第二十一話 - 奪還作戦
人がほぼ通らない薄暗い小道。二つの建物による壁に挟まれ、俺はその小道の中央に立っていた。目の前には薄っすら笑いを浮かべるフードで顔を隠した男。
そして彼の後ろに見えるのは壁に寄りかかったまま座り込んだアイリスだ。
アイリスの状態はハッキリ言うと良くない。
首にはくっきりと手の跡が残っており、おそらく喉は潰れかけていると思う。
目は半開きで光もなく、よだれを少し垂らしたまま今にも息絶えそうだ。
「おい、アイリスに何がしたかった」
この男と出会う前、ライルには応援を呼んできてほしいと言って別れてしまった。
こんなことなら二人で動くべきだったな……。
アイリスの居場所を見つけるのは意外とそう難しくはなかった。
なにせ、この休み時間になるとアイリスはいつも自分の寮に一旦帰る。
襲われているのだとしたら人がいないところなんだから「寮につながるルート+人がいない」といえばマップ上でも数箇所しかない。
目の前の男は少し苦笑いをすると、両手をヒラヒラさせながら俺の問いに答える。
「ただの忠告だったはずなんだけど、ついつい楽しみすぎちゃって」
「どうでもいいから名乗れ」
声に感情は含ませてはならない。
できるだけ冷たく、鋭く、そしてドスを効かせた低い声で接する。
男は俺のすぐ近くまで歩み寄ると、つぶやくように言葉を発した。
「異端審問会派遣の審問員ブレイだ。君たちへの忠告に来た」
──異端審問会
冷や汗が背筋を濡らし、額にはネバネバな脂汗が吹き出す。
全身に思わず力が入り、足をグッと広げてしまう。
審問会といえばあの非人道的なだけでなく権力も腕前も化け物レベルの奴らのことじゃねぇか。しかも審問会が派遣してきた審問員ってことはかなり面倒だ。
無残に転がるアイリスを見て、つばを飲み込む。
「で、何しに来たんだい? あの娘を助けに?」
「自分のためだ」
アイリスの死。
それが意味するのは俺の死でもある。
後ろ盾を完全に失った俺はそうそう無事に生きていけることはないだろう。
おそらくどっかの組織に所有権を譲渡されればサンプルや実験動物にでもされそうだ。
「まぁ、アイリス・ベルヴァルトはそうだよね。頼れる友人もいなければ、護衛だっていつ裏切るかわからない捕虜。勉強できても人望はないし、人脈も少ない。これってかなり狙われやすいタイプだよね。暗殺とかにさ」
「おまえなんかムカつくよな。俺の昔の上司とそっくりな性格してやがる」
その上司は俺たちNタイプのテスト結果をまとめる役割を短期間だけだがやっていた。
そいつはテストに失格した仲間には暴言を吐くと、まるで失格になった人間のすべての人生を否定するかのような言い方をする。
その男──審問員であるブレイは俺の目に顔を向けると、何を理解したのか大笑いし始める。不気味なほど長く続くその笑い声を無表情で睨み続けていると彼は笑うのをピタリと止めた。
「要するに──君たちは同類だ」
「──は?」
風を切る音と共に至近距離で現れるブレイの口元。
その距離はわずか数センチと言うべきだろうか? 反射的に腰の戦闘用ナイフを抜くとそれを男の首に切りつけようとする。
「さすが軍人。戦闘慣れしてることはあるねぇ」
目の前にはもう誰も居ない。
背後に素早く身を回すとそこには血が流れる右腕を舐めるブレイの姿があった。
どうやら腕で防御したようだな。
「まぁ、君がアイリス・ベルヴァルトの所有物であるのは本当に都合が悪いんだ。だから今はせめて、僕と楽しもうか?」
斬りかかる剣をギリギリで回避すると、何本かの髪の毛が切れて宙を舞うのが見えた。
そしてそのまま低姿勢のまま右手で地面を鷲掴みして、立ち止まる。
第二波の攻撃が来る。足を力強く蹴ると爆音と共に俺はブレイの懐に入る。
右手を捻るように突き出し、衝撃波とともにそれをブレイの顔面に食い込ませる。
その慣性を殺さず、彼の頭部を地面にたたきつけた。
「くそっ──がぁああッ!」
彼が起き上がろうとする。
しかし俺は、彼の顔面に食い込ませていた拳を今度は開くと『それ』を擦りつけるように──彼の両目に叩きつける。
泥だ。
先ほど、地面を鷲掴みした時に掴んだ泥をブレイの眼球に直接擦りつけた。
どんなに化け物だろうと、こいつらは異端審問会。所詮は警察組織だ。
軍人との戦い方は知らないし、その経験もないほど若い。
目を必死になって擦る彼の頭を掴むとフードを引きちぎる。
しかしそいつの顔を見ると一瞬思考が停止する。
「アイレック……?」
その顔はアイレックだった。
いや、正確にはアイレックに似た人間だろうか?
