第十五話:白銀の断絶、あるいは二人の教皇
赤い月とそこに住まう四天王については、リリーの「見なかったことにしましょう。あんな高いところ、交通手段がないもの」という極めて現実的な判断により、一旦保留となった。
当面の課題は、地上に降り立った蛮神やアシエンたちだ。調査のため、リリー一行はフリル山脈の「反対側」へと足を踏み入れた。そこには、あるはずの西の海が消え失せ、地平線の彼方まで続く広大な大地が広がっていた。
「……おかしいべさ。潮の匂いが全くしないべ。代わりに、鼻が曲がるほど冷たい風が吹いてくるだっぺ」
モミジが身震いする。リリーたちが目にしたのは、降りしきる雪に閉ざされた白銀の世界であった。かつての温暖な海域はどこへやら、そこにはエオルクガネから転移してきた「第七霊災」の爪痕――気候が永久に固定された極寒の地が出現していたのだ。
そして、その吹雪の向こうに、天を突くような尖塔を持つ荘厳な城塞都市が姿を現した。 宗教国家イシュカルト。
・・教皇邂逅:筋肉と権威の激突・・
この異世界の宗教国家に対し、レムリア側も最高位の使節を派遣した。 現れたのは、レムリア聖王国が誇る国王であり聖女、教皇マッスル、そしてその傍らに控えるアンソニー枢機卿である。
イシュカルトの巨大な石造りの門が開くと、そこには厳格な法衣を纏った老教皇が、騎士団を従えて待ち構えていた。
「……私はイシュカルトの教皇。この地に迷い込んだ同胞を導く者。……して、そちらは?」
老教皇が重々しく口を開いた。対するマッスル教皇は、雪をも溶かす熱気を放ちながら、一歩前に出た。
「ハッハッハ! 私はレムリア聖王国の国王兼聖女、教皇、マッスルである! そしてこちらは我が教会の美しき盾、アンソニー枢機卿だッ!!」
ドォォォォン!!
マッスル教皇が法衣を脱ぎ捨て、完熟した筋肉を披露する。アンソニーもまた、吹雪の中でフリルをなびかせながら、サイドチェストのポーズを決めた。
「「……ッ!?」」
イシュカルトの騎士たちが絶句し、槍を取り落とす。
「……マッスル殿と言ったか。……貴殿の国では、信仰心は『僧帽筋』の厚さに比例するのか?」
老教皇が引き気味に尋ねると、マッスル教皇は満面の笑みで答えた。
「その通り! 祈りとは即ち、己の肉体という神殿を鍛え上げること! 見なさい、この雪の中でも我が大胸筋は湯気を立てている! これぞ聖なる炎の証なり!!」
「……左様。寒さなど、美しきポージングの前では無に等しいのです。さあ、イシュカルトの教皇よ。我らと共に、このカオスな世界を『美』で包もうではありませんか!」
アンソニーが雪を散らしながら華麗にターンを決めると、老教皇はこめかみを押さえ、深い溜息をついた。
・・リリーの冷ややかな視線・・
門の影でその様子を見ていたリリーは、ミリィの耳を塞ぎながら呟いた。
「……ねえミリィ。あの二人の教皇、物理的に戦うより、精神的に削り合ってるわね」
「……ん。イシュカルトの教皇、可哀想。……あんなの(マッスル)が隣国に来たら、私なら門を閉ざす」
「だべさ! 宗教っていうより、新しい種類の『不審者』だべ!」
またまた新たなる混沌が開幕した。 新たな国家イシュカルトを迎え、レムリアの外交は「信仰」と「筋肉」が複雑に絡み合う、さらなる迷走を始めるのであった。
・・極寒のポージング・バトル・・
宗教国家イシュカルトの誇り高き「青空騎士団」。彼らは、突如現れた半裸の巨漢たちに対し、聖都を守るため模擬戦を提案した。――すなわち剣と槍による粛清である。
しかし、対するマッスル教皇とアンソニー枢機卿にとって、戦い(模擬戦)とはすなわち「肉体美の競い合い(ボディビル)」に他ならない。
「……野蛮な侵入者め。その鍛え上げられた肉体、我が槍で貫いてくれよう!」
青空騎士団総長、教皇の実子でもある美青年**アイメイク**が、鋭い眼差しで抜剣しようとした、その時。
「ハッハッハ! アイメイク殿と言ったか! その女神様に喜ばれそうな、化粧映えする麗しき名前……気に入りましたわよ!」
マッスル教皇が、レムリア国王としての威厳を脱ぎ捨て、ついに**「聖女モード(本気)」**へとシフトした。
・・ショーツ一丁の聖戦・・
バリィィィィィン!!
一瞬にして法衣が弾け飛ぶ。そこには、極小ビキニ……ではなく、女性用の**「極小ショーツ」**一枚を完璧に着こなした、鋼鉄の如き筋肉の塊が降臨していた。
「さあ、見なさい! これが我が魂の神殿! 『ダブルバイセップス・聖女降臨』!!」
「私も負けてはいられませんわ! 『フリル・フロントラットスプレッド』!!」
アンソニーもまた、吹雪の中でピンクのフリルが乱舞する戦闘服をなびかせ、広背筋を誇示する。
・・騎士団の混乱:衣装調達の悲劇・・
青空騎士たちは呆然自失となった。彼らの常識では、敵が衣服を脱ぎ捨てたということは、何らかの秘奥義か、あるいは究極の覚悟の表れだと解釈された。
「……な、なるほど。この世界の『決闘』とは、装甲を脱ぎ捨て、下着のみで肉体の徳を競うものなのか……」
アイメイクは真剣な表情で頷いた。彼は騎士団としての誇りを守るため、即座にボディビルで受けて立つことを宣言する。
「皆、聞け! 我々も彼らの流儀に合わせるぞ! 即座に衣装(下着)を調達せよ!!」
騎士団は大混乱に陥った。しかし、彼らは重装甲の騎士。極小ショーツなど持ち合わせているはずがない。窮したアイメイクは、傍らに控える副官の女性騎士、ルキ・ユリウスへ向き直った。
「ルキ……済まないが、君のその……下着を貸してはもらえないだろうか? 聖都の誉れを守るためなのだ」
――パァァァァァァンッ!!
静寂の雪原に、乾いたビンタの音が響き渡った。
「……総長、最低です」
頬を赤く腫らしたアイメイクが雪の上に膝を突く中、リリーは遠くからその光景を眺め、静かに温かいココアをすすった。
「……ミリィ、あの騎士団、終わったわね」 「……ん。イシュカルトの未来、暗雲立ち込めてる」 「だべさ! 都会の決闘は、おっかねえことばっかりだべ!」
雪国の空気が、別の意味で凍りついた瞬間であった。




