第七話:勇者の弟と、過保護な護衛たち
あれから一年。 黄金の髪をなびかせて演習場を駆け抜ける私の体は、6歳という年齢相応のしなやかさと、魔力付与による身体能力を兼ね備えていた。
「——ん。……そこ。……甘い」
演習場の隅で、ぶかぶかのローブを着た少女魔導士がぼそりと呟く。 あの日、城下町ですれ違った冒険者パーティーのミリィだ。
実はお父様、再びの帝国侵攻で戦地へ戻る際、「身重の妻と天使な娘を、得体の知れない奴らから守り抜く!」と暴走。セレスティーヌ先生やバラン先生といった教育係に加え、なんとミリィたちの所属する実力派冒険者パーティーを丸ごと「専属護衛」として公爵邸に雇い入れたのだ。
特にミリィは、魔法の深淵を覗こうとする私に興味を持ったらしく、セレスティーヌ先生とは別の視点——実戦的な魔導の助言役として、私の稽古にまで出入りするようになっていた。
そんなある日、ついに公爵邸に歓喜の叫びが響き渡った。
「リリアーヌお嬢様! 産まれましたわ! 待望の、お世継ぎ誕生にございます!」
アンナが血相を変えて飛び込んできた。 そう、一年前にお父様が一時帰還した際、あの親バカパパが夜にしっかり「お仕事」をしていたことに気づいた時は正直驚愕したが、結果として私に弟ができたのだ。
「……ふふ、可愛い。本当に天使みたい」
ゆりかごの中で眠る赤ん坊を覗き込み、私は頬を緩める。 名はルシウス。私と同じ黄金の髪を持つ、愛らしい弟だ。 メイドたちも「お嬢様に似てなんてお美しい……!」とお祭り騒ぎ。だが、この場にお父様の姿はない。戦地が激化し、出産に立ち会うことすら許されなかったのだ。
だが、この喜びを切り裂くように、公爵邸を震撼させる出来事が起こる。 王都から大聖堂の使者がやってきて、信じがたい神託を告げたのだ。
「——女神アフロヘーア様より、神託が下されました。ヴァランタン公爵家嫡男、ルシウス殿を『次代の勇者』として認定いたします」
「……は?」
使者の言葉に、私は素の声が出そうになった。 勇者? この産まれたばかりの、ミルクの匂いがする赤ん坊が? それは、女神アフロヘーアが教皇に直接下した神託であり、絶対の宣告だった。
「……ん。……勇者。……不吉」
いつの間にか私の背後に立っていたミリィが、冷徹な声で呟いた。 彼女の目は、赤ん坊の胸元にぼんやりと浮かび上がる「勇者の聖印」を見抜いているようだった。
勇者が現れるということは、それだけ世界に危機が迫っているという証明。 そして、この子が物心つく頃には戦場へ引きずり出されることを意味する。
(……あのハゲ女神、何を考えてやがる。こんな可愛い弟を、呪いみたいな宿命に縛り付ける気か?)
私は眠るルシウスの手をそっと握った。 帝国との泥沼の戦争、不在の父、そして勇者となった弟。
(……決めた。ルシウスを戦場になんて行かせない。そのためなら……予定より早めに『あの部屋』を使う必要があるかもしれないな)
6歳のリリアーヌは、黄金の瞳に固い決意を宿し、静かにミリィと視線を交わすのだった。
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ヴァランタン公爵邸に下された神託は、喜びを吹き飛ばすほどに非情なものだった。
「——女神アフロヘーア様が定めし、聖なる儀式**《終焉を喰らう黎明の聖譚曲》**。これを受けずして勇者は勇者たり得ず。直ちにルシウス殿を王都大聖堂へお連れせよ」
(……いや、儀式名が無駄にカッコよすぎて引くわ。黎明の聖譚曲ってなんだよ。中二病か、あのハゲ女神。普通に《勇者誕生の儀》とかで良いだろっ!!)
