第三十話:邂逅の土俵、あるいは「新たな愛のぶちかまし」
魔樹の騒乱による爪痕は深く、王都魔法学園は本格的な復興作業のため、しばしの休校を余儀なくされていた。
「……たまには、こうして羽を伸ばすのも悪くありませんわね、ドスコイ(♀)」 「左様ですわ、バルト(♀)。王都の空気は今、復興の土煙と、あの教皇様のピンク色の余韻で少々息苦しゅうございますもの」
女体化した生徒会コンビ、バルトとドスコイは、傷を癒やすための静養も兼ねて、西方の港町ベネツィーアへとやってきていた。水路を渡る爽やかな潮風。しかし、そこで彼女たちを待ち受けていたのは、運命という名の「物言い」であった。
・・猛り狂う「相撲の血」・・
港の広場で、一行が上陸の準備を整えていた時のことである。 ドスコイ(♀)の視線が、ある一点に釘付けになった。
そこには、巨大な数珠を首にかけ、岩山のような威容を誇る大男――**玄**が立っていた。 玄は現役の力士ではない。しかし、扶桑の男児にとって力比べといえば相撲、遊びの真ん中には常に相撲がある。その歩き方、重心の置き方、全身から溢れ出る「氣力」の密度。それは長年、土俵の神に愛された者だけが持つ独特の風格であった。
「……あ、ああ……。な、なんて……なんて素晴らしい立ち合いの予感……ッ!」
ドスコイ(♀)の中で、女の体になっても消えることのなかった「相撲魂」が、火山の如く噴火した。
「そこの御仁ッ! はっけよい、のこったぁぁぁーーーッ!!」
「な、なんじゃあぁぁっ!?」
ドスコイ(♀)は乙女のスカートをなびかせ、地面を文字通り爆ぜさせて突進した。それはもはや救護が必要な負傷者の動きではない。時速百キロを超える、魂の「ぶちかまし」であった。
・・鋼の胸板と、乙女の確信・・
――ドゴォォォォンッ!!
広場に衝撃音が響き渡る。 しかし、玄の巨躯は一ミリたりとも動かなかった。彼は反射的に腰を落とし、万盤の構えでその突進を受け止めていたのだ。
「な、なんじゃこのおなごは! 突然、猪のように突っ込んできて……!」 「すごいですわ……やっぱり、私の思った通りでしたわ……ッ!」
ドスコイ(♀)は玄の鋼のような胸板に頭を預けたまま、頬を紅潮させて恍惚の表情を浮かべた。自らの全体重と氣力を込めた一撃を、微塵も揺らがずに受け止めた男。これこそが、彼女(彼)が夢にまで見た「本物の土俵」の住人。
「何が『通り』じゃ! ええい、離さんか! 若いおなごが公衆の面前で、見ず知らずの男に抱きつくなど、なんという破廉恥な!!」
玄は顔を真っ赤にしてドスコイ(♀)を引き剥がそうとするが、彼女は強力な「上手出し投げ」の要領で玄の服を掴んで離さない。
・・崩れ去る絆・・
その光景を、背後で見ていたバルト(♀)は、魂が抜け出たような顔で立ち尽くしていた。
「ド、ドスコイ……貴女、あんな男に……。私というものがありながら……」
バルト(♀)は信じていた。今は二人とも女になってしまったが、いつか呪いが解け、男の体に戻れば、再びあの麗しき「ホモの絆」を取り戻せると。 しかし、現実は非情であった。ドスコイ(♀)の瞳に宿っているのは、バルト(♀)に向けていた親愛などではない。強靭な雄の肉体に対する、剥き出しの「恋慕」と「闘争本能」である。
(……ああ。結局、絆よりも、新しい『男』なのですか……!)
