【N】 休憩地点
西大陸・東大陸を問わず、この世界の大気中には魔素というものが含まれているらしい。
目に見えないので勿論確認のしようはないんだけど、その『魔素』が、魔法を使うのに必要だったり動力エネルギーになったりと重宝されている――というのが世界共通の認識だ。
魔素の由来や生成法については、正確なところは未だ明らかになっていないが、別の時空に濃密な魔素に満ちた世界があり、そこから漏れ出したものであるという仮説が、今のところの有力候補。
そしてその存在を裏付けるのが――『精霊』と『召喚術』
遠い昔、とある魔術師が編み出したのが、この世界とは別の場所から生物を召喚し、使役させるという何とも不思議な術だった。
知能を持たず暴れ回る害獣のようなのも中には居るが、それと同じくらい、言語的コミュニケーションの成り立つ友好的な種も存在する。
彼らは時に、その姿や人間との関係によって幻獣や妖精と様々な呼ばれ方をするが、それらを総称して『精霊』
俺達がステラに頼まれて迎えに行く羽目になった存在の事を、彼女は確かに『風の精霊』と呼んでいた。
『異界の生き物である彼らは、召喚術によって呼び出された都度、一時的に力を貸すというスタイルが一般的なんだけど……召喚者との繋がりが強い個体や、契約は結んでいなくてもメイみたいに純粋に人間界を気に入ってくれて、自分の意思で留まっている子も中にはいるわ。けれどやっぱり別世界の存在だから、居続けるためにはちょっとした制約があるのよね』
酒場の空気を凍て付かせた後、『とっておきの』を飲みながら、騎士団長様さえも差し置いて一人で上機嫌な彼女は、事情を知らない俺に親切に解説してくれた。
理屈はわからないが、多分、精霊達の世界と俺達の世界(以下精霊界と人間界)では空気中に含まれる魔素の濃度がかなり違うため、元々魔素の濃い世界に適応している精霊達は、定期的に魔素を補給しなければ体が構成できず、半透明に透けたり、それが進行すると不可視状態になり人間界に全く干渉できなくなってしまうらしい。
で、ステラが言うところの風の精霊メイは、丁度その魔素の補給期間に入っていて、遺跡の中で眠っているそうだ。
……うわあ。マジか。
ここまで言われたら、比喩や冗談の類ではなさそうだ。少なくとも精霊と知り合い、っていうのは。
何て存在と仲良しになってるんだこの人――顔が広すぎるってレベルじゃないぞ。
「え……、ここ通るんですか? 道がない、っていうか……これ森に入ってません?」
王都を出てから数刻。最初は街道沿いの歩きやすい道を歩いていたものの、段々と歩く方向が逸れていき、同時に道幅も狭くなってきた。
周りに背が高くて野性的な木が増えてきたから、まさかとは思ったけど。……これは、あれだ、獣道ってヤツ。
「当然だ。都合よく遺跡が街道沿いにあるわけねえだろう」
たいへん現実的なお言葉だった。
俺が躊躇しているのをよそに、ジェイドは一人で先に行ってしまう。
もたもたしていたら、あの凶悪な目で振り返られて「何してんだ、さっさと来い!」……だってさ。
部下の訓練なんかの時は、めちゃくちゃ厳しい人だって聞いてたけど……俺、一般人なんですけど。
「もー、俺か弱いんだから、労わってくださいよー!」
自分で、か弱いとか言っちゃう。心にも思ってないけど。
「気色悪い事言ってんじゃねえ!」
少しだけ追いついたので、怒声がさっきよりも大きく聞こえた。
……なんだかさっきから怒鳴られてばかりだ。
けど、別に悪い気はしない。
王都を出てから、ずっとそうだった。
俺がどれだけゆっくり歩いても、一人で先に行ってしまうように見えて、ある一定の距離からは絶対に離れない。多分、それが彼の目の届く範囲なんだろう。
今も、ただ前を歩くだけでなく、俺が少しでも通りやすいように道を作ってくれているのがわかったから。
森に入ってから更に暫く歩くと、視界にあった緑が急に土色になり、前方が開けた。
ただ、出口なのかといえば、どうもそうじゃないらしい。
一部だけが小さな広場のようになっていて、そして――そこに掘立て小屋が一軒建っていた。という事は…!
「お疲れさん。ここで休憩するぞ」
案の定、俺が期待していた通りの言葉を口にしてくれたジェイドに、俺は今まで疲れたと頻りに言っていたのが嘘のような、生き生きとした顔を向けた。
「やった! やっと休めるー!」
粗末な作りとはいえ、きちんと屋根がついているのだから充分。
幸いにして今日は良い天気だったけど、それならそれで日差しが気になるものだ。
ダッシュで小屋の前にいるジェイドに追いついてきた俺に対し、彼がものすごく怪訝そうな眼差しを向けていたのは知っていたが気にしない。
太陽の位置を見るに、昼食には丁度良い時間帯だろうか。
ジェイドが持って来た食糧をもそもそと食べながら、歩きっ放しだった足を休める事にする。
「魔素の補給ってさー、遺跡の中じゃないと出来ないんですか? 毎回こうだと大変……」
「補給っていうからには、魔素が濃い所でやらないと意味がないんだろう。本当かどうかは知らんが、今から行く遺跡は昔、風属性の何かを奉ってたらしい――だから風の魔素が強い場所、って言われても不自然ではないな」
食事は、普通の人が食べやすいように配慮されているとは言い難く、ジェイドが用意していた事もあるし、騎士団の保存食か何かなんじゃないかと思われる。
ジェイドは慣れているらしく、俺がようやく半分くらいまで食べたところで既に全部を食べ終えていた。
ふと、その視線がこちらを向く。
睨まれているわけではない、ただ普通に見られているだけだし何でもないんだけど、それでも鋭かった。
彼の瞳は、剣と同じだ。
鞘に収まっていても、武器なのだとはっきりわかる。
「……全然疲れてねえように見えるのは、俺の気の所為か」
独り言や、自問の類に近い響きだった。それはきっと、既に疑問ですらなく確信しているからだ。
その内容が、俺の事を指しているのは明白だったので無視も出来ず、食糧の固い肉を噛んだまま「うー?」と、彼の方に首を向ける。
「行儀が悪い」とか、軽く睨まれたけど。
相手は一国の騎士団長。――何となく、見抜かれるような気はしていた。
野外活動に慣れた人間でなければ、険しい道のりだ。なのに俺が息も切らさず、汗もかいていないのが目についたんだろう。
別に、知られて困るような事ではないけど、説明するのは億劫だった。
それに湿っぽくなるのは避けたい。
話すのならどうしても、東大陸の悲惨さに触れなければならないから。
「そんな事ないですよ。もう足パンパンで、明日カウンターに立ってられないかも……」
だから俺は、口の中にあった物を飲み込んだ後、眉尻の下がった弱ったような笑みを見せた。
ジェイドは数秒、俺をじっと見ていたが、意外にも彼の方から視線を外す。
「ここまで来れば遺跡まではあと少しだが……、この程度で音をあげるようじゃ、ステラの所でやっていけないぞ」
返って来たのはその一言。それ以上の追及はない。
興味を持ってくれてるのか、そうじゃないのか――なんか微妙な感じだ。面倒見は良さそうだけど、必要以上には干渉しないタイプなのかな。だったら楽で良いんだけど。