表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ブックシェルフ

誰も彼女の話を聞くものなどいなかったので

奴隷聖女の別√ 神託が正しく共有されて聖女が発見されて、聖騎士がその時点で聖騎士やってたというか親世代 聖女以外の視点、三人称視点? バッドエンド


王国に聖女誕生の神託が下り、実際に神託の聖女が見つかったのは五年後のことだった。田舎の貧しい寒村は聖女の加護で飢えを逃れた。けれども聖女の母親は混血の奴隷女で、父親が誰かわからない子を孕んだものだから迫害されていた。食物も満足に与えられない親子は痩せ細っていたが、神殿は聖女である娘だけを王都にある大神殿へと連れ帰った。

貧しい奴隷だった娘を綺麗に洗ってみれば顔立ちそのものは整っていて、ちゃんと食わせてふっくらすれば見栄えのする聖女になるだろうと思われた。それまでの暮らしよりはマシだからか、娘は味気のない精進料理を文句も言わずに食べ、教えられたことを素直に覚えた。飾り気のない白いローブに不満を漏らすこともなかった。

聖女の加護は神殿の周囲にも表れ、大地の恵みが溢れた。しかし大神殿の周囲は農耕地ではないのであまり恩恵を受ける民はいなかった。聖女が目にする範囲でしか加護の効果は出ていなかった。神に問えば聖女の力は未だ覚醒しておらず、それは片鱗に過ぎないこと、彼女が知識として知らないことは起きないことがわかった。中庭の植栽が好き勝手成長してちょっとした林のようになったのも加護によるものらしい。神官が試しに娘に果物を与えれば、いつの間にか中庭の林にその木が加わって実を付けていた。誰かが食べさせたのか、果物に混じってソーセージが木になっていたこともあった。誰かがそっと訂正したのか、いつの間にかなくなった。

飢えずに済むようになって娘はやせっぽちではなくなったが、栄養が十分ではないのか成長は不十分なままだった。少し艶の出た髪は光を紡いだような淡い色をしていて光の下では虹色に煌めく。その瞳は灰に近い色をしていたが、目を合わせたものの心を映し込んで容易く彩りを変えた。大人でさえもじっと見つめられれば全てを見透かされそうな気がして怯んだ。それに音を上げたのが神官長で、娘に顔を隠すベールを被って人前に出るように言った。表向きの理由は聖女として神秘性を保つためだった。娘は割とはっきり感情が顔に出る方だった。

聖女は奴隷の娘ではあったが愚かではなかった。しかし生まれついての聖女であるからか、常人のような気の使い方ができなかった。育ちのせいか富や身分に対する忖度をしなかった。人間たちが使う建前に理解を示さなかった。

娘は誰に対しても偉ぶることはなかったが、逆にへりくだった態度も取らない(言葉遣いは教えられた通り丁寧ではある)ので、貴族生まれの者からは評判が悪かった。奴隷の娘なので奴隷聖女と陰で呼ばれた。そうは言っても、王族ならともかく、神託の聖女となれば将来は神殿のトップかナンバーツーくらいにはなってもおかしくない身ではあるので、ただの貴族にへりくだる必要なら元々ないのだが。

また聖女に取り入って何か恩寵が得られないかと考えた者が表向き優しく娘に接してみても、何ら特別な恩恵は与えられなかった。流石に危害を加える者こそいないが、段々と娘に優しくする者はいなくなっていった。

そんな中で、娘の故郷の村で娘の母親が村人たちの虐待によって死んだ。その数日後には村から聖女の加護はさっぱり消え去り、元よりも恵みが乏しくなった。機序は不明だが、娘が村への関心を失ったからだろうと思われた。娘が成長して立派な聖女となれば、当然国全体にその恩恵がもたらされるだろうと考えていた神殿と王家はうろたえた。

神殿の中に囲い込まれた娘にとって、囲いの外の世界は絵画も同じ、ただそう見えるだけのもの。彼女の現実ではないから、そこに加護(いろ)を付け足そうとは思わない。成長しようとも、このままなら聖女は国を救ってはくれない。

