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機械じかけの悪魔  作者: キョウカ
CHAPTER LOADING - 動乱編 -
32/52

第二十八話 - 空からのパニックレシピ

 部屋は驚くほど静かだった。

 俺たち三人が半裸ダンスのポーズのまま凍り付き、見つめる先は扉だ。

 いや、正確に言えば開かれた扉の前に立つアイリス・ベルヴァルトである。


 状況を説明しよう。

 部屋には男三人、姿は半裸。アイレックに限ってはテーブルの上に立っている。

 そして”こちら側”を見る少女──アイリスは虚無と表現するのにふさわしいほどの無表情な顔で俺たちに視線を向けていた。


 その目は底なし沼のように光がなく、生気もない。


「………おいアイリs」


 静寂を解いたのは俺の声だったが、それを打ち切ったのはそっと閉じられた扉の音だった。無表情で無言のまま、彼女は扉を閉じたのだった。

 呼び止める俺の声にまったく反応もせずに。


 この時になってやっと俺たちは何が起きたのかを理解し、心臓の鼓動が速くなるのを感じ始める。肺の空気を吐き出すような声で俺はつぶやく。


「アイリス……そっ閉じしやがった。そっ閉じだぞ……」


 視線が自然と下に向く。

 もう苦笑するしかないこの状況に俺は絶望よりも悲しみを感じながら、他のメンツに顔を向けた。アイレックとニコラスの顔はまるで老人のようにシワクチャになっているように見えるのはきっと錯覚ではない。


「見られたよね……?」


「見られただろ」


「見られましたね」


 アイレックは震える声で力もなく尋ねるが、そんなもの考える必要などもなかった。

 そして三人は目を合わせると、頷き清々しい顔で声を揃えた。


「「「合コンに行こう」」」



---



「シールリング! 近くに人はいないよな!」


《センサーに反応はありません》


「よし、俺も人の動きを察知できない!」


 トイレにスライディングしながら飛び込んだ俺は傍らから見れば「ナニガアッタ」と思うような形相だっただろう。ともかく、人がいないことを確認すると思いっきり頭を洗面台の鏡に叩きつける。


「無理だァーーーーー!!!! 合コンとかレベルたけぇえええ!!!」


 もう一度、頭を鏡に叩きつけると額から血がダラダラと流れた。

 しかしそんなのもうどうだっていい。この状況を何とか打破しなければならないのだ。


《ユーザー、当AIの表示するセリフをそのまま言えばメスなんていくらでも……》


「メス言うな! お前あとでどっかの団体に消されるぞ! ていうかお前の表示するセリフ、全部ギャルゲからの引用じゃねぇか! ドン引きされたぞおい!」


 そう、ただいま合コン中であり──ここはレストランのトイレだ。

 もちろん帝都でも若者に人気のレストランだそうで、この合コンの手配は全てアイレックがしたものだ。俺もいつかのアイリスと踊った時と同じ変装──金髪ウィッグ、シークレットシューズ、そしてシールリングとスタンリングを隠した状態で万全のはずだった。


