第二十五話 - 仮面の舞踏会
六日間である。
俺は六日間も聖護騎士団の元で作法やら礼儀やら教育させられていて、正直うんざりとしていた。意味の分からん精神論を叩き込まれたり、ネチネチした説教で心身ともに疲れ切っていた。
そこで俺が徹夜かけて、すべての礼儀作法の教本をシールリングに読み込ませて独自の支援プログラムを組んだ。いわばスキルソフトウェアというやつなのだが、俺の礼儀作法や発音まで全てをブレシア式に馴染めるようにシールリングが指示してくれるってやつだ。
元々、戦闘支援用のシールリングをそんな風に使うんだから、脳への負担は多少ある。しかし、俺の上達っぷりを見てハバードは「さすが私の教育法だ……」と感心することになる。
まぁ、褒められるのは悪い気はしないし、ドヤ顔で「ま、これくらい余裕っすよ」と大ボラを吹く分に問題はなかった。ただ、ハバードが俺に変な期待をしてしまい、いきなり"こんなところ"に連れてこられた事に困惑と同時に喜びも感じる。
『ユーザー、ダンスのパートナーはまだ見つかりませんか?』
「仕方ないだろ。少し遅れてきたから、ほとんどの女子はもう誰かと踊ってるんだよ」
シールリングが声を発さずに網膜ディスプレイに字幕表示で話しかけてくる。
ミーネルヴァ学園主催のミッドナイト・ダンスパーティー、その会場に俺は立っていた。俺の指導を任されたハバードだが、シールリングに組んだプログラムのおかげで上達を始めた俺にすっかり勘違いな自信を持ち始めており「騎士たるもの、レディのエスコートくらいできなくては大恥をかくだろう」などと言い、俺にダンスパーティーへの参加を迫ってきたのだった。
そう、ダンスパーティーだ。
色々と遊べて、女子とキャッキャウフフできて、しかも何かとは言わないが"卒業"できるかもしれないと最低な事を思った俺は即答でYESとハバードに答えた。
まるで試験勉強から解放された気分ってところだ。
「やばいな、シールリング。めっちゃ人がいるな。しかも全員仮面してるから、誰にするべきか……」
『視覚情報に人物のスリーサイズを追加しました』
「グッジョブ!」
ミッドナイト・ダンスパーティーは毎年開かれるそうだが、面白いことにダンス形式も年ごとに変わるんだとか。去年は立食とダンスを組み合わせたものだが、今年は『仮面舞踏会』の形式を取り入れたものを開催している。
なので全てのパーティー参加者は仮面でお互いの顔がわからないようにできているのだ。それで生体兵器である俺も変装して参加できるわけだ。
まぁ、それにも関わらず、あらかじめペアを作った生徒がかなりいる。
彼らはお互いに目印を決めているようで、すでにダンスを始めているわけだ。
フリーな生徒は造花を胸に付けているわけだが、なにせ少し遅れて会場に着いた俺なのでフリーな女子もかなり少ない。しかし騎士団の礼儀作法の教育から解放されている俺はすでにバーサーカー状態で会場内を駆け巡りながらダンスパートナーを探していた。
そういえばハバードによるとアイリスもこのパーティー参加しているだろう、とのことだ。
彼女のように公爵家の一人娘、しかも顔立ちも整った子ならば100%パートナーはいるそうだ。ならばなおさら、俺もボンキュッボンの女子をパートナーとして探さなくてはな。
『ユーザー、また一人参加するようです』
俺が右往左往していると一番大きな正門がゆっくりと開かれるのが目に入る。
シールリングの言う通り、一人の女子生徒が門から現れる。
結い上げられた綺麗な金髪に、真紅のドレスに身を包めた彼女は顔を大きな仮面で隠して、小さな口元しか見えないようになっている。
特に目を引くのはスタイルだ。小柄でとても細い腰で体を支えているのにもかかわらず、綺麗なボディーラインがハッキリと出ている。
顔は少しだけ下に向けられており、彼女は上品に歩くと壁際に立った。
その瞬間、まるで乾いた土に咲いた一輪の花を見ているかのような錯覚に陥る。
彼女の胸を見ると、そこには造花の花。フリーだ。
「どう思う? シールリング?」
『Eカップです、ユーザー』
「いや、そうじゃなくて。誘ってみようか?」
『問題ないと判断します。ハバート氏からのアドバイスを参考にすることを進言します』
真紅のドレスに包まれた少女を見ながらシールリングの言葉に頷く。
そして師匠ハバードの言葉を思い浮かべる。
──狙った女を横取りされそうならどんなに汚い手でも使うんだ!!!
