第十五話:公爵領の盾と、セバスチャンの決断
王都アレスガイアが陥落し、リリアーヌたちが灼熱の砂漠を彷徨っていた頃。ヴァランタン公爵領にも、破滅の足音は刻一刻と近づいていた。
「……セバスチャン殿、敵の先遣隊が領地境界線を突破しました」
公爵邸の執務室。報告したのは、ミリィの所属する冒険者パーティーのリーダーである戦士と、鋭い目つきの斥候だった。ミリィがリリアーヌの護衛として王都へ同行した際、彼らは「万が一」の備えとして領地の警護に残されていたのだ。
「数は?」 執事長セバスチャンは、愛用の眼鏡を指先で上げながら、冷静に問いを返した。
「魔物と変異種の混成部隊で約三千。……ですが、背後には王都から南下してきた魔王軍の本隊が控えています。その数、万を下りません」
絶望的な数字。当主ラグナは北方の死地におり、夫人のエレナたちも王都からの脱出行で消息不明。この広大な領地と数万の領民を守る責任は、今や一介の執事にすぎないセバスチャンの肩に重くのしかかっていた。
「……冒険者ギルドへの協力要請は?」
「済ませてあります。領地に滞在していた冒険者たちは、公爵家への恩義から多くが残ってくれました。ですが、正規軍がいない状況では……」
セバスチャンは、窓の外に広がる穏やかな領地の風景を見つめた。リリアーヌお嬢様が走り回り、ルシウス坊ちゃんが産声を上げたこの土地。
「……ミリィさんの仲間である貴公らに、折り入ってお願いがあります」
セバスチャンは、懐から公爵家の印章が刻まれた緊急命令書を取り出した。
「これより領民の全避難を開始します。目指すは南のドワーフ国、あるいはその手前の要塞地帯。……冒険者の方々には、領民の護衛と、敵を足止めするための『罠』の設営をお願いしたい」
「セバスチャン殿、あんたはどうするんだ?」
リーダーの問いに、老執事はふっと穏やかに微笑んだ。
「私は、ここの主たちがいつ帰ってきても良いように、邸を整えておかねばなりません。……それに、敵の指揮官をここで『おもてなし』する必要がありますので」
セバスチャンの背後に控えていた使用人たち——普段は掃除や料理に精を出しているメイドや家令たちが、一様に無機質な、戦闘者の眼差しに変わった。彼らもまた、ラグナ公爵が各地から拾い上げ、鍛え上げた精鋭たちだったのだ。
数時間後、ヴァランタン公爵邸。 避難が完了し、静まり返った屋敷の正門に、ついに魔王軍の先鋒が到着した。
「ヒハハッ! 美味そうな人間の匂いがするぜぇ!」
門を蹴り破り、中庭になだれ込む魔物たち。だが、彼らが目にしたのは、整然と整えられた庭園の中央で、銀の盆を手に立ち尽くす老執事の姿だった。
「ようこそ、ヴァランタン公爵邸へ。……あいにく主人は留守にしておりますが、不法侵入者への『お仕置き』だけは、私に一任されておりまして」
セバスチャンが手に持った銀の盆を水平に構える。 次の瞬間、彼の魔力が爆発的に膨れ上がった。それは、リリアーヌが修行で得た「深淵」とはまた別の、数十年の練磨が積み上げた、鋼のような魔力。
「——ヴァランタン流、隠し執事術式。……お片付けの時間です」
戦士と斥候、そしてミリィの仲間たちが領民を連れて南へ急ぐ背後で、公爵邸は眩い閃光と爆音に包まれた。
主不在の家を守る、誇り高き使用人たちの「最後の奉公」。 それは、砂漠で戦うリリアーヌたちに繋がる、もう一つの希望の戦いだった。