 ダンスパーティーの時も普通に行けたし、今回も余裕だとは思っていのだが……。

 どうやら合コンとやらは常に話題をふらなきゃいけないし、そもそも魔術陣営の若者が何に興味を持っているかなんて知らないので話に参加するのが難しい。


 あの合コン、俺にはあまりに惨めで居づらい状態となっていたのだ。

 しかも女子陣が他校の生徒だそうで、ミーネルヴァという名を聞いただけでどんどん質問してくるわけだから困る。なにせ俺は今話題の生体兵器で捕虜なんだから……。


「シールリング頼むから、何か合コンに使えそうなデータないのかよ……」


《検索中……ヒットしました》


 シールリングは立体ディスプレイで空中に資料データを映し出す。 

 やるじゃねぇか! と叫んでそのファイルを開くが──



【熟女好きの貴方が婚活パーティーで成功する10の方法】



「なんてもん保存してんだよ! シールリング!!!」


《これはハバード氏がユーザーに手渡した教本のうちの一冊のデータですが》


「あの変態騎士……」


 額から流れでる血でそろそろ貧血なのだが、それ以前にこの合コンでぶっ倒れそうなのでこれは問題無いとしよう。問題はどう合コンで成功を収めるかだ。

 アイリスに恥ずかしいところ見られたから男三人が現実逃避のために合コンに参加したわけだが、とんでもない地獄だったわけか……。


《ユーザー、兵士たるもの心を乱してはなりません。呼吸を整えてくださいヒッヒッフー》


「なんか違う! なんかその呼吸法違う! なに産ませる気だよ!」


《しかしユーザー、すでに合コン相手の女子生徒たちのスリーサイズは測定出来ました。これ以上に何が必要でしょうか?》


「お前かなり最低なこと言っている自覚ないだろ。否定しないけどさぁ!」


 結局トイレでのシールリングとの作戦会議は無意味なものしか生まなかった。

 よって合コンが行われているテーブルに戻ろうとするのだが、どうも足が震えて上手く歩けない。いかん、いかんぞ。これではまるで新米兵士ではないか……。


 俺が顔を青くしながら歩いていると、突然後ろから自分の名前を呼ばれた。

 振り返ると──


「その変装……やっぱりレインでしょ?」


「アイリス!? お前もここのレストランいたのか。友達と飯でも食いに来たのか?」


 しかしアイリスが「トモダチ……なにそれおいしいの?」とでも思ってそうな顔するのを見て、察するにそういうわけではないようだ。

 だがレストランに一人で来るのは結構人によっては勇気がいるものだと思うんだが、どうしたのだろうか?


 朝は小屋で半裸ダンスの姿を見られたのもあって、彼女の目を直視できなかったのだが偶然目に入ったアイリスの額で思わず「あ!」と声を上げる。

 そう……彼女も額から血をダラダラと流していたのだった。

 そんなアイリスも俺のダラダラと流す血を見て顔の色を変える。


「アイリス……その鏡に頭を打ち付けたような顔……まさかお前も……」


「「合コン!」」


 二人して人差し指をビシッと相手に向けた。

 そしてその瞬間、俺たち二人を中心に花畑が広がる。

 輝く世界と舞い散る花びらの渦の中、二人は希望で目を輝かせる。


「……っていうかなんで合コンしてるのよ? 朝は半裸で踊ってたし」


 しかしアイリスが思い出したように眉を寄せて発したこの言葉で情景は崩れた。

 アホしてるの見られたから現実逃避で合コンに来たなんて殺されても言えない。

 少し咳払いすると、俺も話題を変えようと腕を組んで問う。


「お前こそ、コミュ障のくせに合コンなど頭が高いじゃないか」


「はぁ!? なにそれ意味分かんない! 礼儀も知らないの!?」


 ブチ切れるアイリスを横目に「ヤレヤレ」と言わんばかりの態度を取ると彼女は悔しそうに睨みつけてくる。しかし、諦めたようにため息をつくと少し遠い位置に目を向けながら口を開いた。