騎士の発言とは思えないハバードからのアドバイスだった。
若い頃はどんだけ放蕩息子だったんだろうな……。聞くところによると、ハバードは今の奥さんを落とすためにかなりの職権乱用をしたそうだ。
しかし呑気なことは考えていられない。戦場でも卑怯な者が最後には勝つのだ。
そして今の俺は無敵状態にも思えるほどパワーで溢れている。
だがそう思ったのも束の間、すでに何人かがその少女に近づこうとしていた。
しかもそのうちの一人は彼女のすぐ近くにいる。
もう迷ってられるか! 全ての力を足に回すと、一気に駆ける。
人混みを縫っていくように走り、まさに少女に話しかけようとしている男子の足を引っ掛けて転ばせる。
意味のわからない悲鳴をあげながら転んだ男子生徒の隣を無情に通り過ぎると、少女の前に立つ。
『2秒後に片足で跪き、3.5秒後に右手を差し出してください。発音はLとRをはっきりとさせ、ブレシア西部の発音を参考にしてください』
シールリングが綿密な指示をしてくるが、これが俺の組んだスキルソフトウェアだ。
これさえ扱えれば紳士にも貴族にもなれる。発音もブレシア式にするために努力したし、俺のビローシス訛りの発音もある程度隠せるはずだ。
「自分と踊っていただけますか?」
よっしゃぁああ! ついに言ったぞ!
気のせいか脳裏にガッツポーズをするハバードが浮かぶ。あぁ、師匠……。
彼女は俺の顔を見ると、口を少し開いてからまた閉じる。そしてまた少し開くと、また閉じる。
まさか俺がレイン・サイフラだとバレてないよな?
実は騎士団の方で変装をさせられ、今の俺は金髪ウィッグと輪郭を少し広げてみせるようなメイクをしている。それに仮面もして口元以外は隠してるわけだから問題ないはずなんだけど………。
心配して冷や汗流してると、目の前の少女はモジモジし始める。
俺もそろそろ膝が痺れてきたころに、ようやく彼女は声を上げた。
「は、ひゃい。よろしくお願いします」
俺は悟った。
こいつコミュ障なんだろうなって。
「じゃあ、行きましょう」
彼女の手を握ると、そのままダンスホールの中心まで連れて行く。
ちょうど次の曲が始まるまでの間で辺りは静かな話し声だけで満たされている。
姿勢を整えると少女に向く。彼女は少し下を向いたままだが、腰に手を当てると同時にダンスのポーズに入ってくれた。
『ユーザー、仮面や変装をしたダンスのマナーとして名前は主催者側の合図があるまで聞いてはいけません』
「わかってる」
シールリングが教える注意事項につぶやくように答えると、AIも自動的にダンス用の支援モードに入る。そして音楽が始まった。
曲はまるで水が流れるかのように優しい音楽だ。奏でられた音楽に合わせてステップを踏んでいき、パートナーの少女をエスコートする。
「ダンスはよくするんですか?」
「はい」
会話こそは長続きしないが、ダンスする時の彼女の動きはとても滑らかで教養のある環境で育ったんだろうなぁと想像できた。俺もシールリングの指示に従ってダンスをしているだけとはいえども、だんだんと面白くなってくる。
音楽に合わせて身体を動かすとまるで自分がその曲の中に包まれていくようだった。
少しアップテンポになり始めた頃に少女とともにその場で半回転して、そのまま手を伸ばす。二人の距離がちょっと離れたところで、また手を引いてから反時計回りにワンターン、ツーターン、ファイナルターン。
回るたびに彼女のドレスの裾が細かく揺れて、回転する背景の中で少女と目があった。
彼女はちょっとだけ微笑むとまた視線を下に向けると、ステップに戻る。
顔こそは分からないが、雰囲気からしてお淑やかなお嬢様って感じだ。
「好きですか? ダンス」
「え?」
曲調がゆっくりと落ち着いてきた頃、耳の近くで聞かれる。
すると彼女は少しだけ笑い声を漏らすと「さっきから微笑んでますよ」とそっと言われた。気が付けば口が少しだけ曲がっている。
「そうかもですね」
そう答えると曲は静かにフェードアウトしていき、少女から数歩離れてから小さくお辞儀する。彼女もドレスの裾を小さくつまみ上げると頭を下げた。
会場内に短い間の静寂が訪れるが、主催側の学園関係者が二階フロアのスピーチスペースに立つと学生は雑談をしながら上を向いた。
たぶん名前を明かせという合図が行われるのだろう。
もちろん、俺の設定はすでに騎士団から教えこまれている。偽名として『クレイ・ボルト』として名乗り、身分は男爵家の次男だ。
そして拡声魔法が用られた大きな声が響き渡る。
『では、これよりは正体を明かしてのダンスをしよう。仮面を外し、名前を教える時間だ』
はいはい、仮面と名前ね。
そう軽くあしらおうとするが、ここで突然恐ろしいことに気づいて心臓が止まりそうになる。そして思わず口から大声が漏れて……
「仮面も外すのかよ!? 聞いてねぇよくそが!」
「……は?」
目の前の少女は仮面を外そうと手を後頭部に伸ばしているが、俺の汚い言葉に反応して手を止めている。俺が、生体兵器がここでダンスに参加してると他の生徒にバレるのは大問題だ。たしかに俺にも参加権利はあるが、反感は確実に買う。
だから騎士団も俺を変装させたのに、マスクを取ったらバレるだろ!?
