第78章 ― ヴィラの夜と、静かな決意 ―
第78章 ― ヴィラの夜と、静かな決意 ―
晩餐会が終わり、村の夜空に星が瞬き始めた頃。
クラコフ高級政務官は、案内されたヴィラの自室へと戻ってきた。
半円形の白い外観は、昼間に見たときよりも柔らかく、
まるで雪のドームが月光を受けて輝いているようだった。
扉を開けると、暖かい空気がふわりと頬を撫でる。
「……なんと心地よい温度だ」
暖炉も魔法も使っていないのに、部屋全体が一定の温度に保たれている。
王宮の客室でも、ここまで快適な温度管理は難しい。
クラコフは、すすむから説明を受けた通り、浴室へ向かった。
浴室の扉を開けた瞬間、クラコフは息を呑んだ。
「……これは……」
壁は滑らかで、床は冷たくない。
浴槽は深く、湯気が立ち上っている。
すすむの言葉を思い出しながら、蛇口をひねる。
――ジャッ。
温かい湯が勢いよく流れ出した。
「……おお……!」
さらに、シャワーと呼ばれる器具を持ち上げ、レバーを動かすと、
細かい湯の粒が雨のように降り注ぐ。
「温度が……変わる……!」
レバーを少し動かすだけで、湯の温度が自在に調整できる。
熱すぎず、ぬるすぎず、自分の好みにぴたりと合わせられる。
王宮の浴室では、湯温を調整するために何人もの従者が必要だ。
それが、ここでは――蛇口ひとつ。
クラコフは、しばらく湯の流れを眺めていた。
「……これは、革命だな」
湯に浸かり、シャワーを浴び、
すすむが説明した“カラフルな容器”を手に取る。
中の液体を掌に出すと、ふわりと甘い香りが広がった。
「……良い香りだ」
体を洗うと、泡が立ち、汚れがすっと落ちていく。
「これは……魔法ではないのか?」
驚きと感動が、胸の奥から湧き上がる。
風呂から出ると、洗面台に置かれた道具が目に入った。
「歯磨き……これはわかるが……
この“シェーバー”というものは……?」
すすむの説明を思い出し、腕の毛を剃ってみる。
凄く剃り味が良い。
頬に当て、ゆっくりとスライドさせると、痛みもなく髭が剃れていく。
「これは……便利すぎる……」
トイレに入ると、便座が暖かい。
「……座った瞬間に温かいとは……」
王宮のトイレは冬になると冷たく、
座るたびに身震いするのが常だった。
ベッドに腰を下ろすと、ふかふかと沈み込み、
背中を優しく包み込む。
「……なんという寝心地だ……」
冷蔵庫を開けると、冷たい水が並んでいる。
「冷たい……!
氷を使っていないのに……」
派手な装飾はない。
だが、どれもが“生活を豊かにするため”に存在している。
王宮の豪華さとは違う、
本物の快適さがここにはあった。
クラコフは、静かに息を吐いた。
「……王宮よりも……快適だ」
料理は美味しく、宿は心地よく、村人は温かい。
王都の喧騒や政務の重圧から離れ、
心が軽くなるのを感じた。
「……報告をどうするべきか……」
王宮にこの村のことを伝えれば、
王都の目が一気に向くだろう。
だが――
「……また、お忍びで来たいものだな」
クラコフは微笑み、ベッドに身を沈めた。
★★★★★
夜も更け、すすむはビジネスホテルBのロビーで書類を整理していた。
静かなロビーに、足音が近づく。
「すすむどの……少し、よろしいか」
ローレント政務官だった。
昼間のきっちりした表情とは違い、どこか疲れたような、
しかし決意を秘めた目をしていた。
「どうしました?」
ローレントは深く息を吸い、言葉を絞り出すように言った。
「……私は、役人という立場に……疲れたのだ」
すすむは黙って耳を傾けた。
「政務は窮屈で、息が詰まる。
今日、この村の宿泊施設を見て……
そして、あなたが村のために働く姿を見て……
心から羨ましいと思った」
ローレントの声は震えていた。
「私は……このホテルで働きたい。
ここで、人のために働きたいんだ」
すすむは驚いたが、すぐに理解した。
ローレントの目は真剣で、迷いがなかった。
「……わかりました。
ローレントさん、そしてマーカスさんも。
お二人を……雇わせていただきます」
ローレントは目を見開き、そして深く頭を下げた。
「……ありがとう……!
本当に……ありがとう……!」
すすむは微笑んだ。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
★★★★★
翌朝。
食堂には朝食ビュッフェが並んでいた。
昨日ほどの豪華さはないが、
朝には十分すぎる品揃えだ。
・パン
・サラダ
・卵料理
・スープ
・果物
・ヨーグルト
・コーヒー、紅茶、ジュース
クラコフは満足げに頷いた。
「朝はこれくらいがちょうど良いな」
食後、外見木造ポンチョの前で、すすむはクラコフに挨拶した。
「この度は、遠路はるばるお越しいただき、ありがとうございました」
クラコフは笑顔で手を差し出した。
「とても快適だった。
これなら私も頻繁に来たいぐらいだが……
王都からこの村までは距離が遠すぎる。
マンハイムが羨ましいよ」
すすむは笑った。
「またいつでも、お越しください」
クラコフは頷き、外見木造ポンチョに乗り込んだ。
帰り道も慎重に運転し、
エレニアの行政府前まで送り届ける。
クラコフは降り際に、すすむへ静かに言った。
「……また来るよ。
次は、仕事ではなく……休暇としてな」
すすむは深く頭を下げた。
外見木造ポンチョの扉が閉まり、
クラコフは振り返りながら微笑んだ。
その笑顔は、
村の未来に明るい兆しを感じさせるものだった。