「イルーナよ。彼女に数合わせのためとか言われて無理やり連れて来られたの。あなたは?」


 たしかにアイリスの視線の先にはイルーナが小さく見えた。

 彼女はとても楽しそうに話をしており、合コン相手であろう男子陣営もハイテンションだ。他の女子たちも見るからにコミュ力がありそうだった。


 ていうかよく見ればブレイもイルーナの後ろに立って「オウチ、カエリタイ」と魂の抜けた顔をしながらボーッとしている。哀れだ。


「俺はアイレックと来ているよ。あとニコラスっていうアイリスにはまだ話してなかったけど最近仲良くなった無能者の学生も一緒」


 俺が指差すところを見るとアイリスは「へぇー」と面白くなさそうな顔する。

 ニコラスの詳細は教えなかった。アイリスに教えるとややこしくなりそうだし、聞かれるまでは言わなくても良いと思う。


「でもなんでまた勝手に行動しちゃうのかな……? 私、あなたがこれ以上騒ぎを起こしたりすると胃に穴が空くかも」


「勝手に帝都まで出たのは謝るけどさ。どちらにしろ、今はお互いに協力すべきじゃないのか?」


 アイリスが苦そうな表情をしながら文句を言うものだから、今の状況を再認識させようとする。俺は合コン失敗、アイリスも始まる前から失敗確定……。

 そう、この合コンからいかにメンツを潰さずに抜け出すのがポイントなのだ。


 アイリスもその意味を理解したのか、しきりにイルーナの方を気にしながら考え込んでいる。


「幸いあなたは変装中ね。だからイルーナにはあなたの正体もばれないはず……」


「お前にはフードを被せておけばアイレックたちにもバレないはずだよな……?」


 二人は目を合わせると、コクリと頷く。

 そうと決まれば行動は早い。お互いの利害関係は完璧に合致した。

 まずは俺たちの立つ位置から近いイルーナのテーブルに近づくことにする。

 するとイルーナは俺たちに気づくと「なっ!?」と声を上げて、椅子から腰を持ち上げる。合コン相手の他校から来たであろう男子たちも少し驚いているように見えた。


 俺はダンスパーティーの時の変装に加えて、目にも碧眼のカラーコンタクトをしてある。それだけでなく、目の形も少し変えているのだ。しかも加えて、腰には魔術師が使うような魔導石のケースが装備されている。ケースは空っぽだが、外見だけで見れば立派な北部地方出身の魔術師のはずだ。


