その19
よろしくお願いいたします。
叙爵式のときにもらった候補の中から家名を選び、リザリアーネはリザリアーネ・マージェム魔法男爵となった。
その後は研究とダンスの練習だけで、あっという間に二ヵ月が過ぎた。
天気予測の魔道具については、天気予測の部分、目の中に文字や絵を映す部分、宝石と台座に分けた魔法付与の三種類をそれぞれ分けて商品に使えるように調整しなおし、魔法研究所から特許申請とともに公開した。
使いたい商家や工房などが、組織ごとに申請して利用できるようになっている。
そのあたりは、魔法研究所の専門部署に任せてしまった。
リザリアーネの実家も商品を作るつもりらしいが、実のところノータッチなのでどうしているのかは知らない。ただ、マリリアンヌに聞いた話は伝えておいたので、きっと貴族向けに何か作ることだろう。
夜会の日は朝から休みを取った。
ドレスはダズルが用意してくれるというので、採寸だけしてデザインの調整などは任せてしまった。正直なところ、イブニングドレスの流行などさっぱりわからないし、自分に選ぶセンスがあるとも思えない。生まれながらの貴族であるダズルや、助言してくれるティアティナに任せた方が安全だ。
靴は自分で用意した。ダズルから借りるイヤリングの地金が金であるのに合わせて金の刺繍が入ったもので、夜会でギリギリセーフな七センチヒールのパンプスだ。
正直なところ、そのパンプスだけでも購入するのはかなりの勇気がいった。今後は魔法男爵として手当てがつく分から支出することになるだろうが、その手当も社交用のドレスや靴で毎年消えていくのではないだろうか。
人手があるということで、昼前から馬車で訪れたのはラズール侯爵邸だ。またしても世話になることを恐縮するリザリアーネに、準備前のティアティナは微笑んだ。
「あら、そんなことかまわないのよ。リザリアーネさんはすべて初めてなんですもの。今後は当主として自分で準備を整えていかないといけないもの、きちんとした準備を知っておくのは大切よ。もちろん、わからなければいつでも聞いてくれたらいいわ」
「本当に助かります。私は多分、今後も魔法男爵ではあるものの普通の生活を続けると思うので、ドレスの着付けやメイクにどんな人を呼べばいいのか、とても参考になります」
どこかの貴族から人手を借りるにせよ、家政の派遣業者に頼むにせよ、どういう人材が必要かわからなければどうしようもないのだ。
その点、こまごまと教えながら準備させてくれるティアティナは本当にありがたい存在であった。
「そうねぇ、呼ぶつもりなら、行きつけのサロンを作っておくといいかもしれないわ。着付けやメイクもしているところね」
「確かにそうですね。知っている方が頼みやすいですし、依頼される方も仕事がしやすそうです」
うなずくリザリアーネに、マリリアンヌもうなずいた。
「いくつかご紹介しましょう。お店の雰囲気も大切ですけれど、結局は人との相性も重要ですから」
「マリリアンヌ様、ありがとうございます。正直に言えば、ドレスの着付けまでできるサロンというとあまり知らなくて。教えていただけると助かります」
本当に、ラズール侯爵家の人たちは親切だ。
その後、シャワーから始まり身体を磨いてドレスを着付け、メイクを施し、ヘアセットを終えたらジュエリーをつけて仕上げだ。
何時間もかかると言われて「着替えごときでまさかそんな」と思っていたが、本当に五時間以上かかった。そして、それだけ時間をかけただけあって、驚くような仕上がりになっていた。
ありきたりな茶色の髪は丁寧に櫛けずられて艶やかにまとめ上げられ、おくれ毛がほんのりと色気を足している。化粧によって整えられた肌は滑らかで、顔色もよく見える。夜空の色から夕空色へと変わるグラデーションのすっきりしたイブニングドレスは見た目よりも動きやすく、露出も控えめなので嬉しい。ロンググローブは指が出るタイプなので、ジュエリーに合わせた金糸のバッグを落とす心配も少ない。
しかも、ドレスの抑えた色味のおかげか、リザリアーネの葉っぱ色の瞳がまるで宝石のように輝いて見える。いやこれは、アイメイクの効果かもしれない。
何も言わずに着けられたネックレスは、ダズルが貸してくれたイヤリングと揃いのデザイン。
思わず着けてくれたメイドをぎょっと見てしまったが、彼女たちはにこやかにスルーした。絶対、確信犯だ。
もはや変身といってもいい着替えを終えると、少しだけ時間があったのでお茶をもらった。
バッグの中身は、ハンカチとリップだけ。招待状はパートナーの男性が持つものらしいので、もうダズルに預けていた。
背中が広めに開いたドレスのデザインもあって、コルセットも背中部分が開いており、若干控えめに締め付けている。むしろコルセットは無しにしたかったが、さすがにそうはいかないらしい。
コルセット無しでドレスを着るのは、妊婦かケガ人だけだと聞いたので諦めた。
温かいお茶で一息ついていると、ダズルが迎えに来た。
「お待たせいたしました。そろそろ……」
何か言いかけたダズルは、リザリアーネを目にして続く言葉をのみ込んだ。相変わらずの無表情だが、こちらを凝視する目は瞬きも忘れているようだ。
どこかおかしかっただろうか、とドレスを見下ろしたが、ほつれ一つない美しいサテン生地が光を柔らかく反射しているだけだ。
困ったリザリアーネはダズルを見た。ダズルは黒いイブニングコートを着こなしていて、タイやチーフなど小物は緑色。ちらりと見えるイブニングコートの裏地も同じ緑だ。黒と緑という取り合わせがなかなか洒落ている。
いつもさっとまとめているだけの金髪は丁寧に上げて額を見せる形になっており、雰囲気がまた違う。
「ダズル様、とても素敵ですね。伯爵様らしい落ち着きが感じられます」
リザリアーネが思わずそう言うと、ダズルはハッとして何度も瞬きを繰り返し、それから頬を緩めた。
もう一度言う。
ダズルが、頬を緩めた。
思わずダズルの表情の変化に目を離せないでいると、気づけば彼はリザリアーネの手を取っていた。
表情もいつもの無に戻っている。
「リザリアーネさんは、いつもに増して美しいですね。深い色のドレスがすばらしく貴女の麗しさを引き立てています。以前のアフタヌーンドレスもよく似合っていましたが、今回はさらに肌に映えて目を奪われます。メイドたちには特別手当が必要ですね。貴女のかぐわしいほどの魅力が余すところなく引き出されていて輝かんばかりです。きっと今日の夜会では、誰もが麗しい貴女に惹きつけられます。……素晴らしすぎて、少々不安がありますね。僕が傍にいますので、あまり離れないようにしてください。僕が離れる場合は、義姉上に傍にいてもらうようにしましょう」
前半はいつもの美辞麗句が飛び出したので照れただけで終わったのだが、後半の言葉を聞いてリザリアーネは首をひねった。
「不安、ですか?何か良くないんでしょうか」
「貴女の魅力にあらがえずに近づく輩がいるでしょうから。僕がパートナーとして傍にいても、完全にガードできるかわからないほどですよ。どうか、リザリアーネさんも気をつけてください」
そっと手を引いて立たせたダズルの表情は、もう温度のないものに戻っていた。
けれども、その夕空色の瞳だけは色を強くしたように感じた。
「そんなことはないと思いますが、一応気をつけますね」
リザリアーネが了承したのを見たダズルは一つうなずき、懐から何かを取り出した。
「仕上げはこれです」
リザリアーネの左手を取ったダズルは、その小指にするりと指輪をはめた。
読了ありがとうございました。
続きます。




