第三十一話 - グッバイ・エンパイア
「リク! 散開だ!」
「わかった! くそっ!」
ワイヤーで建物間を移動する俺たちを追跡するシエラ。
彼女から狙撃される魔力の塊はとんでもない精度で、避けるのにも精一杯だった。
すぐにワイヤーを外し、次の建物に向けて射出する。
そして建物の壁を少し走ると、勢い良く蹴る。
パッと見れば、まるで空を飛んでいるみたいだろう。
体勢を後ろに向けて銃を構えると、一気に射撃する。
シエラは屋根上を人外的スピードで走ってきていた。
それなのに俺達の銃撃は悠々と避け、鋭い殺気立った目を向けている。
「シールリング、もっと情報は出せないのか!」
《ユーザー、既に限界です。これ以上の予測は不可能です》
シールリングは本体を火傷でもしそうなほど発熱させて、シエラの行動を予測する。
しかしそれでもシエラを仕留めるには力が足りなさすぎた。
以前戦った時はここまで強くなかったはずだ。しかし今を見ろ。俺一人じゃ絶対に勝てなさそうだ。
銃の残弾をチェックするが、既に使い切ったようだった。
リクの方に向かって声を張り上げる。
「マガジンください!」
「オーケー!」
俺とは反対側の建物を使ってワイヤー移動するリクは腰からセットされたマガジンを抜くと、それを俺に向かって投げる。そのマガジンは俺の手元に狂いもなく届いた。
「所詮は連合の人間ですか、レイン・サイフラ!」
俺がリロードを完了させ、再びシエラのいる後方に身体を向けた瞬間。
シエラは大きく叫びながら長距離ジャンプをする。その結果、一気に俺達との距離が近づく。これはシールリングが設定していた防衛ラインを超えている。要するに、危ない。
ワイヤーで空中を滑るように高速移動する俺達だが、それでさえも追いつかれそうだ。
それに合流地点にも早く行かなければならない。
「そんなに死にたくねぇなら戦争から逃げてみろ! シエラ・ルーニス!」
そう叫ぶとシエラはいよいよ怒り狂う──というよりは泣きそうな顔で歯を食いしばる。目を刃にさせると、今度はもっと膨大なエネルギーが圧縮された狙撃が俺の頬のすぐそばをかすめる。
下を見ると、道路が丸ごと吹き飛んでいた。
リクの震えた口笛が聞こえる。
「──このっ!」
「……え?」
シエラがそう言ったかと思えば、次の瞬間。
彼女は目の前にいた。
彼女は俺のワイヤーを掴んでここまで滑ってきたのだ。
証拠にシエラのワイヤーを掴む左手は肉が切れている。
シエラとの距離は数十センチ。シエラと目が間近に合い、時が異常に遅く流れれるの感じた。
すると──
「おいレイン!!」
シエラはあろうことか俺に飛びつくと、俺もバランスを崩してワイヤーが外れる。
俺がシエラの下にいる状態で高さ数十メートルの落下が始まろうとしていた。
それでもシエラは無表情に俺を見下ろすだけだった。
《ユーザー、衝撃吸収体勢に入ってください》
「わかってる!」
網膜ディスプレイには様々な強化装置が衝撃吸収体制に入ったことを示し、両足の関節部が小さく膨れ上がる。グッと両足を伸ばそうとするが、シエラは突然両腕を引く。
身の危険を感じ、直ちにこちらも腕を交差させて防御態勢に入るが──
《ユーザー、両腕部と胸部に大きなダメージを受けました。治癒細胞にエネルギーを回します》
轟音が鼓膜を震わせたかと思えば次の瞬間、俺は地面に叩きつけられていた。
ゴォォオと鳴り響くなか、舞い上げられる瓦礫と砂埃に咳き込みながら薄目を開く。
砂利の中をザッザッと歩くような音が聞こえれば、少し晴れた視界にシエラの金色に光り二つの瞳が見えた。その金色は砂埃に包まれた小さな暗闇の中、美しくも残酷に見える。
「私ずっと考えていたんです。グレイスはあなたにそれ相応の”罰”を与えるべきだと言っていました。でもあなたが私に謝った夜、あなたをどうするべきか考える時間が必要だと思ったんです」
