その16
よろしくお願いいたします。
従僕の小声の指示に従い、中央に敷かれた赤いじゅうたんの上をゆったりと歩く。両側には、多くの貴族が思い思いに立っていた。
視界の端にマリリアンヌが映った気がしたので、きっと夫とともに来てくれているのだろう。
あちこちから声が聞こえてきて、どちらかというと好意的な雰囲気だと思えた。
言われたところで立ち止まり、ティアティナに指導された通りの中腰の姿勢で待つ。
後ろに控える従僕には何も言われなかったので、多分これでいいのだろう。
数十秒ほどで、王族入場の通達があった。
そのままじっと待つと、周りの貴族たちも礼をとるような衣擦れの気配がし、前方から数人分の足音が聞こえた。
しばらくは人が移動する音だけが響き、リザリアーネは根性で中腰の姿勢を保った。ドレスが足首まであるので、少しばかりずるをしているがそれくらいはいいだろう。
「面を上げよ」
重厚感のある声のあと、たっぷり一秒とってからゆっくりと元の姿勢に戻った。
ティアティナに言われた通り、二メートルほど前方の地面を見る形である。視界の上端には、王族が座っているらしいのが映っている。
豪華な椅子に座る王族の横に立った男性が話を進め、リザリアーネはその話をぼんやりと聞いた。
簡単にまとめると、新魔法男爵の叙爵の理由、新しい魔道具と魔法の有用性、魔法爵は一代限りで領地を持たないこと、年俸が与えられること、家名は後日通達されることなどだ。それを、リザリアーネにはよくわからない装飾を施した言葉で長々と説明された。一瞬意識が飛んだのは秘密である。
「では、叙爵を執り行う。新魔法男爵はこれへ」
司会の男性の言葉の後、従僕が小声で指示するままにゆっくりと段になった部分のすぐ下まで歩いた。そこで待つように言われたので、まずは目線を下げて立ったまま待った。
次に、多分国王らしい豪華な衣装が視界の端の方で動き、そのままリザリアーネの前に立ち止まった。
「素晴らしい成果である。新魔法男爵にふさわしい。これからも国に貢献してほしい」
司会の男性よりも若干高いが不思議なほどに響く声は、国王なのだろう。
従僕が指示してくれたので、その場で深めのカーテシーをとる。そのリザリアーネに、国王自らサッシュをかけてくれた。
一瞬身体の芯が震えたが、リザリアーネはぎゅっと手を握って意識を逸らした。
サッシュを受け取ると同時に、周りの貴族たちから大きな拍手が向けられた。従僕の指示によって数歩下がり、もう一度カーテシーをして待つ。
国王が椅子に戻ったタイミングで従僕が教えてくれたので、改めて背筋を伸ばして立ち、もう一度王族に向かってカーテシーをとったあと、周りの貴族に向けて順番にカーテシーを取っていく。
拍手と歓声の中、叙爵式は終わりを迎えた。
最後に、国王からの言葉があった。
「新魔法男爵は、平民ながら貴族のマナーをすでに身につけている優秀な人物である。次の社交界の最初に行う王城の夜会においては、新魔法男爵の披露目も兼ねようと思う。都合のつく者は参加して歓迎してほしい」
目を見開いて驚いたリザリアーネは、しかし何も答える権利を持たないため、ただ深く礼を取って感謝の意を示すことしかできなかった。
―― しまった!もしかして、もっとマナーが身についてなかったら夜会とか言われなかった?!やっちゃった?!
すべて、後の祭りである。
衝撃を呑み込んで理解しようとしている間に、気づけば元の控室に戻っていた。
隣にはダズルもいる。うすぼんやりと、広間を出てすぐにエスコートの手を差し出してもらったような覚えがある。
手に持った紅茶は少し冷めており、ダズルは隣でこちらを見つめていた。
テーブルには一枚の紙が置いてあった。確か、家名はここから選んでほしいという話だったように思う。
紅茶のカップをテーブルに置いたリザリアーネは、家名がいくつか並べられた紙を手に取った。
目は家名が書かれた文字を追うのだが、頭に全く入ってこない。
困ったリザリアーネは、部屋に控えていた従僕に聞いた。
「あの、家名はまた後日お伝えしてもいいでしょうか?今はちょっと、混乱していて選ぶこともできなくて」
「かまいませんよ。決定期限は二週間です。それを過ぎる場合は、陛下がお選びになった家名となりますのでご了承ください」
「わかりました」
猶予を貰ったリザリアーネは、叙爵に関する予定をすべて終えたため、城を後にした。
エスコートされて柔らかな椅子に腰を落ち着け、馬車の扉が閉まったとたん、リザリアーネは力が抜けた。
もはや精も根も尽きた感じだ。
目をつむるだけで眠れそうである。
「お疲れでしょう、休んでください。着いたら起こして差し上げますので、気にせずにどうぞ」
そう言ったダズルは、馬車に置いてあったひざ掛けをリザリアーネにかけてくれた。
「ありがとうございます。少し、休ませていただきます」
ほっとして目を閉じると、意識が沈んでいった。
眠りに入る直前、前の席に座っていたダズルが隣に移動したような気がした。
気がつくとリザリアーネはダズルの腕の中で、横抱きにして運ばれていた。
「だ、ダズル様!もう大丈夫ですので、下ろしてください」
「おや、起こしてしまいましたか。問題ないので、そのままで。顔色もあまり良くない」
ぐっと近づけるように抱き上げられ、下ろしてもらえないと悟ったリザリアーネは大人しく待つことにした。暴れて落ちるなんて恥ずかしいし、迷惑もかけてしまう。
離れがたい、なんていう自分の感情は見ないふりをした。
応接室のソファまで運んでもらい、一息ついたところでティアティナがやってきた。
「お疲れ様。大変だったでしょう?主役ですものね」
「ありがとうございます。ティアティナ様のおかげで、なんとかやり遂げました。あっ、ただその、陛下が突然夜会をとおっしゃって」
「まぁ、夜会?いつかしら」
思い出そうと、リザリアーネは斜め上を見た。
「確か、次の社交界で行われる、最初の王城での夜会で私のお披露目会を兼ねようと」
リザリアーネの言葉に、ダズルがうなずいた。
「デビュタントパーティで、リザリアーネの披露目も行うとおっしゃっていたんです」
「王城でのデビュタントパーティ……それなら、あと二ヶ月ほどあるわね」
まったく理解していなかったのだが、あとほんの二ヶ月ほどで夜会となるらしい。
「夜会……え、夜会?パーティですよね。え?私、パーティなんて一切知識がないんですけど」
リザリアーネは、思わずダズルを見上げた。
すると、リザリアーネを見ていたダズルはしっかりとうなずいた。
「問題ない。ドレスは僕が用意するし、エスコートもしよう」
「マナーは私が教えてあげるわ。大丈夫、叙爵式よりもずっと決まりは少ないから」
ダズルとティアティナが当たり前のようにそう言ってくれた。
「っ、何から何までありがとうございます。あ!ダンスとかあるんでしたっけ」
それを聞いたダズルとティアティナは、顔を見合わせてうなずいた。
「実質デビュタントみたいなものですものね。最初のワルツくらいは踊らないといけないわ。それも練習しましょう。ダズル、いいわね?」
「はい、もちろんです」
ダンスの練習まで引き受けてくれるという。
リザリアーネは、二人に向かって頭を深く下げた。
読了ありがとうございました。
続きます。




