その8
よろしくお願いいたします。
銀貨五枚。
平民においては少々豪華なプレゼントである。
それに対等なお返しをと考えると、正直なところ財布が痛む。
見下ろした机には、作りかけの試作品があった。
「……そっか、世界で初めて着けてもらうっていうプレミアらしき何かで誤魔化せないかしら」
無理かな、とも思ったが、それくらいでないと生活が厳しくなってしまう。
国の研究者なので、平民にしては高給取りとして余裕のある生活をしているとはいえ、この値段のプレゼントが今のペースで続くとすぐに貧してしまう。それに、将来に向けた貯金もしておきたい。
きっと、製品化前の新しい魔道具とあっては価値が高いに違いない。と思いたい。
たとえ使う宝石の原価が銅貨数枚(銅貨十枚=銀貨一枚)程度だとしても、素人が磨こうとも、魔法を込めて形を作ればきっと銀貨五枚以上の価値があるはずなのだ。
台座に合うサイズの宝石を選び、やすりの目を変えながら根気よく丁寧に磨き上げる。
宝石を留めるための台座を用意して魔法陣を逆向きに針で刻み、その上に宝石を置いて爪を倒す。
台座の裏側にタックピンのパーツを付けたら完成だ。
ここまで、おおよそ一週間。
ほとんどが宝石を磨くのに時間を使ったので、きっとプロの職人に任せればもっと早くきれいにでき上がるだろう。
今回は、磨かれた宝石の中にサイズが合うものがなかったので仕方なくこの原石を磨いた。
宝石といっても、これはいわゆる半貴石。というか、仕入れている実験用の宝石はほとんどが半貴石だ。
半貴石とはいえ、品質の高いものや珍しいものは濁った貴石よりもよほど価値が高くなる。
リザリアーネは実家のつながりから知り合いの宝石商に頼んで箱買いしているので、比較的良心的な価格とはいえ、まぁいい値段を毎回支払っている。その中には、たまに小さな貴石や品質の良い半貴石が混ざっているのだ。
選んだ宝石は翡翠だ。
全体的に半透明で緑がかっているので、今手持ちの宝石の中ではかなり価値の高いものである。
自分の目の色にも少し似ているが、他意はない。
貰ったものに対してできるだけ価値が見合うように選んだらこれになっただけだ。
仕上がったものは、クラバットに着けられるシンプルなタックピン。
これくらいの大きさなら派手にならないし、邪魔にもならないだろう。目的があって着けてもらうので、毎日使ってもらいたい。場合によってはクラバットではなくカフスの代わりなど、見えないところでも邪魔にならないようコンパクトにした。
できたタックピンを、宝石磨き用の布で綺麗に拭き上げてから小さな箱に入れた。
それから五日ほどで次の十二日だったので、収支報告の書類と一緒に小箱を持っていった。
廊下を歩いていると、ちょうどダズルの監査室からウォーリーが出てきた。
「ウォーリーさん。おはようございます」
「おはようございます。そういえば今日は十二日でしたね。ラズール様ならいらっしゃいますので、どうぞ」
「ありがとうございます」
ノックをすれば、いつもの声が聞こえてくる。
「リザリアーネでーー」
言い終わる前に、ドアが開いた。
驚いたリザリアーネの前には、ダズルが立っている。
「どうぞ、中へ。ソファにおかけください」
「はい、ありがとうございます」
先に書類を手渡し、ソファに腰かけるとお菓子が用意してあった。
「では、書類を確認いたしますので少しお待ちください」
「あ、お茶淹れますね」
「いえ、そんな」
「いつも淹れてもらってばかりなので。ラズール様は書類をご確認ください」
さっと動いてダズルが手を出す隙を与えないでいると、彼はじっとリザリアーネを見た後でうなずいた。
「わかりました。お言葉に甘えますね、ありがとうございます。ですが、十分に注意してください。貴女の美しい手に傷がつくなどあってはなりません」
またしても温度のない表情で、甘い言葉である。