すでにさっきの俺の声で何人かの生徒は俺を見ているし、目の前のダンス相手だって怪訝そうにこちらを見つめている。
仕方ねぇや。
「え、ちょっ、どこに行くの!?」
相手には悪いが、さすがに素顔を見せるのはやばい。
一目散に会場の外へと出るために裏庭に向いたバルコニーまで走る。
このバルコニーから飛び降りればもう外だが、なにせ二階くらいの高さはある。
しかし騒然としている生徒たちを見れば迷う暇なんてない。
「シールリング、足の関節に衝撃行くからな!」
《いつでもどうぞ、ユーザー》
シールリングの声とともに飛び降りると、衝撃が両足に走る。
それをうまく受け止めるとそのまま一部の騎士団員が待機してるであろう門へ急ごうとするが……。
「いったぁ!」
ドサッという鈍い音と痛そうなうめき声。
振り向くとダンス相手だった少女までがバルコニーから飛び降りていたのが目に入る。
どうやら着地体勢を変にしたようで、衝撃に耐え切れずに尻餅をついたようだ。
「なにやってん…………嘘だろ」
少女のマスクは地面に落ちていて、髪型も崩れて結い上げがほどけている。
細かい髪が月の反射を受けながらサラサラと降りていき、それと共に彼女も顔を少しだけ上げて俺と目を合わせた。
隠されていた顔が見えた。
凛とした顔立ちに、少しだけ不満そうに睨みを効かせた目。
そしてキツく閉じられた小さな口。
それは紛れも無く──
「アイリス・ベルヴァルト! なにやってんだよ!」
あまりの驚きで足がフラフラするが、俺の声と反応を見ると少女──いや、アイリスは片腕を抑えながら立ち上がる。ツカツカと近づいてくると、俺のマスクやらウィッグを鷲掴みにして奪うように外す。
「そのビローシス訛りの発音と汚い言葉! ほらやっぱりレイン! あんたこそ何やってるのよ!?」
「何って騎士団が俺に礼儀作法を学ばせるために……っていうかマジかよ! お前かよ! あぁああああ! 今までの青春を今夜まとめて取り戻そうとしたのに、お前かよぉお!!」
もうショックで思ったことがただ漏れに口から放出される。
それを聞いたアイリスもムッとした顔で俺の足をグリグリとヒールで踏みながら腹から押し出したような声を上げる。
「文句を言いたいのはコッチ! 今夜のダンスで人付き合いに慣れようとしてたのに、台無しじゃない! 最悪ッ! もう最悪ッ!」
「はぁ? お前ずっとウジウジしてたじゃねぇか! なんなんだよ、いつもの女王様キャラはどうしたんだよ!? しかも胸盛っただろテメェ! 詐欺師!」
それを聞くとアイリスは顔を真っ赤にして両手で胸を隠すが、また目を刃にすると俺を指さす手をブンブンさせながら反論する。
「うっさい! あんただってそんなに身長なかったじゃない! 今見ればそれシークレットシューズでしょ? ダッサ! 信じらんない!」
言い切りやがった。
そして足を思いっきり蹴られると激痛が走って庭に倒れこむ。
アイリスのヒールの尖った部分が骨に食い込んだようだった。
しかし背中を丸めた俺にアイリスは容赦なくも片足で踏みつけると言葉を続ける。
「ホント恥ずかしい! こんな奴の誘いに乗って、あげくに無駄に意識までしてたなんて信じらんない! もういっそ死ねば!」
「ッざけんな! お前がコミュ障なのが悪いんだろ!」
ついにブチ切れたか、アイリスはどこから取り出したのかスタンリングの起動リモコン──キューブを取り出す。こいつダンスパーティーにもこんなもん持ってきてんのかよ!?