「私、先に帰るかも」


「えっちょっとアイリス? あなたって男にホイホイついて行くようなキャラだっけ?」


「知らない男じゃないわよ? ほら、この前のダンスパーティーでペアになった方なの」


 アイリスはあざとく、そして大げさにポッと頬を染めると顔を俺の方に傾ける。

 もちろんイルーナは唖然としているし、アイリス自身も両足が震えており、俺だってあまりの気持ち悪さに鳥肌が立っている。


「でもミーネルヴァの制服着てるじゃない……その人……」


 うっわ、そういえばそうだったな。

 イルーナの指摘で思い出すが俺もアイリスもミーネルヴァ学園の制服だ。

 しかも俺がつけているネクタイは黒──専属使用人の色だ。


 俺が変な顔で冷や汗をかいていると、アイリスはニッコリしながら俺の片腕を抱くとこう言う。


「彼ったら親から逃げ出してミーネルヴァで教授の使用人をしながら匿ってもらってるのよ」


 アイリスの迫真の演技。

 そして言い終えた後のトロンとした俺に向けられる眼差し。

 いやぁ……女はみんな女優だねぇ。俺はそれに合わせて引きつった顔で「ア、アハッハ!」と返すしかなかった。


「ちょっと帝都を案内してもらうだけですよ。皆さんもお食事を楽しんでくださいね」


 ブレシア発音で低く声を捻り出す。

 このしゃべり方は本当に顎や口の筋肉を使うので疲れるものだった。

 しかしイルーナにを騙すには充分ネイティブな発音を出せたようだ。


「で、でも……」


「まぁ、イルーナ。彼女の自由だろう? こっちはこっちで進めよう」


 イルーナは少しだけアイリスが悪い男にでも騙されているんじゃないか? と心配しているように見えたが、そこで見慣れた姿の男が彼女を説得した。

 くせ毛の銀髪に鋭い目つきの野郎。イルーナの護衛である、ライル・カンザキだ。


「では、外ではお気をつけ下さい」


 ライルは俺を見るなりに、全てを分かりきったかのようなニヤリとした笑みを浮かべながら一礼する。あの表情は完璧に俺の正体を把握した顔だった。間違いない。


「は、はい。行ってきます」


 アイリスを引き連れて、そのテーブルからは一刻も早く離れる。

 そして角を曲がって入口近くにいる、アイレックたちに近づいた。

 しかし、その前にアイリスには彼女が自分の椅子に掛けていたコートを着てもらう。

 そのコートのフードで頭を深く被せて隠せば準備完了だ。


「よ、アイレックとニコラスくーん!」


「やぁ、おかえりな……ナンダッテ!?!?!?」


「レインさんドウシテ!?!? ドウシテナノ!?!?」


 アイリスの肩を抱き寄せながら手を振る俺を見るなり立ち上がり、片言で驚くアイレックとニコラス。その姿は滑稽なだけでなく、俺を優越感に浸らせるにはもってこいだった。


「いやぁ、さっき話してたら気があってさ!」


「そ、それで女をそれで言いくるめたのかい、君は!?」


 アイレックが口をパクパクさせながら言うが、調子に乗った俺は最高のドヤ顔で額に指を当てると冷静にツッコむ。


「まだ女じゃない、これから女にするんだよ」


 この発言に大ウケしたアイレックとニコラスは下品に足をバタつかせながら「HAHAHAHAHAHA!」と笑い声を上げている。

 この二人は気づいてないようだが、合コン相手の女子たちはドン引きで白目を剥いていた。


 もちろん、アイリスも俺の腕に爪を食い込ませながら足を踏みつけている。


「ということで、じゃあな! 今日で俺もジェントルマンだぜ」


「いいよ! レイン君いいよ! 最高にいいよ!」


「さすがレインさんです! めっちゃかっこいいです!」


 大騒ぎする二人に向けて「ふっ」と息を漏らすと、そのまま俺と顔を隠したアイリスはすっかり暗くなった夜の街に出たのだった。


 そして俺とアイリスがガッツポーズを取って同時に発した言葉は──


「「勝った!!」」


 とても悲しそうな電子音がシールリングから聞こえたような気がした。



---



「ね、ねぇ……本当にこんなところ見る必要ある……?」


 ヒソヒソと囁くアイリス。

 合コンから抜けだしたのはいいものの、初めて自由に帝都を歩き回るわけだからアイリスには無理を行ってあちこちへと案内をしてもらっていた。


 しかし歩くうちに、賑やかな繁華街を見つけたので俺は入ろうとしたがアイリスに止められた。どうやら貧困層の多い区域なので行かない方がいいだとか。

 そもそも俺もビローシス連合国では元貧民だったわけだし、軍内でもそういう輩でウジャウジャだ。だからこういった場所のほうが正直、俺には馴染みやすい。


 ということでアイリスを無理やり連れて来てみた。


「別に怖がることねぇだろ。チンピラが出ても俺が本気出せば余裕だし?」


「だから生体兵器のあんたが歩き回っていることがバレたら問題なのよ……」


 たしかに周りを歩くのは見るからに悪そうな顔をした輩ばかりだ。

 俺たちがミーネルヴァの制服を着ていることもあって「なんでこんな奴らがここに?」と視線を向けてくる。


 しかし俺は知っているのだ。

 本当に面白そうなところは、こういう汚そうな場所にこそ存在する!

 このスラム街当然に見える場所にも何かあればいいんだけど。


「お、あそこの酒場なんかどう? めっちゃ音楽流れてるし、ダンスもしてるし」


「あ、あそこ……どう見てもヤバそう」


「これだから貴族育ちはいやだねぇ~。将来は戦場にだってさえ行くかもしれないのに、こんなスラムごときで心配になるなんて」


「そういう問題じゃなくて! もしも絡まれたら面倒だし、門限までに帰らないと私たち問題になるのよ!?」


「門限までには帰るってば。覗くだけ覗こうぜ」


 俺がその騒がしそうな安酒場に入ると、アイリスも渋々とついて来るしかなかった。

 案の定と言うべきかもしれないが、すぐに店の人も客もこちらに注目する。

 アイリスは相変わらずムスッとした顔だが、俺とともにカウンター席に座る。


「はぁん、ミーネルヴァからのお客さんは初めてだなぁ。兄ちゃんなんか飲むか?」


「あぁ、リンゴジュース」


「私はパイナップルジュースがいい」


 店長らしき人間に注文を聞かれたので、即座に答えておいた。

 彼には「なんだ酒はいらんのか」と言われるものの、ビローシス連合国ではお酒は19歳からだ。帝国では15歳からだそうだが、酒は飲んだことないので飲んでない。


「ふーん、ここまで騒がしい酒場って見たことないかも」


 アイリスが後ろで楽しく会話したり踊ったりする客達を見ると呟いた。

 そしてすぐに出された注文のジュースを、俺とアイリスはそれぞれストローで吸う。


 ここだけの話だが、俺も酒場などに自分から行ったことはない。

 まだ他のNタイプの先輩たちが同じ部隊にいた頃は、さんざん連れて行かされたこともあった。


 プロトタイプ契約の俺たちは金だけは腐るほどあったので、吐くほど食って、吐くほど飲む。そしてもちろん、そいつらを介抱するのは一番年下の俺の役目だ。

 ていうか酒を飲まないのは俺くらいしかいなかったので、必然的に介抱する役が回ってきたのだ。


「なんだか部隊にいた頃みたいなんだよなぁ、この酒場」


「部隊って……連合軍の?」


「そうそう、年上ばっかでさ。面倒事ばっかり押し付けやがるんだけど、たまに他のプロトタイプチームの部屋にこっそり行って荒らしたりとか。そういうイタズラもよく参加させられてたわ」


