第十話:神の孤独、あるいは「全能という名の牢獄」
『神々の試練』の最下層。 リリーがここへ辿り着くまでに、ダンジョン内の時間で数百億年が経過していた。
かつて数えた階層は、百億を超えたあたりで意味をなさなくなり、意識の彼方へと消えた。真空、絶対零度、あるいは恒星の核すら氷結させる無間地獄――。リリーはその全てに耐え、己の肉体を原子から概念へと昇華させた。 かつて最強を誇った因果律崩壊弾頭「おやすみ、世界」ですら、今の彼女にとっては指先から放たれる溜息のような、微細な事象改変に過ぎない。
だが、目の前に立ち塞がる最終試練の守護者は、これまでの数百億年が生ぬるいと感じるほどの絶望であった。
・・全能の矛盾:神格の壁・・
神とは全能である。だが、全能同士がぶつかった時、そこには絶対的な**「神格の優劣」**という理が存在する。 いかにリリーが全知全能の力を得ようとも、この試練をクリアするまでは「神の末席」にすら届かない候補生。相手が定義する「不滅」や「敗北の拒絶」という概念を、リリーの神力では上書きすることができない。
それは、勝てない戦い。 唯一の攻略法は、戦いの中で魂を削り、相手の「格」を上回るまで、さらなる数百億年を戦い続けることのみ。
「……っ、あああああ……ッ!!」
不休不眠。魔力の枯渇も、肉体の限界もない。 ただ、精神を蝕む「時間」という名の暴力だけがリリーを襲う。 彼女はこの果てなき激闘の中で、遠きアレスガイアが滅び、レムリアが消え、さらには前世の故郷である「地球」を含む全宇宙が魔神によって捕食され、無へと帰したことを悟っていた。
(……私のせいよ。……でも、後悔する時間さえ、今は惜しい……!)
遅かれ早かれ、魔神はアレスガイアを見つけただろう。リリーの失策は「順番」を早めたに過ぎない。しかし、その自責の念が、彼女の精神を唯一繋ぎ止める楔となっていた。
・・試練の終焉、そして「神」への新生・・
そして、ついにその時が訪れた。 自身の神格が、数百億年の摩擦を経て守護者のそれを上回った瞬間。リリーの振るった一撃が、相手の存在定義を概念ごと「虚無」へと書き換えた。
世界が白く染まり、リリーは『神々の試練』をクリアした。 一万五千年の修行など児戯。数百億年という、宇宙の寿命すら超える時間を経て、リリアーヌ・ヴァランタンは正真正銘の**「神」**へと新生したのである。
・・次なる地平:神界への門・・
しかし、神となったリリーの表情は晴れない。 「……まだ、足りないわ」
今の自分は、神々の中で最も格下の新人。あのアフロヘーアにすら、今の格では勝てないだろう。ましてや、一足先にアフロヘーアの領域を侵食し、宇宙を食い尽くした魔神に対抗するには、この程度の神格では「上書き」されるのが落ちだ。
「時間を戻し、滅びた全ての因果を無効化する……。そのためには、もっと高みへ行かなければ」
リリーは、目の前に開かれた「神界」への門を見据えた。 そこは、この世の全ての理を定める者たちが住まう、真の聖域。
愛する弟を、家族を、そして騒がしくも愛おしかった世界を取り戻すために。 「田中太郎」であった記憶すら、もはや宇宙の微粒子ほどの重みしか持たなくなっていたが、リリーはその「一欠片の執念」だけを燃料に、神々の住まう高次元へと足を踏み入れた。
・・因果の巻き戻し、あるいは「神界への招待状」・・
数百億年の激闘を終え、『神々の試練』の出口を抜けた瞬間。 リリーの視界を覆っていた永遠の暗黒は霧散し、鼻腔をくすぐる柔らかな土の匂いと、吹き抜ける穏やかな風が彼女を現世へと引き戻した。
「……戻ったのね。あの、あまりにも静かだった『始まりの瞬間』に」
リリーの眼下に広がるのは、未だ滅びを知らぬ平穏なアレスガイアの風景。 もちろん、彼女が数百億年の果てに目撃した「全宇宙の滅亡」という事象は、パラレルワールドの可能性として、あるいは別の時間軸の現実として、今もどこかで進行しているのかもしれない。しかし、この因果律において、リリーは「滅びが確定する前」の分岐点に、神としての資格を持って立っていた。
だが、安堵している暇はない。このまま何もしなければ、再びあの「魔神」による捕食の連鎖が始まるだけだ。
・・連絡:クソハゲ女神への念話・・
神の末席に加わったことで、リリーの魂はアフロヘーアと直結する独自の回線を得ていた。もはや空間を切り裂いて叫ぶ必要はない。意識を向けるだけで、相手の脳内に直接声を届けることができる。
(……聞こえるかしら、クソハゲ女神。……いえ、アフロヘーア様)
『――ひっ!? な、何!? この圧倒的な、それでいてどこか聞き覚えのある不敬な神気は……まさかリリー!? 貴女、本当に出口を見つけたのね!?』
神界でモニターを眺めていたアフロヘーアの悲鳴が、リリーの脳内に響き渡る。 神界は極めて厳格な階級社会。本来、リリーのような新米神が他系統の神々に接触することは許されないが、アフロヘーアの管轄下にある神という扱いならば、彼女を通じての交渉が可能となる。
・・神界への旅立ち:理を塗り替えるために・・
「試練はクリアしたわ。でも、今の私の神格じゃ、あの魔神の因果を力業で捻じ伏せるにはまだ足りない。……神界へ行くわ。あそこなら、さらに神格を高める修行場や、魔神を消滅させるための『禁忌の知恵』があるはずよ」
『神界へ……? 確かにあそこには、宇宙の理を定めた「原初の神々」が住まう領域があるわ。でも、新米の貴女がそこへ行くのは、裸で魔王の城に乗り込むようなものよ!?』
「……数百億年、全裸(真空)で過ごしてきた私に向かって、今さら何を言ってるの。……道を開けなさい。ルシウスが変な王女に捕まって、取り返しのつかない既成事実を作られる前に、私はこの宇宙の王(神)になるわ」
リリーの決意は固かった。 アフロヘーアは溜息をつき、神々の住まう高次元へと繋がる「黄金の道」の座標をリリーの意識に刻み込んだ。
「ミリィ、モミジ……。もう少しだけ、留守をお願い。……今度は本当に、誰も死なせない未来を創り上げてあげるから」
リリーの姿が、光の粒子となってアレスガイアから消える。 一万五千年の修行を超え、数百億年の試練を越え。 かつて「田中太郎」であった少女は、今、神々が支配する真の戦場、**『神界』**へとその足を踏み入れた。




