第二十二話 - 変動(SIDE:アイリス)
はっと息を呑んで目を見開いた。
何か悪い夢を見たようだが一気に現実に連れ戻されたようだった。
キーンと耳鳴りがしていて、思わず顔を少ししかめる。
「病室……」
ゆっくりと横に動かした視線の先にはいくつもの小さな魔法陣を展開した医療診断具があり、その隣でクリスタル製のディスプレイが私の心拍数と身体状況を表示していた。
少しだけ混乱した頭を整理すると、すぐに自分がここにいる理由を思い出す。
「昔から怪我が多いよね、あんたって」
「へ!?」
突然の声に驚いてガバッと上半身を起き上がらせる。
すると全身に繋がっていたであろうチューブを全て引きちぎってしまい、警告音がなる。耳をつんざく警告音と同時に一瞬だけ意識が揺らぐが、すぐに立ち直させると視線を上げる。
「……イルーナ?」
ベットの上に腰を下ろし、つまんなそうな表情でそっぽを向いたままのイルーナに私は少し戸惑いながらも声をかける。彼女は無言で立ち上がると、警告音を発する魔法陣をかき消した。そして私に少しだけ鋭い眼差しを向けると口を開いた。
「まだリリィおばさんのための復讐でも考えてるの?」
またこの話か、と考えながら私は背中をベットヘッドに預けると溜息を付く。
まだ揺らぐ視界を落ち着かせるために軽く呼吸を整えてから、きっぱりと答えた。
「何か文句あるの?」
私の返答を聞くとイルーナは腕を組む。
そして彼女は目を刃のようにした私を一目見ると、まるで腹の底から吐き出すように答えた。
「リリィおばさんが自分の娘に復讐を遂げて欲しいなんて望んでると思う? そんな目的のために生体兵器なんて危険なものを手元においてるの?」
「──知ったような口を聞かないで!」
思わず、まさに反射的に言葉を返す。
自然と自分の心の声が溢れて自分でも制御できないほどに口から流れ始めるのを感じた。もういっそ言ってしまえ、と自分が自分にささやく。
そして歯を食いしばると、拳を握りしめて声を上げる。
「私の母が復讐を望まない!? ふざけないでよ! あなたが私の母親なの? 死んだ人は何も感じないから良いかもしれないけど、残された私はどうするの!? あなたみたいな他人は気楽でいいかもしれないけど、復讐は何も産まないなんてただの嘘! まさか殺された人間が自分を殺した人間を恨まないと思ってるの? もしかして残された人間が『はい、そうですか』で納得すると思ってるの? ふざけないでよ……」
リリィ・ベルヴァルトは戦争で死んだ。
戦争が起きたから、母は生体兵器に殺された。
でもそれは私にとっては本当にどうでもいいことだった。重要なのは「誰がどうして」リリィ・ベルヴァルトを殺そうとしたのか。
そしてその黒幕を私が殺すことによって、母の恨みを晴らし、なによりも……私が満たされる。きっともう過去に囚われない毎日が待ってるはずなのに……。
「あなたとの友情はとっくの昔にもう死んだと思っているわ。でも今だけは全部吐いて。悩んでること、生体兵器のこと、洗いざらい全部吐いて? その代わり、私もいつか同じようにあなたに全部ぶつけるから」
イルーナの手が頬に触れたのを感じてからやっと、自分の視界が滲んでいる事に気づいた。熱い何かが目尻から流れていて、それがポタポタと自分の手に落ちていく。
今の精神状態ではこれが何なのかもわからないくらいだった。でもそれが何なのかを理解すると、口が勝手に動き始める。もう自分の理性じゃ何も止められないかもしれない。
「殺せなかった……」
「──誰を?」
息を大きく吸うと、諦めたように目を半開きにし視線を自分の手元に向ける。
そしてイルーナに言葉を吐く。
「私はレインを『助けた』だなんて偉いことはしてない……本当はただ単に『殺せなかった』だけ。レインの心臓を突こうとした時、今まで笑っていた彼の口元が緩んだの。そしたら……目を閉じて涙を少し流していて……」
イルーナは黙っていた。
