第112章 暗殺者襲来 ― 静寂を裂く刃
第112章 暗殺者襲来 ― 静寂を裂く刃
その夜、グレン村は深い静寂に包まれていた。
冬の冷たい風が木々を揺らし、雪こそ降らないものの、空気は刺すように冷たい。
グレンインの二階――すすむの部屋の前では、マリーが背筋を伸ばし、静かに見張りを続けていた。
すすむは部屋の中で書類を整理している。
GOCの本部設立、ホテルの稼働状況、従業員宿舎の管理……やることは山ほどある。
だが、マリーがそばにいることで、不思議と安心感があった。
(……本当に、俺なんかを守るためにここまでしてくれるなんてな)
すすむは、少し照れくさく思いながらも、マリーの存在に感謝していた。
だが――その静かな夜は、突然破られることになる。
★★★★★
グレン村の外れ。
月明かりの届かない森の中を、一人の男が歩いていた。
黒い外套に身を包み、顔を覆い、気配を完全に消している。
エレニア商業ギルド調整部が送り込んだ暗殺者――“影渡り”の異名を持つ男、ザイロ。
彼は、王国でも指折りの暗殺者であり、数々の標的を仕留めてきた。
毒、変装、潜入、暗殺術……どれも一流。
そして何より、彼は「護衛付きの標的」を得意としていた。
「……護衛は一名。
王女の護衛経験者だと? 面白い」
ザイロは、口元をわずかに歪めた。
「だが、護衛がいようと関係ない。
俺の仕事は、標的を“消す”ことだ」
彼は、音もなく村の中へと溶け込んでいった。
★★★★★
グレンイン二階の廊下。
マリーは、ふと眉をひそめた。
(……風の流れが変わった?)
彼女は、王女の護衛として長年鍛えられた感覚を持っている。
暗殺者の気配、殺気、空気の揺らぎ――それらを敏感に察知する能力だ。
廊下の奥、階段の方から、微かな“違和感”が漂ってきた。
(来た……)
マリーは、腰の剣に手を添えた。
ザイロは、グレンインの屋根に軽やかに降り立った。
足音は一切しない。
まるで影が滑るように、窓の隙間から中へ侵入する。
彼は、すすむの部屋の位置を正確に把握していた。
密偵が調べた情報は正確だった。
「……あそこだな」
ザイロは、廊下に出る前に毒針を一本取り出した。
指先で軽く弾けば、音もなく標的の首に刺さる。
即死ではないが、数秒で意識を失わせる強力な毒だ。
「護衛がいても関係ない。
まずは護衛を排除する」
ザイロは、廊下へと足を踏み出した。
廊下の中央で、マリーは静かに立っていた。
ザイロは驚かなかった。
むしろ、予想通りだと言わんばかりに口元を歪めた。
「……待ち構えていたか。
さすが王女の護衛だな」
「あなたが……暗殺者ですね」
「その通りだ。
標的は“すすむ”。
邪魔をするなら、お前も消す」
マリーは剣を抜いた。
金属の澄んだ音が廊下に響く。
「私は、すすむさんを守るためにここにいます。
あなたの好きにはさせません」
「ほう……いい目だ。
だが――」
ザイロは、毒針を指先で弾いた。
シュッ!
空気を裂く音とともに、毒針がマリーの首を狙う。
だが――。
カンッ!
マリーは剣で毒針を弾き落とした。
「……!」
ザイロの目がわずかに見開かれた。
「毒針を弾くか……?
面白い」
「あなたの攻撃は、すべて見えています」
「ならば――これはどうだ!」
ザイロは、一瞬で距離を詰めた。
まるで影が跳ねるような動き。
短剣がマリーの喉元を狙う。
マリーは剣で受け止め、火花が散った。
ギィンッ!
「くっ……!」
「ほう、受け止めるか」
ザイロは、連続で斬撃を繰り出す。
その速さは常人の目では追えない。
だが、マリーはすべてを受け止め、時にかわし、時に反撃した。
廊下に金属音が響き渡る。
ギンッ! ガキンッ! キィンッ!
まるで二人の戦いが、夜の静寂を切り裂いていくようだった。
しかし――ザイロの攻撃は、徐々に激しさを増していった。
「どうした? 息が上がってきているぞ」
「……っ」
マリーは、王女の護衛として鍛えられていたが、
ザイロは暗殺専門の戦闘技術を持つ男だ。
攻撃の軌道が読みにくく、毒針や煙玉を混ぜた変則的な攻撃が続く。
ザイロは、マリーの肩を浅く切り裂いた。
「くっ……!」
血が滲む。
「終わりだ」
ザイロは、マリーの腹部を狙って短剣を突き出した。
だが――。
マリーは、痛みをこらえながら剣を横に振り抜いた。
ザシュッ!
ザイロの腕に深い傷が走る。
「……っ!?」
「あなたの攻撃は……読めます」
マリーは、息を切らしながらも剣を構え直した。
「私は……すすむさんを守るために……倒れるわけにはいきません!」
「……ククッ。
いい目だ。
だが、守るだけでは勝てんぞ!」
ザイロは、煙玉を投げつけた。
ボンッ!
廊下が白い煙に包まれる。
煙の中で、ザイロは気配を完全に消した。
(……どこ?)
マリーは、目を閉じた。
視覚ではなく、気配、空気の流れ、足音、呼吸――
すべてを研ぎ澄ませる。
(……右上!)
マリーは、天井に向かって剣を突き上げた。
ザシュッ!
「……っ!?」
天井に張り付いていたザイロの胸を、剣が貫いた。
ザイロは、血を吐きながら落下した。
「……馬鹿な……気配を……完全に……消したはず……」
「あなたの殺気は……消えていませんでした」
マリーは、剣を構えたまま、静かに言った。
「私は……守るために戦っています。
あなたのように、奪うためではありません」
「……クク……
なるほど……
これが……“護衛”か……」
ザイロは、薄く笑いながら息絶えた。
廊下に静寂が戻る。
マリーは、膝をつき、肩で息をした。
「……守れた……
すすむさん……」
その目には、安堵と疲労が入り混じっていた。
★★★★★
その頃、エレニア商業ギルド本部。
マーサは、調整部からの報告を受けていた。
「……ザイロが……倒された?」
「はい。
護衛の女――マリーに討たれたとのことです」
「……ザイロは、王国でも屈指の暗殺者よ。
それを倒した……?」
「はい。
護衛の女は、王女の護衛経験者であり、実力は相当なものかと」
マーサは、しばらく沈黙した。
そして、ゆっくりと椅子に背を預けた。
「……そう。
ならば、すすむに手を出すのは……容易ではないわね」
マーサの瞳には、怒りと同時に、慎重さが宿っていた。
「今は動かない。
次に動くときは……もっと確実な手段を用意する必要がある」
マーサは、静かに呟いた。
「すすむ……あなたは、思った以上に厄介な存在ね」
こうして、暗殺者襲来の夜は終わり、
すすむはマリーの献身によって守られた。
だが、エレニア商業ギルドの影は消えていない。
むしろ、より深く、より静かに――
グレン村を狙う闇は、形を変えて迫りつつあった。




