第91章 ―白雪の街と静かな魔導士だった元ギルマス―
第91章 ―白雪の街と静かな魔導士だった元ギルマス―
エレニアの市場は、いつもの喧騒を失っていた。
露店の並ぶ通りは、どこもかしこも棚が空に近く、野菜の籠にはしなびた葉が数枚残るだけ。
肉屋の店先には、普段なら吊るされているはずの肉塊が一つもなく、代わりに「入荷未定」の札がぶら下がっている。
雪は止んだり降ったりを繰り返し、街道を塞ぎ続けていた。
周辺都市からの物資はほとんど届かず、農作物の入荷も激減している。
市場の人々は、寒さよりも、食料不足の不安に顔を曇らせていた。
ギルバートは、すすむに状況を説明しながら、深刻な表情を隠さなかった。
「この長期的な雪は……本当に珍しいんだ。
俺が子どもの頃にも、一度あったかどうか……いや、それでもここまで長くは続かなかった」
すすむは、ギルバートの言葉を聞きながら、エレニアの街並みを見渡した。
雪に覆われた石畳の道、寒さに震える人々、空になった市場。
グレン村も雪に閉ざされているが、村は小さく、宿泊客の食料は自分が補充できる。
しかし、エレニアは人口が多く、街全体の食料不足は深刻だ。
――このままでは、街が持たない。
すすむは、胸の奥に重いものを感じた。
すすむが運行する「馬のいない馬車」は、今や唯一の交通手段となっていた。
雪に閉ざされた街道を走れるのは、この車両だけだ。
すすむは、グレン村から乗客を乗せてエレニアへ向かい、到着後は冒険者ギルドへ立ち寄る。
そこで、ギルドの協力を得て、広い倉庫に食料を補充するつもりだった。
この提案は、ギルバートを通じてエレニアの冒険者ギルドのギルドマスター――カイルにも伝わっていた。
カイルは四十代半ばの男性で、ギルバートとは対照的に、静かで知的な雰囲気をまとっている。
元冒険者であり、魔導士として名を馳せた経歴を持つ。
物腰は柔らかく、言葉遣いは丁寧で、思慮深いが、同時に人への思いやりを忘れない人物だ。
すすむがギルドに到着すると、カイルはすでに倉庫の前で待っていた。
「すすむ殿。お越しいただき、感謝します。
ギルバートから話は聞いております。……あなたの力を、お借りしたい」
静かな声だが、その奥には切迫した思いが滲んでいた。
「倉庫はすでに人払いしてあります。
どうか……街を救うために、力を貸していただけませんか」
すすむは頷き、倉庫の扉を開けた。
倉庫の中は広く、天井まで届く棚が並んでいる。
しかし、その棚はほとんど空だった。
普段なら、冒険者たちの依頼品や街の備蓄が並んでいるはずだが、今は何もない。
すすむは深呼吸し、能力を発動した。
次の瞬間、倉庫の床に大量の野菜が現れた。
キャベツ、玉ねぎ、じゃがいも、にんじん――どれも新鮮で、色鮮やかだ。
続いて、肉類が現れる。牛肉、豚肉、鶏肉。
さらに、小麦、豆類などの穀物が袋ごと積み上がっていく。
倉庫は、みるみるうちに食料で満たされていった。
カイルは、その光景を静かに見つめていた。
ギルバートから話は聞いていたが、実際に目の前で見ると、言葉を失うほどの迫力があった。
「……これほどとは……」
カイルは思わずつぶやいた。
すすむは、最後の袋を出し終えると、能力を解除した。
「これで、しばらくは持つと思います」
カイルは深く頭を下げた。
「……心から感謝します。
あなたがいなければ、エレニアは本当に危険な状況でした。
街の者たちも、あなたの助力を知れば、どれほど救われることでしょう」
すすむは照れくさそうに笑った。
「僕は、できることをしているだけです。
困っている人がいるなら、助けたい。それだけです」
カイルは静かに頷いた。
「その心が、街を救っているのです」
それからの日々、すすむは毎日のようにグレン村とエレニアを往復した。
朝、グレン村で乗客を乗せ、雪道を慎重に走り、エレニアへ届ける。
到着後は冒険者ギルドへ向かい、倉庫に食料を補充する。
そして、帰りの乗客を乗せてグレン村へ戻る。
雪は相変わらず降り続いていたが、すすむの運行する馬車だけは、白銀の道を切り拓いて進んだ。
エレニアの市民たちは、冒険者ギルドが食料を供給していることを知り、ギルドへの信頼を深めていった。
「ギルドが食料を確保してくれたらしい」
「本当に助かった……」
「商業ギルドは何もしてくれなかったのに……」
自然と、商業ギルドの発言力は落ちていった。
彼らは街道が塞がれたことで何もできず、ただ状況を見守るしかなかったのだ。
一方、冒険者ギルドは、街の危機を救った存在として評価が高まっていく。
カイルは、すすむに何度も感謝を伝えた。
「あなたの力が、街を救いました。
エレニアの人々は、あなたの存在を忘れないでしょう」
すすむは首を振った。
「僕は裏方でいいんです。
ギルドが前に立ってくれれば、それで十分です」
カイルは静かに微笑んだ。
「……あなたは、本当に不思議な方だ。
力を持ちながら、それを誇らず、ただ人のために使う。
その姿勢こそが、街を救ったのです」
こうして、すすむの奔走によって、エレニアの食料不足は徐々に解消されていった。
街は再び活気を取り戻しつつあり、人々の表情にも明るさが戻ってきた。
雪はまだ降り続いている。
しかし、街はもう恐れてはいなかった。
白銀の道を往復する一台の馬のいない大きな馬車――
その存在が、街に希望をもたらしていたからだ。




