第二十一話:叡智の深淵と、無機質な絶唱
「真・精神と時間の部屋」の内部に設営された大図書館。そこには異世界の神々すら秘匿した禁忌の魔導書が、地平線の彼方まで棚を埋め尽くしています。
ミリィは、数百年もの間、その静寂の中でページをめくり続けていました。彼女の瞳には、かつての無感情な色に加えて、底知れない知識の深淵が宿っています。
「……ん。……読了。……次は、検証」
魔法使いとしての本能が、新しい知識を「現象」として確認することを求めていました。ミリィは本を閉じると、隣接する地下ダンジョンの転移門へと向かいます。
現在、リリアーヌは近代兵器の調整と魔法の融合実験で三千階付近、物理の極致を突き進むモミジにいたっては五千階の猛者たちを薪のように叩き割っています。それに比べ、ミリィはまだ七百四十階。しかし、それは彼女の歩みが遅いのではなく、一冊の魔導書から引き出す「理解」の密度が異常なまでに入念だからでした。
七百四十階——。 そこは、地上であれば一国を数秒で地図から消し去る「終末級魔獣」が、群れをなして徘徊する灼熱の煉獄です。
ミリィの前に、山のような巨躯を持つ、全身が溶岩で構成された獄炎の巨神が現れました。その咆哮だけで空間が震え、岩石が蒸発します。
「……ちょうどいい、的。……異なる世界の、究極消滅呪文。……試す」
ミリィは杖を掲げました。この魔法は、彼女が理論を組み替え、無詠唱化に成功する前段階。儀式としての「詠唱」を必要とする、異世界の絶対破壊術式。
感情の起伏を一切感じさせない、鈴の鳴るような無機質な声で、ミリィは中二病全開の長い詠唱を開始しました。
「——虚空の果て、因果の鎖を断ち切る絶対の零。万物を等しく無へと誘い、魂の震えさえも凍てつかせる審判の灯火。全ての理を否定し、存在の証明を抹消せよ。吹き荒べ、終わりの風。煌めけ、無窮の闇——」
詠唱が進むにつれ、ミリィを中心に「色」が失われていきました。光さえも吸い込まれる、絶対的な虚無の球体。
「……究極消滅呪文」
ミリィが最後の一節を告げた瞬間。 爆発音も、衝撃波もありませんでした。ただ、七百四十階の空間そのものが、キャンバスを消しゴムで消すように、音もなく白紙へと書き換えられました。獄炎の巨神も、流れる溶岩も、そこにある「概念」ごと消滅したのです。
「……ん。……威力、過剰。……無詠唱化まで、あと、三百年くらい」
ミリィは満足げに小さく頷くと、残された真っ白な空白地帯に、転移結晶を一つ設置しました。そして彼女は、何事もなかったかのように、再び大図書館の続きを読み耽るべく転移門へと消えていくのでした。
ミリィがダンジョンの階層ごと存在を消滅させていた頃、リリアーヌは近代兵器の弾薬供給システムの自動化に目処をつけ、モミジは「衝撃波の指向性制御」によって山のような岩石をサイコロ状に切り刻んでいた。
やがて修行空間に、リリアーヌの魔力操作によって再現された「夕暮れ」が訪れる。現在数千年という歳月が経過していた中で、彼女たちが最も大切にしているのは、この「夜の女子会」の時間だった。
豪華な白亜の洋館。その大浴場でひとしきりモミジの暴力的な発育にリリアーヌが悶絶した後、三人は湯上がりのパジャマ姿でリビングの絨毯に集まっていた。
「……ん。……開発、完了。……新魔術『マジカル・チェンジ』」
ミリィが、大図書館の奥底で見つけた「外装置換魔術」をベースに、リリアーヌの現代知識……もとい、前世で嗜んだアニメの知識を融合させた自信作を披露した。
「いい? 二人とも。これは単なる着替えじゃないわ。魔力密度を極限まで高めて、防御力と可愛さを両立させる究極の『戦闘服』なのよ!」
リリアーヌの趣味全開な宣言に、モミジが「なんだかよく分からねぇけど、格好いいべな!」と目を輝かせる。
「いくわよ! 『マジカル・フォーメーション、起動!』」
リリアーヌが指を鳴らすと、部屋中にキラキラとした光の粒子が舞い踊った。 リリアーヌはフリルとリボンが何重にも重なったプラチナピンクのドレスに。ミリィは星の欠片を散りばめたシースルーの深い紺色のローブ風ドレス。そしてモミジは——。
「な、なんだべこれ! 胸のあたりがスースーするべ! 布が、布が足りねぇべ!」
モミジの衣装は、前世のゲームで言うところの「ハイレグ戦士」と「魔法少女」を掛け合わせたような、極めて露出度の高い、けしからんデザインだった。はち切れんばかりの豊かな胸が、魔法的な光の紐によって辛うじて支えられている。
「……ん。……モミジ、似合ってる。……物理防御、最大」 「物理防御っていうか、これじゃ視覚攻撃でしょ! でも……ふふ、三人でお揃いって、やっぱり楽しいわね」
キャッキャとうふふな声を上げながら、三人は魔法で生成したお菓子をつまみ、変身ポーズの練習に励む。 リリアーヌがモミジのけしからん衣装を直してあげるふりをして、その柔らかさにこっそり指を沈ませてドキドキしたり、ミリィが無表情のままリリアーヌの髪にリボンを大量につけて遊んだり。
「もう何千年もここにいるのに、飽きないべな」 モミジがふかふかのクッションに身を預け、ポツリと呟いた。
「ええ。……でも、外ではまだ一瞬。みんな、私たちが戻るのを待ってる」 「……ん。……明日も、修行。……もっと、高く」
夜が深まると、結局三人はそれぞれの個室へ戻ることはなく、一つの大きなベッドに潜り込んだ。中央にリリアーヌ、右にミリィ、左にモミジ。
「ふふ、おやすみなさい。くまちゃん、ねこちゃん、ひよこちゃん」
リリアーヌが小さな声で告げると、数分後には規則正しい寝息が聞こえ始める。 しかし、幸せな時間は長くは続かない。無意識に寝返りを打ったモミジの「物理の極致」とも言える柔らかい双丘が、リリアーヌの顔面を完璧にホールドした。
「んぐっ!? む、むぐぐ……ふぇぇ……し、幸せだけど、死ぬ……っ!」
数千年経っても、リリアーヌの最大の敵は魔王ではなく、隣で眠る親友の「発育」であった。 そんな平和な地獄を繰り返しながら、三人の神性は着実に、そして確実に、外界を蹂躙できるレベルへと磨き上げられていくのだった。




