サウサリートの小山内
アメリカの避暑地として人気の高いサウサリートも、冬となると肌を刺すような寒さとなり、観光客もまばらとなる。サウサリートの今朝はダウンジャケットやパーカーを身にまとった住民の往来があるだけであった。ここでの人気レストランといえば、日本人シェフが腕を振う海岸沿いのシーフードレストランで、改装後はウェディングプランも人気となっている。店内では朝から豪勢な料理に舌鼓を打つ常連客でにぎわっており、その中に小山内栄二もいた。まだ何も知らない小山内は、のんきにワインを飲みながらホログラムTVで2202年世界人権デーの式典を眺めている。
ここでちょっと、今から107年前に時間を戻そう。2095年のアメリカ東海岸では、小山内栄二は人間であった。MITの准教授として、確かに存在していた。ウルトラ・シンクロトロンを使ったフラーレン分子構造体の時間跳躍実験に成功したことで、彼は一躍世界的科学者の名誉と科学アカデミーの地位を得た。世界が彼を天才科学者として認めたのである。時空跳躍理論が確立された事により分子レベルの物体のタイムトラベルが可能となったが、このころ製薬会社を経営していた小山内の親友であるケインズがテクノクラートの存在に気づき、小山内と共にテクノクラートを壊滅させるべく立ち上がった。
テクノクラートとは、小山内の研究成果である時空跳躍を私利私欲のために悪用し、過去に戻って利権をむさぼっている未来の中流階級技術官僚たちのことである。彼らにしてみれば、過去の存在である小山内博士が発明した時空跳躍理論を使ったナノタイムマシンを、職権を悪用して不正使用することは比較的たやすい事であった。発明者のいない未来の時代においては、平凡で安サラリーの宮仕えで一生を終るはずである中流階級のテクノクラート達が、過去の歴史上にクローンとして現れ、自分の記憶を転送し、富と名誉をほしいままにしていたのである。しかしながら、人格といい頭脳といい、得られた地位にはおよそふさわしくない器しか持ちえていないテクノクラートたちは、政策の失敗、失言・暴言による失脚、利権の乱用などで過去の人類の歴史にたびたび登場しては、人類を破滅の危機に陥れていた。
ケインズと小山内の文字とおり、命を賭けた活躍によった。二人はテクノクラートによって抹殺されてしまったが、ケインズ博士により、小山内はクローンとして2130年に復活し、テクノクラートたちは一掃された。人類はそれでも争いは絶えなかったが、少なくともまともな歴史を手に入れることはできたのである。そして、時空跳躍の研究成果をすべて葬り去ることにした。2130年に歴史を支配しようとしたテクノクラートとの戦いに勝ったことで世界政府が樹立され、戦争の絶えない世界はやっと平和に向けて動き出したかに見えた。過去の中で利権をほしいままにし、人類を破滅の危機に陥れてきたテクノクラートによる過去の人類支配、利益独占はケインズたちの命と引き換えに消滅した。そして、人類は自分たちの本当の過去、そして未来を手に入れたはずである。
小山内は、サウサリートの町で平和を満喫しており、研究の平和的利用に励んでいた。2202年では小山内は、二体目のクローンへの移植を成功させていた。2202年になってもサウサリートは人気の高い避暑地である。通りの至るところに双方向電子ペーパが設置され、観光案内やショピング、ATMやCMといったマルチメディアコンテンツを提供している。一見便利そうなこのシステムはシティ・セキュリティ・システムと呼ばれており、監視カメラの役割をしている。APR(AutoPatrolRobotSystem:自動警戒ロボット)が街を24時間巡廻していて、これとデータリンクされていて街を安全に保っているのであった。他にも超高速グリッド・通信網やソーラ・エネルギー・システムが配備されており、多くのセレブがこぞって別荘を手に入れたがる安全で快適な高級避暑地となっている。そしてセレブになれない、多くの一般市民はというと、(せめてセレブ気分を味わいたい。)というわけで、一般市民の観光客でもにぎわっている街なのである。アシカの群れを右手に眺めながらブリッジ・ウェイを歩いていくと、左の路地は緩やかな坂道になっている。この坂道はプリンセス通りと呼ばれ、双方向電子ペーパを使ったデジタル・アート・ショップが立ち並んでいる。
