第十五話 - 姫君の過去
「干渉反応レベルを検出……体内に埋め込まれた全てのクリスタルの位置特定。そのまま作業は実行。強化装置に損傷がないのを確認。人工筋肉の一部が壊死しているのを確認。治癒機能を人工筋肉のB2部位に全て転移……成功。バイオソフトウェアレベルの作業を開始する。シールリング、コードを展開」
カーテンが閉め切られ、真っ暗になったアイリスの部屋。
そこではシールリングが映し出す立体ディスプレイだけが辺りを照らしていた。
俺は目をつむり唱えるように脳内に直接入ってくる情報を処理しながら体内に仕込まれたクリスタルの妨害を突破しようと試行錯誤していた。
厄介なことにこのクリスタルは身体の調整機能まで妨害している。そのため放っておけば俺は体の一部が壊死したり、不調を起こしたりするだろう。自分で手動メンテナンスするしかない。ふざけやがっている。
《コマンド受諾。コードを展開します》
シールリングの声と同時に俺の周りには無数の数列と文字列——コードが映し出される。これらは全てがプログラムとなっており、俺の全身の機能と連携している。
それらは渦巻くように流動し、まるで光る粒子のように飛び散っていた。
「これより体内のクリスタルの無効化を試みる。シールリング、サポートを」
《了解——忠告、難易度が非常に高いです。ユーザーのコードエディティングの技術レベルも非常に高度ですが、これはそれを上回る可能性があります》
目の前に展開された数列を改変させていきながら「ま、成功できるなんて思ってないけどな」とつぶやく。
コードエディティングは普通のプログラミングとは全く違う分野にある。
俺の全身には複数の強化装置、治癒細胞、人工筋肉に戦闘アシスタントAIが搭載されている。それだけでなく、全身の血管の近くを通るノイズ供給用の配線や調整や防衛用ナノマシン……。とにかく色々なものがテンコ盛りだ。
これら全てをまとめるのはノイズシステムだ。そしてそれの中心にあるのがアシスタントAI『シールリング』である。科学陣営は歴史上、完全なAIを開発することに成功したことはない。
このシールリングも綿密に言えばAIとは呼べないのかもしれない。
なぜならシールリングの半分ほどの処理は使用者自身の脳の一部に頼っているからだ。
要するにシールリングのリング部分は機体本体ではあるが、その演算本体——意識は俺の脳に接続されたインプラントコンピュータにある。
簡単にいえばシールリングは俺の脳とコンピュータの二つの間に存在している。
そのためAIも時間が経てば、それぞれの個性が出てくる。
その人格、意識に近いものまで搭載されたAIを特定のプログラムコードに縛るのはほぼ不可能。
だからコードは常に変動している。それは人が何かを考えるときと同じようにだ。
コードエディティングには並ならぬスピードとコード変動を予測する能力が求められる。俺は実戦向けの生体兵器のくせにコードエディティングの成績ばかりが良くなってしまった。……転職しとけばよかったかも。無理だろうけど。
《変動値が速すぎます。エディティングが追いついていません。ユーザー、変動予測が正確ではありません。当AIの判断システムに問題が発生しました。このままではシステムがシャットダウンします。いかがしますか?》
「作業を全てリセット。中断する」
《了解……リセット完了。ノイズシステムへようこそ》
ため息を付いて椅子の上にもたれかかる。
やっぱり無理か。さすがに干渉反応をプログラミングで出力層して相消しするの難しいようだ。まぁ、メンテナンスには成功したし良いほうだろう。
あぁ、ていうか今日は部屋にこもってきりだわ。
ライルの言う「純粋な剣術」の勉強をしたり、対魔術師戦闘の資料読んだり、体内のクリスタル無効化を試したり……なんか暇だな。
「アイリス、遅せぇな」
カーテンを開いて外を確認するとすでに日も沈み始めている。
まさか俺みたいにリンチとかにでも遭ってなければいいんだけどな。
たとえ彼女が強くても大勢に囲まれれば勝てるはずもないだろう。
それにいくら強いって言っても、学園トップってわけでもないし。
たぶん成績も実力もここでは中の上ってところか。
《ユーザーのスペックは正確に表現すると”失敗作”です。それに加えて力まで無効化されたユーザーにするべきことは皆無だと、当AIは判断します》
「ま、そうだな」
シールリングは俺の考えでも見透かしたのだろうか?
こいつの意見に賛同しながら俺はベットの上に寝転がる。
……なんだかいい匂いがするな。
あとで怒られそうなので乱れたシーツを整えなおして、ベットから距離をとっておく。
暇すぎて死にそうだったのでお約束の部屋漁りでもするか。
本棚に直行し、また色々と物色してみる。
例の恋愛小説に偽装された資料書も全て消えていて、他の場所に隠されたのが分かった。
「お……? これは」
前にはなかった木箱がいくつも本棚の奥に隠されていた。
この前は奥まで見てなかったしなぁ〜。いやぁ、俺って最悪なやつだわ。
でも、主人のことはもうちょっと良く知りたいじゃん? 弱みとかさ?
