その13
よろしくお願いいたします。
「最初の位置についてからは、その姿勢で待って。靴は低い方が楽でしょうね。リザリアーネさん自身が叙爵するのだから、そこは飾るより実用で構わないわ。格式は必要だけど、歩きやすいものを選んでね。手はここに、そう。顔は下げすぎないで、目線は斜め下、このあたりにね、いいわ。これで大丈夫。じゃあ、一回普通に立って。もう一回待つ姿勢に。……それならいいでしょう。あちらの鏡を目線だけで見て。わかる?この形を覚えておいて、家でも練習してね。じゃあ次は、呼ばれて歩くときね」
ティアティナは、優しい言葉で厳しく指導するタイプだった。
マナーを教わるなど十年以上ぶりで、自分では何も覚えていないと思っていた。
しかしそういえばリザリアーネに教えてくれたマナー講師は元男爵令嬢で、父の知り合いの商会に請われて嫁入りした人だった。そのマナー講師に、貴族の顧客にもキリギリ失礼にならないように、と言われて教わったことを思い出した。
まずは姿勢からはじめ、頭のてっぺんから糸でつるされたつもりで立つように、と言われたのだ。子どもだったリザリアーネに合わせて遊びのような方法で教えてくれていたが、意外と身体が覚えていて、ティアティナ曰く覚えが早かった。
「ありがとうございました、ティアティナ様。流れも分かったので、知らないが故の不安はなくなりました」
今日は午後から休みを取り、基本的な流れや立ち位置、マナーを一通り教わった。これを無償で対応してくれるというのだから、ティアティナには頭が上がらない。しかし彼女は、新興貴族をサポートするのは高位貴族の当然の義務だと言ってのけた。
ちなみに、名前で呼ぶように言ったのはティアティナ本人だ。元侯爵夫人、と呼ばれると年を感じるので嫌なのだそうだ。
「よかったわ。じゃあ、あとは家で復習してね。また次は三日後、仕事の後でいらっしゃいな。どうせダズルが送るんでしょう?ついでに、ダズルと一緒にここで夕食をとっていってちょうだい」
時間が合えば送ってもらう、という話をポロリと零した結果、なぜか侯爵家の夕食に呼ばれてしまった。
「ティアティナ様、私まで夕食をいただくわけには」
「いいのよ、ついでにちょっとだけマナーもね。普通の食事だから、服装は気にしないでいいわよ。それにあの子、伯爵をもらってからは分家になったからとかなんとか言って、なかなか顔を見せてくれないのよ。自分の家が気楽なんでしょうけど、何もなくてもたまには一緒に食事をしたいの。だから、連れてきてくれると嬉しいわ」
ティアティナはにこりと微笑んだ。
そんな風に言われると、ものすごく断りづらい。なるほど、こういう表現でうまく相手を動かすらしい。いろいろと教わっている手前、希望をかなえる手伝いをと言われれば受けるほかない。
「かしこまりました。食事のマナーはとても不安がありますので、教えていただけると本当に助かります。無礼があってもご容赦ください。それから、ラズール様……ダズル様が来てくださるかまではお約束できなくて」
「心配しないで、家での食事ですもの。ステーキを手づかみで食べるなんてことじゃなければ問題ないわ。ダズルの方はそうねぇ、渋るなら助けを求めればいいのよ」
眉を下げるリザリアーネに、ティアティナは楽しそうに言った。
「助けを、ですか」
「そう。『さすがに侯爵家の食事会に一人で参加するのは不安なので一緒に来て』とか何とかいえばいいのよ。まぁ、リザリアーネさんが普通に『一緒に来てほしい』って言うだけでほいほい来そうですけどね」
若干息子の扱いが雑なティアティナの言葉にそんなことはない、と言いかけたが、そういえば普段から無表情ながらあれこれリザリアーネを気にかけてくれるダズルなので、本当にちょっと頼むだけで大丈夫な気がした。
うまく言葉を選べなかったリザリアーネは、ただシンプルに肯定した。
「かしこまりました」
「うふふ、楽しみだわ」
にっこりとしたティアティナの嬉しそうな笑顔に、なぜかほんの少し不穏なものを感じたのであった。