彼の顔には大きな傷跡が付いている。これはアイレックのものではない。
「その名前で呼ぶな!」
しかしその一瞬があまりにも貴重だった。
ブレイは一言叫ぶとすぐさま剣を振り、俺の左腕に斬り込ませる。
血が吹き出し、治癒細胞による修復で水蒸気が辺りに立ち込める。
腕を断ち切られる前に右手のナイフでその剣を弾くと俺は痛みのために膝から倒れる。
「くっそ! ふざけんな!」
「ふざけてるのは君だろ、N-102……。やっぱりあのビッチと同類じゃないか。君たちは本当に人の気分を悪くさせるなぁ」
ブレイは充血させた目で気が狂ったように笑い声を上げる。
その笑い声は決して楽しむような声ではない。金切声に似たその声は耳の鼓膜を震わせてた。彼の魔導石が激しく振動し、回転する。もうこのままだと殺されるかもしれない。
そろそろかもな。
息を一口吸うと、目を見開き喉から声をだす。
『ノイズ・システム──Nタイプ解放』
爆発的なエネルギーが身体中を駆け巡り、全身の配線が青白く輝く。
身体の温度が上昇していき、鼓動が早まる。
全神経、センサー、強化装置がフル稼働で回転を始めて、視界には無数の情報がポップアップ表示された。
「へぇ、それがシステム解放か。でもその前に試してみたいことがあってさ」
ブレイはニヤリと笑うと、アイリスの髪を掴んで持ち上げる。
何をするのかと見ていれば、彼はいきなり彼女の下腹に鋭い蹴りを入れた。
彼女は苦しそうに血を吐きながら咳き込むと、虚ろな視線を俺に向ける。
ブレイはアイリスを投げ捨てると、その真上に剣を掲げる。
「君がどう動くか、凄く興味があるんだよね」
振り下げられる剣。
その先にはアイリスの脳天だ。こんな状況、前にもあった気がする。
しかし俺は驚くほど冷静に、だが反射的に剣を抜くと空気をも歪ませる蹴りで瞬時にアイリスの元に移動する。
そして流れ作業のように彼の剣を受け止めると、それを跳ね飛ばす。
「そうそう、いい動きだ──」
「────ぐぁっ!」
瞬間、肋骨がバキバキと折れる音が耳に入った気がした。
飛び散る肉片と血飛沫の中、見えたのはブレイの足が俺の腹に食い込んでいるところだった。そして何が起きたのかを理解する暇もなく、俺はふっ飛ばされる。
意識が朦朧とし、息も吸えない。
そんな状態の中で俺は宙を舞うとやがて地に叩きつけられる。
「れ……レイン……?」
アイリスはフラフラした視線で俺の方を見ていた。
どうやら先ほど、ブレイに腹蹴りされた衝撃で意識が戻りつつあるようだった。
つーか、あのブレイ卑怯すぎんだろ。
アイリスはいわば俺の生命線だ。そいつを人質みたいにしやがって……。
心の中で思いつけるありとあらゆる暴言を彼に投げつけながらも立ち上がる。
《治癒細胞に全エネルギーを供給します》
身体が大量の水蒸気と熱気に包まれるが、このダメージは当分癒えないだろう。
流血量が少なくなっただけでもありがたい。
「Nタイプ──失敗作と言われる主な原因は様々だが主に
・現役の生体兵器をNタイプにアップグレードすることができない
・エネルギー消費量があまりにも高い
・システムOSが扱いにくいため使用者は高度なコード編集能力が必要
……まぁ要するに──」
ブレイは情けなくも死人当然の姿である俺を指すとニンマリしてから、こう言った。
「──君は僕には勝てない。失敗作の雑魚が」
またもや響き渡る笑い声。彼は足元のアイリスの頭を踏みつけるとそれを転がすように遊ぶ。その大きく開けた口で笑う彼を見据えると、全身が高ぶった。
気分が高揚し、足に力を込める。
失敗作、失敗作、失敗作、失敗作。
もう何度も聞いてきた言葉だし、これが原因でたくさんの仲間を失った。
だが、こいつに言われるのだけは無性に腹が立った。
「ブレイ、ナメてると雑魚に食われるぞ」
「あ?」
全力だ。
文字通り、すべてのエネルギーを両足の回転に振り分けて目にも留まらぬだろう速度でブレイに近づく。走る度に傷口から飛び散る肉片にも意を止めずに疾走する。
風を切る音が耳元でヒューヒューとなり、ブレイは余裕そうに片手に魔法陣を展開するが──
「なに──ごッ!?」
俺はアイリスのベルトから一番質素そうな魔導石ケースを引きちぎると、それをブレイの口に突っ込む。この魔導石ケースにはおよそ10個ほどの簡素な訓練用魔導石がある。
特別な加工もなければ、至って原始的な構造の丸い魔導石だ。ここの学生は皆持っている。
もちろん、この簡素な魔導石には「干渉反応防止」のための加工もない。
要するに──
「おいブレイ、わかるか? 何がお前の口に入っていて、何が今から起きようとしてるか? あぁ?」
ブレイは目を見開き、全身をガタガタいわせながら俺を見る。
そいつの片目に泥をまた叩きつけると、今度はケースで塞がった口が破裂する勢いの曇った絶叫が聞こえた。
「この魔導石に俺が電流を入れれば、干渉反応で一気に爆発だ。さぁ、さすがのお前も内部からの爆発には耐えられないだろう? 想像するだけでも吐き気がする死に方だよな? ブレイ?」
「お前も死ぬぞ!」
ブレイは塞がれた口を何とか動かし、叫び声のような声を上げる。
俺が死ぬ? そんなわけないだろ。
「安心しろ。どうせ爆発しても俺は腕を吹き飛ばされるくらいだ」
ブレイは今度こそ動かなくなる。
動けば即時爆発だと想っているのだろう。
しかし……
本音を言うけど、ブレイてめぇさっさと降参しろよ!