ゲスいことを考えながらそれを取り出してみると……
「お、可愛らしい」
最初の何冊かは「あいりすのにっき」と下手くそな字で題名が書かれているが、冊数を重ねるたびに字はうまくなっている。ふむ、とても感慨深いものだな。
そう考えながらシールリングで写真をとっておく。
最初の一冊であろう「あいりすのにっき1」を手にとって開いてみる。
紙は黄ばんでいて、かなり古そうだ。適当に開いたページを読む。
——1月20日(第二番曜日)
まほう が つかえない おねえちゃん が まほうつかい にいじめられてた。
とめたら おねえちゃん にあやまられた。ありがとう っていえば いいのに。
お、おう……。いきなり現代社会の差別問題を子ども視点で書いた濃い内容になったな。またペラペラとめくってみる。
——5月30日(最終番曜日)
ほかのこに いじめられた。イルーナは たすけてくれたけど こんどからは じぶんでも やりかえせって おこられた。けんかは こわいんだもん。
は、はぁ……。今とは違ってかなり弱気で陰の暗そうな子どもだったんだな。
むしろこの暗黒幼少時代の反動で今のような攻撃的な子になってしまったのかもしれない……。ていうかイルーナとはやっぱり昔は仲が良かったみたいだな。
日記をしまい、もっと後に書かれたであろう「アイリスのにっき6」を開く。
適当にめくると、ひとつのページで止まる。その紙は妙にクシャクシャな感じだった。
——2月28日(第四番曜日)
ママが死んだ。
………………。
さすがに絶句、そして無言。シールリングがこんなタイミングで規則正しい電子音を挑発的なリズムで発する。まるで「あーあー、見ちゃいましたか〜」とでも思ってそうだ。こいつ狙ってるだろ。
——2月29日(第五番曜日)
敵はぜったいに許さない。相手はノイズシリーズの現役タイプではないのは確実だと検査官から聞いた。プロトタイプかもしれない。ぜったいに殺す。でもこわい。
おしっこちびりそうだぜ……。
冷や汗をかきながら、次のページをめくる。
——3月1日(第六番曜日)
大人はだいっきらい。だいっきらい。きらい。お金の話しかしない。ママのお金をなんで嬉しそうにもらいにくるの?なのにどうしてママの悪いこと言うの?どうしてアイリスにはママのものが残らないの?ケルベスお兄さんもだいっきらい。ママをバカにする。
たぶん遺産分割かな。親戚とかにでも酷いことされたんだろ。
ていうかゲルベスお兄さんって誰だ? アイリスに兄でもいたのか?
疑問に思い、シールリングに「ケルベス・ベルヴァルト、検索」と話しかける。
《検索結果を展開します》
へぇ、アイリスとは腹違いの兄妹か。複数の会社を所有しており、ベルヴァルト家の次期当主か。たぶん、腹違いが原因で仲でも悪いんだろう。俺の予測だとベルヴァルト家はこのケルベス優先な環境なんだろう。じゃなきゃ、アイリスの母親がここまでひどい扱いを受けているのはおかしい。
でもこちらのデータ上でもアイリスの母親——リリィ・ベルヴァルトは愛人と言うわけでもなく正妻だし……。
嫌われてる原因はやっぱり、無能者共生思想家だったからかな? それかアイリスの父親は別れた前妻に未練があったとか? まぁ、ドロドロ過ぎて関わりたくないレベルだ。
続きを読んでみる。
——3月2日(最終盤曜日)
つよくなりたい。
無言で日記を元あるべきところに戻すと、窓に目をやる。
外はもう暗い。
そろそろ迎えに行かなくちゃいけないかもな。
こう見えても、俺は職務や任務とかは絶対に成し遂げる優等生タイプだし。
そう考えながら俺がドアを開いてアイリスを探しに行く、まさにその時だった。
——首のスタンリングが規則正しく細かい電撃を出した。
嫌な予感がする。
《シールリングと「コード 編集」について》
シールリングは使用者の脳の一部とそれに接続されたインプラントコンピュータをメインに演算している。よってそれは使用者の意識とも連動しているため、そのプログラムコードは常に変動している。プログラミング——コードエディティングするには高度な予測能力と編集速度が求められ、意識とシステムの概念を深く理解する必要がある。レインはプログラミングだけはかなり上位の成績を収めていた。そのためテストにギリギリで合格し、破棄処分を免れた。