第93章 ーガストンの夜と朝ー
第93章 ガストンの夜と朝
ガストンの町へ入った瞬間、すすむは思わず息を呑んだ。
白い漆喰の壁に、鮮やかな青色の窓枠。
木製のドアも青く塗られ、屋根までもが海の色を映したような青。
どこかで見たことのある景色だと思った。
前の世界で、テレビや雑誌で見たギリシャの田舎町――サントリーニ島のような、あの独特の色彩。
この世界に来てから、街並みは中世ヨーロッパ風が多かったが、ガストンはまるで別の文化圏のようだった。
潮風が吹き抜け、白と青のコントラストが夕陽に照らされて輝いている。
「……すごいな」
すすむは思わず呟いた。
旅の疲れが一瞬で吹き飛ぶような、美しい町並みだった。
建物の間を抜けると、視界が開け、港が広がった。
漁船が何隻も並び、漁師たちが甲板を洗ったり、網を干したり、荷物を運び込んだりしている。
潮の匂い、魚の匂い、油の匂い――それらが混ざり合い、港町特有の空気を作り出していた。
ただ、露店はほとんどが閉店準備に入っていた。
夕暮れ時で、店主たちが売れ残りを片付け、テントを畳んでいる。
すすむは、その中の一人――年配の女性に声をかけた。
「すみません。この町で泊まれる宿を探しているんですが……」
女性は手を止め、にこやかに答えた。
「宿なら、広場の近くに“青い窓亭”があるよ。旅人もよく泊まるし、食事も悪くないよ。
この時間なら、まだ部屋は空いてるはずだよ」
「ありがとうございます」
すすむは礼を言い、教えられた方向へ歩き出した。
★★★★★
町の中心にある広場は、石畳が敷かれ、中央には小さな噴水があった。
そのすぐ近くに、白い壁と青い窓枠、青いドアの三階建ての建物が見えた。
――あれが宿屋か。
外観はとても目立ち、どこか可愛らしい雰囲気すらある。
すすむは青い木製の扉を押し開け、中へ入った。
内部は、どこか懐かしい構造だった。
受付があり、右手には食堂。
グレンインとよく似ている。
受付には、栗色の髪を後ろで束ねた女性が立っていた。
すすむが近づくと、柔らかい笑顔で迎えてくれた。
「いらっしゃいませ。ご宿泊ですか?」
「はい。一泊お願いしたいんですが」
「かしこまりました。三階のお部屋をご用意できます。お食事は夕食と朝食が付きます。
夕食は魚料理の定食になりますが、よろしいですか?」
「もちろんです」
魚料理――その言葉だけで、すすむの胸は期待で膨らんだ。
鍵を受け取り、三階へ向かう。
階段は木製で、少し軋む音がした。
古い建物なのだろう。
部屋の前に立ち、古めかしい大きな金属製の鍵を鍵穴に差し込み、回す。
ガチャリ、と重い音がしてドアが開いた。
中は質素だった。
ベッド、テーブル、小さな椅子。
グレンインとほとんど同じ構造だ。
トイレは一階にあるらしい。
もちろん風呂はない。
「まあ……この世界じゃ普通か」
すすむはわらベッドに腰を下ろし、少しだけ横になった。
長い山道の運転で、体が重い。
だが、港町の空気が心地よく、疲れがゆっくりと抜けていくようだった。
しばらく休んだ後、すすむは食堂へ向かった。
食堂は木のテーブルが並び、壁には海を描いた絵が飾られていた。
客はまばらで、静かな雰囲気だ。
席に座ると、受付の女性が水差しを持って近づいてきた。
「お飲み物はいかがなさいますか?」
「水をお願いします」
「かしこまりました」
やがて、料理が運ばれてきた。
大きな皿に、カジキのような白身魚の切り身が焼かれている。
その隣には、にしんの燻製のようなもの。
さらに、キャベツと玉ねぎの酢漬け。
そして黒パン。
「パンはおかわり自由です。あちらのかごに切ってあるものがありますので、ご自由にどうぞ」
「ありがとうございます」
すすむは黒パンを一切れ追加し、食事を始めた。
カジキのような魚は、しっかりとした身で、噛むとじんわりと旨味が広がる。
燻製は香りが強く、酒が欲しくなる味だ。
酢漬けはさっぱりしていて、魚とよく合う。
「……うん、悪くない」
刺身ではないが、久しぶりに“海の味”を感じられた。
食事を終え、すすむは一階のトイレへ向かった。
扉を開けた瞬間――
「うっ……」
冬とはいえ、強烈な匂いが鼻を突いた。
いわゆるぼっとんトイレで、換気も十分ではない。
急いで用を済ませ、すすむは裏手の井戸へ向かった。
桶で水を汲み、タオルを濡らし、部屋に戻って体を拭く。
グレンインのように改装された宿に慣れてしまったせいか、どうしても不便さを感じてしまう。
「まあ……旅先だし、仕方ないか」
すすむは苦笑しながら、わらベッドに横になった。
外からは、波の音がかすかに聞こえる。
その音に包まれながら、すすむはゆっくりと眠りについた。
★★★★★
翌朝。
すすむは早めに目を覚ました。
窓を開けると、潮風が部屋に流れ込んでくる。
階下へ降りると、食堂にはすでに朝食が並んでいた。
焼いたイワシのような小魚が黒パンに挟まれ、簡易的なサンドになっている。
いわゆる“鯖サンド”のようなものだ。
「おはようございます。お飲み物は?」
「水をお願いします」
水を受け取り、すすむはサンドを手に取った。
香ばしい魚の匂いが食欲をそそる。
一口かじると、脂がじゅわっと広がり、黒パンの素朴な味とよく合う。
「……うまい」
昨日の疲れが一気に吹き飛ぶような、力強い味だった。
食事を終え、すすむは部屋に戻って荷物を確認した。
忘れ物がないか、念入りにチェックする。
今日は、ガストンの市場で魚を仕入れ、収納能力で保存し、グレン村へ戻る予定だ。
鍵を返し、受付の女性に礼を言って宿を出る。
外は朝日が差し込み、白い壁と青い屋根が輝いていた。
港町の一日が、ゆっくりと始まろうとしている。
「よし……市場へ行くか」
すすむは深呼吸し、港の方へ歩き出した。
新鮮な魚を求めて――
そして、グレン村の食卓に“海の恵み”を届けるために。