そしてやっと、神託は聖女がどのように生まれるかだけでなく、その生まれた聖女に人間たちが慈愛を与え愛を教えなければならないと言っていたことを思い出した。愛を教えろと言われて彼らが思いついたのは聖女と王子を婚約させることだった。速やかに娘と最も年の近い第三王子の婚約が進められた。王位を継ぐのは余程のことがない限り兄らになるだろうということで甘やかされ自由に育ってきた王子は青天の霹靂に酷く反発した。生地も仕立ても良いものとはいえ、飾り気もない白いローブと顔を隠すベールをすっぽりかぶった娘を陰気だと蔑んだ。娘は一切反論しないどころか返事もしなかった。

第三王子は婚約するなら美しい自分に相応しい美しい娘がいいと言って聞かなかった。ある日相応しい娘が見つかったというので話をよく聞いてみるとベールを外した聖女のことだった(王子は気付いていない)ので大人たちは適当に誤魔化し宥めすかし、これで安心だと言い合った。その一目惚れした娘が聖女だと気付けば王子は娘を愛するだろう、と。

しかし娘は王子が惚れた娘が自分のことだと言わなかったし、王子も全く気付かなかった。娘は王子に心を開く素振りが一切なかったし、王子も聖女に歩み寄ろうとはしなかった。大人たちが交流を持たせようとしてもうまくいかない。幼すぎて社交界デビューもできないからパーティにエスコートさせることはできない。婚約者として手紙や贈り物を交わすこともない。明らかに関係が破綻している。かといって聖女に他の王族と婚約を結び直させようにも王子が娘に一目惚れしているのが問題だ。王子が後から気付いた時に確実にもめる。そもそも年齢の近い未婚の王族は聖女より更に幼いほぼ生まれたばかりの王子と、傍系王族、王弟などだった。第三王子の時点で三歳差だが、それ以上となると10歳近く年上だとか、それ以上だとかになる。まあ、王族の務めを理解出来ていれば礼節をもって接することもできるだろうが、奴隷の娘を自分から娶ろうという者はいなかった。聖女を娶って不貞などできようはずもないが、そもそも聖女が純潔を失っても大丈夫なものかわからないから抱くこともできない。禁欲を強いられることになるのだ。


ある意味で膠着状態にあった事態を動かすことになったのは、第三王子の王立学園への入学だった。国中の貴族が通うことになる学園は人脈を作り派閥の繋がりを強めるためのものでもあるし、婚姻相手を探す場でもある。学園で知り合い仲良くなった令嬢に甘い言葉を言われてその気になった王子がまた聖女との婚約を破棄しようとし始めた。そうは言っても大人たちは一切相手にしないし、聖女の側に非など生まれるはずもない。だからといって王子自身の責で破棄するのは本人のプライドが許さなかった。

そんな中で珍しく王子は聖女に王都で評判の菓子を贈った。娘は王子からの贈り物と知らずにそれを食べて倒れた。菓子には毒が仕込まれていた。致死性のものだった。王子は聖女など死んでも他の者が選ばれるだろうと思っていた。当然ながら神殿は騒然となった。聖女の死が確認され、どうするべきかと紛糾した。

死から一日して、娘は何事もなかったかのように起き上がった。毒の菓子を吐き出して踏みにじった。

「あなたがたの考えはわかりました」

王子の命令で菓子に毒を仕込んだ側近が、突然苦しみだして泡を吹いて死んだ。まるで毒を飲んだかのようだった。

生き返った聖女は、もはや静かに黙って唯々諾々周囲の人間の言う事を聞きはしなかった。ベールで顔を隠したりはせずに神官たちの会議に乗り込んだ。人間みの薄い冷たい目で神官たちを見回し、言い放つ。

