第二十話 - これより開廷(SIDE:アイリス)
「あの犬……護衛としての自覚あるのかしら?」
日は少し傾き始め、赤みがかかってきた。
私は──アイリス・ベルヴァルトは、ボソッと愚痴をこぼしながら庭園を通り抜ける。
手に大量の本を抱え、顔には疲れがハッキリと浮かんでいると思う。
そう、この大量の本が宿題を忘れたバツとして追加された課題どもである。
ていうかレインがいればこの重たい本も少しは彼に運ばせられたのになぁ。
なんにせよ彼には色々と不満があった。まず態度がでかい。捕虜のくせに……。
次にマナーがなっていないところだ。彼の教養の無さは今に始まったことではないのだろう。それに軍人出身だし仕方はないかもしれない。そこは私が作法などを叩き込んであげないとダメかもしれない。
それにレインはさっき授業中に外に行かせたが、あれっきり戻ってこない。
……もしかして、何か問題にでも巻き込まれたのかな。
この大量の課題を部屋に届けた後にレインを探さないと。
はぁ、とため息をつき、建物と建物の間に入る。
最近見つけた小道だ。ここを通れば、寮にも早く帰れる──
急に回転する視界。
全身を地面に打ち付けてしまい、本の山もバサバサと辺りに散ってしまう。
あまりの痛みで悲鳴を少し上げるが、足元を見るとそこには細い糸が張られていたことに気付く。
嫌な予感がするときは大抵、その予感通りなことが起こるものだ。
「──ッ!」
何かとてつもない何かを感じ、立ち上がる。
膝は擦りむいて、ニーソも破けて血と泥で汚れている。
しかし今はそれを気にする暇などない。双剣をゆっくりと抜くと、辺りを見回す。
誰もいない。
当然といえば当然だ。
ここは小道だし、ここを通る生徒もそんなにいない。
疲れのせいで、何か神経質になりすぎたのだろうか?
この張られた細い糸だって誰かの嫌がらせの可能性だってある。
腰を緩めたその瞬間。
『──ようこそ審問へ!』
「なっ!」
全身をひねらせ背後を斬る。いない。誰もいない。
声がささやかれた気がした。絶対に誰かいたはずだ。
歯を食いしばらないとパニックになりそうだった。
『審問には二つの方式』
四方八方からの声。声の主がどこにいるのかもわからない。
あちらこちらに視線を配らせても混乱するだけだった。
すぐに戦闘準備に入り、足元のトラップを剣で切り裂く。
『一つは審判型』
生まれてきてから恐怖という感情は幾度と無く感じた。
だけどこの恐怖は違う。まるで分からない。一体、なにが起きているのかがまったく分からないんだから。
呼吸が荒くなり、剣を握る両手が汗ばむ。足はすくみそうで、腰は抜けそうだ。
「でも君には罰則型だ」
今度は四方八方に散った声なんかじゃない。
耳元で──息がかかるほどの近距離でささやかれる。
人の気配だって感じるし、何か生ぬるい感覚が肩を中心に広がっているようだった。
息を荒げながら視線を下ろすとそこには肩を貫通した血で汚れた剣
──刺された。
悲鳴にならないような声が喉から押し出され、全身が熱くなっていく。
耳裏をその「誰か」に舐められ、あまりの気持ち悪さに口を手で塞いでしまう。
まるで剣が身体の中でトゲを広げているような苦痛を味わう。
死ぬ、このままじゃ。
麻痺する身体を無理やり動かし、双剣を一直線に背後の敵に斬りつける。
しかし同時に肩に刺さっていた剣はブレながらも瞬速で抜ける。
「殺しはしないってば、ただの罰則なんだから」
物理法則を完全に無視した動きで双剣を避け、私の目の前に現れる男。
彼は全身に黒いローブをまとい、顔はフードで隠れている。
口元が少しゆがんでいるのだけは嫌なほど見えた。
歯を食いしばり、後方へ飛び除く。
剣が身体から抜けると同時に激痛が全身を駆け巡る。
「……なにがしたいの」
はぁはぁ、と息を荒くしながら肩の傷口を押さえる。パックリ開いた傷から、血が流れ続ける。応急措置で治癒魔法を使いたいが、ここで使えばまた刺されるかも。
目の前の男は私の姿を見ると嬉しそうに口を歪ませる。
「異端審問会の審問員だ。警告するけど、あまり異端者に心入れしないほうがいい」
異端審問会。
その言葉を聞くだけで状況の悲惨さを理解する。
このままだと何をされるかわからない。あいつらはサイコパスばっかだって聞くし。
「異端者って捕虜レインのこと? 心入れだなんて笑えない冗談ね。どうせ彼の所有権が欲しいんでしょ?」
「まぁ、上の人間は欲しいみたいだけどそれは僕の仕事じゃないな。それよりもさ──」