お前が死ぬかどうかはどうでもいいけど、俺だって腕は失いたくねぇんだよ!
頼む! こんな女のために腕一本は釣り合わない……!
アイリスとブレイを交互に見ながら心の中で叫ぶ。
もちろん俺の表情だけはクールに保っているが、目ではブレイに「お願いします。降参してください」と必死に訴えかけている。
『……ブレイ』
突然、聞き慣れた声が後ろからで聞こえる。
泥で少しゆるくなった小道の上を歩き、近づいて来ているのがわかった。
振り返るとそこにはアイレックがいた。もちろんブレイとよく似た顔なので少し違和感がする。アイレックよりも後ろには何十人もの警備生や私兵、それに伴って野次馬もいた。よくみるとライルとイルーナもいた。
「そいつは僕の弟だ。レインくん、一旦放してあげてくれるかな?」
やはりそういうことか。
見た感じ、双子ってところだな。アイレックはブレイに近づくと口の中の魔導石ケースを捨てる。ブレイは息を荒くしたままアイレックを睨むが、アイレックは目を刃にすると──
「……ふざけるな!」
「──ぐあっ!」
目にも留まらぬ速さでアイレックが剣を抜き、ブレイの肩を貫通させる。
そして、そのままブレイを押し倒し、馬乗りで殴り始める。
その気迫には俺までも圧倒されるところだった。
「僕の、前で、二度と、顔を出すな! クズが!」
ミサイルを撃っても、そんな大音量は出せないんじゃないっすか?
アイレックが目を真っ赤にして、ブレイを殴り続ける。
ブレイも対抗しようとするが、魔術を使われるよりも速く、蹴り上げられた。
このエキストリーム兄弟喧嘩に呆然としていると隣で咳き込む声が聞こえる。
「おいアイリス、大丈夫か?」
「いやっ……」
アイリスの肩に手を伸ばそうとすると、彼女はまだフラフラする視線のまま俺から目を逸らす。そしてまたチラッと俺の姿見ると、また目を逸らす……。
そこでようやく自分の身体中の配線がまだ光を放っていたことを思い出す。
たぶん彼女は俺の姿を見て、幼いころに母親を生体兵器に殺されたトラウマでも思い出してしまっているのだろう。意識も朦朧としてわけだし、仕方ない。
「──ッ!?」
嫌がるアイリスの肩を無理やり持って、そのまま起き上がらせる。
彼女はしばらく俺と目を合わせると、俺の身体の配線を見てから下を向く。
そして頭を少し振ると、大きく息を吐いた。
「……さっきはありがとう」
いつものアイリス……とまではいかないが声に力が戻ってきた。
しかし依然として、呟くように小さな声だった。
「え? なにが」
「だから、さっき審問員が私を斬ろうとした時に庇ってくれたこと。でもどうして?」
アイリスは額から血を流し始めていた。
身体中も傷口とアザばっかりで、早めに治療しないとお嫁に行けないどころか頭を強打したせいでアホになりそうだ。その前兆として、こいつは俺に「どうして助けたの〜?」だなんて当たり前のことを聞いてくる。
「あのな? お前が死んだら、明日の飯は誰が俺にくれるんだよ?」
アイリスは重たそうに頭を持ち上げる。
僅かに見える彼女の瞳の光が俺の目に入った。
彼女は視線を下に向けると呟く。
「あ、そう……」
アイリスは一瞬よろけるが、それを俺がギリギリで支える。
アイリスの表情はまるで眠っているようだったが、どうやら気絶したそうだ。
無理もないだろう。あんな変態サイコパス審問員のSMプレイ受けたわけだしなぁ……。
そう考えながらアイレックの方を見てみる。
「くそが! お前なんかと、双子の兄弟だなんか、恥だ!」
「出来損ないの兄貴は黙ってろ!」
「何言ってるんだ!」
うわぁ、これは終わらないわ。
俺がドン引きしながら兄弟喧嘩を見ていると、人混みの中から治癒師らしき人間が数人来る。するとアイリスを治療でもするのか、担架に乗せたいみたいだ。
「レイン・サイフラ、君も治療を受けろ」
そう言われると俺も引きずられて、他の担架に乗せられる。
しかし疲れで目を閉じる寸前、人混みの中でシエラがこちらをジッと見ていた気がするが……気のせいか。
俺は意識を手放した。