様々な絵が道行く人々を楽しませながら、顔監視システムが犯罪防止や行き先監視をしている。観光客の中で不安そうな顔で通りを歩いている女性の顔を、ショップの双方向電子ペータが捉えた。すると、、。
「コンニチハ、チョットヨロシイデスカ」APRが道行くその女性観光客へ声をかけた。
「オミセヲオサガシデスカ?」
観光客はAPRへ顔を向けて、答えた。APRから質問を受けた場合は顔をAPRへ向けることが義務付けられている。
「ええ、プリンセス通りにTシャツのアンテナショップがあるとテレビで見たものですから。」
「ミナコ・ガルシアサンデスネ、コンニチワ。ソレワ、デュークショッパーズデス。モウスコシ、サカヲノボッタトコロノホテルノナカニアリマス。ワカリニクイノデ、コチラノディスプレイデゴアンナイシマスネ。」
「助かったわ、ありがとう。」
観光客の名前はMinakoGarciaという女性で、そして、ちゃんと身分登記をしている人ということになる。顔認証システムでリアルタイムに本人確認が取れているのである。MinakoGarciaは、ショップの双方電子ペーパをもう一度見た、そこには先ほどのデジタルアートの右上にサブウィンドウが開き、ホテルまでの地図と自分の現在位置が記さいしていた。その地図に沿っプリンセス通りを上っていった。MinakoGarciaは(坂は上にきったけど、これからどういくのかしら)と思っていた。坂を上にきった所にも、双方向電子ペーパがあり、Minakoが近づいたことがわかるとやはり右上にポップアップウィンドウでホテルと現在地の関係が地図に記されていた。
「ああ、ここだわ。APRありがとう。」
Minakoはすぐに、サウサリート教会を見つけた、そしてその向かいにある、南仏風の歴史あるホテルへ向かった。ここの一階がTシャツ専門店となっていた。Minakoは迷うことなくそのお店に入っていった。
APRは警察の警視相当の階級が与えられていて、攻撃能力もある。個人が今どこにいて何をしているか、何を求めているのか、犯罪に関連するか、犯罪に遭遇するか、それらすべてをAPRが監視しているのだ。一般人にとってはAPRはとても親切で便利な案内AIであるが、身分登記が出来ていない犯罪者にとっては、とても厄介な物であった。そして、2126年に死んだ小山内にも、とても厄介な物であった。さて、小山内の住み家ですが、Minakoが行ったホテルの前にある綺麗な家である。太陽が燦燦と輝き、白壁を守るように黄色い瓦がキンキンと音を立てながら、強い日差しを優しい光に変えようとしているようだ。屋根は優しさだけではなくて強い日差しをエネルギーにも変換していた、なぜなら、よく見ると瓦となっているのは屋根の縁だけで、屋根全体は黄色いソーラパネルで覆われていたのである。その家の3階のバルコニーでは、チョイ悪おやじ風のダンディな男がのんびりと海を眺め、マンデリンの苦く甘い芳醇なコクを楽しんでいた。ホログラムTVには世界人権デーの様子が映し出されていた。この男、小山内英治、22世紀が生んだ偉大な天才と賞賛された天才科学者である。2202年の今、小山内は平和なこの世界での暮らしを満喫していた。ところで、2064年生まれの小山内英治は148才ということになる。しかし、どうみても45才くらいにしか見えない小山内であった。未来のテクノクラートの技術を使ってもクローンの肉体は80年くらいしかもたない。そこで小山内は2度目のクローン転送を成功させていて、新しいクローンはどうみても45~46才にしか見えない、ダンディでイケ面なチョイ悪風で若々しくエネルギッシュな男となっていた。
Minakoが、ホテルを出ると丁度と反対側の家を見た。あの家綺麗で、3階にはちょっとカッコいいおじさんがいるわ、私のパパと同じくらいかな、と思いながら小山内を見ていた。Minakoは、大好きだった父を昨年に亡くしたのであった。父の面影を重ねているようであった。そしてその時、Minakoは小山内に話なしかけようとしていった。しかし、可愛い女性が自分を見ていることを楽しく思った小山内の方がMinakoよりも早く話しかけていたのである。