「神の子である私を奴隷と蔑むものに神官を名乗る資格はありません。己に相応しい役目を果たすと良いでしょう」

聖女の後頭部で光背(ハロー)が輝き、その光を浴びた者たちの姿が変化する。聖女を蔑みはしても己の務めはきちんと果たしていた者は好んで食べていたものに合わせて獣の耳や尾が生えてきた(例えば肉を好んでいたものは肉食獣、野菜ばかり食べていたものは草食動物など)だけで済んだ。務めをいい加減にしていたものは馬や羊などの家畜に、務めを放棄していたものは豚や牛などの食肉家畜になった。一気に獣臭くなった会議場が阿鼻叫喚になるのを気にせず、聖女は神殿を出た。

聖女が迷わず向かった先は王宮だった。聖女の顔を知る者は王都にはほとんどいなかったが、彼女が聖女とはわからずとも、只人ではないことは頭の働く者なら皆分かった。彼女が歩く度、周囲の植物が成長し枯れていく。石を投げた者もあったが、自然と跳ね返された石に打ち殺された。遠巻きにする民衆を一瞥もせず、聖女は堂々と王宮に足を踏み入れた。道を阻もうとした兵士もいたが、聖女に一瞥されただけで怯んで立ち塞がり続けられなくなった。

聖女の死を受けての緊急招集が行われていた議会にも聖女は乗り込んだ。貴族王族もほとんどが彼女の顔を知らなかったが、その特徴的な姿から正体に気付く者はいた。

「聖女様?!…聖女様が死んだというのは、神殿の誤報だったのですね」

「いいえ。人間だった私は死にました。今此処に立っているのは私の神の子としての、不死の部分です」

聖女が右手を掲げると、王笏がひとりでに飛び出して聖女の手に納まった。かつて神から人に与えられたアーティファクトを起動し、聖女はその声を王国全土に響かせる。

(おとう)さまはあなた方に聖女に慈愛をもって接するようにおっしゃいました。ですから、あなた方が私にしたことが、あなた方にとって慈愛ある行動であると私は理解しました。私もあなた方にそう振舞いましょう。逃げ出せぬよう囲い閉じ込め、飢えぬ程度の食物を与え、己の都合を押し付け、最後には甘い毒を与えて殺しましょう」

聖女の宣言と共に大地が大きく震えた。王国を取り囲むように峻険な山脈が現れ、その周囲に深い谷が出来た。どういうことかと言えば、何ということはない。谷が出来た分山が増え、山が増えた分谷が深くなったのだ。険しい山を越えるためには過酷な山道を越える体力と技術が必要であり、谷は橋を渡さねば渡れない。只人では王国の内外を行き来するのは困難になった。あるいは鳥のような翼があればどちらも越えられるかもしれないが、高山を越えるのは鳥であっても強靭な翼が必要だろう。

「この身はもはや子を成すことができません。ですから王国の民を我が子のように扱いましょう。あなた方がそうするように」

「反乱を起こす気か?!」

「反乱?何を言っているのです。私は地上に降りた神です。元よりあなた方のしもべではありません。神は自らを信仰する者のために祝福を与えるものだと(おとう)さまは仰っています。私を蔑むものに特別目をかける理由はありません」

「聖女が乱心した、者ども、出合え!!」

兵士が聖女に刃を向ければ、聖女が何もしないのにその刃は兵士に返った。聖女を傷つければ、その倍の傷を負う。神の子である彼女はもはや生物ではないので今更どんな傷を負っても死にはしないが、ただの人間は深い傷を負えば死ぬことになる。自他の血で赤く染められる聖女を見て、貴族たちは恐慌に陥った。

「痛いです…あなた方は傷つけられる痛みを知らないのでしょうね」

聖女が腕を振るうと、聖女への攻撃を命じた者にも同じ傷が生じ、その衝撃で絶命した。聖女はけだるげに自分の顔についた血を拭う。

「人の話は最後まで聞くものです。…ええと、何処までお話ししたのでしたか。…ああ、我が子で補うことはできませんから、今あるものでどうにかするという話でしたね」

聖女は穏やかに笑う。ある意味でそれはこの場、この状況に似つかわしくないものだった。例えば陽だまりの花園の中で美しいドレスを着てそのような笑みを浮かべていれば、惚れてしまう人間はいくらでもいただろう。だが、現実には数多の傷ついた兵士たちの血だまりの中彼女は血まみれで立っている。ぞっとしても当然だった。

