第四話:鬼の慟哭、カサンドラの門番
荒野の果て、切り立った断崖の隙間にその監獄はあった。 一度入れば二度と生きては出られぬという、ド・ゲス・ワルナ公の恐怖政治の象徴――監獄カサンドラ。
その巨大な鉄門の両脇には、岩を削り出したかのような二体の凄まじい仁王像が鎮座していた。不気味なほどの静寂の中、一行がその前を通り過ぎようとした、その時である。
「……待て」
ケンの足が止まると同時に、背後の「像」からパラパラと石灰が剥がれ落ちた。
ゴゴゴゴ……ッ!!
「な、なんだべ!? 石像が動いたべ!!」 モミジが斧を構える。像だと思われていたのは、その身を不動の境地まで高め、石粉を被って潜んでいた生身の巨漢二人組であった。
・・二神風雷拳:ライガとフウガ・・
「この門を通りたくば、我ら兄弟を倒して行くがいい……」
現れたのは、双子の番人――ライガとフウガ。彼らは巨大な体躯に似合わぬ精密な動きで、左右対称の構えを取った。
「……ん。リリー、この二人、ただのデカブツじゃない。呼吸が完全に一致してる。……消していい?」
ミリィが冷徹に指を掛けるが、ケンはそれを手で制した。
「……待て、ミリィ。彼らの拳には悲しみが宿っている。……ライガ、フウガ。お前たちほどの漢が、なぜド・ゲス・ワルナのような小物の軍門に下る」
「……問答無用! 『レムリア二神風雷拳』、受けてみよッ!!」
二人の巨漢が、まるで一人の人間が鏡合わせに動いているかのような、死角なき連携攻撃を繰り出してきた。突き出された拳が空気を切り裂き、真空の刃がケンを襲う。
・・リリーの介入:因果の糸車・・
ケンが迎え撃とうとした瞬間、リリーがひょいと前に出た。
「ちょっと、いつまでも門番と遊んでる時間はないのよ。アイリさんを助けに行くんでしょ?」
「ひゃっはー! どけよ、ガキがぁ!!」 背後から「ひゃっはー軍団」の増援が湧いてくるが、リリーはパチンと指を鳴らした。
「『因果律固定:鏡像の崩壊』」
リリーの瞳が怪しく光った瞬間、ライガとフウガの完璧な連携に、コンマ数秒の「ズレ」が生じた。 右から来るはずの拳が左に、左から来るはずの脚が右に。 「……あ、あり得ん! 我らの呼吸が……乱されるだと!?」
二人がよろめいた隙に、リリーは門のレバーを魔法で強引に引き下げた。
「さあ、開いたわよ。……ケン、あんたは彼らと『拳で語り合い』たいんでしょ? 私は先に行って、そのド・ゲス・ワルナ公ってやつに、神格を捨てた人の怒りを叩き込んできてあげるわ」
「……ふん、助かる。ライガ、フウガ。お前たちの悲しみ、俺が受け止めよう」
ケンが闘気を爆発させ、門番二人との一騎打ちに入る。一方、リリー、ミリィ、モミジの最強三人娘は、阿鼻叫喚の渦巻く監獄内部へと、まるでピクニックにでも行くような足取りで突入を開始した。
・・鼻毛の託宣と、静かなる次兄・・
カサンドラ監獄の最深部、贅を尽くした(が、センスの悪い肩パッドが飾られた)獄長室。 そこには、この地獄の支配者にして、ド・ゲス・ワルナ公の忠実な(?)部下、獄長ウィグルが鎮座していた。
「獄長! 今日は、どこの独房から『消毒』を始めやすかぁ!? ひゃっはーーー!」
部下のモヒカン看守が揉み手をしながら尋ねると、ウィグルは面倒そうに、鏡を見ながら自分の鼻毛を指先で弄り回した。
「ふむ……。そうだなぁ。今日は運命が騒がしい気がするわい」
ウィグルは無造作に「ブチィッ!」と鼻毛を抜いた。そして、それをデスクの上に並べ、忌々しそうに数えだしたのである。
「……ひい、ふう、みい。……よし、四本だ。今日は四番のエリアの奴らだな。適当にいたぶって、奴隷市に流す準備をさせろ」
・・第四独房の絶望と希望・・
ウィグルの気まぐれな「鼻毛占い」によって選ばれた第四独房エリア。 そこには、レイが血眼になって探している妹、アイリが囚われていた。彼女は過酷な監獄生活と恐怖のあまり、その美しい瞳の光を失い、暗闇の中で震えていた。
しかし、その隣の独房には、このカサンドラにおいて異彩を放つ「静寂」を纏った男が座っていた。
ボロボロの衣服を身に纏い、長い髪は白く、しかしその瞳には深い慈愛と理知が宿っている。彼こそは北斗四兄弟の次兄、柔の拳の天才――トキ。
「……アイリさん、怯えることはありません。もうすぐ、悲しみの雨は止み、宿命の風が吹いてきます……」
「……その声は、トキ様? でも、ここはカサンドラ……生きて出られた人はいないと……」
