「姐ご」 7~9
「姐ご」(7)
工藤厩舎のバブル?
「まさに、飛ぶ鳥を落とす勢いだ」
「へぇたいしたものだ、、この不景気な時代に豪勢なことだ。
秘訣は何だ、やっぱり人脈か?」
「うん、
エクセルから派遣されてきた、正田ってやつが遣り手だな。
こいつが、元は中央競馬に籍を置いていたと言うんだが、
その辺の関係で、中央と首都圏の競馬には、
妙に古い付き合いがあると言う」
「ふるい付き合いがあるのなら、余計に好都合だろう、」
「ところがそうでもなさそうだ。
正田ってのは、実は、浦和からの流れ厩務員だったという噂もある。
廃止の決まった高崎競馬に、
まだまだ現役のところから、わざわざ流れて落ちてくると思うかい。
待遇からしても雲泥の差が有る、都落ちもいいところだ。
何か不自然な、引っかかるものがあるだろう」
「そうかな、蹄鉄屋の考えすぎだろう。
女で失敗したとか、酒でしくじったとか、
どこかで不始末を仕出かせば、都落ちも仕方がないだろう。
どうせまともな世界じゃないだろう、地方の競馬界なんて。
皆な、すねに一つや二つの傷を持ってるさ、
第一やっこさんは今ではもう、工藤厩舎の右腕だ、
いまさら首にも、できないだろう」
「まぁな、実はそれはある。
工藤厩舎はいまのところ、正田の才覚で動いているようなもんだ。」
スナック「和」での、瓦屋と装蹄師の会話です。
姐の姿は、まだ店内には見えません。
それもそのはずで、この二人はまだ午後の5時過ぎたばかりだとというのに
暇をもてあましたあげく、早々と呑みはじめているのです。
朱美が、二人の会話に割り込んできました。
「ねぇ~、退屈だよ。
せっかくお店を開けてあげたのに、
なに二人で、さっきからこそこそ話ばかりをしてるのさぁ。
パァ~っとやろうよ、ねぇえ~ったら。」
「お前の頭だけだろう、パァ~としてるのは!」
この朱美という女の子がお気に入りの装蹄師は、
そう悪口をたたきながらも、しっかりと朱美の肩を抱き寄せました。
「夜の仕事を始める前に俺と、いいことをするか?」
「なぁに馬鹿言ってんの。
まだ日も暮れていないというのに・・・
なにか他に考えることないの、このド助べえ!」
「よく言うぜ。
俺に抱かれて、白眼を見せてヒイヒイ喜んでいたのはどこのどいつだ。
いまからたっぷりと、可愛がっても良いんだぜ。」
「こらこら、
そこの紳士の二人連れ。
秘めごとというのは、密やかにやるからこその、秘めごとよ。
明るいうちから、妙に発情しないでね」
いきなりの姐ごが登場をしました。
その声を聞いた瞬間に、装蹄師があわてて直立不動で立ち上がりました。
「ば~か」瓦屋が頬杖をついたまま、そんな装蹄師を見上げて笑っています。
「あんたもさぁ・・・・
こんな早い時間から、こんなくだらないどスケベと飲んでてどうするの。
まったく、颯爽と仕事をしていた屋根職人さんは、一体どこに消えたのさ」
「おいおい、藪蛇だな」
にっこりと笑いながら、姐ごが瓦屋の隣に腰をおろしました。
姐ごの目線が、瓦屋の煙草にとまりました。
素早く一本を引き抜いた瓦屋が、慣れた仕草で姐ごの口もとへ運びます。
「工藤ちゃん所の、噂話?」
ふう~と、姐が、天井に向けゆっくり煙を吐き出しました。
ぽっかりと丸く広がった煙の輪を、瓦屋が指ですかさずかき乱します。
・・・姐ごが目を細めて、そんな瓦屋の横顔を見つめています。
携帯電話が鳴りました。
「美理と人情を秤にかけりゃ・・・」、姐ごの呼び出し音は、任侠演歌です。
「あらぁ、パパぁ、
どうしたのさぁ~、今頃。
ううん、お店にいるのは蹄鉄屋さんと、屋根屋さんだけよ~
朱美ちゃんが開けてくれたので、あたしも早目に出てきたの。
どうしたのさぁ、
今日は、遅くなるわけじゃぁなかったの?」
しつこい電話になりそうな気配がしてきました。
姐ごが立ち上がり、瓦屋にウィンクを一つ見せてから化粧室へと消えていきます。
「総長だ。
とにかく半端じゃない、やきもち焼きだから、
たいへんだわよ~」
瓦の背後へ朱美が忍び寄ってきました。
瓦屋に肩へぴったりと顔を寄せると、意味深に片目をつぶって見せました。
装蹄師も興味を示したのか、瓦屋の横へにじり寄ってきます。
すさまじい音を立てて化粧室の度が閉まり、荒い足音を立てて、
姐が化粧室から飛び出してきました。
「だからっ、何もないって言ってんでしょ!