「そもそも、あなた方が混血を忌み嫌うのが間違いなのです。(おとう)さまは確かに始まりの素体としてヒュムを作り出しましたが、それ(・・)を維持することは望んでいません。残してはいけないわけでもありませんが…環境に合わせてそれぞれに進化していくことをお望みです。その為に、移り変わりやすく作られたのですから」

(おとう)さまに言わせると、"初期アバター縛りを一人で勝手にやってるのは個人の自由だけど、他の奴にまで強制されるとそれは害悪なんだよね。俺は多様な生物たちがそれぞれに文明を作っていくところが見たくてこの世界を作ったのにさ"ということです。(おとう)さまが私を混血の娘として送り出したのも当然、そちらの方が善いと思われたからです」

王国と神殿の価値観の上では、ヒュムが至上であり、他の種族は下等のもので混血は忌むべきものであった。それが間違いだと聖女は言う。

(おとう)さまが私を遣わせたのは、地上から神への信仰を騙る背信者を滅ぼし、正しく神を信仰するものを増やすためです。ですから、選んでください。神の望む通り進化するか、神と決別し祝福を受けずに生きていくか、あるいは、背教者として死ぬか。私は選択の強制はしません。困難苦行の強制もしません。ただ、私の権能の及ぶ範囲、この大地のもたらす恵みは人を進化させるものとなります。平たく言えば、私の権能の届くところにいるものは、成長過程で種族が変わるようになります。…ああ、大人だから効果が出ないということはありませんよ。生物は死ぬまで成長し続けることができるのですから」

そう告げ、聖女は説明は終えたとばかりに会議場から出ていった。その足取りは軽い。道中生えてきた木の実をもいで齧れば負った傷は見る間に癒えてなくなった。返り血や流れた血はそのままだから服は血に汚れたままだが。

何事もなかったかのように神殿の自室に戻り、聖女は汚れた衣服を脱いで沐浴場で身を清める。斬られて穴が開いたりしているのでもうその服は着られないだろう。

聖女の身の回りの世話をしていた者は下級神官だったため、会議に参加しておらず光を浴びていなかったのでまだただのヒュムのままだった。しかし勿論聖女が国中に響かせた声は聞いていたから悲壮な顔をしていた。彼女もまた聖女を影で奴隷と蔑んでいた者の一人だった。

「せ、聖女様、お許しください」

「何をですか?」

心底から不思議そうに聖女は首を傾げる。もっとも聖女はこの神官が彼女を蔑んでいたことを知らないわけではない。否、寧ろ知っているからこそ不思議そうにしている。彼女としては神官たちへの沙汰はもう終わったことであるので、これからも神殿で神官としてあり続けたいのであれば心を入れ替えて己の仕事をきちんとしろということにしかならない。彼女には目の前の神官を殊更に特別扱いにする理由もない。

「私は化物になりたくありませんっ…」

「化物、ですか?私は人を化物に変えることはありませんし、変えたこともありませんが」

「上級神官たちを獣の耳付きにしたり、馬や豚などにしたそうではありませんかっ…悍ましい」

「混ざり物は化物ではありませんし、動物は動物です。その方の所業に相応しい姿に変えただけですよ」

「聖女様はこの国の民全てをあのような姿にされるおつもりなのでしょう?!」

「ええまあ、そうなりますね」

「私は今の姿のままでありたいのです!!」

「そうしたいのならそうすればよいでしょう。私に訴えたところで、それは叶えられませんし、叶える理由もありません。…ああ、どうすればよいかわからないということですか?この地にいる間は私が殺されるより以前に私の知らぬ土地で収穫されたものだけを食べ、飢え死ぬより前にこの国から出ていけばよいでしょう。今のところ、私の権能の影響の及ぼす範囲はこの国の中だけにしてありますから」

