第四話:王女の焦燥、あるいは「勇者の種」を巡る夜
姉リリーが真空の絶望の中で原子と対話していたその頃。異世界レムリアの客室にて、ルシウスはこれまでにない「圧」に晒されていた。
「ルシウス様、月が綺麗ですわね。……ふふ、そんなに窓際で剣を磨かなくても、取って食べたりはいたしませんわ」
王女エルナが、薄絹の寝所に横たわり、熱っぽい視線をルシウスに送る。 ルシウスはといえば、至高のショーツを正しつつ、窓の外を見つめたまま微動だにしない。
「……いえ、姉さんとの特訓では、月が出ている間は『不可視の暗殺者』がいつ襲ってくるか分からなかったので……。この静けさは、逆に怖いんです」
(……というか、リリー姉さんの『愛情たっぷりの全裸ぶつかり稽古』に比べれば、王女様の誘惑なんて、微風のようなものだ)
ルシウスの鉄の意志は、一万五千年の狂気(姉の愛)によって鍛え上げられた、不落の城塞であった。
・・王女の「聖域」と、血の宿命・・
だが、エルナもまた、単なる恋心だけで動いているわけではなかった。
レムリア王国の歴史において、勇者召喚は今回で三度目。過去二回の勇者は、悪神や神話の怪物を辛うじて退けたものの、一人は戦いの中で命を落とし、もう一人は異世界の理に飲み込まれ行方不明となった。
「(魔神討伐が成功する保証はない……。もし、ルシウス様が帰らぬ人となった時、この国には何が残るというの……?)」
今回の召喚では勇者を王女の婿として迎え入れることが決定していた。(もちろん、実力が低かったり、とんでもない悪人であったり、とんでもないぶ男であった場合にはその限りではなかったが・・・)
王女としての責任感、そして教皇の「聖なるバナナ」を至近距離で目撃してドキドキしていたところにルシウスの聖剣による一撃を見て、吊り橋効果のような状態になったのもあるだろう。それと種族保存の本能が、彼女をかつてない過激な行動へと駆り立てる。
「……分かりましたわ。ならば、これをお飲みなさいな。我が王家が三千年間秘匿してきた、精神を研ぎ澄ます聖水ですわ」
エルナが差し出したのは、銀の杯。 中身は聖水などではない。『百発百中の受胎薬』――王家の血を絶やさぬため、いかなる体質の男女であっても一夜にして命を宿すとされる、国家禁忌の秘薬であった。
「これを飲めば、ルシウス様の疲れも癒え、明日の旅立ちも万全となりますわ……」
・・勇者の予感・・
ルシウスは杯を受け取ろうとして、ふと動きを止めた。 聖剣が、微かに、だが不快そうに震えたのだ。
「……王女様。この水、なんだか『姉さんが料理に隠し味として入れていた、気絶するほど美味しいけど三日間記憶が飛ぶスープ』と同じ匂いがします」
「……っ!?(どんなお姉様ですの!?)」
ルシウスは杯を口元に寄せつつ、その奥に潜む「王女の悲痛な覚悟」を感じ取っていた。 この世界の人間は、あまりにも弱く、必死だ。神々の気まぐれに翻弄され、異世界の誰かに縋るしかない絶望。
「……王女様。僕は死にませんよ。姉さんにいつも『勝手に死んだら、地獄の果てまで追いかけてもう一万年修行させる』って言われてますから」
ルシウスは薬を飲むふりをして、指先の魔力で液体を蒸発させた。
・・その時、神界では・・
ようやくルシウスたちの居場所を突き止めることに成功した女神。「あーっ! もう、じれったいわね! 早くルシウスの赤ちゃんの顔を見せなさいな!!」 神界のモニター(天界の鏡)を凝視していた女神アフロヘーアが、地団駄を踏んでいた。
だが、その背後に、**「百三十八億年の質量」**を伴った冷たい風が吹き抜ける。
「……何を見てるの? クソハゲ女神」
「ひっ……!? リ、リリー!? もう第三階層まで来たの!?」神界と神々の試練には時間という概念が存在しない。ゆえに、二つの世界は唯一繋がっていた。
真空の適応を終え、重力加速度が光速を超える「ブラックホール階層」へと足を踏み入れたリリー。彼女の瞳には、既に人間の感情を超越した、冷徹な「理」の光が宿り始めていた。
「ルシウスに変な毒を盛ろうとした女の座標……。神格を得る前に、ちょっと『念』だけ送っておこうかしら」
神へと至る階段を駆け上がるリリーの殺意が、次元を越えてレムリア王国の寝室に、冷気となって忍び寄る。