そして顔を上げると目を少しだけ開いて言い放つ。
「……殺せなかった! あの時のレインの表情はママが死ぬ時の顔と同じで殺せなかった! 化け物だと思いたかった! 悪魔でいてほしかった! そうじゃなきゃ、殺せない私がいるんだもの!」
そしてもう一度、息を大きく吸うと声を漏らした。
「わかるでしょ? 彼を見てるとママを思い出すと同時に、ママを殺した生体兵器も思い出してしまう自分が嫌い……大嫌い……。同じくらいに彼のことも怖い……」
さっきから母が殺された瞬間の記憶が何度もフラッシュバックしている。
それだけじゃない。レインの戦う姿……青白く光る生体兵器としての姿まで何度も脳内を駆け巡る。
過呼吸気味になってると、イルーナはそっと私の背中に手を置く。
そして呆れた声で呟いた。
「昔っから、やっぱりバカよ……あんた。本当は泣き虫なところも全然変わってない」
自分でも驚くほどボロボロと涙をこぼしていると、イルーナは私から少し離れて窓際の壁に背中を預ける。部屋が少し重苦しい空気に包まれたがイルーナはそっぽを向いたまま、呟くように言った。
「生体兵器くらい使いこなして見せなさいよ」
そろそろ恥ずかしくなってきたので、しゃっくりを止めさせて、涙も袖で拭き取る。
何か言おうと口を開いた時、テーブルの上に置かれたガラスコップの中の水が微かに震えているのを見た。
そして次の瞬間──
「聖護騎士団だ。アイリス・ベルヴァルト嬢にお話がある」
「なっ!?」
ドアが突き破る勢いで開かれ、何十人もの騎士が部屋の中に流れ込んだ。
急な出来事に声を上げてしまうが、彼らの軍人とはまた違った堅苦しそうな制服と言葉遣いを聞けば聖護騎士団だというのは本当みたいだ。
彼らはエリート中のエリートと言われるほどの精鋭騎士。
皆揃って誇り高そうな顔をして、こちらを見る。
「なんの用!?」
イルーナは突然の入室に腹をかなり立ててるみたいで、怒鳴るように声を上げる。
しかし騎士団はまったくイルーナに目もくれずに私へ向かって敬礼をする。
そして内の一人が一歩前へとこちらに進むと、羊皮紙で作られた書簡を腰から抜く。
この羊皮紙のデザイン……皇族からの伝令だ。
「アイリス・ベルヴァルト嬢、この度は貴女の護衛レイン・サイフラに関しての報告に来た。レイン・サイフラは捕虜となって以降、数々の戦闘行為に巻き込まれていることが今回の調査によって判明した」
つばを飲みこむ。
騎士は私に少しの間だけ目を向けると、また羊皮紙に視線を戻す。
そして再度口を開いた。
「イルーナ・セイリアによる襲撃、シエラ・ルーニスによる襲撃、複数男子生徒による集団暴行、そして異端審問官による襲撃。また、これらの襲撃は主人であるアイリス・ベルヴァルトにまで影響を及ぼしていると当騎士団、ミーネルヴァ学園、そして皇族は判断する」
イルーナは騎士に自分の名前をあげられると「何のことかしら?」と言わんばかりに目を逸らして、自分の髪の毛をイジっている。
しかし、たしかにレインはあまりにも襲撃を受けすぎている。私闘がここまで増えると治安問題だけでなく下手すると皇族の対応問題にもなりかねない。それを見越した上で、今回は皇族と騎士団自らが動いたのだろう。
「ブレシア帝国の全国家機関は、レイン・サイフラの存在を世間に公開するとともに──」
心臓の鼓動が速くなる。
なにかとてつもなく大きな変化が訪れる予感がしたのだ。
例えるなら歴史が動く瞬間、何かが切り替わる瞬間、何かが……。
「──彼を皇帝陛下に従う、ブレシア帝国の臣民の一人として向かい入れることをアイリス・ベルヴァルトに要求する」
「「ブレシア帝国臣民に!?」」
あまりの出来事に私だけでなく、イルーナまで声を張り上げる。
それは要するにレイン・サイフラという存在を認め、それだけでなく皇帝の保護対象である臣民……国民にするということだ。これは戦争の意味までも壊しかねない極めて危険な決定だ。どういうことだろう?