まったく、しつこいなぁ。
火の無い所に煙は立たないって、・・・なぁに馬鹿言ってんのさぁ!
煙どころか、湯気も出ていません。
なんで、あたしと瓦屋ができているのさ、
ばっかじゃないの。
大の総長が本気になって、なに言ってんのさ、ば~かばかしい、
いい加減にしないと、本気でおこるわよ、パ・パ・ァ!」
すごい剣幕で姐ごが、まくしたてています。
携帯が折れんばかりに乱暴に切ると、くるりと向きを変えた姐ごが、
瓦屋に強い視線を向けました。
「まったく、ばかばかしいったらありゃしない。
やきもち焼きのクソじじぃが、
あたいとあんたのことを疑ってんだってさ・・・・どうする? 」
あおるような目線が、じっと瓦屋の顔を覗きこんできます。
「勘弁してくれよ」と瓦屋が言いかけた時、 バタンとドアが開く音がして、
先ほどまで噂していた当の調教師・工藤が現れました。
見るからに、旅じたくのままでした。
北海道から戻ったとこだよ、とそのままボックス席を通り過ぎて
疲れたように、カウンターの自分の指定席へとへたり込みました。
あらあらお疲れで大変ねと、姐ごが熱いおしぼりを手にした瞬間でした。
今田は、猛烈な音とともに入口のドアが全開になり
血相を変えた総長が、息を切らせて現れました。
あらまあ、今日は、千客万来だ・・・
姐ごが口に手をあてると妖艶な目で、瓦屋をしっかりと見つめながら
元気よく笑い始めてしまいました。
(8)に続く
「姐ごと厩舎と瓦屋さん」(8)
総長が倒れる
やきもち騒動からほどなく、総長が倒れました。
幸いにして一命は取り留めたものの、病状からしての長期入院が決まりました。
姐ごのつきっきりの看病が始まります。
本妻は倒れたその日に着替え用にと、寝巻きと下着を届けただけで、
その後は一向に顔も姿も見せません。
総長の容態を伺う電話一本すらかかってきません。
入院から二週間ほどした病院へ、瓦屋と蹄鉄師が顔をだしました。
気配を察した姐ごが、いち早く病室を出て、この二人を
人気のない廊下の奥まで手招きをします。
「何に考えてんのさ、二人して。
だからぁ・・・・
不良が入院している病院へ、
のこのこ二人で、やってくる必要なんかないはずでしょう。
ここは、あんたたちが顔を出してはいけない場所なのよ。
まったく、堅気のくせに、
やくざ屋さんの世界に義理立てをして、いったいどういうつもりなの?
