第四話:筋肉だるまと湯煙の試練
魔法の才能(というか加護の暴力)を見せつけた翌日。私の前に現れたのは、もう一人の家庭教師、元騎士団長のバランだった。
「さて、お嬢さん。魔導士としての才能はセレスティーヌから聞いたが……剣術はそうはいかんぞ」
岩石を削り出したような顔に、顔を横切る大きな傷跡。バラン先生は、立っているだけで周囲の空気が重くなるような圧を放っていた。
(……デカい。セレスティーヌ先生とは別の意味で圧倒的だ。でも、こっちは「豊穣の果実」じゃないから、見ていても全然癒やされない……)
「まずは、その棒きれを振ってみろ」
渡されたのは、子供用の木剣。五歳の私の体にはそれすら重く感じられた。 バラン先生は腕組みをしながら、鋭い眼光を私に向ける。
「戦場では魔力が尽きることもある。己の肉体が最後の武器だ。……さあ、構えてみろ」
私は前世の格闘漫画やアクション映画の知識を総動員し、できるだけ無駄のない構えをとってみる。
「……ほう?」
バラン先生の眉が動いた。五歳児とは思えない「サマになった」構え。だが、いかんせん筋肉が足りない。ひと振りすれば、自分の重さに振り回されそうになる。
(……ダメだ。イメージはあっても、この幼女の体じゃ物理法則に勝てない。魔法みたいに「えいっ」で爆発させるわけにもいかないし……)
結局、その日は基本的な素振りと足捌きの訓練で終わった。バラン先生は「筋は悪くないが、まずは飯を食って寝ろ」と豪快に笑っていたが、私は焦っていた。
(このままだと、強くなるのに何十年かかるんだ? 魔法のオタク教師と、筋肉の鬼教師……。昼間の訓練だけでヘトヘトだぞ)
だが、まだ精神の時間の部屋は使うつもりはない。ある程度基礎を固めてからじゃないと、5歳の幼女の身体ではいろいろと不便だ。(当然時間が止まる以上身体の成長もないわけだろうし。むしろ身体だけ成長しちゃったらいきなり成長したお嬢様爆誕である。そんなの有り得ない。)
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バラン先生との初訓練を終えた私の体は、文字通りガタガタだった。五歳児の未発達な筋肉にとって、木剣の素振りは過酷すぎる。
「お嬢様、お疲れ様でございました。さあ、お風呂の支度ができておりますよ」
アンナに連れられてやってきたのは、公爵邸が誇る大浴場だ。意識が覚醒してから数日。何度か経験はしているが……やはり、この時間は16歳の男子高校生(魂)にとって、神の恩寵か、あるいは魂を削る試練であった。
「さあ、お嬢様。お脱ぎしましょうね」
「あ、う、うん……」
アンナを筆頭に、数人の若手メイドたちが手際よく私の服を脱がせていく。そして彼女たちもまた、当然のように「お召し物」を脱ぎ捨てていくのだ。
(……くっ、視界が、視界の暴力が……っ!!)
目の前には、湯気に濡れた柔らかな曲線、弾けるような素肌。 前世では画面越しにしか拝めなかった光景が、今、360度のパノラマで展開されている。 しかも、彼女たちは相手が五歳の女の子だと思っているから、警戒心はゼロ。ありのままの姿を晒している。
「お嬢様の髪、今日も艶やかですね。丁寧に洗わせていただきますよ」
広い浴槽の縁に座らされ、アンナの細い指が私の頭皮を優しく刺激する。 長い黒髪にたっぷりとした泡が乗せられ、ふわりと花の香りが鼻腔をくすぐった。
(……やべぇ。男だった時は石鹸でワシワシ洗って終わりだったのに……なんだこの、全身を愛撫されるような丁寧な洗い方は……!)
さらに、柔らかいスポンジにたっぷりの泡を含ませたメイドたちが、私の体を洗い始める。 「お肌が傷つかないように、優しく、優しく……」 幼女の体とはいえ、肌の感度は驚くほど高い。指先が触れるたび、背筋に電気のような痺れが走る。
「あら、お嬢様。お顔が真っ赤ですよ? 湯あたりかしら」 「ち、ちが……っ、ふ、ふぅ……」
(ダメだ、声が漏れる……! R指定ギリギリの攻防だぞこれ! 落ち着け田中太郎、これは修行だ、これも一種の精神修行なんだ……!)
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命からがら(?)風呂から生還した私は、そのまま食堂へと向かった。 本来なら夕食が先なのだが、今日は訓練の汗を流すことを優先したため、少し遅れての合流だ。
「……お待たせしました、お父様」
食堂の大きな扉を開けると、そこにはすでに食事を始めていた父、ラグナがいた。 風呂上がりで頬を上気させ、湯上がりの柔らかな寝巻きに身を包んだ私を見た瞬間——。
「グハッッ!!?」
音を立てて、父の鼻から鮮血が噴き出した。
「お、お父様!?」 「か……可愛すぎる……ッ! 天使の……湯上がり……だと……!? ぐふっ、セバスチャン……あとのことは、任せ……」
「旦那様ぁぁぁ!! どなたか、冷たいタオルを! 旦那様が尊死されかけですぞ!!」
執事長のセバスチャンが、慣れた手付きで倒れゆく公爵を支える。周囲のメイドたちも「またいつものか」と言わんばかりの落ち着きで、テキパキと止血の処置を始めた。
ようやく復活した(鼻に綿を詰めた)父と一緒に、夕食が始まる。 並ぶのは、公爵家のシェフが腕によりをかけた最高級の料理だ。 前世の記憶があるおかげでテーブルマナーの知識はあるが、この小さな手で重い銀食器を操るのは至難の業だ。
(……スープを飲むのも一苦労だ。でも、下手にこぼすとまたお父様が興奮して倒れるからな。慎重に、慎重に……)
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怒涛の一日が終わり、ようやく私は自分のベッドへと辿り着いた。 着せられているのは、最高級のシルクを使った、フリルたっぷりのお子様用ネグリジェだ。
「お嬢様、おやすみなさいませ。くまちゃんを置いておきますね」
アンナが、私と同じくらいの大きさがあるフカフカの「くまちゃんのぬいぐるみ」を、私の腕の中に押し込んできた。
(……いや、16歳の男にぬいぐるみって。……あ、でも、これ意外と抱き心地いいな……)
ふかふかの天蓋付きベッドに沈み込み、私はくまちゃんをギュッと抱きしめる。 体は幼女、心は男子高校生。 だが、過酷な訓練と、お風呂での精神的ダメージ、そして豪華な食事による満腹感が、一気に眠気を連れてきた。
「……すぅ……」
私が眠りに落ちたのを確認して、アンナたちが静かに歩み寄る。
「……見て、アンナさん。お嬢様の寝顔……なんて尊いのかしら」 「本当ね……一生、お守りしたくなるわ」
メイドたちは、しばらくの間、デレデレと緩みきった顔で私の寝顔を「眼福、眼福」と拝んでから、名残惜しそうに部屋を退出していった。
こうして、リリアーヌ(太郎)の波乱万丈な一日が幕を閉じた。 ……「精神と時間の部屋」での本格的な修行を始めるまで、リリアーヌの身体と精神は持つのだろうか。それは誰にも分からない。




