で怖いことを次々と言い出す──精神健康に悪そうなので何を言っていたかは忘れることにした──ので監視官は全員追い出す。
たしか6時から、他棟の管理官たちが ここB棟の視察に来るわけだが……曹少将にはアイリス監視に専念しろと命令されたので視察はナンバーツーじゃなくて、シャオロンだっけ? シャオロンに任せることにした。
俺はとにかく、今は四六時中アイリスの状態をチェックしなくてはならないのだ。
ただそうは言ってもしばらくは目が覚めそうにもないので、今ある簡単なアイリスに関する報告書をシールリングの空間ディスプレイで読みながら時間を潰すことにする。
「はぁ、ベルヴァルト公爵家の娘で身体状況に問題はなし。帝国内では王位継承権を……お、王位……」
報告書をサラッと読み上げてると、途中の単語に引っかかりを感じて顔をディスプレイに近づける。そしてもう一度、真面目に読んでみた。
「……王位継承権を保持」
やっべぇえぇえええええ! アイリスすげぇえええ!!
これが最初に脳から叩きだされた反応だった。
いやていうか、ちょっと待て。落ち着くんだ俺。
自分に平常心を持てと言い聞かせながら、部屋の中を歩き回る。
そして思い返す、今までのアイリスへの態度と彼女に行ってきたこと。
…………すごいや、不敬罪でいっぱいじゃないか。俺は歩く不敬罪なのかな!?
しかしここで、結構重要な疑問を思い浮かべる。
「なんで王位継承権まであるお嬢様が、こんな拷問受けちゃってんだ……?」
さすがにここまで社会的地位のある人間が捕虜になったら、もっと丁重に扱われるはずだろう。なんだって捕虜交換だって出来るかもしれないし、様々な利用価値がある。
そんなメリットを無視してまで、アイリスを研究施設に送ったり、こんな拷問を許可する事になんの意味があったのだろうか。
たしかアブレイム・ストーンの解析にアイリスを協力させたいんだっけな、軍部は。
それだけのために、ここまで必死になるのか?
俺が悩んでいるとおせっかいなシールリングが電子音を発して、自分の存在をアピールする。そして発言──
《アブレイム・ストーンは学生でも装備するだけで、生体兵器とほぼ互角に戦うことができました。これが実用化され、訓練された兵士が使うようになればその攻撃性は未知数です》
「おう、お前は呼んでもないのに話題に入ってくるよな」
《この場合、アイリス・ベルヴァルトの政治的利用価値よりも、軍事的研究価値の方が高いのは非常に合理的な答えです。当AIは、あまり賛同のしかねる判断だったと結論づけていますが》
「AIのくせに合理的な答えに賛同しないんだ……ていうかなんだこれ」
シールリングの意見に言葉を返していると、【実験体HK324 研究報告書】と題されたレポートが閲覧不可になっているのに気付く。HK324 というのはアイリスに振り分けられた実験番号なのだろうか……。
ていうか、アイリスを「実験体」呼ばわりしてる時点でレポートの内容もヤバイものしかなさそうな気がする。
戦場で戦う兵士は基地や施設に引きこもる軍属が嫌いな人が多いんだけど。
今なら、なんとなく理解ができる。こういう拷問や人体実験とかの類には嫌悪を感じている。あんまり関わりたくない話だな。
《ユーザー、そろそろ薬物投入の時間です》
「あぁ、そうか」
昨日から全く寝ていないのであくびをしていると、シールリングが声をかける。
アイリスの容体を改善させるために幾つかの薬を支給されている。
これを注射器でアイリスの体内に入れるんだけど、一体なんの薬なのかは経験上知らないほうが良いと悟っている。
そして、王位継承権さまさまのアイリスには失礼かもしれないが……。
彼女の眠る尋問室の扉を開いて一言──
「臭いな」
これぞ不敬。まさに不敬罪だ。
幸い、アイリス・ベルヴァルト様は意識がないようなので聞こえていない。
別に俺自身、臭いとか衛生環境とかはあまり気にしない男だ。
なにせ刑務所みたいな基地で生活してたんだから。
でも、女の子が臭いのはいけない。
いや別に性差別をするわけじゃないし、フェミニスト団体と対決でもしようとは微塵も思ってない。それでもやっぱり……ねぇ?
