第十二話:虚空の七年と、くまちゃんを巡る聖戦
王都の地下深く、ミリィが数代にわたって杖の紅玉に蓄積された魔力を解放した瞬間、世界が裏返った。 眩い光が収まった先に広がっていたのは、見渡す限りの草原と、遠くに険しい山々、そして豊かな森を抱く「隔離された世界」だった。
「……ん。……成功。……もう、戻れない。……一週間(体感七年間)、ここで二人きり」
杖の紅玉から光が消え、ミリィは少し疲れたように息を吐いた。ミリィの師匠、そのまた師匠、と代々受け継がれてきた魔杖。その数百年分の魔力を使い果たしたのだ。もう二度とこの魔法は使えない。
「ありがとう、ミリィ。……さあ、行きましょうか」
私たちは王都への道中で見た「隠れ家」を時空魔術で現出させ、そこを拠点とした。 女神のギフト空間とは違い、ここは自給自足が基本だ。森で果実を採り、魔物を狩って肉を得る。16歳の少女と6歳の幼女による、過酷で、けれどどこか甘やかなサバイバル生活が始まった。
修行は苛烈を極めた。 魔法の行使に身体的成長は関係ない——その理論を証明するように、私はミリィから「アイリスの魔導」の全てを叩き込まれた。
「……ん。……魔力回路を、多層化。……演算は、並列。……リリアーヌなら、できる」
ミリィの指導は理論的で、かつ実戦的だった。 大魔導士が二人掛かりでようやく発動させる超広域殲滅魔法《天の審判》の同期練習では、お互いの魔力波形を重ね合わせる必要があった。
その際、どうしても意識が深く繋がり、ミリィの孤独な過去や、私への深い信頼が流れ込んでくる。 (……ミリィ。お前、こんなに俺のこと……) 前世が男だった私は、年上の美少女と魔力(魂)を混ぜ合わせるような感覚に、修行中だというのに心臓がバクバクと鳴り響いてしまう。
一日の修行が終わり夜。
女神のギフト空間とは違い、ここは自給自足が基本だ。 初日の夕刻。拠点とした「隠れ家」のキッチンで、私は大きな決断を迫られていた。
「……ん。……まかせて。……冒険者、野営のプロ」
16歳のミリィが、ぶかぶかのローブの袖をまくり上げ、鼻息荒く宣言したのだ。 私は6歳の貴族令嬢。対するミリィは百戦錬磨の冒険者。ここはプロに任せるべきだろう——そう思ったのが間違いだった。
三十分後。食卓に並べられたのは、紫色の蒸気を放ち、時折「ピチャッ」と怪しげな音を立てる謎の物体X。 「……ん。……栄養、満点。……森のトカゲと、毒消し草の和え物」
「い、いただき、ます……」
私は覚悟を決めて一口飲み込んだ。 ……刹那。私の意識はアレスガイアの空を飛び越え、ハゲ女神の住む神界まで一瞬でトリップした。 (——死ぬ! これ、修行が始まる前に死ぬわ!)
「ミリィ……明日からは、私が作るわ。いいわね? 拒否権はないわよ」 泡を吹きながらそう告げた私に、ミリィは「……ん。……不本意。……でも、美味しくなりそう」と少し残念そうに頷いた。
修行の後は、一日の汚れと疲れを落とす入浴の時間だ。 隠れ家のバスルームには、贅沢なほどに魔力で温められた湯が満ちている。
「……ん。……リリアーヌ。……背中、流す」
「ありがとう、ミリィ。私もあなたの背中、洗うわね」
16歳のミリィと、6歳の私。 十歳の年齢差があるはずなのに、鏡に映る二人のシルエットは驚くほど似通っていた。 よく言えば「妖精のような可憐な双子」、悪く言えば「発育が等しく止まった絶望のライン」。
「……ん。……やっぱり、リリアーヌは、同志。……この滑らかな曲線。……空気抵抗、ゼロ」
「……そうね。ミリィの背中も、まるで磨き上げた大理石みたいだわ。……凹凸が、なくて」
私たちは、お互いの届かない場所を丁寧に洗い合い、最後に確認し合うように、正面の「平原」も交互に洗いっこをした。 お互いの胸元に手を滑らせるたび、言葉には出さないが「私たちは、魔導のためにこの高みを捨てたのだ」という、血よりも濃い連帯感が生まれる。
「……ん。……ツルツル。……リリアーヌ、好き」
「私もよ、ミリィ」
幼女とロリ魔導士が、お互いの幼児体型を愛でながら慈しみ合う……客観的に見れば天国か、あるいは禁忌の儀式か。だが、死線を共にする二人にとっては、これが明日への活力を得るための、最も神聖な儀式だった。
だが、最も激しい「戦い」が繰り広げられたのは、夜のベッドの上だった。
「……ん。……貸して。……寂しい」
「ダメよ、ミリィ! くまちゃんは私の心の友なんだから!」
隠れ家の豪華なベッドの上で、私たちは一つのぬいぐるみを奪い合っていた。 修行の疲れで精神が研ぎ澄まされているせいか、夜になるとミリィは妙に人恋しくなるらしい。無表情なまま、けれど力強い握力で私のくまちゃんの足を引っ張る。
「……ん。……リリアーヌは、私がいる。……くま、いらない。……私が、くまの代わり」
「代わりって……お前、16歳だろ!?」
「……ん。……精神は、おとな。……体は、抱き枕に、最適」
ぎゅうぎゅうと、くまちゃんと私をセットで抱きしめてくるミリィ。 柔らかい体温と、魔法の修行で高ぶった魔力の残滓が触れ合う。 6歳の小さな体には、16歳の少女の抱擁はあまりに刺激が強すぎた。
(……やばい。精神が摩耗するどころか、煩悩で爆発しそうだ……!)
結局、くまちゃんを真ん中に挟んで「川の字」で寝ることで妥協したが、ミリィの寝相は悪く、朝起きると私は彼女の腕の中に完全に収まっているのが日常となった。
七年の月日が、精神の中だけでゆっくりと流れていく。 私の魔法技術はミリィの領域へ到達し、二人の連携は一国を滅ぼせるレベルにまで昇華された。
そして、ついに「最後の一日」が訪れる。
「……ん。……外へ出たら、もう一緒に寝られない。……くま、持ってないから」
ミリィが寂しそうに、けれど決意を秘めた瞳で私を見た。 彼女は決めていた。外に出たら、自分専用の「ねこちゃん」のぬいぐるみを買うのだと。
「大丈夫よ。外に出ても、私たちは最強のコンビなんだから」
私はプラチナ色に輝き始めた髪を束ね、出口となる空間の歪みを見据えた。 外の世界では、まだ一週間しか経っていない。 だが、そこから出てくるのは、もはや「ただの天才幼女」ではない。
七年分の魔導の深淵をその身に刻んだ、史上最強の6歳児の帰還である。




