第十六話:嘆きの要塞と再起の誓い
ドワーフ国の議会は数時間に及び紛糾した。そして、ついにドワーフ王が声を上げた。
「……リリアーヌ嬢と言ったか。お前の知識は、我が一族にとって至宝と言える。だが、魔王を招き入れるリスクを冒してまで、全難民を受け入れることはできん」
王は一度言葉を切ると、非情な、しかし一筋の希望を含んだ決断を告げた。
「——この連峰の南端に、数百年前に放棄された『嘆きの要塞』がある。そこをアレスガイアの暫定領土として貸し与えよう。お前たちが自力でそこを死守し、魔王を食い止められると証明してみせろ。……兵糧と資材の『販売』は、その知識と引き換えに認めてやる!」
それは「ドワーフは手を出さないが、生きていたいなら勝手に戦え」という、極めて冷徹な提案だった。
ドワーフ王が下した非情な宣告。それは「手は貸さないが、場所だけは貸してやる」という、死地への追放に等しいものだった。しかし、リリアーヌはその条件を黄金の瞳に不敵な光を宿して受け入れた。
一方セバスチャンと公爵邸の使用人たちが、命を賭して魔王軍の先鋒を食い止めていた頃。 リリアーヌたちは、ドワーフ王から貸し与えられた「嘆きの要塞」へとたどり着こうとしていた。
一行が砂漠の向こう、陽炎に揺れる巨岩の影——通称「嘆きの要塞」へとたどり着こうとしていた時、ミリィが鋭く杖を掲げた。
「……ん。……砂漠の向こう、人の群れ。……魔力反応、バランの部下と……私の仲間」
ミリィが指し示した先には、熱風に煽られながらも必死に行進を続ける数万の領民と、彼らを護衛する冒険者たちの姿があった。リリアーヌは砂丘を駆け下り、ボロボロになったミリィのパーティーメンバーたちの元へと駆け寄る。
「リリアーヌお嬢様……! 良かった、ご無事で……!」 「みんなこそ……よく領民たちを連れてきてくれたわ!」
リーダーの戦士は砂に膝をつき、肩で息をしながらミリィを見上げた。 「ミリィ、悪いな。お前がいたらもっと楽だったんだろうが……。セバスチャン殿の策のおかげで、なんとかここまで繋げたぜ」 「……ん。……リーダーも、みんなも、頑張った。……生きてて、よかった」
ミリィが静かに、だが温かみのある手で仲間の肩に触れる。かつての仲間たちは、ミリィの放つ圧倒的な魔圧に驚きつつも、再会の喜びを分かち合った。だが、戦士の報告は残酷な事実へと続く。 「お嬢様……セバスチャン殿は、屋敷を、そして我々の時間を稼ぐために、一人であの場に残られました」
その言葉に、リリアーヌは唇を噛み締めた。綺麗になったはずの「くまちゃん」を抱きしめる手に力がこもる。 「……分かっているわ。セバスチャンが繋いでくれたこの命、この時間は、絶対に無駄にはしない。……陛下! ドワーフ王! 見ていなさい。このボロボロの要塞を、世界で最も落とせない『鉄壁の揺りかご』に変えてみせるわ!」
リリアーヌ(田中太郎)の脳内には、前世の近代要塞知識と魔法を融合させた、異世界の常識を覆す防衛プランが渦巻いていた。
一方その頃、ヴァランタン公爵領。
かつて壮麗を極めた公爵邸は、いまや黒煙と炎に包まれていた。 中庭には、数えきれないほどの魔物の死骸が折り重なっている。その中心で、セバスチャンは片膝をつき、折れた銀盆を杖代わりに、荒い呼吸を繰り返していた。
「……ハァ、ハァ……。流石に、少しばかり……お掃除が過ぎましたかな……」
目の前には、魔王軍の指揮官が放った大規模な魔力の余波が迫っていた。蹂躙される館、踏みにじられる花壇、リリアーヌたちが幼少期を過ごした思い出の詰まった街並みが、魔の手によって次々と崩壊していく。
(……申し訳ありません、ラグナ様。……エレナ様。皆さまが帰るべき場所を……この老体、守り通すことが……)
脳裏をよぎるのは、幼いお嬢様の笑い声と、逃がした使用人たちの怯えた顔。彼らは無事に逃げ切れただろうか。リリアーヌお嬢様と合流できただろうか。
無念。後悔。そして、執事としての矜持。 それらが濁流のように渦巻く中、魔王軍の総攻撃による轟音が響き渡った。館の正面玄関が崩落し、大量の瓦礫がセバスチャンを飲み込んでいく。
「……人間風情が。死に様だけは、執事らしくあがいたものだ」
魔族の将軍は、瓦礫の山を見下し、吐き捨てるように笑った。彼らにとって人間は下等生物。この規模の攻撃を受け、瓦礫の下敷きになって生きている道理がないと確信し、興味を失ったようにその場を去っていった。
だが。 漆黒の闇の中、意識を失う直前の淵で、セバスチャンの指先がわずかに動いた。 瓦礫の隙間から差し込む、月明かり。
「……まだ……。……お嬢様の……お帰りを……お出迎え……するまでは……」
薄れゆく意識を、「執念」という名の楔でこの世に繋ぎ止め、老執事は静かに、だが力強く鼓動を刻み続けていた。
こうして、逃げ延びた王族、騎士、そして数万の領民たちが、ドワーフ領南端の放棄された要塞へと集結した。 それは亡国アレスガイアが、反撃のために産声を上げた瞬間であった。