シャワーくらい浴びさせる時間を与えるべきなんだよな。
さすがにこの管理施設は男野郎の職員しかいないので、奴らにアイリスのシャワーを任せるわけにいかない。なんで、アイリスが目覚めるまでは消臭スプレーを振りまく処置しかできない。
「えーと、この注射を三本な」
そう呟きながら、アイリスの腕を注射器を当てる。
………腕は酷い傷ばかりだった。まるでツギハギ人形のようになった皮膚はところどころ焼きただれている。
医者によると、専門の治癒術師──魔術師の医者 とかに任せておけば外傷もなんとか消せそうとのことだ。しかし、あまりにも大きな傷は一生残ると明言された。
魔法陣営の捕虜への待遇は最悪で、特に異端審問会とかは非人道的な実験や拷問をされると戦場にいた時から言い聞かせられてきたんだが……科学陣営も大して変わらねぇな。
溜息をつくと、注射器をアイリスの静脈に打ち込んだ
それに反応してアイリスの身体がピクッと動く。
「ん?」
アイリスの身体が小刻みに震えてるの見て、あれもしかて?と思う。
すかさず残りの二本も注射して様子を見る。
少しだけ時間が過ぎてからだろうか、ごちゃごちゃの医療機器が電子音を発しながらアナウンスをする。
《意識覚醒を確認しました》
おそらく脳波を示しているだろうグラフが大きく動き出したのを見てから、視線をアイリスの顔に移した。すると、薄っすらだがアイリスの両目が開かれているのが確認できた。
まだ完全に意識が有るわけではないので 瞳孔が大きく開いたままの目だが、たしかに眠りから醒めつつある。
「おい、アイリス。大丈夫か? 顔は動かせるか?」
アイリスの頬を 手の平でペチペチしながら目を覚まさせる。
すると彼女は首を左右に振りながら不機嫌そうな表情をして、目を少しだけ大きく開く。その視線はゆっくりと俺の方へ向けられ、同時に彼女の瞳孔がギュッと絞られた。
「……れ、レイン? え!」
俺の名前を呼ぶと同時に飛び上がるアイリス。
しかし身体がまだボロボロのせいか、痛そうに顔を歪めると隣の壁に上半身を預ける。
アイリスはまだ色々と混乱してそうで目の視線があちらこちらに向けられている。
研究施設から 李少将の尋問に連れて行かれたかと思ったら、今度は俺のいる部屋だもんな。きっと思考が混乱してるんだろう。
「えーと、何から話せばいいのかな。まぁ、要するにビローシス連合国へようこそ」
「……さいあく」
俺が両手を広げて引きつった笑顔を見せると、アイリスは頭をうなだれながら悪態をつく。そして自分の身体の傷を確かめるように両手をじっくりと見つめると、悲壮感極まりない顔つきをする。
見ているこっちが罪悪感を覚えそうなので、とにかく話を進めることにした。
「まぁその、アイリスはさっきまで別の捕虜管理施設で尋問を受けてわけだな。んで、彼らじゃアイリスをどうしようもできないと中央政府が判断して俺がお前を管理することになった」
そう言って、内ポケットから細長いテレビのリモコンみたいな送信機を取り出す。
アイリスはそれを見ると、自分の首にはめられているオレンジ色の自爆装置に触れた。
お察しの通り、俺が手に持っている送信機はアイリスの自爆装置にリンクされている。
しかし表情がまだまだ少ないアイリス、実に疑問そうに聞いてきた。
「私、レインは戦場とかの任務をこなす兵士かと思ってたんだけど……。捕虜管理ってことは、あんた昇進でもしたの?」
「いや、実は階級は全部剥奪されて島流しにされたんだよな。それでさ──」
そこから始まる、怒りの李少将への文句と批判。