「……ふふ。今の私には分かります。この監獄の門を叩き、因果を捻じ曲げる『神の如き幼き足音』と、弟の激しい闘気が近づいているのが……」
・・リリー、爆進・・
その頃、カサンドラの通路では、リリーたちが看守たちを文字通り「掃除」していた。
「ちょっと、この獄長って人、趣味が悪すぎるわよ! 廊下の飾り付けが全部生首か肩パッドじゃないの!」
リリーが不快そうに指を鳴らすと、通路に仕掛けられたボウガンの罠が逆流し、隠れていた看守たちが自らの矢で壁に縫い付けられる。
「……ん。リリー、前方からデカい気配。……鼻毛の匂いがする」
ミリィが冷静に杖を構える。その先には、巨大な鞭を振り回しながら、「ひゃっはー!」と叫ぶウィグル獄長の親衛隊が待ち構えていた。
「鼻毛の匂いって何よ、汚らわしいわね! 予定変更よ、ミリィ、モミジ。あの獄長室まで、最短ルートを『物理的』に作りなさいッ!!」
「オラに任せるだべさ! **『公爵家直伝:壁抜き大車輪』**だべッ!!」
モミジが巨大な斧を独楽のように回転させ、監獄の分厚い石壁を次々と粉砕していく。アイリとトキが待つ第四独房まで、あと壁三枚の距離であった。
・・泰山の猛威、あるいは吸い付く肉体・・
「ひゃっはーーー! 壁を壊して入ってくるとは、礼儀知らずなガキ共だぜぇ!!」
モモジが粉砕した壁の向こうから、巨大な影が砲弾のように飛び出してきた。カサンドラ獄長・ウィグルである。その巨体からは想像もつかない瞬発力。これこそが泰山流千条鞭をも凌駕する彼の真骨頂。
「このウィグルの肉体こそが、カサンドラの絶望よ! 『蒙古覇極道』ッ!!」
ウィグルは水平に飛び、その丸太のような片腕を突き出した。狙われたのは、リリーたちの後ろから悠然と歩いてきたケンであった。
ドォォォォンッ!!
凄まじい衝撃音が監獄内に響き渡る。ウィグルの突進がケンの熱い胸板に直撃した。しかし、ケンは一歩も退かない。それどころか、ウィグルの腕はケンの強靭な大胸筋に、まるで磁石のようにピタリと吸い付いて離れなくなったのである。
・・筋肉の対話:吸い付く腕・・
「……な、なにィ!? わしの肩の骨が砕けるほどの衝撃を与えたはず……! なぜ弾かれぬ、なぜ吸い付くのだッ!?」
ウィグルが焦燥に駆られ、腕を引き抜こうとするが、ケンの筋肉がそれを許さない。
「……お前の拳法には、自分よりも弱い者を踏みにじる『奢り』しかない。……それでは、俺の悲しみを纏った肉体は貫けん」
ケンの闘気が膨れ上がり、吸い付いていたウィグルの腕が、内側からの圧力でメキメキと音を立て始める。
「ちょ、ちょっとケン! そこで相撲の『吸い付くような食いつき』を見せなくていいわよ! ドスコイ女将の教えが変な方向に進化してるじゃないの!」
リリーが呆れて叫ぶが、ケンは止まらない。 「……ん。あの獄長、もう終わり。……ケンの筋肉、少し怖い」 ミリィも珍しく引き気味だ。
・・カサンドラの伝説、落日・・
「う、うおおおお! 離せぇぇ! このバケモノめぇッ!!」
ウィグルがもう片方の手で鞭を振るおうとした瞬間、ケンの指先がウィグルの秘孔を突いた。
「『北斗百裂拳』ッ!!」
「あたたたたたたたたたたたた!! わたぁッ!!」
一瞬で数百の拳を叩き込まれたウィグルは、そのまま背後の巨大な墓穴(自らが掘らせたもの)へと吹き飛ばされた。
「……お前はもう、鼻毛を数えることもない」
「……ひ、ひでぶぅぅぅッ!!」
カサンドラの象徴であった巨躯が、断末魔と共に爆発四散する。それと同時に、リリーは第四独房の鍵を魔法で一瞬にして消滅させた。
・・次兄トキとの邂逅・・
「……お待たせしました、トキ様。それとアイリさん」
リリーが独房に足を踏み入れると、そこには白髪の次兄・トキが穏やかな微笑を浮かべて座っていた。
「……待っていましたよ、ケン。そして……異世界の『新しき神』の息吹を持つ少女よ」
「……神じゃないわ、今はただのFランク冒険者よ。それよりトキ、あんた足が痺れて動けないなんて言わないわよね?」
「……ふふ、よく分かりましたね。長年の拘束で、少しばかり血行が滞っていてね。……だが、君たちの『因果』が、私の止まった時間を再び動かしてくれたようだ」
トキがゆっくりと立ち上がる。その瞬間、カサンドラ全域に、ウィグルの支配とは正反対の、静かで温かい闘気が満ち溢れた。
「さあ、行きましょう。レイも、そしてあなたの家族も、外で待っています」
リリーの言葉に、アイリは震える手でリリーの小さな手を握り返した。監獄カサンドラに、ついに解放の鐘が鳴り響こうとしていた。