「黙れバーカ! 痺れて泡でも吹いてなさい!」
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結局、この身体を張った言い合いは他の生徒が裏庭の近くまでやってきたのに気づくまで続いた。もしかして誰かに見られたかもしれないが、あの暗さだし多分大丈夫だろう。
「ごめん……やり過ぎたかも……」
アイリスの寮室にひとまず退避した俺だが、相変わらず全身が痛む。
エンドレスなスタンリングによる電撃攻撃と蹴りと連続パンチによる集中攻撃により俺はすでに瀕死状態だった。
逃げようとすると、体内のクリスタルを起動されて満足に動くことさえできなくされる。まさに絶対的な権力を持った王に逆らった奴隷の結末を絵に描いたようだった。
「本当にもう死ぬかと思った」
この世の絶望を知った俺は光を失った目を天上に向けたまま、うっすらと涙を浮かべる。まさかクリスタルを起動されて、生体兵器としての力を奪われた状態で受けるスタンリングの電撃があそこまで痛いとは思わなかった。
しかしアイリスは今さらながらだが、かなり反省をしながら落ち込んでいる。
いやまぁ、俺もかなり言っちゃったけどさ。
あまりにも悲劇的な表情をしてるものだから、慰めるためにも声をかけとく。
「ま、まぁ。ダンス楽しかったし、いいじゃん? な?」
「……うん」
沈黙。
あまりの空気の重さに目の向けどころに困るほどだ。
それも仕方がないだろう。アイリスとしては自分がコミュ障でウジウジしてるところを俺に見られたのが死ぬほど恥ずかしかったんだろう。
実際、俺も紳士ぶってたところを見られてクソ恥ずかしいですわ。はい。
アイリスのベットの上に腰を下ろし顔を引き攣らせていると、アイリスが隣に座る。
「その……えっとまぁ、ありがとうね」
「え、なにが? もしかして日頃のストレスをさっきの俺への暴行でスッキリ出来たからとか?」
「違う! だから、ダンスで偶然だったとしても、その、私を誘ってくれて。そこは感謝しようかなって」
アイリスはこのバランスの悪い性格さえどうにかできれば、モテまくるとは思う。
なにせコミュ障モードの時と通常時の性格が全く違うもんな。
でも顔はとても整っているお人形さんみたいな感じだし、もったいない。
しかし意外とまぁ素直な子である。
「いや、こちらこそ誘いに乗ってくれて感謝s──」
「あ、そうだ。写真撮らないと!」
まだ言い終わっていないっていうのに、アイリスは気にもせずに声を上げて立つ。
デスクの引き出しからクリスタルの板のようなものを取り出すと、同時に小さな魔法陣がいくつか展開される。
「それって魔術師が使う情報端末だよな? スマホみたいなやつ」
「えぇ、”データストーン”よ。ほら、変装して?」
「また変装? 別にいいけど、なんで写真?」
アイリスは小さな魔法陣を中空に浮かばせると、こちらに顔を向ける。
俺もすでにウィッグとマスクを付けて、決めポーズも完了していた。
彼女は小さくため息をつくと、ピースサインをしてから撮影をするであろう魔法陣に笑顔を向ける。これがブレシア式の自撮りってやつか。
「実家の使用人が欲しがってるのよ。ダンスペアとの写真」
眩しい光がフラッシュして撮影音がなる。
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静かな夜だ。綺麗な月は物静かに辺りを微かに明るく照らしあげ、部屋にも光を差し込ませる。学園中がミッドナイト・ダンスパーティーで盛り上がる中。
不参加を決めた者達のうちの一人である少年は片手に米酒を入れたグラスを持ちながら、窓の外の風景を眺めていた。
「今夜は……月が綺麗だ」
少年──ライル・カンザキの呟きはどこまでも虚しく響く。
本来なら彼が参加するべきパーティーではあるが、彼は不満など思わずに虚無感だけを胸に刻みながら乾いた瞳を夜空に向けていた。
今日も彼は、イルーナ嬢のために留守番であったのだ。