あのクソ豚野郎、俺を島流し士官学校に入れやがって。それに比べて曹少将は良い人で俺を部下に──と言いたい放題だった。
そういえばこの部屋の会話って録音されているよな……そう思い出すと少し怖くなって「ま、まぁ、李少将も根は悪くないはずなんだよ。たぶんね」と呟く。
俺は基地に帰還して何があったのかをアイリスに伝えた。Nタイプの仲間にも会えたし、リクの事も「筋肉バカ」として紹介した。
しかし、アイリスは興味が無いわけでも、有るように見えず。
ただただ俺の言葉を耳に入れながら、俺の目を見つめていた。
その目はとても深いエメラルドグリーンで、まるで何か考え事をしているようだった。
「んで昨日からずっと寝ずにお前が起きるのを──」
「──レイン、何が知りたいの?」
俺が様々な事を話していると、アイリスはそれを遮るかのように静かな声で言った。
上品な声音に、まろやかで癖のない発音。久しぶりに聞いたブレシア人の言葉。
アイリスの目は真剣に俺へと向けられていた。
「何が知りたいって……」
「正直に言えばいいのに。アブレイム・ストーンでしょ?」
今のアイリスは別に攻撃的ではないし、だからと言って正気を失っているわけでもない。
でもなんだか感情の一部が正常に動いていないのだろうか、とても違和感を与えてくる。
アイリス・ベルヴァルトであるはずなのに、どこかが彼女とは違う気がするのだ。
俺は少し反応に困って、目を瞬きさせて考えこんでしまう。
なにせ本当にアブレイム・ストーンの情報が必要なんだから。
「そうだな。アブレイム・ストーンの情報を全部渡して欲しいし、それの解析にも協力して欲しい」
「へぇ、楽しそう」
アイリスはそっぽを向いたまま皮肉たっぷりに言う。
こんな態度なもんだから、俺は彼女を管理する側でありながら超低姿勢で接し続ける。
最初は「~だ」とかの口調だった俺も最終的には──
「アイリスさん分かって頂いて欲しいんですが、情報をですね。提供していただかないと、あなたの管理権はまた移譲されて最悪な場合はまた拷問なんですよ?」
土下座寸前である。
長い間、こいつに飼われたせいで奴隷精神が身に染み付いているような気がするんだ。
アイリスに睨まれると俺、なぜか恐縮してるし。
「はぁ? ケツの穴でも犯されたいの? 私を脅したいわけ?」
「そんな言葉どこで学んだんだよ……」
「あんたらの拷問からに決まってんでしょ! アブレイム・ストーンの事を知りたければ、勝手に調べればいいじゃない」
おぉなんか元気になってきたな、ていうかアイリス怖いな。
ごめんね……ごめんなさい……となぜか俺が謝りながらも、シールリングに軍から提供された資料を表示させる。
「でも資料には、アブレイム・ストーンは現状では突破不能なセキュリティが魔法陣営によって掛かっているってさ。だからストーンに登録されている使用者アイリス・ベルヴァルトによる魔導石起動がない限り、新型魔導石の解析も不可能……って事になってるんだけど」
「前の捕虜管理官に同じ事を言われて、協力断ったら拷問始まったんだけど。いま私、レインの事を断ったらまた拷問されちゃう?」
「…………え、え? 俺? 俺に聞いてるの?」
ムッとしたアイリスに責められるように聞かれて、思わず舌を噛みそうになる。
なんやこいつ、超キレッキレッやねん。なんか俺が悪いみたいな言い方じゃないか。
そりゃあ、俺のせいでアイリスは捕虜になってるわけだし、しかも逆に俺がアイリスを管理する人間になっているんだから皮肉なもんだけどさ……。