「こんにちは、ここまで坂を歩くなって、とても暑いでしょう。」
「はい、でも欲しかったTシャツを買えました。APRが場所をちゃんと教えてくれました。いいですね、APRって、とても好きです。」
小山内はAPRが嫌であるから、好きです、と言われて、つい言ってしまった。
「APRなってとんでもない物ですよ。だいたい機械が人の細かい事を知っているのがとんでもないことだよ。」
「それより、マンデリンを飲みながら海を見ているのがいいですよ。」
Minakoは、このダンディでイケメンのおじさんを面白い人と思い、話しをしたいと思った。
「3階なら海見えるんですね。いいですね、私もそこでコーヒーを飲みながら海を見たいです。」
「あ、私は、MinakoGarciaでっす。」
「いいですよ、Garciaさん。私は、小山内といいます。」
「あ、日本人ですか、いきまーす。」
こうして、小山内とMinakoは知り合いとなった。
小山内は(こんかいのクローンで私も最後だな。)と思っていた。小山内は次のクローン転送はやらない心算だった。このまま80年後に、安らかな眠に付くことを望んでいた。人間の歴史から外れてはいるが、クローンとしてではなく生命体として、静かにその一生を全うできるものと思っていた。しかし、人間の歴史は小山内を必要としてしまっていた。世界政府が平和維持を管理しており、昔のような世界情勢の不安定とは無縁の歴史が始まって80年近くが経とうとしていたにもかかわらず。世界には情勢不安が再び訪れていた。小山内はテクノクラートの支配が再び始まっていることを感じ取っていた。それでも小山内は、自らこのことを否定し続けていた。何故なら、過去の歴史がテクノクラートにより改ざんされていたとしたら、これは小山内がもっとも恐怖となることであったからである。人間のサガであるのか、テクノクラートの支配なのか、何方も極端な考えであると、自分に暗示を掛けようとしていた。
まあ、MinakoGarciaのような子がいるのなら、まだまだ世界情勢は問題ないと思える、と決めたのであった。そして、Minakoが部屋に来た。
「ダンディでイケ面なチョイ悪風な小山内さん。Minako来ました。」
「私がチョイ悪風ですか、良いね。」
MinakoGarciaはパパと話しをしているように思えて、とても嬉しい時間だと思った。そして小山内も同じであった、ほとんど話をできなかった春美のことを思っていた。パパの様に話しできるなって、嬉しいと思っていた。
そして、二人でホログラムTVを見ていた。
「小山内さん、記念式典ですね、ちょっとゆっくり見たいのですがいいですか。」
小山内は、自分の子供といっしょに、ホログラムTVを見ているような感覚であった。とても嬉しい時間であった。
2202年8月10日、世界人権デーの今日、ワシントンでは記念式典が執り行われており、ホログラムTVの映し出す立体映像には国際犯罪更生協会のブキャナン会長が講演のしめくくりにこう言っていた。
「まさに、夢のような更生プログラムの発明です。」
会長は続けた。
「受刑者の更生に画期的な手法が導入されました。短期間で社会復帰ができ完全に再発防止となるのです。死刑廃止に向けた大変重要で意味のある一歩だと確信しております。」
一体どんな画期的な手法なのであろうか、どんな重犯罪を犯した受刑者でも再犯することがなくなるのであろうか。これは善人構築プログラムとでもいうべきか。
「サンノゼ・エレクトロニクス社が開発した、シナプス・パターン・リビルダは更生者を短期間でかつ、少ない負担で更生させることを可能としました。このプログラムの適用により犯罪の再発防止が可能となり、治安維持、そしてなにより受刑者の人権を守るべく死刑廃止に向けて第一歩を踏み出すことができたのです。」
会長と彼を取り巻く委員の皆が同時にうなずいていた。司会の女性が、科学環境庁長官の事を話し始めた。
「それでは、このすばらしい装置を発明した、科学環境庁のハーベス長官をご紹介しましょう。長官どうぞ。」
