第71章 ビジネスホテルA・開業初日
第71章 ビジネスホテルA・開業初日
開業初日の朝。
まだ太陽が山の端から顔を出したばかりだというのに、ビジネスホテルAの前にはすでに人だかりができていた。
「ここが新しい宿か……!」
「三階建てなんて、王都でも見たことないぞ」
「冒険者ギルドの掲示板で見たが、本当に立派だな」
村人、冒険者、商人――様々な人々が興味津々で建物を見上げている。
すすむはホテルの前に立ち、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じていた。
(……ついに、この日が来たんだな)
三週間の準備期間。
スタッフたちは驚くほど成長し、ホテルは“宿泊施設”としての形を整えた。
あとは、実際に客を迎えるだけだ。
「すすむさん、準備できました!」
受付担当のミーナが駆け寄ってきた。
彼女ははじめはコック担当だったが、ホテルのいろいろな業務を覚え、
今回の受付教育補佐担当に抜擢された。
緊張で頬が少しこわばっているが、目はしっかりと前を向いている。
「ありがとう。じゃあ、開業しよう」
すすむが頷くと、スタッフたちは一斉に持ち場へ散っていった。
開業と同時に、冒険者たちがどっと押し寄せた。
「チェックインお願いしまーす!」
「部屋、空いてるか?」
「風呂があるって聞いたんだが、本当か?」
受付カウンターの前には長い列ができ、ミーナたち受付スタッフは大忙しだった。
「いらっしゃいませ! お名前をお願いします!」
「こちらが鍵になります。三階の305号室です!」
最初は声が震えていたが、次第に落ち着きが出てきた。
すすむはロビーの隅からその様子を見守り、胸を撫で下ろす。
(……大丈夫そうだな)
しかし、安心したのも束の間だった。
「す、すすむさん! ちょっといいですか!」
別の受付スタッフ、レオンが青ざめた顔で駆け寄ってきた。
「どうした?」
「鍵が……鍵が足りません!」
「え?」
「302号室の鍵が見当たらなくて……!」
すすむは一瞬固まったが、すぐに状況を理解した。
(……ああ、予備鍵の棚に入れたままだ)
「落ち着いて。予備鍵の棚にあるよ。案内する」
「す、すみません!」
レオンは深く頭を下げ、すすむと一緒に事務室へ走った。
鍵を渡すと、レオンはすぐに受付へ戻り、客へ丁寧に謝罪していた。
(……初日だし、こういうこともあるよな)
すすむは苦笑しつつ、ロビーの様子を再び見守った。
チェックインを終えた冒険者たちは、次々とホテル内を探索し始めた。
「おい、見ろよ! ベッドがふかふかだぞ!」
「なんだこの机……書き物がしやすい!」
「冷たい水が出る箱がある……魔道具か?」
客室に入った冒険者たちは、まるで子どものように目を輝かせていた。
中でも、ひときわ大きな声を上げたのは、筋骨隆々の戦士グラッドだった。
「風呂が……風呂が広い!!」
彼は大浴場に入った瞬間、感動のあまり叫び声を上げた。
「湯がたっぷりあるぞ! しかも熱い! これは……最高だ!」
他の冒険者たちも次々と浴場に入り、湯気の中で歓声を上げていた。
「こんな贅沢、王都でもなかなかできねぇぞ!」
「体の疲れが全部抜けていく……!」
浴場担当のスタッフは最初こそ戸惑っていたが、すぐに慣れ、タオルの補充や清掃を手際よくこなしていた。
朝食の時間になると、食堂は一気に満席になった。
「パンが焼きたてだ!」
「このスープ……うまい!」
「おかわりできるのか?」
調理担当のスタッフたちは、厨房で大忙しだった。
「次、パン追加します!」
「スープの鍋、もう一つ温めて!」
「皿が足りません!」
すすむは厨房に入り、状況を確認した。
「大丈夫? 何か手伝おうか?」
「いえ、なんとか……! でも、皿が……!」
皿が足りないのは、予想以上の客入りのせいだった。
すすむは収納スキルを使い、予備の皿を取り出して渡す。
「これで足りるはず。頑張って」
「ありがとうございます!」
スタッフたちは真冬だが、汗だくになりながらも、必死に料理を提供し続けた。
午前中、チェックアウトを終えた客室の清掃が始まった。
「ベッドメイク完了!」
「ユニットバス、清掃終わりました!」
「次、203号室行きます!」
ハウスキーピングのスタッフたちは、研修の成果を発揮していた。
だが、ここでも小さなトラブルが起きた。
「すすむさん! 掃除道具が足りません!」
「え?」
「モップが……折れました!」
すすむは急いで倉庫へ向かい、予備のモップを取り出した。
「これ使って。あとで補充しておくよ」
「助かります!」
スタッフたちは息を切らしながらも、次々と部屋を仕上げていった。
昼過ぎ、工務係の一人が慌ててすすむのもとへ駆け込んできた。
「すすむさん! 洗濯機が止まりました!」
「えっ、故障?」
「いえ……冒険者の方が、泥だらけの服をそのまま突っ込んだみたいで……」
「ああ……」
すすむはランドリールームへ向かい、洗濯機の中を確認した。
泥と草が詰まり、排水がうまくいっていない。
「これは……詰まりを取れば動くよ」
すすむは手際よく泥を取り除き、排水口を掃除した。
洗濯機は再び動き始め、工務係は感動したようにすすむを見つめた。
「すすむさん……すごいです!」
「いや、これは普通の……いや、魔法の力だよ」
すすむは曖昧に笑った。
夕方になると、冒険者たちが続々とロビーに戻ってきた。
「今日はゆっくり休めた!」
「明日も泊まるぞ!」
「飯もうまかったし、風呂も最高だ!」
受付スタッフは笑顔で対応し、延泊の手続きを進めていた。
その様子を見て、すすむは胸が熱くなる。
(……みんな、本当に頑張ってくれたな)
スタッフたちは疲れた表情をしているが、どこか誇らしげでもあった。
夜、ホテルの灯りが静かに村を照らし、ロビーには穏やかな空気が流れていた。
「すすむさん、今日……なんとか乗り切れましたね」
ミーナが微笑む。
「うん。みんなのおかげだよ」
「明日も頑張ります!」
すすむはロビーのソファに腰を下ろし、天井を見上げた。
(……ホテルが動き始めた。
ここから、もっと良くしていかないとな)
開業初日の喧騒と感動を胸に、すすむは静かに目を閉じた。