シエラは素顔を完全に見せると、俺の顔を踏まんばかりの位置で立つ。
俺に語りかけてくるものの、時よりリクが連射してくる弾丸全てを杖の一振りで爆散させる。おそらく、魔力の塊を散らせて弾丸に当てているのだろう。
「だからあなたの体内に埋められたクリスタルの主導権だって無理やりグレイスから奪って、アイリスさんに譲渡しました」
「だから何を言いたいんだ」
手足を大の字に広げたまま、シエラを見上げながら答える。
彼女は「くっ」と声を漏らすと、腰に下げた剣を抜く。
そしてそれを俺の首に当てると目をさらに鋭くさせた。
「──あなたは今、私の敵ですか」
シエラの目を真っ直ぐと見つめ返す。
相変わらずアブレイム・ストーンはフル回転させているようで、証拠に彼女の目はさっきから絶えることなく金色に輝き続けている。
はぁ、と溜息をついてからゆっくりと左腕に触れる。
ワイヤー射出装置の質感を感じながら目を少しずつ鋭くさせると、衝撃を受けて強制終了していた全センサーとシステムの正常稼働を確認する。
そして鼻で笑ってやるとシエラに向けて左腕を突きつけ、レバーを思いっきり引く。
「俺はお前の兄を死に追い込んだ野郎だろ?」
「────ッ!?」
ズパァンッ! と射出音がなるとワイヤーの先端にある鉤爪がシエラの太ももを捉えた。シエラは悲鳴を上げる暇もなく、そのまま俺に振り上げられ空へと身体を投げ出される。
石造りの建造物でさえガッシリと捉えるクライミング・ワイヤーは、痛々しいほど深くシエラの太ももに食い込んでいた。彼女の体が少し動くたびに鉤爪によって裂かれた肉が真っ赤な鮮血を吹き出す。
すぐ近くの建物の壁にワイヤーで張り付いていたリクは直ちにアサルトライフルの銃口をシエラに向ける。続いて乾いた銃声が止まらずに響き渡いた。
だがワイヤーをシエラから解き、左腕にまで巻き戻すと思わず呟く。
「やっぱり所詮は学生だな」
本来は狙撃のために魔力を集中させるシエラの杖だが、今はそれを逆に魔力を霧のように拡散させることによって弾丸を防いでいる。加えて、何重にも貼られた防衛魔法陣はシエラを断固に防いでいた──リクを向いた方だけ。
俺の方に向けられたシエラの背中はガラ空きだった。
おそらく、止めどなく繰り出される弾幕を防ぐので精一杯なのだろうか。
シエラはまだ落下中。よって逃げることはできずに、着地するまでは防御に徹するしかない。
俺は血でまみれたワイヤー射出機を再度シエラの背中に向け、照準を合わせる。
「──あッ!」
シエラの悲鳴が響いた。
あの血生臭い鉤爪がシエラの背中を捉えたのだ。
彼女の服は裂かれ、赤いブレザーは彼女の吹き出した血を吸い込んで黒っぽくなっている。
シエラが常に羽織っている防御力の高い戦闘用マントは落下による風圧で背中を包み込めておらず、加えて彼女の注意もリクにあるためにワイヤーで捉えるのも簡単だ。
レバーをもう一度引く。両足をしっかりと地面に踏ん張らせると、シエラは目にも留まらぬ速度で俺の立つこの場へ引っ張られてくる。
「いいストーンだけど、実戦不足だなシエラ」
そう言うと腰から刃まで黒塗りされた戦闘用ナイフを抜く。
これは科学陣営による製造物だ。トリガーを引けば、ナイフには高圧電流が刃を行き渡る。これが魔術師の身体に奥深くまで刺されば干渉反応で敵は大ダメージを受ける。
左腕を釣り具を操るかのように引き、そして勢い良く上げる。
するとシエラの身体は半回転し、俺と目が向き合うような形となった。
そこでようやく彼女の怯えた顔が見えた。焦りに口を開き、痛みで涙を目尻に溜めている。
俺との距離が近づけば、近づくほどその表情は絶望に変わり────
「やったか! レイン!」
リクの嬉しそうな声がこちらにまで届く。
シエラはワイヤーによって引き寄せられ、最後には俺の手元で止まった。
もちろんナイフは彼女の脇腹に奥深くまで刺されている。ただ、これでは頑丈でしつこい魔術師は死なない。