リザリアーネはダズルに苦笑を向けた。
「ラズール様、私はこれでも一応毎日キッチンに立っているんですよ。お茶を淹れるくらいなんでもありませんから」
そもそもが平民なのだ。
自分のことどころか人のことまでするのが普通である。
リザリアーネに限れば、一人暮らしとはいえ、料理をするといってもせいぜいお茶を淹れたりスープを作ったりちょっとパンを焙ったりする程度なのだが。
城下に惣菜屋が充実しているのが悪い。
お茶を淹れてテーブルに置く。
何故かダズルは執務机ではなく応接セットのソファに座って書類を読んでいたので、その前に一セット。自分の前にも一セット置き、ゆっくりといただいた。
用意されていた菓子は、フルーツジャムを乗せたクッキーだ。
いちごジャムはこっくりと甘く、マーマレードは少し苦味がある。
そのジャムを引き立てるバターたっぷりのクッキーがとても美味しい。
ふと、もしかして自分が来るとわかっていて用意してくれたのかと思ったが、監査対象のためにわざわざお菓子を用意するのもおかしい。きっと、ダズルのために用意した物を分けてくれたのだろう。
甘いものはあまり好きではないようなので、もしかすると誰かからの貰い物を出してくれたのかもしれない。
もすもすとクッキーを咀嚼しながら、リザリアーネは湧いて出た考えに封をした。
「確認が終わりました。こちらの金属枠というのは?」
「はい、製品化に向けたところで、魔法陣を刻む場所を考えていて。過去にも試されていたものですが、今回は思いついた方法で金属に彫るとうまくいったので、どこまで書けるか試作するのに多めに仕入れました」
「なるほど。……魔石にも応用できそうな方法ですか?」
「多分。ただ、魔石はちょっと高いので研究費で購入するのは後日にしようと思っています」
リザリアーネの説明に、ダズルはうなずきながら資料を確認した。
「もしも宝石での成功が確実で、小さな魔石でも成功するようでしたら、追加研究費を申請できますのでご相談ください。これはかなり画期的ですよ。魔石に魔法陣を刻むのは相応の魔力と熟練の技術がいることですからね」
「はい、ありがとうございます」
「貴女は、救国の女神のようですね。このところ、魔法陣を刻む職人が減っているのが問題視されているんですよ。もしも金属に魔法陣を刻む方法でうまくいくなら、魔力を持たなくても魔法陣を刻めるので職人を増やせる可能性があります」
そこまでは知らなかったリザリアーネは、言われたことを理解して両手を握りしめた。
「魔石に魔法陣を彫るには魔力が一定以上いりますからね。金属に彫るだけなら魔力はいりません。……たしかに、魔力の有無を気にしないなら量産化も視野に入れられそうです。ありがとうございます!そこまでは見えていなかったので、もう少し幅を広げられそうです!」
笑顔で言うリザリアーネを凝視したまま、ダズルはうなずいた。
収支報告が終わって、リザリアーネは小箱をダズルに差し出した。
「それで、えっと、今日はこちらをお渡ししたいと思いまして」
「こちらは?」
「素人の作で申し訳ないのと、実験にお付き合いいただきたいという図々しいお願いなんですが」
「もちろん、協力しますよ」
内容を伝える前に、ダズルは小箱を手に取った。
随分と前のめりである。もしかしたら、彼は魔道具が好きなのかもしれない。
「金属に魔法陣を刻むのはどちらかというとついでの研究なんです。こちらが本命で、この魔道具を使うと二時間後くらいまでの天気がわかるんです」
「天気……まさか、未来予知ですか」
バッと顔を上げたダズルに、リザリアーネは首を振った。
「いえ。どちらかというと過去のデータに基づく統計的な予測です」
未来予知などできたら、それこそ世界を変えてしまう。
リザリアーネは、この魔道具についてダズルに説明した。
読了ありがとうございました。
続きます。