心配しないで、朱美と呑んでいればいいのよ。
さァさぁ、何もないうちに早く帰った、
帰った」
「しかし姐さん、
おれらもずいぶん総長には世話になったし、
付き合いもあるしことだし・・・・
第一姐さんの手前、
しらばっくれている訳にもいかないから、
瓦屋と二人で、
こうしてお見舞いに参上したというわけで・・・」
「だから、それが余計なことだと言ってんの。
この世界のひとたちは、お金もちだから、
お付き合いの、金額自体も違えば、しきたりなども厄介なのよ、
第一、ひとたびお付き合いが始まれば、
なんやかんやと、とことんお金がかかる世界なの。
わかってんでしょう、そんなことくらいは。
あたしのことなら心配しないで、
瓦屋さんと二人で、お店の方で、呑んでて頂戴。
後で私も、顔だしますから」
姐さん、と後ろで呼ぶ若い者に「すぐ行くから」と返事を返した姐ごが
すれ違いざまに、瓦屋に耳打ちをしました。
「あんたまで倒れないで頂戴ね
パパは歳だから、仕方がないけれど、
あんたまで倒れたら、あたしが本気で泣くからね。
大事にしてよ、
い・ち・ど・しかない人生」
それだけ言うと、姐ごは小走りに病室へ消えました。
装蹄師は、見舞い金の入ったふたつの水引をパタパタさせて、
窓際で外の景色などを見ています。
「いえいえ、
私は、人の恋路を邪魔するほど野暮じゃござんせん。
馬になぞ蹴られたくはありません。
だいいち、蹄鉄屋が馬なんぞに蹴られたら
商売が上がったりです・・・
くわばら、くわばら。」
実に、誰にでもしっかりと聞き取れることができる
装蹄師の独り言です。
「駄目と言われちまっては仕方ねぇ。
是非もねえかぁ・・・
たしかに、やくざ屋さんたちから見れば、
俺たちの堅気の世界の金額なんて、所詮は中途半端な病気見舞いだ。
おい、鉄屋、工藤に電話してこれからはゴルフに行くぞ。
残った時間が、中途半端すぎる」
「こらこら、人の商売を勝手に縮めるな、
鉄屋じゃねえ、蹄鉄屋だ、
正式には、装蹄師さまと言う」
「良いからとっとと、ごくどうに電話しろ」
「おいおい、病室に聞こえるぜ!
ごくどうは、まずいだろう、
工藤さんとか、工藤調教師と言えよ。」
「かまうものか、
相手は本物のやくざ屋さんだ
誰が聞いても、本当の話だろが 」
「それも、そうだな。」
何気なく瓦屋にささやいていたこの時の、
この姐ごの一言が、まさか現実になるとは、言った姐ごも、当の瓦屋も思っていません。
この後、厩舎から工藤と正田を呼び出したこの呑ん兵衛コンビは
早々と約束のゴルフ場へと向かいました。
春先で、日差しが温かくなってきたとはいえ、
まだまだ風は冷たく、ましてや山腹にあるゴルフ・コースでは、
午後の2時を過ぎると気温は一気に下がり始めてしまいます。
3ホール目を終わった時のことでした。
瓦屋が軽いめまいを感じます。
「おい、地震だ。少し揺れたぞ」
「地震?気のせいだろう、
どこも、揺れてなんかいないぜ・・」
「そうか?気のせいか・・・
なんだか、揺れたような気がしたが。」
「めまいか? まさか、脳溢血じゃぁないだろうな」
「馬鹿言え、総長じゃあるまいし、
第一、俺はそれほどヤワじゃァねぇ、
気のせいだ、気のせい。」
しかし気のせいではありません。
こののちに、瓦屋も長いリハビリの日々を過ごしことになるのですが、
無事の復活は、はたしてあるのでしょうか・・・
それはまた、後の機会に譲ります
(9)に続く
「姐ご」(9)
瓦屋も倒れる
その翌朝のことでした。
瓦屋の朝は早く、5時前にはもう起きだして自分で朝食を作り、
弁当の準備をしてからおばあさんの朝食にとりかかります。
嫁さんはいるのですがバスガイドという仕事柄、時間が不規則で、
いつのまにか、朝の支度は職人さんの担当になりました。
男の子が二人いますがともに大学を終え、
今は親元を離れて、ともに一人暮らしの最中でした。
広い屋敷には瓦屋とその嫁さん、