「そう、生体兵器がイタズラね……。その仲間たちは?」


 アイリスの質問を聞いて、ストローから口を離してしまう。

 そして少しばかり遠い記憶を漁る。仲間と別れてからは良い記憶など殆どない。


「Nタイプは失敗作だから別部隊にそれぞれ配置された。戦死率の高い区域ばかりだからもう殆ど戦死してると思う。メッセージも来なくなったしさ。結局、ギリギリ合格したのは俺だけで一人ぼっちだったわ。他のチームには散々、悪い意味でお世話になったしな」


 飯は一人、訓練は一人、寝るのは一人、他のチームからの嫌がらせやリンチだって俺一人だけだった。多勢に無勢──俺ができるのは必死で成績を維持し続けて正規部隊に入ることだけだった。だけど正規部隊に入っても、そこには俺の居場所なんてあるはずがない事に気づいてしまった。


 なにせ、Nタイプはもう俺だけなんだから。


「私も一人ぼっち……」


 アイリスは目を半開きにして、少し眠そうな顔で言うのだった。

 しかしその横顔はとても落ち着いていて、薄暗い店内であるにもかかわらず少し眩しく見えた。彼女はストローをグラスの中でくるくると回すが、その手を急に止める。


「母は……ママは目の前で殺された。父は私には無関心で使用人だってゲス野郎の兄側の人間が多かったし、私のことを応援してくれる少数の使用人達だって良い人達だけどママの代わりにはなれない……。私が見る中で親戚はママの遺産を分け合い、母の弟──叔父が怒り狂っていたのも覚えてる。でもどうせ一人ぼっちだし、何したって誰も私を見てくれない……」


「おい、追い詰めすぎてるぞ?」


 アイリスが今にも泣き出しそうな顔をしながら吐き出す言葉は悲鳴で満ちているように感じた。彼女は両手を少し震わせると、唇を少しだけ動かして呟く。


「──ごめんなさい」


「……アイリス?」


 アイリスは視線を下に落とすと、目尻に涙を溜め始める。

 そして耐え切れなくなったのか両手で顔を塞ぐと小さな声で続けた。


「だってあなたはこの国の人じゃない! レインが連合国の人間と敵になる羽目になったのは私のせいじゃない! 結果としてあなたを本当の一人ぼっちにしてしまったの!」


 しゃっくりを上げながらアイリスは涙を溢れ流す。

 あまりにもいきなり過ぎた事に俺は驚くと慌ててアイリスの背中を擦りながら声を上げた。


「違うだろ! そもそも墜落した時点で俺は死んだも当然なんだよ。生きてるのはアイリスのおかげってことだろ? な?」


「全然違うよ……レインを助けようとしたんじゃない……あなたを殺せなかっただけ、殺し損ねただけなのよ? あなたが審問官から私を助けた時だって、私は生体兵器であるあなたが怖かったのよ!?」


「そんなのとっくに察していたに決まってんだろ! なんで今さらこんな──って酒くせぇ!!!」


 アイリスが真っ赤な顔でポロポロと涙を流しているわけだが、彼女の近くによると強烈なアルコール臭がした。まさかと思って、彼女のパイナップルジュースを嗅いでみるが……。


「おい、店主……」


 引きつった笑顔でカウンターの向こう側の店主に問いかける。

 彼はアイリスの状態に気づくと、親指を立ててニッと笑顔を向けてきた。


「あれだろ? どうせ酔わせてホットな一夜を過ごす気だったんだろう?」


「何やってんだあぁああ!? どうすんだよこれ! 門限に間に合わなくなるぞ!?」


 アイリスはカウンターに顔をくっつけて、相変わらずメソメソしていた。

 そう、あろうことかあの店主はアイリスのジュースに酒を混ぜたのだ。

 本人は男である俺を応援した気分なんだろうが、そもそも酒の勢いを借りること自体が最悪だろ!? 何考えてんだよ!? 俺こう見えてもピュアなんだよ!?