ダズルに頼んでみたところ、彼は二つ返事で一緒に行くと言ってくれた。頼むまでもなかったので、ある意味で肩の荷が下りてほっとした。
そして三日後、定時で仕事を終えてダズルの執務室を訪れると、すでに片付けを済ませていた彼に連れられて侯爵邸に向かった。
一応、毎日姿見を前にして練習を重ねていたが、これで合格を貰えるのかという不安もある。そもそも、この間教わったときだってかろうじてこれなら、という意味合いが強かったと思うのだ。
夕食に呼ばれたことももちろん心臓に悪い。しかしそれよりもまずはマナーの方だ。むしろ、それにかまけることで叙爵するという重圧から目を反らしている自覚がある。
少しでも自分が男爵になるという事実を直視しないでいいように、研究にも熱が入っていたし、家に帰ってからもマナーの復習を繰り返していた。
ふと思い出すと、のしかかってくる責任から逃げ出したくなってしまう。
リザリアーネへの期待が形になったものだということはわかっている。それに、今後は女性の貴族当主を増やそうという意図もある。実力さえあれば取り立てるという国の方針を示すパフォーマンスでもあるのだろう。
それを外から見ているだけなら、夢のある話だと思うだけだ。
しかし、その中心に据えられるのが自分なのだ。
もはや夢だと思いたい。
馬車でぽつりとそれらの弱音を吐き出すと、ダズルがリザリアーネの手を取った。
「リザリアーネさん。知らないことは恐ろしいと思います。ですが、僕は貴女と全く違う存在ですか?毎日のように会いますが、常に責務に追われているように見えますか?」
夕空色の瞳を見上げたリザリアーネは、いつものダズルを思い出すために目線を動かして、それから首を横に振った。
「いいえ。きちんと責任を果たしていらっしゃるとは思いますが、追われているようには見えません。それに、ラズール様は」
「ダズルでいいですよ。ラズールは何人もいるので」
ダズルは、リザリアーネの手を握る手に力を込めた。手のひらが触れ合い、熱が伝わってくる。
「っ……。そ、の。ダズル様、は、私と同じ、人です」
無表情なまま、ダズルはゆっくりとうなずいた。
「そうです。別の人間ではありますが、謎の超人ではありません。眠ければ寝て、腹も減って、夕方には仕事で疲れる普通の人間です。貴族になるからといって、リザリアーネさんが何か変わることはありませんよ。それに、魔法男爵なのでそもそも重視されるのは研究者としての仕事です。今まで通り、貴女は思うがままに素晴らしい才能を発揮されればいいのです」
ある意味で、リザリアーネ自身よりもリザリアーネのことを信じてくれているのかもしれない。
あまりにもはっきりと言い切ってくれたので、少しだけ身体の力が抜けた。
「ありがとうございます。あとは、できるだけ目立ちたくないです。貴族の方に囲まれて話しかけられても、何をどう答えたらいいのかわからないので」
それを聞いたダズルは、一瞬固まった。
「……それは、難しいかもしれません」
「やはり、目立ってしまいますよね」
なにせ、平民からの叙爵というのも珍しければ女性の叙爵もほとんどない。多分、平民の女性が叙爵するのは国が始まって以来のことなのだ。
珍しいから目立つのは仕方ないのだろうと思っていたら、ダズルは首を縦に振った。
「ええ、どうしても目立つでしょう。なにせ、麗しい貴女が貴族の流儀に合わせて着飾るのです。きっと輝かんばかりに皆が視線を奪われます。そういえば、母と一緒にドレスを選んでいましたよね。あのドレスを着た貴女の美しさに、きっと叙爵式に同席した貴族たちや王族までもがひれ伏します」
久しぶりにダズルの美辞麗句の直撃を食らったリザリアーネは、頬を染めて苦笑した。
「そんな人はいないと思いますが、着飾るならよけい目立つでしょうね」
「事実ですから」
すんとした無表情で繰り出される甘い言葉は、いつ聞いても心臓に悪い。
読了ありがとうございました。
続きます。