───トリガーを引く必要があるのだ。
「はやく殺せばいいじゃないですか……」
耳元で聞こえるシエラの荒れた息と声。
無言で指をトリガーに引っかけ、シエラを地面に押し倒すと彼女の苦しそうな表情を見る。痛みのせいなのか、こぼれた涙で濡れた彼女の顔を見て思わず首を傾げた。
そしてナイフは何もせずに、シエラの身体から引き抜く。
するとシエラは目を見開いて「え?」と声を上げる。
「よし、痛みで立てないか。とどめを刺すぞ」
リクも上から飛び降りてきたかと思えば、腰から拳銃を抜く。
それをシエラの頭に突きつけると、引き金を引こうとしていた。
彼の握る銃のマガジンを見れば、それが内部破裂する仕様の弾──魔術師を殺す弾──だとすぐに分かった。
シエラは息を荒くして、最後まで俺の方を見る。
歯をギリギリさせて、動ことしても手がぴくぴくさせるのが限界のようだった。
ワイヤーでちぎられた太ももと背中の肉、それは相当なダメージのようだ。
そしてリクの引き金が絞られる時──
「リク、こいつはもう死んでいる。さっさと合流地点に行こう」
「……はあ? 何を言ってるんだ? とどめを刺さないと──」
「──おい、こいつはもう死んだ。それでいいだろうし、文句もねぇだろ?」
俺が急に敬語をやめて話したのを聞いて、リクは眼差しを変えた。
シエラを見てから、次に俺を見る。彼はため息をつくと、首を横に振りながら拳銃をしまうと背中を向ける。
「わかったわかった。敵は排除完了な」
「ありがとうございます、リク」
目を混乱でパチパチさせているシエラを近くの建物中に放り込むと包帯や薬品やら続けてシエラに渡す。これくらい甘くてもバチは当たらないはずだ。
「じゃあな、シエラお嬢様」
「えっ……と」
俺が離れようとすると、やっとの思いで絞り出したシエラの声がこれだった。
しかし俺も先を急いでるので、リクの肩を叩くとすぐにワイヤーを射出して屋根上にまで飛び上がる。こちらを見上げるシエラが小さく見えた。
「……あの娘、どんな関係だ?」
そろそろ病院が見えてきたところで、リクは疑問そうに言う。
俺はワイヤーを外し、病院と向かい合わせの高層建築の屋根上に降り立つと下を確認しながら答える。
「ただの知り合いです」
「……そうか」
見下ろせばそこにはバリゲートの張られた病院の正門があった。
帝国兵だけでなく学生兵も集まって激しく殺り合っているが、すでに俺たちを含めた他の合流部隊が彼らを包囲していることには気づいていないようだ。
リクは定番のニヤニヤを出すと、右手を上げた。
「生き残った分隊全てがここの合流地点に到着した。これより、下の敵どもを一掃するそうだ。腰に力を入れろ!」
リクが投げてきた袋を掴み、それを開く。
中には手榴弾がいくつも入っていた。
それを二つほど、手の中に握ると頷く。
「状況把握」
「他の合流部隊が攻撃を開始したら、お前もその手榴弾で魔術師どもを吹っ飛ばせ」
リクはアサルトライフルをグッと構えると、スコープを覗く。
俺もシールリングに情報を集めさせながらも、視界の一部をズームさせて病院を包囲する敵達を確認する。周りの屋根上を見れば、そこには連合軍の兵士が立っているのも分かった。
「…………」
しばらく、下で聞こえる銃声と爆発音。
そして魔術師達が放つ閃光と罵声だけが続く。
戦う学生兵はかなり目立った。なにせ実戦経験がまるでなさそうな彼らは戦いに粗が多い。防衛魔法陣を繰り出すタイミングが分からないんだろう。ストーンもアブレイムではないようだ。
そんな学生兵の少年を見つめていると、突然そいつが俺の方へ振り返った。
屋根上にいる俺を見上げるような形になるが、目が合ったかは定かではない。
なぜなら────
「殺せ! レイン!」
次の瞬間、その少年のいた場所は爆風とともに吹き飛んだからだ。
この爆発力。他の連合軍兵士はロケットランチャーでも使っているのだろうか?
