その2
よろしくお願いいたします。
そのまま、無表情を崩さずにリザリアーネを見つめながらダズルは言った。
「魔法学園を首席で卒業し、上級院でも有用な研究を提唱した貴女だ。もし本気でやろうと思えば収支のごまかしくらい簡単にできるでしょうが、こちらは監査のプロだ。貴女の頭脳を持ってしても見逃すことはない。確実に気づくのでやらないように」
「……はぃ」
「使い古した白衣で誤魔化しているようだが、あなた自身が魅力的なのを隠すのならもう少しうまくやった方が良いでしょう。見ただけでわかってしまう」
「……えっと、はい」
無表情だし、態度はどちらかというと監査員らしいきつい物言いなのだが、何かがおかしい気がする。
リザリアーネが混乱している間に、ダズルはソファから腰を上げた。
「では、次はこの半年分の報告書をまとめて持ってきてください。優秀な貴女のことだからすぐにできるでしょうが、確認は大切です。一週間後に来てください」
ダズルに購入品一覧を渡され、リザリアーネは軽く頭を下げて受け取った。
「分かりました。来週持ってきます」
もうこれで終わりだろうと、監査室を出ようとした。
すると、ダズルが後ろから声をかけてきた。
「あぁ、貴女のような美しい女性が一人でうろつくなど危険極まりない。ウォーリー君、彼女を送っていってくれたまえ」
「……かしこまりました」
ウォーリーと呼ばれた補佐官は、冷えてでもいるのか、腕を逆の手でさすりながらそう言った。
もはや固辞する気力もなく、ウォーリーに送ってもらう。
彼も何やら疲れた顔をしていたので、気分転換の散歩のおまけだと思ってもらえばいいかもしれない。
そこでふと、彼が補佐官としてダズルの近くにいるなら、色々と知っているかもしれないと考えた。
「あの、お聞きしてもかまいませんか?」
「どうぞ。僕は貴族ではありませんので、そんなにかしこまる必要もありません」
リザリアーネは、少しだけ肩の力を抜いた。
「ありがとうございます。あの、さっきのラズール様の言葉なんですが、その。なんていうか。あれは、嫌味?なんでしょうか?」
優秀、はまぁ確かにその成績や研究結果に対してなら言われても間違いではない。しかし、美しいだの魅力的だの、かなり大っぴらに褒められた気がする。しかし実態はというと、飾りもへったくれもない一応清潔という程度のワンピースに色気皆無の白衣、梳かしただけの茶色の髪に、葉っぱ色の目。
正直に言えば、キラキラな金の髪を優雅にまとめて夕空色の瞳を持つダズルの方が、よっぽど美しいと思う。
「いえ、本心ですね」
しかしウォーリーはきっぱりと言い切った。
「え?いや、でも」
リザリアーネは、思わず自分の白衣を見下ろした。今気づいたが、襟のあたりに何かのシミが残っている。気づかれなかったと思いたい。
「ラズール様は、貴族でいらっしゃいますが基本的に嘘はつかない方です。お世辞も言いません。わりと本音をそのままおっしゃいますので」
くたびれたようにウォーリーにそう言われて、リザリアーネは困惑した。
「もしかして、いつでもあんな風におっしゃる方なんでしょうか」
「いいえ、あのような言葉は一度も聞いたこともありませんでした。むしろ、あの方が美辞麗句をのべられると初めて知りました」
「そうなんですか……」
言葉も出なくなったリザリアーネは、黙って研究所に向かって歩いた。
ウォーリーはああ言ったが、やはり嫌味なのだろうと結論付けた。
表情が固まっていたし、きっと疲れていて、のほほんと研究しているリザリアーネに嫌味の一つも言いたくなったのだ。
納得するリザリアーネを送りながら、ウォーリーは先ほどの上司を思い出してため息をついた。
「あれ、絶対無自覚だよ……」
小さなつぶやきは、誰にも拾われなかった。
魔法研究所に所属する研究員の仕事は、研究することだ。
必ずしも実る必要はない。どういった考えのもとでどんな方法で実現しようとしたか、という経過が大事なのである。同じ間違いをする人を減らすほか、その手法を後日確認したときに別のアイディアが浮かぶ可能性もある。失敗の過程すら研究のヒントとなる。
それが、王立魔法研究所の理念だ。
とはいえ、生活があるので小遣い稼ぎは必要になる。リザリアーネのように学園などで臨時講師をしている人は少なくない。
研究と臨時講師は必須のため、その合間を見て少しずつ収支をまとめ、一週間後の締め切りの前に書類を仕上げた。
ダズルは確認が大事だと言っていたので、一応数回見直した。ちょっとした書き間違えはあったが、根幹部分には間違いはなさそうだ。
提出の日、早い方がよかろうと考えたリザリアーネは、朝から監査室へ向かった。
書類の提出などささっと終わらせて、研究をしたい。
そう思って監査室のドアをノックした。中から聞こえた声はダズルのものだった。
「どうぞ」
「失礼します」
ドアを開けると、監査室の中にはダズル一人がいた。
補佐官のウォーリーは見当たらないので、どこかに使いに出ているのだろう。
「リザリアーネです。研究費の収支をまとめたので持ってまいりました」
「入ってくれ」
「はい」
部屋に入ったリザリアーネは、書類を持ったままダズルの執務机へ向かった。
ウォーリーがいないなら、直接提出するほかない。
「こちらです。半年分を書き出しましたので、お手数おかけしますがご確認ください」
「わかりました。すぐに目を通すので、そこのソファにかけて待ってください」
「かしこまりました」
提出したら戻るつもりだったのだが、すぐに確認してくれるらしい。
慣れている分、きっと数字に強いのだろう。
とはいえ、そこそこある収支を半年分だ。ある程度は時間がかかるとみて、リザリアーネはミニキッチンスペースに目をやった。
「今、ウォーリーさんはいらっしゃらないのですよね。お茶でも淹れましょうか」
リザリアーネがそう提案すると、収支の一覧から目を上げたダズルがさっと立ち上がった。
「待って。貴女がそんなことをする必要はありません。その美しい手に火傷でもしたらどうするんですか」
相変わらずの無表情でそう言い、リザリアーネが手出しする前にお茶を用意し始めてしまった。
待っている間は暇なので何かしようと思ったのに、逆にダズルの手を煩わせてしまった。
「貴女の唇に触れるにふさわしいものかはわかりませんが」
そっと出された紅茶は、いい香りを漂わせている。
―― って、そのセリフは若干セクハラでは。
ふとそう思ったが、ダズルは完全に無表情で下心どころか感情が一切伝わってこない。
自分が淹れると言った手前、淹れてもらって断るなど失礼である。リザリアーネは、そのあとは大人しくお茶を飲んで待つことにした。
これ以上何かしようとして、またダズルが動くなど手間をかけさせるのは本意ではない。
ぱらり、とダズルが紙をめくる音を聞きながら待っていると、柔らかく身体を受け止めてくれるソファも相まって一瞬意識が飛んだ。
ここで寝るなど非常識にもほどがある。
リザリアーネは、静かに深呼吸してからやりかけの研究について考えることにした。
読了ありがとうございました。
続きます。