 俺が血の気が確実に引いていくのを感じていると、いきなりポコッと肩を軽く殴られた気がして横を見る。そこにはなんだか不機嫌そうに目を鋭くさせたアイリスがいた。


「いっつもレインばっかり! レインばっかり楽しんじゃって!? 私のことコミュ障だとか言って、置いてけぼりじゃん!」


「は!? さっきまでの謝罪モードどうしたんだよ!?」


「バーカバーカバーカ! 私のこと考えたことないでしょ!? 護衛の仕事もしないで問題ばっかり起こして、恥ばっかりだし! 家族なんて私にはいないし、友人関係だってメチャクチャよ、そうよ! 私だっていつも悩んでるのに、さらに私に悩みを増やしておいてどういうことよ!? なんか言ってみたらどうなのよぉ!」


「お前メンドクセェ性格になるんだな! 酔うと!」


 アイリスはフラフラしながら俺の膝に倒れこむと、意味のわからないことをさらに言い出す。日頃の不満やストレスがこうして出されているんだろう。幼い頃からの環境も重なって、ここまでアイリスは苦しんできたんだろう。


 でもどうか、俺に当たらないで欲しい。


「よう兄ちゃん、上の階に上がりな! 部屋貸すよ!」


 店主はウキウキワクワクで声を荒げながら身を乗り出してきた。

 心底「呪ってやるからな……」と思いながら答える。


「あぁどうも大迷惑でした! 絶対にお代払わねぇからな!」


「どちらにしろ、横にならないとダメなほど酔ってるだろう?」


 たしかに彼の言うとおりでもあった。

 アイリスはうなされているようにも見えるし、はやく介抱しないと……。

 くそっ、帝国に来ても介抱は俺の仕事かよ!?


「おい、アイリス。上行くぞ」


「やだ……」


「はーい、アイリスちゃん。上に行こうねぇ~?」


「……アイリスわかった」


 そろそろ人格までもが崩壊しているように見えたので、とりあえず幼児語で話しかけながら彼女を上の部屋にまで連れて行く。

 やっとの思いで部屋のベットにアイリスを放り投げるが後からが大変だった。


「はやく酔いから覚めてもらわねぇと帰れないぞこれ……」


 アイリスが真っ赤になりながら横たわる姿を見てため息をつく。

 水でも飲まさないとダメかもしれない。


「ほら、アイリス。水飲もう」


「んーっ!」


 せっかくコップに入れた水もアイリスは口をキツく閉じて拒否する。

 しょうがないわけだから、彼女の鼻をつまんだ。

 すると息をできなくなったアイリスは口を ぷはぁ~と開くので、すかさず水を流し込む。


「これでマシになったか……って何やってんの!」


「レイン~ねぇ、あそぼうよ~えへへ」


 焦点でさえ合ってなさそうなぼんやりとした目のアイリスは俺の身体に抱きつくと、頬を擦りつけてくる。思わず背筋がぞっとしたので一気に飛び退く。

 アイリスはベットの上でバタバタと暴れ始めた。


「じゃあ、面白いことやって! 面白いこと!」


「面白いこと言われても……ていうかはやく目覚せ」


「ふんっ! じゃあ聞くけど、生体兵器って頑丈なんでしょ? 蹴ってみてイイ?」


 なんだ? コイツ?