シュッと彼の姿が一瞬だけ消えると、次の瞬間には私の目と鼻の先に彼の顔が現れる。
そして私の頬に手を添えると、彼は口をゆっくりと開く。
「──もうちょっと楽しもうよ」
悪寒が全身を震わせる。
すぐに腰に掛かったアブレイムストーンに手を当てると、一気にスライドする。
ストーンは高い回転音を立て始めると魔力の波を爆発的に発する。
これが魔導石の起動と充填に必要な動作、ローリングだ。
審問員も警戒したのか数歩飛び退く。
魔導石から流れ込む大量の魔力が自分の魔術回路を圧迫し、全身が熱くなる。
傷口が流れる血も止まり、まるで何か木の根が体の中を進んでいるような感覚だった。
それが目の部位にまで到達すると、もう一度大きな魔力波を発する。
「へぇ、それがアブレイム・ストーンね。噂通り、使用者の瞳はストーンと同じ色に輝くわけか」
私は言葉を返さずに、姿勢を低くする。
目を鋭くして、呼吸を整える。双剣を交差させ、身体の左横で構えさせる。
しかし審問員は余裕そうに両手をヒラヒラさせると、バカにするように笑った。
「どんなに良いストーンを使っても、やっぱり警戒心は学生並だよね」
「あ……」
急に身体がフラつき、膝を地面に下ろす。
審問員が両手を一回叩くと、肩の傷口がまた大きく破裂し血を飛び散らせる。
「うっ──! んー!」
悲鳴をあげようとすると審問員は片手で私の口を塞ぎ、そのまま地面に叩きつける。
審問員は人差し指を口元に当てると、にっこりした唇をフードから覗かせた。
この感覚はおそらく昏睡魔法。先ほどの剣に昏睡効果のある術式を練り込まれた。
「君が寝たらどうしようかな? どうやって遊ぶと思う? 当ててみてよ?」
悔しさで涙が出そうでも、彼を睨み続ける。
審問員は私の口から手を離すと、ニヤニヤしながら返答を待つ。
私は一気に頭を持ち上げて、全力の頭突きを彼に食らわせてやる。
彼は色々と呻きながら私から離れるが、私もナイフを腰から抜くとそれを太ももに刺す。
「ぐッ……」
狭まる視界が痛みで叩き起こされ、意識がまた少しだけ戻る。
なんとしてでも意識を留めなければならない。
しかし相手はプロだし、勝ち目は多分ない。
「クソ女、ふざけんじゃねぇぞ!」
「痛っ!」
いきなり叫んだかと思うと、私の首を掴んだまま持ち上げられる。
そして壁に押し付けられると、もう完璧に息など吸えずにいた。
さきほどの戦闘行為で息を荒らげていたのに、このままだと数十秒と持たずに窒息する。両手で彼の腕を引っ掻き回して、爪が血に滲んでも喉は圧迫されていくままだ。
死ぬ……。
「お前が死んだら何してやろうか? こうするか? あ?」
「────ッ!」
ブレザーとシャツを強く引っ張られて、ボタンが弾ける。
下着が見えそうになると、男は鼻で笑うとさらに喉を圧迫してきた。
こんな死に方だけは嫌だ!
どうあがいても息はできない。どんなに引っ掻き回しても自分の爪が剥がれそうになるだけだ。今までの記憶がまるで早送りのように再生されて、苦しさで涙がでる。
ちっちゃい頃から暗い性格をしていた。いつもメソメソしていたし、いじめられる度にイルーナが守ってくれた。それにイルーナは本当におせっかいで「強くなれ強くなれ」とうるさかった。母が死んだ時もイルーナに慰められた。でもなんだか慰められるのがどうしようもなく悔しかった。
葬儀に参加した親戚は遺産目当てのクズばっかで、中には嬉しそうな人間でさえいた。
私に母がいかに愚かなのか、無能者共生思想の愚かさを私に言うお爺さんもいた。
父は涙一つ流さずにその日も会話さえしてくれなかった。
腹違いの兄ケルベスはまるで母をバカにするようなことまで言ってきた。
だからこそ母を殺した人が許せなかった。
強くなりたかった。でも本当の私は弱いままで、昨晩だって悪夢を見れば怖くて怖くて仕方がなかった。レインが生体兵器だと思うと不安で胸が潰れそうだった。
でも最後の最後だけは強くないといけない。
目を見開いてまっすぐと審問員を睨む。
そして彼の胸に蹴りを喰らわせ、少しだけ緩まった手に咳き込みながら言葉を紡ぐ。
「あなたには……勝たせない」
最後の頼みとばかりに、内ポケットに入れたキューブに触れた。
もし死んでも、こんなやつに良いようにはされたくない。
いっそ大嫌いな生体兵器に墓を作ってもらったほうがマシだ。
思いっきりキューブを押した。スタンリングの起動信号だ。
──気づいて……。