第六話:バルト、愛の東方遠征、あるいは無謀な冒険
アレスガイア王国のボルト伯爵家。その一室では、かつての嫡男であり、今は麗しき令嬢となったバルト・フォン・ボルトが、魂の抜けたような顔で窓外を眺める日々を送っていた。
「……ドスコイ様。貴方のいないこの世界は、色を失った四股踏み場のようですわ……」
無期限休学中の彼女の心にあるのは、あの日、魔法陣の光に消えた愛しい人の影。ドスコイがいないのに一人で復学する気もおきない。厳格だったボルト伯爵も、娘へと「覚醒」し、恋煩いで食事も喉を通らないバルトを溺愛し、オロオロと心配するばかりであった。
だが、バルトはただの令嬢ではなかった。かつて生徒会で鳴らし、ドスコイの「記録係」を自任した彼女の執念が、一つの仮説を導き出す。
「……待って。ドスコイ様はあの時、玄様と結ばれていました。ならば、消えた先は玄様の故郷――**東方の『扶桑』**ではありませんこと!?」
この勘違いこそが、後の伝説となる**「バルト東方遠征」**の幕開けであった。
・・魔境への突撃:愛は死線を超えて・・
バルトはドレスを脱ぎ捨て(予備のフリルは隠し持ち)、わずかな路銀を手に、単身屋敷を飛び出した。目指すは東。しかし、その道程は、扶桑出身のシオンですら「危険すぎる」と迂回を選んだ、魔物と亜人の巣窟である。
獣人の国: 本能で生きる獣人たちが、侵入者を狩ろうと牙を剥く。
エルフの森(静寂の庭): 外敵を拒絶する精霊の結界と、迷いの霧。
だが、愛に狂ったバルトの「ドスコイ様を全角度から記録したい」という情念は、物理法則や生物学的恐怖を凌駕していた。
「そこの虎の獣人さん! ドスコイ様を見ませんでしたの!? あの、マシュマロのように白く、岩のように逞しいお方を! 知らないなら邪魔をしないでくださいましッ!!」
バルトが放つ、執念による威圧に、百戦錬磨の獣人王ですら「……何だ、あの恐ろしい雌は」と道を譲ったという。
・・伯爵家の捜索部隊:苦難のメイドたち・・
「お嬢様ぁぁ! 待ってくださいましぃぃ!!」
ボルト伯爵が急遽編成した「バルト捜索騎士団」と、付き添いのメイド数名も後を追う。しかし、バルトが「愛の最短距離(直線)」で魔境を突破しているのに対し、常識人である彼らは、エルフの罠にかかったり、巨大なキラーレタスに襲われたりと、合流どころか生き残るのに必死であった。
「隊長……お嬢様の足跡が、ドラゴンの巣を突き抜けています……」 「……バカな。あの令嬢、愛のために生態系を破壊しているのか……?」
・・その頃、神界の階層では・・
第一万層――「因果の糸車」の階層に到達したリリーは、下界の様子を一時的にスキャンしていた。
「……バルト、あんたも大概ね。エルフの聖域を不法侵入して、お土産に『世界樹の苗』を引っこ抜いていくなんて……」
リリーは、バルトのあまりの猪突猛進ぶりに少しだけ呆れつつも、その執念が「召喚魔法」のパスを微かに震わせていることに気づく。
「……いいわ。あんたのその狂気、ルシウスたちがいる世界への『座標固定』に利用させてもらうわよ」
リリーが指先で因果の糸を弾く。すると、東へ向かっていたはずのバルトの目の前に、奇妙な**「次元の歪み(ワームホール)」**が口を開けた。
「……あら? この穴の向こうから、ドスコイ様の残り香(微かな汗とプロテインの匂い)がしますわッ!!」
バルトは迷うことなく、出口の見えない暗黒の穴へとダイブした。
愛する人を追うバルト、そして彼女を追う騎士団。 レムリア王国にさらなる「アレスガイアの混沌」が上陸することはあるのだろうか。
・・愛の迷走、あるいは「扶桑の国の不審令嬢」・・
リリーが紡いだ因果の糸、そしてバルトの底なしの執念。その二つが交錯して生まれたワームホールは、確かに次元を歪めるほどの力を秘めていた。
しかし、神へと至る階層の途上にあるリリーの力をもってしても、異世界レムリアへの「道」を完全に固定するには、まだ一歩及ばなかった。あるいは、バルトの脳内に刻まれていた**「ドスコイ様は扶桑にいる!」**という強烈な思い込みが、因果の針を狂わせたのかもしれない。
「ドスコイ様ぁぁぁーーーッ!! 今、お側へ参りますわぁぁ!!」
バルトが叫びながら光の渦を抜けた先。そこは、マシュマロの匂いが漂うレムリアの訓練場ではなく――潮風と醤油の香りが混じり合う、活気溢れる**「扶桑の国」**の港町であった。
・・扶桑入国:愛の逃走劇・・
「……あら? ここは? この『和』の趣、そして行き交う漢たちの凛々しき姿……。間違いありませんわ、ここは玄様の故郷、扶桑ですわッ!」
バルトは確信した。ドスコイは間違いなくこの国のどこかで、四股を踏んでいるはずだと。 だが、西洋のフリルをあしらった旅装束で、突然空中から降ってきた金髪の美少女を、扶桑の国が放っておくはずもなかった。
「おい、そこな娘! 見慣れぬなりだが、どこの回し者だ!」
「ひっ!? 岡っ引き!?」
十手をカチカチと鳴らし、着流しの裾を端折った岡っ引きたちが、バルトを包囲する。扶桑は現在、未知の疫病や魔軍の予兆により、不法入国者への警戒が最高潮に達していたのである。
「お待ちになって! 私はただ、愛するドスコイ様を探しに来ただけの、無力な伯爵令嬢ですわ!」
「ドスコイだぁ? どこの力士か知らねえが、怪しい奴め、御用だ御用だ!」
「……くっ、話が通じませんわね! ドスコイ様を全角度から記録むまでは、捕まるわけにはいきませんのよッ!!」
バルトは、ドレスの裾を捲り上げると、令嬢らしからぬ脚力で扶桑の石畳を蹴った。かつて魔法学園で鍛えた身体能力と、ドスコイを追う一念が、彼女を疾風のごとき逃亡者へと変える。
・・一方、レムリアでは・・
ドスコイ(♀)が、訓練中にふと動きを止めて空を見上げた。
「……あら? なんだか、ものすごく熱苦しい『執念』の残響を感じましたわ。……バルトかしら?」
「女将さん、どうされました?」 新弟子のボリスが、汗を拭いながら尋ねる。
「いいえ、なんでもありませんわ。……でも、もし彼女がここに来るのなら、土俵に『記録席』を設けておかなければなりませんわね」
ドスコイは予言者のような微笑みを浮かべ、再び激しいぶつかり稽古を再開した。
・・アレスガイア:途方に暮れる捜索騎士団・・
その頃、アレスガイアの東の果て。 バルトが飛び込んだワームホールが消滅した跡地で、伯爵家の騎士団とメイドたちは膝をついていた。
「……お嬢様が、空間の裂け目に飲まれて消えた……」 「隊長、どう報告すればいいんですか……『お嬢様は愛のワープ航法に成功されました』とでも言うんですか……?」
彼らの長い遭難生活は、まだ終わる気配を見せなかった。