 よく分からんけど、しつこく何度も聞くので諦めてアイリスの近くで立つ。


「はいはい蹴っていい蹴っていい。頼むからもう──ぐほぉおおッッおおぉ!」


 突然の激痛。

 何が起きたのかがわからなかった。しかしシールリングが表示するダメージ部位は明らかに男のあの大事部分であった。意識が揺らいで、視界が反転する。

 我慢の出来なさそうな吐き気と目眩で叫び声を上げる。


「ア゛アアァアアア!!! 遺伝子のバトンがぁああ!!!」


《損傷率12% 精神的な苦痛が多大な模様です。ユーザー、落ち着いてください》


「どうでもいいから治癒して!!!」


《どうせ死ぬまで使わない部位ですし、問題はないと判断します》


「使う! いつか使うから!!!」


 チカチカする視界と乱れる痛覚の波に悶えながら、部屋中を転げまわる。

 アイリスの方を見ると、見事な回し蹴りの体制でベットの上で立っていた。


「てめぇ、アイリス! 回し蹴りできんなら、さっさと酒から目覚めやがれ!」


「んー……痛いの?」


 アイリスは全く俺の話を聞いてないようでフラフラとしながらベットから降りると、俺の横に倒れる。そして身体をこちらに向けると人差し指で俺の頬を突っつきながら「痛いの? 痛いの〜?」と繰り返す。


 こんな状況じゃなければ都合の良いラッキーシーンだったはずだが、今はそれよりも俺が絶命寸前なので全くありがたくない。あ、そろそろ死んだおじいちゃんが見え……ていうかお爺ちゃん誰……。


「ねぇ、褒めてよ。ママいなくなってから誰も褒めてくれないの。おかしいよね?」


「は、はぁ!?」


「褒めて〜!」


 この子は一体なにを言っているのでしょうか?

 男の大事なところを潰しておきながら「褒めて」ですって?

 これで褒めたら俺の何かが壊れそうだわ! 向こう側の世界に連れて行かれそうだわ!

 いやでも……蹴られるのもそこまで……。


「くそッ! レイン!! 理性を保て!!」


 このままだと俺の人格が崩壊しそうなのを察し、思いっきり自分の腕に噛み付く。

 鮮血が噴き出し、フーフーと荒い息を立てながら何とか《HENTAIへの道》からは回避できたみたいだ。


 すぐにアイリスから距離を取ると、格闘体制で身構える。

 アイリスはヘラヘラしているがその動きはヨロヨロなはずなのに機敏だ。

 もしかしたら無意識のうちに魔術で身体強化をしているのかもしれない。


 アイリスは口をゴモゴモさせながら両手の拳を下に伸ばすと、唸りながら声を上げる。


「イレンの……レインニーン……あれ、レンイ……えっと……レイソンのバーカ!」


「あの、レインです」


「イレン!」


「もうやだ……」


 どうやら俺の名前まで変に記憶し始めたみたいで、相当酔っているのが分かる。

 一体、どれだけ強い酒を飲んだのか想像もつかない。

 なんで酔っぱらいってこんなに面倒くさいのかなぁ……?

 しかし、俺が疲労で頭を抱えようとした時だった。


「──ッ!?」


 同時に大きな爆音と閃光が上空から帝都を包み込む。

 バァアアアン……! と揺らす振動は体の中身までグチャグチャにしてしまいそうで、とっさにアイリスを抑えて地面に伏せさせる。爆音と閃光はしばらく連続的に鳴り響き、住民の罵声と悲鳴が渦巻いた。


 ここは既にパニックの中心だった。


「おい今の!」


《連合軍のミサイルだと推測します》


「でも都市部だぞここは!? ミサイルを撃ってもシールドのせいで不発弾になるだろ? それをわざわざ上空で爆散させるってどういうことだよ」


 急いで窓を開き、上空を見上げた。

 街中が逃げ惑う人ばかりで大混乱だが、ミサイルによる攻撃はシールドによって全て弾き飛ばされている。いや……正確に言うとミサイル本体だけが弾き飛ばされているようだった。


「……ビラか」


 まるで雪のように降り注ぐ無数の紙のビラ。

 それのうちの一枚を手に取ると、心拍数が上がっていくのを感じた。


【我々は仲間をブレシアの豚から救い出すだろう】


 ゆっくりと振り返り、唖然として口を開けたアイリスを見る。

 彼女は目をパチパチさせ、乱れた衣服をそのままに俺を見つめていた。

 小刻みに震えており、降り注ぐビラに混乱していた。


「目が覚めたか? アイリス」


 パニックのレシピは”混乱”からだ。

 ビローシス連合軍の贈った空からのプレゼントの効果は絶大のようだ。


 ちなみにこの後、泥酔した際の出来事を思い出したアイリスが「もう死ぬ!」と言って窓から飛び降りようとしたのは言うまでもないだろう。

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