「もうなんなの、あんたの国。頭おかしいよ、人間のすることじゃないでしょ……。私はレインの衣食住も提供して帝国で保護してたのに、なんで私への待遇がこんなんなのよ。意味分かんない……」
アイリスは何かを抑えきれなくなったような顔をしたかと思えば、文句を言いながら大粒の涙をボロボロと目尻から溢す。歯を食いしばって泣かないように頑張っているが、もう我慢の限界のようで鼻水まで出そうだ。
俺はというと両足の膝をぴったりとくっつけ、背筋をまっすぐと伸ばしながらアイリスを見て意味も分からず「うんうん、分かる分かる」と連呼していた。
正直言うと、どうすんだこれ。
「私絶対に無能者の事なんか信用しないから! レインも含めて!」
「えぇぇ……拷問した奴らと俺は違うだろ……」
「うっさい! じゃあ、私をここから逃がしてみてよ! できないくせに! 犬! 軍の犬!」
なんか凄い言われようで「アハハ、ゴメンネー」と聞き流すしかない状態である。
しばらくアイリスに溜まったストレスを涙で流させて、落ち着かせる。
そして段々と肩の揺れが小さくなってきた時に、まずはこの流れを変えるべきだと俺は考える。
だから俺は立ち上がると、アイリスに対して言った。
「先にシャワー浴びてこいよ」
アイリスの身体は今も弱っている状態なんだ。シャワーせずに衛生状態が悪くなって、たちの悪い感染症になられたら情報も聞き出せなくなる。
だから死なれたらさすがに困るしなぁ。
「……は? あ、うん」
一瞬戸惑ったアイリスだが、自分の姿を見てコクコクと頷く。
そしてブルブルと震えながらゆっくりと立ち上がると、骨にヒビでも入っているのか、それとも傷口が開いたりでもしたのか苦痛に満ちた顔で一歩一歩と進む。
「助けはいるか?」
「……大丈夫だから」
涙目になりながらも、アイリスは着実に歩みを早めていく。
俺は尋問室出口のドアの前に立って、ベルトにぶら下げていた手錠を取り出す。
そしてそれを俺の目の前に来たアイリスに掛けると、手錠を掴んでドアの外まで案内しようとする。
「へぇ、手錠ね」
「今から尋問室の外にあるシャワー室に連れて行く。規則で手錠が必要なんだよ、でも拷問とかは絶対にしねぇ──」
「じゃあ、あいつらは?」
俺がカッコつけて男の約束をしてるところ、アイリスは俺の背後に視線を向けて目を細めている。
ハッと思って振り返ると、そこには様々な拷問器具を片手に談笑をしている監視官達の姿があった。しかも、さっき追い出した監視官達よりも数が増えている。
「あ、管理官。そろそろ”尋問”ですか?」
「……………お前ら後で帝国名物を奢ってやるから覚悟しとけよな」
それを聞いた監視官たちは顔面真っ青で、一気に帽子を脱ぎ捨てて頭を下げる。
必死に泣きながら謝る彼らを横目に俺はアイリスを引き連れて、尋問室から外に出た。
ちなみに帝国名物とは、もちろん例のミミズやカエルの卵料理だ。
「さっきのあれって拷問の──」
「いや違う、ただのサイコパスだ。気にしなくていいうん」
眉間にシワを寄せるアイリスの言葉を遮って、通路を歩く。
アイリスはキョロキョロとしながら歩いており、きっと帝国とは風景も雰囲気も違うんだろう。科学陣営はなんていうか、シンプル・イズ・ザ・ベストのデザインだからな。
B棟の通路を突き抜けたところで、捕虜が収監された螺旋状のホールに入る。
そこで何人もの監視官とすれ違い、その度に彼らは敬礼を短くする。
アイリスはその様子を見てなんだか不思議そうな表情をしていた。
そして檻の中にいる捕虜たちに目を向け、唇を固く結ぶ。
「言っとくけど、俺の管理する棟には捕虜間の犯罪も監視官からの暴力も制限してるからな」
