第92章 ーガストンへの道ー
第92章 ガストンへの道
エレニアの冒険者ギルドに通うようになってから、すすむはすっかりカイルと打ち解けていた。
最初は、異世界の常識に疎い自分を気遣ってくれる、面倒見の良い兄貴分という印象だったが、
話してみれば彼は気さくで、冗談もよく言う。ギルドの裏話や、冒険者たちの失敗談、エレニアの歴史まで、幅広く教えてくれた。
そんなカイルから、ある日ぽつりと興味深い情報がもたらされた。
ギルドのカウンターで書類を整理していたカイルは、すすむの姿に気づくと、穏やかに微笑んだ。
その仕草はいつも通り落ち着いていて、どこか知的な雰囲気をまとっている。
「すすむさん。先日お話ししていた件ですが……少し、お役に立てる情報がありまして」
「え、何か分かったんですか?」
「ええ。ガストンという港町をご存じでしょうか。良港に恵まれ、海産物が豊富な場所です。
特に、朝に揚がったばかりの魚は、非常に質が良いと評判ですよ」
カイルは言葉を選ぶように、ゆっくりと続けた。
「エレニアでは、どうしても海の幸は手に入りにくいでしょう。
もし、すすむさんが新鮮な魚をお求めなら……ガストンは、訪れる価値があると思います」
すすむは思わず前のめりになる。
グレン村村長から、ガストンは、およそ120㎞で、山道がある道ということは聞いていた。
グレン村からエレニアの道を考えると、この街道も舗装されていないことは分かる。
今日の様な雪が溶けたタイミングで行かなければと思う。
すすむは、カイルに、ガストンに行ってみる旨伝える。
カイルは、すすむの目をまっすぐ見て、静かに言葉を添えた。
「無理はなさらないでくださいね。
旅は、目的地に着くことよりも、無事に戻ってくることの方が大切ですから」
その声音には、冒険者としての経験と、すすむを気遣う優しさが滲んでいた。
車があるとはいえ、舗装されていない道を走るのは骨が折れる。
だが、今がチャンスなのではないか?と思った。
すすむはその夜、久しぶりに胸が高鳴るのを感じていた。
――新鮮な魚。
――刺身。
――海の匂い。
この世界に来てから、ずっと遠ざかっていたものが、手を伸ばせば届く場所にある。
行くしかない。
そう決めたのは、自然な流れだった。
★★★★★
そして三日後。
まだ空が薄青く、朝靄が村を包む頃、すすむは車のエンジンをかけた。
この世界に来たときに乗っていた車――今ではすっかり相棒だ。
馬車偽装の魔法をかければ、村人にも怪しまれない。
道に障害物があったら、収納の能力でしまっている、小型ショベルカーでどけるつもりだ。
山道での障害物除去には欠かせない装備だ。
「よし……行くか」
村の門番に軽く挨拶し、すすむはガストンへ向けて車を走らせた。
最初は森林地帯が続いた。
木々の間から差し込む朝日が、車体に斑模様の光を落とす。
鳥の声が響き、森の匂いが窓から流れ込んでくる。
だが、道はエレニアへ向かう街道よりも荒れていた。
轍は深く、溶けた雪で、ところどころぬかるんでいる。
車体が揺れるたび、すすむは慎重にハンドルを切り、比較的平らな部分を選んで進んだ。
「交通量が少ないって、こういうことか……」
森を抜けると、草原の丘陵地帯に入った。
視界が一気に開け、遠くまで続く緩やかな起伏が美しい。
だが、道は相変わらず荒れている。
そして、丘陵地帯を越えると、ついに山道が始まった。
そこは、まるで別世界だった。
植物はほとんど生えておらず、岩肌がむき出しになっている。
雪もまだ残っており、日陰では凍結している場所もある。
道幅は狭く、崖側は急斜面だ。
「これは……なかなかの難所だな」
慎重に進んでいくと、道の真ん中に大きな岩が転がっている場所があった。
「うわ……マジか」
車を停め、小型ショベルカーを出す。
エンジンをかけ、岩を押し、崖下へ落とす。
ゴロゴロ……ガラガラ……!
岩が転がり落ちる音が山に響いた。
この作業を、すすむは何度も繰り返した。
冬季はほとんど使われない街道というのも納得だ。
途中、すすむはふと考えた。
(ロックリザード……出てこないな)
エレニア近郊で遭遇した巨大な爬虫類の魔物。
あれが出てきたら、車でも危険だ。
(爬虫類……変温動物……冬は苦手……もしかして冬眠?)
そんな仮説を立てながら、すすむは慎重に山道を進んだ。
やがて、夕日が山の端に沈みかけた頃、ようやく山道を抜けた。
「ふぅ……なんとか越えたか」
空は茜色に染まり、遠くの地平線が金色に輝いている。
山を下り、しばらく走ると、視界の先に町の影が見えた。
すすむは車を停め、馬車偽装をかける。
「よし……これで大丈夫だろう」
そして再び車を走らせ、夕闇が迫る中、ガストンの町へと向かった。
* * *
ガストンの町は、近づくにつれてその存在感を増していった。
まず、潮の匂いが風に乗って届いた。
この世界に来てから初めて嗅ぐ、懐かしい海の香り。
「……海だ」
胸が熱くなる。
海を見たかった。
魚を食べたかった。
その思いが、ようやく現実になろうとしている。
町の外壁はエレニアよりも低く、どこか開放的だ。
港町らしく、外からの人の出入りが多いのだろう。
門の前には数台の馬車が並び、荷物の検査を受けている。
すすむも列に加わり、順番を待った。
門番は、偽装された馬車――つまりすすむの車――を見て、特に怪しむ様子もなく、簡単な質問だけで通してくれた。
「ガストンへようこそ。港の方は夕方でも賑わっているから、迷ったらそっちへ行くといい」
「ありがとうございます」
門をくぐった瞬間、すすむは思わず息を呑んだ。
町の中は活気に満ちていた。
魚を運ぶ荷車、網を修理する漁師、酒場から聞こえる笑い声。
潮風が吹き抜け、どこか懐かしい港町の空気が広がっている。
すすむはゆっくりと馬車偽装の車を走らせながら、町の中心へ向かった。
――ここが、ガストン。
――新鮮な魚の町。
胸の奥で、期待が静かに膨らんでいく。
こうして、すすむはついにガストンの町へたどり着いたのだった。