生粋のホモであった彼(彼女)らにとって、相手が女になろうが心は変わらないはずだった。だが、目の前のドスコイ(♀)は、女の体であることを最大限に利用し、より「強いオス」へと本能的に惹かれていってしまったのだ。
「……拙者、関わりたくないでござる」 「あたしも、これは見なかったことにするでござるよ……」
シオンと楓が遠い目をしながら距離を置く中、ベネツィーアの広場には、恋に狂った元力士(♀)の嬌声と、困惑する法術師の怒号が虚しく響き渡るのであった。
・・女人禁制の壁、あるいは「歪な純愛」・・
騒乱のベネツィーア広場。玄の胸板に吸い付いていたドスコイ(♀)であったが、放心状態で魂が口から抜けかけているバルト(♀)の姿を見て、ようやく我に返った。
「ああ、バルト(♀)! 誤解しないでくださいまし! 私の魂の土俵には、常に貴女という横綱が鎮座しておりますわ!」
ドスコイ(♀)は玄から離れると、今度はバルト(♀)の手を強く握りしめ、自分たちの間に流れる「ホモの絆」がいかに不変であるか、そして女の体になろうとも心のマグヌム(魂の男気)は折れていないことを、涙ながらにコンコンと説明し始めた。
「……つまり、形は女でも、中身はあの日の情熱的な男同士のままなのね?」 「ええ、左様ですわ! 姿形など、愛の前の砂粒に過ぎませんことよ!」
その光景を横で聞いていた玄は、先ほどまでの赤面とは別の、深い戦慄を覚えていた。
「……な、なんじゃ。おなご同士で、何をこれほど熱く語っておるのか!? 貴様ら、正気か!」
扶桑の国においても、衆道の嗜み――すなわち男同士の愛は、高潔な武士や身分の高い殿様が小姓を侍らせる「嗜み」として、真っ向から否定されるものではなかった。だが、それはあくまで「男と男」の世界の話。女同士が愛を囁き合うなど、扶桑の古き価値観を持つ玄からすれば、天地がひっくり返るほどの異端であった。
(……この二人の場合、元は男ゆえ、扶桑の法学的にも「問題なし」と裁定される可能性が高いのだが、あいにく玄はその事情を知る由もなかった。)
・・女人禁制の「聖域」・・
誤解が解け、愛の再確認(?)を済ませたドスコイ(♀)は、再びキラキラした瞳で玄に向き直った。
「貴方のあの盤石な腰の構え、そして一切の迷いなき胸板……! 私、心を決めましたわ。ぜひとも相撲のご指導を仰ぎたく、弟子入りを志願いたします! 貴方様の大陸行、このドスコイも末端に加えてくださいまし!!」
「なんですって!? それなら私も行きますわ! ドスコイの行くところが私の土俵(愛の巣)ですもの!」
バルト(♀)までが便乗し、扶桑パーティーへの無理やりな同行を申し出る。これには、普段は寡黙なシオンも「……いささか、賑やかすぎるでござるな」と、ちょんまげを指で弄りながら苦笑いを浮かべた。
しかし、玄の返答は、雷鳴の如く一喝であった。
「却下じゃ!!」
広場に響き渡る声。玄は腕を組み、仁王立ちで二人を突き放した。
「相撲とは、八百万の神々に捧げる神事! そして土俵とは、己を極限まで鍛え抜いた男のみが足を踏み入れることを許される『聖域』。古来より扶桑では、女人禁制と決まっておるわ!」
「そ、そんな……! 私たちのこの情熱(相撲魂)をもってしても、ダメなのですか!?」
「おなごが土俵に上がれば、神が穢れ、土俵が割れる! どのような事情があろうと、おなごを弟子に取ることは断じてできぬ。……どうしてもと言うなら、男に生まれ変わってから出直してくるが良いわい!」
玄の言葉は、元・男である彼女たちにとって、これ以上ない皮肉となって突き刺さった。呪いで女になった彼女たちが、修行のために「男に戻れ」と言われる絶望。
「……厳しい。……でも、そこが素敵。……抱いて(投げ飛ばして)!!」
拒絶されればされるほど、ドスコイ(♀)の歪んだ恋慕はさらに燃え上がり、ベネツィーアの空の下、彼女たちの「弟子入りストーカー作戦」が幕を開けようとしていた。