べっ甲の眼鏡をかけた、がっしりとした体格の老紳士が壇上に早足で駆け上がって言った。
「え、科学環境庁のハーベスです。シナプス・パターン・リビルダは、え、サンノゼ・エレクトロニクス社と共同研究を、もう20年にわたり取り組んでいたものです。で、その、成果でありまして、え、研究者の皆さんの、熱意なくしては、この偉大な発明をすることは在りませんでした。えっと、ここに人類を代表しい、感謝したいと思います、う。研究者の皆さん本当にありがとう。特に、研究グループのロジャース博士は研究主任という大役を勤めていただき、極めて積極的に、シナプス・パターン・リビルダの研究に従事してくださいました。本当にありがとう。」
ハーベス長官は列席しているロジャース博士にペコリと挨拶した。ロジャース博士は立ち上がり会場に向かって会釈をした。満足そうな笑みを包み込むように、大きな拍手の渦が彼を取り巻いていった。
「この装置は、人間の脳のシナプス結合パターンを解析し、海馬へ微弱な電気パルスで刺激を与えることで、夢を自由に発生させることができる装置です。もちろん、人体への影響は全くありません。」
ロジャース博士を見ながら、MinakoGarciaが話をはじめた。
「ロジャースはなかなか頭のいい人ですが、なんか変わった性格ですね、まあ、ハーベスよりわいいですが。だって、ハーベスさんは科学環境庁長官なのに、なんか子供なところがあって、ダメなんですよねぇ。」
MinakoGarciaは科学環境庁のことを、良くしているようだった。小山内は、(MinakoGarciaが科学環境庁の人間なら、私を捕まえようと思っているかもしれないが、そうれなら、こんな面白い話ばからすることがないし、ハーベスのことを子供なんて言ったりしない。しかし、よく知っているようだ、ではなぜ、私を調べたのか、わからない。)っと思っていた。
「科学環境庁長官のわりにはこのハーベスという男、そんな器には見えないなぁ。」
意気揚々としながらも、オーラのないハーベス長官である、小山内は彼の経歴に疑問を覚えずにはいられなかった。そして、MinakoGarciaが私を調べているのは、何故なのか、を聞き出したいと思っていた。
「Minakoは、ハーベスさんのことよく知っているのですね。私がここにいるって、どうやって調べました。」
「小山内さん、調べるって、どういうこと?下でちょっと見えただけですよ。そして、ダンディでイケ面なチョイ悪風がいたってこと。でも、とても良かったなぁ。パパとまた話しできてたと思えるよな、本当に楽しい時間でしたよ。調べるって、言われましたが、そんなこと何もやっていません。小山内さんは、誰かに調べられような仕事とかやっているのですか?」
「あ、いや、そうじゃないんだけど、科学環境庁のことを良くしっているようだったから。」
「そうでしたか、私はロジャース部長の下で仕事しています。シナプス・パターン・リビルダは私の研究です。ハーベス長官はシナリオ棒読みですね。」
ハーベスの話は、確かに棒読みであった。
「私はあ、死刑という、人権を無視した行為に反対してまいりました、なんとかこれを廃止することができないかあ、科学の力で人類を過ちから救えないかあ、といつも考えておりました。」
自分で考えた内容ではないと、すぐにわかる喋りだった。小山内の心の奥底にしまっていた、不安と恐怖の塊が頭を持ち上げつつあった。胃の下の方をえぐられるような感覚が小山内を襲っていた。
そして、はっとした。
「これは、善良な人間を洗脳する手段としては画期的な手法だ。すべての人類はハーベスに逆らえなくなってしまう。それにしても、こんなことを科学環境庁とサンノゼ・エレクトロニクスだけで開発できたこと自体が不思議だ。」
その上、法案として可決するなんてどうもおかしな事だらけである。
「ハーベス長官か。」
その凡庸な風体にテクノクラート特有の特徴を感じずにはいられなかった。そして、MinakoGarciaもテクノクラートではないのか、という思いを消すことが出来ないのであった。
小山内が愛していた布裕美、その布裕美の父である高橋が生きてきた過去が、おかしくなっているようであった。それは、2073年の事である。