さっき見た少年の顔が一瞬で掻き消された光景を思い出していると、リクが大きく叫ぶ。
「レイン、早くしろ!」
「はい!」
思いっきり。全力で手榴弾を投げる。
そのたびに病院前は大きな爆発を起こし、病院自体でさえ飛んでくる瓦礫で破壊されつつあった。
黒い爆炎が広がる真下だが、そこから時より飛び出る千切れた腕や足。
または飛び散る血肉が焦げた匂いを巻き上げながら転がる。
久しぶりすぎる、本物の戦争だった。
「来るぞ」
リクがそう呟くと、同時に空の防衛シールドが大きく歪む。
すると連合軍侵攻時と同じように弾けると、とんでもない風圧が帝都を襲う。
そして目を凝らすと見えるのは幾つもの帰還用大型カプセル。
どう考えても帝都のシールドドームは突破のできるようなものではない。
しかしそれを二度もぶち壊すとは、連合軍は一体どんな手品を使っているのだろうか。
そう考えながら見上げる空は散ったシールドの影響でオーロラのように虹色に輝いていた。
「飛び降りるぞ! 早くッ!!!」
背中を叩かれた俺は、ワイヤーをすぐに適当に煙突などに引っ掛ける。
それが終わると一気に飛び降りた。風が通り抜ける中、目の前をいくつものカプセルが通過する。それらは逆噴射をしながらも高速で地上に向かい、しまいには回転を止めてからしっかりと地面に直立する。
「よし、ついてこい。カプセル酔いはもうしないな?」
「俺はもう子供じゃないんですよ? とっくにカプセルなんか慣れてるって」
地上に着地すると、そこは見るにも無残な状況だった。
大勢の死体が積まれ、使用者を失ってもなお、輝き続ける無数の魔導石が転がっていた。
足元には学生兵が倒れ、そのとなりには女子生徒もいる。
襟にエンブレムがないのを見ると、平民出身の生徒だろうか?
「アイリスのやつ、大丈夫かな」
《アイリス・ベルヴァルトなら問題無いと推測します》
俺のボヤキにすぐに反応するシールリング。
連合に戻ったら、またこいつと会話する頻度が増えそうだ。
リクに急かされながらカプセルに詰め込まれると、手足を固定される。
上から降りてきたマスクを付けられると、酸素の供給が開始した。
リクはそれを確認すると、自分も俺のすぐ隣に入る。大型カプセルの定員は五人だ。
「おいおい、もう来たぞ……。急げ! もうかなり戦死者を出してる! これ以上は全滅だ!」
どことなく聞こえてきた叫びに視線を遠くに向けると、そこには無数の騎馬兵が近づいてきているのが見えた。対してこちらは既に十数人程度しか生き残っていない。
ただ、まだカプセルに乗り込む準備ができていない人もいるようで現場は死が目の前に迫ってきている状況となっていた。
「───へぇ、君がお兄ちゃんなんだ」
「───は?」
声がした方向に目を向けると、そこに少女が立っていた。
黒い真っ直ぐな髪の毛に金色の猫みたいな目。そして好奇心あふれる表情にニッコリとした唇。
どう見ても15歳か16歳そこら辺の少女だ。
他の生体兵器とは違い、彼女はシールリングを首にはめており、そのシールリングの形状は少しだけ違うものだった。その少女は俺の頬をチョンチョンと突っつくと、くすぐられたように笑う。
「もう準備出来た人は飛んでいいと思うな。私があいつら止めるし」
その少女は鋭い目を攻撃態勢に入った騎馬隊に向けると、俺のカプセルハッチを閉める。ていうか、こいつ俺のこと お兄ちゃんって言ったよね?
彼女のことはまだ何もわからないまま、俺のカプセルを含めた数基は離陸準備を始めていた。まだ離陸のできないカプセルもあるため、精鋭班は防衛のために残るみたいだ。
すぐに追い付いてくるだろう。
《ユーザー、ただいまより離陸します。お気をつけください》
そして一気に身体に重力が押しかかってくる。
ロケット噴射がされたのだ。
「離陸したか……ってマジかよ……」
ぐんぐん帝都から離れていくのを設置された小さなディスプレイで見る中、例の少女が生体兵器でさえ出せないであろうスピードで敵を斬り倒していく様子が映し出されいた。
驚きで口が塞がらずに、思わず呟いてしまったのだ。
しかしそれがどういうことなのかを考える力は既に残っておらず、俺は眠りについた──この日、俺はなんの夢を見たのか覚えていない。