「うん」
俺の発言にアイリスは短く返事すると、足を引きずりながら俺についてくる。
本当にこのままシャワーできるんだろうか。風呂場で滑って頭打ちそうだなぁ……。
アイリスを引き連れて数分、目的の集合シャワー室に到着した。
ここのシャワー室を見るのは初めてだが、正方形の部屋にシャワーヘッドが壁に沿ってぐるりと回っている簡素な作りだ。かなり汚く、俺がよく使うシャワールームよりも不衛生のように見える。
今度、時間あったら監視官達に掃除させたほうがいいな……。
「じゃあシャワーが終わったら俺を呼んでくれよな。新しい服と下着は奥のロッカーに予め用意が有るはずだから。手錠は着替えるときにだけ解く」
そう言い終えると俺はシャワー室から出て行こうとしたが、アイリスが「待って」と声をかけるものだから振り返る。アイリスは顔を下に向けて、暗い表情で小声で言った。
「私は……レインの尋問に協力すれば、どうなるの?」
「どうなるって……そうすれば俺が上に頼んでアイリスを保護するだろ」
「じゃあ結局、私は帰れなさそうだよね」
「生きてるだけ丸儲けだろ? 俺が言っていいことか知らないけど」
アイリスの不安でいっぱいな声に俺は答えた。
なにせ彼女がここで捕虜になってるのも俺のせいだ。少なくても、アイリスがこの国で生きていけるように保護するのは当然の義務だ。
こう見えてもアイリスは俺の恩人だし。
「……もう着替えるからあっち向いてよ」
アイリスはそう言うと顔を上げて、ぶっきらぼうに言う。
よく分からないが、なんだかとても苦しそうな顔だ。自分の未来が見えないんだから仕方ないだろう。
俺はできるだけ明るく答えるべきなのかもしれない。
そう思い立って、両手をヒラヒラさせながらアイリスに背中を向ける。
「だーれがお前なんかの裸に興味が────ッ!!!???」
突然、水の上を走る音がしたと思えば首の器官が一気に締め上げられる。
首の骨が軋めき、混乱で頭がパンクしそうになる。そして叩き上げられる全身。
両足をバタつかせようとすると、すでに足が宙に浮かんでいることに気づく。
充血していく視界の中、顔を横に向けると大きな鏡が見えた。
反射する少しボヤけた鏡には──両手に掛けられた手錠を俺の首に引っ掛け、そして俺の身体を背負うようにしているアイリス・ベルヴァルトの姿が見えた。
俺を殺そうとするアイリス・ベルヴァルトの姿だ。
「ア゛、アイりスッ! やメッ!!!」
必死に声をあげようとするとさらに締め上げられる。
耳元で『うるさい 無能者』との呟きがアイリスから何度も繰り返し聞こえてくる。
こいつ無能者からの拷問で気でもおかしくなったのか!?
もがく度に、アイリスの手錠が首にめり込んでさらに苦しくなる。
鏡の中にいる自分が紫色の顔で口を大きく開けて、泡を吹いているのが見える。
両手でアイリスの腕を引っ掻くがどうにもならない。
そうだ、こいつの手錠を外せばいい。
震える手でベルトに掛けてあるキーケースを取ろうとするが、意識が飛びそうで全く鍵を掴めない。鍵さえ手に入れば手錠を外せるのに。
次第に全身が動かなくなる。
苦しさで眼球が飛び出しそうになり、頭が横に垂れたまま動けない。
視線の先にある鏡には、両目から涙を溢しながら声を押し殺しているアイリスがいた。
《ユーザー、意識を保ってください。ユーザー!》
緩やかに近づいてくる死。
シールリングの悲鳴のような声がかすかに聞こえながら、視界に張られていた網膜ディスプレイがノイズまみれになっていく。
──意識が途絶えた。
「うるさい 無能者」