第37章 早馬の来訪と、上級政務官の舌を唸らせた昼食
第37章 早馬の来訪と、上級政務官の舌を唸らせた昼食
翌日。
昼過ぎの陽光が宿のロビーに差し込む頃、外から蹄の激しい音が響いた。
村では滅多に聞かない“早馬”の到着に、宿の空気が一瞬ざわつく。
扉が勢いよく開き、銀髪の男が姿を現した。
五十代ほど、背筋は真っ直ぐ、身にまとう服は明らかに高級品。
役人か、あるいは貴族階級の者だと一目でわかる。
男はロビーのカウンターに立つリリアへ、ずいと詰め寄った。
「ここにローレント政務官が泊まっておるな。」
その声音は、問いというより“確認を強制する命令”に近い。
隣の食堂で片付けをしていたすすむは、思わず手を止めて様子をうかがった。
リリアは怯むことなく、丁寧に答える。
「はい。ローレント様は、ただいま村長と一緒に出かけています。」
「いつ戻る?」
「夕方頃かと存じます。」
「そうか。では待たせてもらおう。」
男はロビーを見回し、食堂の空席を見つけると、ずかずかと歩いてきた。
「ん? その服……変わっているな。給仕か?」
「はい、給仕をしております。」
すすむが答えると、男は顎をしゃくった。
「ちょうど昼食を取らずに隣町から飛ばしてきた。何か食わせろ。何がある?」
この圧の強さ。
ホテルマン時代に相手をした“クセの強い上客”を思い出し、すすむは内心で苦笑した。
「本日は、ビーツのグリークサラダ、フムス、そしてポルチーニ茸のパスタをご用意しております。」
「それをもらおう。」
注文は即決だった。
しばらくして、料理を運ぶと、男は興味深そうに皿を見つめ、ひと口――
「……な、なんだこれは?! この村で、なぜこんな料理が出せる?!」
驚愕の声が食堂に響いた。
次の瞬間、男は信じられない勢いで料理を平らげ始める。
「うむ……うむ……! これは王都の料理人でも難しい味だぞ……!」
すすむは丁寧に追加の説明をする。
「本日は、新鮮なリンゴジュースもございます。」
「リンゴジュース? ふん、もらおう。」
すすむは、午前中にブランが持ってきたリンゴをすりつぶし、
一部をジェル状にしてジュースの上に浮かべ、ミントを添えた特製ジュースを出した。
男はグラスを手に取り、目を細める。
「……? なんだ、この見た目は……」
ひと口飲むと、目を見開いた。
「こ、これは……ただのリンゴジュースではない! どういうことだ……?」
ジェルの食感とミントの香りが、男の舌を完全に虜にしたようだった。
その後は、王都での暮らしや食文化の自慢を交えつつ、
「この宿の料理は素晴らしい」と何度も褒めちぎる。
クセは強いが、味のわかる人物らしい。
夕方。
ローレント政務官とマーカス助手が戻ってきた。
食堂に入ったローレントは、銀髪の男を見た瞬間――
「げっ……!」
と、心底嫌そうな声を漏らした。
男は立ち上がり、ローレントの前に仁王立ちする。
「どういうことだ、ローレント。
一ヶ月も報告なしに村から戻らんとは、どういう了見だ。」
ローレントは青ざめ、しどろもどろになる。
「じ、事故で……怪我をして療養していたんです……!
だから報告が……」
男は鋭い視線をすすむへ向けた。
“本当か?”と無言で圧をかけてくる。
すすむは一歩前に出て、落ち着いた声で答えた。
「本当です。ローレント様は骨折をされ、当宿で看病しておりました。」
男はしばらくすすむを見つめ、やがてふっと息を吐いた。
「……そうか。」
納得したのか、あるいは料理の満足感が勝ったのか。
男は少し考えるように顎に手を当て――
「私も泊めてもらおう。」
と、当然のように言った。
こうして、ローレント政務官の上司――
マンハイム上級政務官が、隣の部屋に宿泊することとなった。
宿の空気が、また一段と騒がしくなる予感がした。