今年85歳になるおばあさんの3人だけです。
「婆はたいして食わねえし、
おかずもそうはいらないから、チョロイもんだ、
女房はいつ起きてくるかわからねえから、
ほうっておいても大丈夫。」
それが瓦屋の口癖です。
寝る部屋も別なら、生活パターンもすれ違いのままでした。
「家庭内に金とセックスは持ち込まねえ」と瓦屋は常に自慢をしています。
もともと、自他ともに認めている遊び人の瓦屋です。
バブルのころには人も使い、その上前をはねて羽ぶりも良かったために、
生来の女好きのために放蕩話には。まさに際限がありません。
事件の発端は
およそ10年ほど前のことでした。
当時、ミス伊勢崎と呼ばれたスタイルも気立ても抜群の、可愛い娘がいましたが、
これをどこでどう口説いたのか、瓦屋と良い仲になってしまいました。
きわめて惚れやすい瓦屋のことです、
一日と空けず、この子を引き連れては遊びに呑みにと繰り出し続けました。
歳は、親子ほども違います
お揃いのゴルフウェアーを着こなして、人目もはばからずあちこち遊び歩きます。
あげくに飲み屋では、膝の上に乗せ抱きかかえて呑んでいるというありさまでした。
さすがに、女に手の早い装蹄師ですら目をそむけます・・・・
「兄貴、人が見てるぜ・・・」
「なんだぁ、
俺が気に入っているから、女を膝の上に抱っこをしているんだ。
それとも何か、これは日本の法律に違反しているとでもいうのかい?
男女が仲良くしている当然の形だ。
いい女を膝に置いて、酒を飲んでいるのが、なぜ悪い」
「いやいや、
そういうわけじゃァねえ。
ほら、後ろで飲んでいるあいつらが、
あれは愛人か、それとも親子かなとさっきから
外野でうるさくしゃべってやがる。
全く、余計なことを言う連中だ」
「おい、そこの若い衆。
こんな良い女と、
この俺がどうして親子に見えるんだ。
便所の下駄みたいな顔をした女房と、この俺の種から、
こんなに良い女ができるわけがねえ。
ご覧の通りの愛人だ。
こそこそ覗き見をしたり、ひそひそ話をするんじゃねぇ
わかったか、おめえらぁ」
と、ついには、啖呵をきってしまいます。
こんな塩梅ですから、ある朝、3人そろった朝飯の膳で事件がおこりました。
瓦屋が、面と向かった奥さんに、おもむろに口を開きます。
「おっかぁ、
どうしても一緒になりたい良い女がいるんだ。
頼むから一緒にさせてくれ。
俺も本気だし、向こうの女もその気でいる、
そんなわけだ、
そういうことだから俺と別れてくれ。
じゃあ、たのんだぜ。」
お嫁さんは、茶碗と箸を持ったまま目を丸くしてかたまってしまいます。
おばあさんはおろおろしつつ、息子と嫁を見るばかりです・・・
瓦屋は平然として飯をかきこむと、じゃあ行ってくると、
いつものように席を立ちました。
あれから10年、瓦屋の愛人は今度の女性で3人目です
味噌汁を作り始めた時のことでした。
左手から、握ったはずのお玉がカラリと床に落ちました。
珍しいなと、腰を低くして左手で落ちたお玉を拾います。
再び握ったつもりが、これもまた、手のひらからはらりとこぼれて落ちました。
「呑みすぎたかな・・・」
右手で拾い直して味噌汁を仕上げ、朝食を済ませると、
いつものように道具箱をかついで仕事の現場に出かけていきました。
その日は、思うように身体のうごかない一日になりました
痛みを感じないものの、
はた目から見ても動きは遅く、見るからにふらつき通しの様子です。
見かねた棟梁が声をかけました。
「おい、瓦屋、
大丈夫かよ、ふらついているぞ。
足元が危ねえなぁ・・・、
風邪でもひいたんじゃねえのか?
早めに仕舞って医者にいったらどうだ。」
さすがに違和感を感じていた瓦屋が、言われたままに、
かかりつけに医者に足を運びます。
しかしこの瓦屋に症状に、担当医の診察にきわめて速いもんがありました。
すぐに救急車が呼ばれ、脳外科の専門病院に搬送されてしまいます。
(10)に続く