私は内心で毒づいたが、事態は深刻だった。生後間もないルシウスを、馬車で二週間もかかる王都へ運べというのだ。現代知識を持つ俺からすれば、0歳児の長距離移動なんて虐待以外の何物でもない。
「……ん。……私が、やる。空間固定、及び振動相殺。……馬車を、ゆりかごにする」
頼りになったのは、専属護衛として出入りしていたミリィだった。彼女は特殊な魔導杖を振るい、馬車全体に幾重もの多重結界を張り巡らせる。 これで外からの衝撃や空気の乱れは完全に遮断された。母エレナも「私も行くわ。息子を一人になんてできないもの」と、公爵夫人の凛とした決意で同行を決めた。
こうして、公爵家の威信をかけた「勇者護送作戦」が始まった。
王都への道中、最大の難関は野営だった。 だが、ミリィが地面に杖を突き立てると、信じられない光景が広がる。
「……秘奥、《境界を越える黄昏の隠れ家》」
なんと、虚空から豪華な屋敷の玄関が現れたのだ。異空間内に一時的な居住区を作り出す時空魔術。 (ミリィ、お前マジか……。宮廷魔導士でも伝説レベルの術だぞこれ)
これで野営の必要はなくなり、普段と遜色ない夜を迎えることが出来た。
馬車移動の疲れもあるので風呂は正直ありがたい。
「……ん。お風呂、沸いてる。……リリアーヌ、入る」
ミリィに促され、私は異空間の屋敷にある大浴場へと足を踏み入れた。 野営の真っ只中だというのに、蛇口からは温かな湯が溢れ、空間全体が心地よい蒸気に包まれている。
「ミリィ、本当にすごいわ。これ、現実の世界じゃないのよね?」
「……ん。……一時的な、虚数空間。……汚れ、落とさないと、不衛生」
ミリィは無表情にローブを脱ぎ捨て、私を湯船へと誘った。 私は、16歳の成人でありながら自分と変わらないほど小柄な彼女の肢体を、つい「男の目」で観察してしまう。
(……おお。見事だ。……見事なまでに、何もない)
ミリィの胸元は、まさに「鏡面」と呼ぶにふさわしい平坦さだった。 かつて見たセレスティーヌ先生の「豊穣の果実」とは対極にある、機能美すら感じるスレンダーなライン。 だが、ミリィは私の視線に気づいたのか、じっと私の胸元を見返してきた。
「……ん。……リリアーヌも、将来、こっち側。……感じる。……同類の、気配」
「えっ、そ、そんなことないわよ! お父様は立派な体格だし……!」
必死に否定するが、ミリィは首を横に振った。
「……ん。……血筋より、魔力。……高すぎる魔力は、身体の成長を、一部止める。……特に、その部位。……リリアーヌは、私以上に、平らになる……予感」
「なっ……!?」
突きつけられた残酷な「魔導士の真理」に、私は絶句する。 前世が男だったとはいえ、この美少女の体で絶壁確定宣告を受けるのは、なかなかにくるものがある。 だが同時に、ミリィがどこか寂しげに、そして同志を見つけたような慈しみの目で私を見ていることに気づいた。
「……ん。……でも、大丈夫。……空気抵抗、少ない。……魔法、撃ちやすい。……お揃い」
ミリィの小さな手が、私の上半身を優しく洗ってくれる。 お互いの「平原」を確認し合うことで、言葉を超えた不思議な友情——いや、戦友としての絆が芽生えたような気がした。
(……ハゲ女神め。魔力と引き換えに、女としての盛り上がりまで奪うつもりか。……いいだろう。なら俺は、この空気抵抗ゼロの体で、世界最速の魔導士になってやる……!)
湯船に浸かりながら、私はミリィの肩に頭を預けた。 外は魔物が跋扈する危険な夜だが、この揺らぐ湯気の中だけは、未来の絶壁コンビにとっての安らぎの聖域だった。
風呂から上がり、就寝時間となる。
おかげで、母も私もふかふかのベッドで眠ることができた。
ちなみにもちろん寝る時の必需品、心の友であるくまちゃんも持参している。
その後なにごともなく数日が過ぎ、このまま順調に旅程が消化されると思う頃合いであった、……が、外の世界は甘くはなかった。
行軍六日目。険しい山間部を抜ける際、異変が起きた。
「……来る。……血の匂い」
ミリィが呟くのと同時に、茂みから無数の赤い眼が光った。 現れたのは、飢えた**「大鎌狼(鎌を模した尾を持つ魔物)」**の群れ、さらにそれを操る野盗の一団だ。
「ヒヒッ! 公爵家のガキと女だ! 勇者の首は帝国に売れば一生遊んで暮らせるぜぇ!」
「——リリアーヌ様、下がっていろ!」
護衛のバラン先生が重厚な大剣を引き抜く。だが、数は五十を下らない。 私は馬車を背に立ち、体内の魔力を急速に練り上げた。 (ルシウスに指一本触れさせるかよ……!)
「《身体強化・極》——ッ!」
私は黄金の弾丸と化して地を蹴った。五歳児の歩幅を魔力が補い、一瞬で最前線の野盗の懐へ潜り込む。
「なっ、なんだこのガキは——」
「遅い!」
強化された拳が、野盗の腹部を粉砕する。 横から迫る大鎌狼の鋭い尾を、紙一重のバックステップで回避。空中で身を翻しながら、左手を群れへ向けた。
「《圧縮火球》、連射!」
ドガガガガッ!!
爆発魔法を拳大まで圧縮した高密度弾が、魔物の頭部を次々と貫いていく。 セレスティーヌ先生直伝の精密操作だ。 横ではミリィが「……ん。重力、潰れろ」と無表情に杖を振り、後方の敵を重圧で地面に埋めていた。バラン先生の大剣が旋風を巻き起こし、近づく敵を肉塊に変えていく。
「……はぁ、はぁ。……しつこい!」
最後の一人を、魔力を込めた木剣(もはや鉄並みの硬度)で殴り飛ばし、ようやく静寂が戻った。 返り血を浴びた私の姿に、護衛兵たちは戦慄していたが、私はすぐに馬車へ駆け寄った。
「ルシウス! 大丈夫か!?」
馬車の中では、ミリィの結界のおかげで、弟はスヤスヤと眠ったままだった。
「……ん。……将来有望。……姉が、一番の魔物」
ミリィに呆れ顔でそう言われたが、背に腹は代えられない。 こうして、襲撃を退けながら進むこと数日。 ようやく、巨大な白い城壁に囲まれた人類の聖域——王都アレスガイアが、私たちの眼前に姿を現した。
そこには、ルシウスの運命を弄ぶ「儀式」と、あのハゲ女神の思惑が渦巻いているはずだった。