「なお、レイン・サイフラは臣民になった後は”人”として扱われるため、アイリス・ベルヴァルトには彼の人権を保護する責任が伴う。彼の基本的人権の尊重を約束し、我らの祖国であるブレシア帝国の未来と大義のために今後も忠誠を誓うことを要求する」
「ちょっと待って下さい! 本当なんですか? 臣民にするというのはすなわち……敵、そして悪魔だと軽蔑される生体兵器を身内に入れるということですよね? 歴史どころじゃなくて、この戦争の大義までもが変わる出来事ですよ?」
騎士は目を鋭くすると、羊皮紙を腰にぶら下げた円筒形のケースにしまう。
そして再度敬礼をしてから、はっきりと言い放った。
「我々が求めるのは貴女が忠誠を「誓う」か「誓わない」かである。どうか誠意を示していただきたい」
「…………」
これは私にとっても損はない。
むしろ好都合しかないだろう。今回のレインを臣民に加える行動は要するに皇帝によるギャンブルだ。戦争のプロパガンダ自体を大きく覆すこの行動……上手く行けば帝国の絶対的な力と「敵である生体兵器でさえ支配する」という事実を世界中に示すことができる。
もしくは「敵を許し、救った皇帝」という捉え方もできるかもしれない。
どちらにしろこれは「ギャンブル」だ。ブレシア帝国は今、壮大なカジノに身を投じようとしている。上手く行けば士気を高め、敵の動揺を誘える。
また、あまりにもバラバラで意見のまとまらない今の各国家機関や部隊の統率もレインを利用することによって、再度まとまりやすくなるだろう。皇帝の影響力を見れば、誰だって一時的とはいえどの一枚岩となるはずだ。
何にせよ、私の選択肢は一つしかない。
「ブレシア帝国に繁栄を、民に喜びを。私、アイリス・ベルヴァルトは永遠の忠誠を神に、そして皇帝陛下に捧げることをここに再度誓います」
ヨロヨロと震える足を奮い立たせて、跪く。
はっきりとした発音で全てを言い終えると、騎士はすぐに体制を低くして私の身体を支えたままベットに腰を掛けさせる。
「皇帝陛下はさぞお喜びでしょう。どうぞお体の無理をなさらないでください。ご協力、誠に感謝します」
彼は胸に手を当てると、頭を深々と下げた。
騎士は本当に礼儀正しいし、作法も完璧……と感心していると騎士たちのざわめきが聞こえた。何事かと思い頭を上げて、声のする方を見ると。
「うお、アイリスって騎士に人気なのか? ていうかイルーナまだいたのかよ。かれこれ10時間もここにいるぜ?」
「レイン……」
先ほどのイルーナとの会話を思い出して、無意識にレインから視線を逸らしていた。
レインが怖い。そんなことまでイルーナに言ってしまったんだから、さすがに普通に接することが出来なかった。しかしイルーナが10時間もここにいたって……?
イルーナの方を向くと彼女は聞こえないふりをして窓の外を見ていた。
レインはそんな私の様子を見て不思議に思ったのか、次に手に持った花束を差し出す。
「あ、それとこれ。学園のお偉いさんが花束をぉおおおっごぉ──!?!?」
「なにしてるの!?」
急に数人の騎士が手の平に失神魔法を展開し、それをレインの腹に食い込ませる。
電撃とショート音が部屋の中を駆け巡り、レインは悲鳴とともに壁に吹き飛ばされた。
そしてまるっきり動かない。
「彼が帝国臣民になる事を拒み、反抗に出る可能性があった。ご理解願いたい」
騎士たちは手をハンケチで拭きながら、重みを持った言葉遣いで落ち着いて答える。
でもいくらなんでもやり過ぎだ。レインは白目を向いてブッサイクな表情のまま意識が飛んでいる。これではあまりにも哀れすぎて、こっちの胸が痛くなる。写真を撮ってみたい衝動を抑えながら、額に手を当てる。
「では、今日はこれくらいにしましょう。ゲストルームは陸戦兵団のグレイス少佐殿が専有してるようなので、早々にレイン・サイフラを帝都支部に送り届ける事にします」
「待ってください。今日なんですか?」
「はい、彼は帝都支部で保護も兼ねて、数日間の教育を施されます。彼の情報は報道機関と各部署に今日伝えられます。彼が臣民となるのはその後でしょう。おそらく、教堂広場で公開状態で行われるかと」
一番若そうな騎士が丁寧な口調で答える。
聖護騎士団ならおかしな教育はされないかもしれないが、きっと報道機関がこのことを知ればすぐに学園周辺は記者で溢れかえりそうだ。
「では、失礼しました」
「あ、待ってください」
騎士たちがレインを担いで、外に出ようとする。
先ほど、イルーナに言った言葉を思い返しながらレインの間抜けた顔を見てみた。
そしたらちょっとした罪悪感が心からにじみ出る。
どんな理由であれ、異端審問官に殺されかけた私を救ってくれたのはレインだった。
彼だって怪我をしたばかりだっていうのに、もう私の病室に来て花束届けの雑用に身を投じている。なのに「彼が怖い」というのは本心でも口にしては行けないような気がした。
「──丁重に……お願いします」
せめての罪滅ぼしに、私は騎士団に頼んだ。
彼らは少しだけ立ち止まってから、敬礼をしてから部屋を後にする。
レインが自分の近くから消えたことに少しだけ安心感を覚えた。
しかし、同時にレインの間抜け面を思い出して少しだけ面白おかしく思えたのは気のせいだろうか?