「ですが、あなたは私たちを逃げ出せぬよう閉じ込めると仰いましたよね?ただ国境に向かうだけで国から出られるのですか?!」

「ええ、簡単には出られないように、そして入って来ることもできないようにしました。出入り不可能とまではいかないと思いますが」

聖女はそう言って、冷たく微笑む。

「あなたは私を沐浴から上がった裸のままでいさせるために来たのですか?着替えを手伝ってくれるわけではないのなら、立ち去ってください。今更風邪を引いたりはしないと思いますが、体が冷えるのは心地良いことではありませんから」

「も、申し訳、ありません…」

聖女は身の回りのことを全く自分でできないわけではないが、神殿に連れてこられてからずっと伸ばしている髪は解けば床を引きずりそうなくらいはある。魔術を使わず、一人で洗って乾かそうとすれば大仕事なのだ。折角洗っても乾かさずに引きずってはすぐ汚れてしまうため、手伝ってもらう場合も多かった。

神官は聖女を手伝うことなく走り去っていく。聖女は溜息をついて濡れた髪を持ち上げた。


生き返って以来、大神殿の長は聖女となっていた。実務的な部分はそれまでその職を担っていたもの(完全に動物にはなっていない)が務めていたが、神官長は豚になってしまい意思疎通も覚束ない。聖女によると記憶を失ってはいないはずだが、知能は動物そのものとなっている可能性が高いとのこと。

王国の民たちは聖女の祝福により大地からもたらされる恵みにより飢えることはなくなった。ただし、大地の恵みを口にするたび少しずつその糧を得るために有利な形に躯が変化していった。貴族の中にはそれを拒んで食事を摂らず飢える者もいるが、平民は自分だけが変化しているわけではないからかさして抵抗もなく食べるものもいる。変わることより飢える事の方が嫌だということだろう。

混乱する地域もあったが、結局のところそれまでできたことが出来なくなるわけでもないので土地の治安維持組織が鎮圧した。正確に言うなら国境付近と国外との貿易を行っていた商人はこれまで通りとはいかなかったのだが、簡単にへこたれる人間ではそういう仕事は務まらないので図太く己がどうすべきか模索していた。

そんな中、第三王子が神殿に乗り込んできた。傍には布で顔を隠した令嬢を連れている。

「聖女を出せ!」

「デルフィニウム王子、何事ですか?」

「煩い、寄るな混ざりものめ!」

そう言って制止しようとする神官を突き飛ばす王子自身も、複数の獣の特徴の混ざったキメラになりかけている。酷く興奮した様子だ。

「何事ですか?」

「遅いぞ、きさ、ま…」

顔を隠さず、上級神官の立派なローブを身にまとった聖女を見て王子はぽかんと口を開けた。

「ふむ。おおよそ理解しました。私からあなたにかける慈悲はありません。死にたくないのなら、二度と私に顔を見せるべきではないでしょう」

「お前は、あの時の…!なんだ、お前が聖女だったのか。そうであれば早く言ってくれれば良いものを…お前が俺の婚約者だというなら、こんな女はもうどうでもいい」

「デルフィさま?!」

「こうなってまで婚約が有効だとでも思っているのですか?あのようなもはや意味のない約定、無効です。そもそも、私を毒殺させたのはあなたでしょう」

「照れずともよい。俺は寛大だからな。惚れた女の悋気の一つや二つ、受け止めてやろう」

「不貞を犯した身で聖女の横に並ぶつもりとは、図々しいですね。悋気もなにも私があなたに好意を持ったことなど、一度もありません。当然でしょう?あなたは最初から私に歩み寄ろうという姿勢を見せず、蔑むばかりだったのですから」

神殿騎士たちが王子と聖女の間に立ち、王子が聖女に近づかないように牽制する。少なくとも見た目は幼くも美しい少女である聖女を堂々と蔑むものはもうこの大神殿には残っていない。混血の奴隷の子であることを蔑んでいた者はもう他人のことは言えなくなっているし、聖女の務めも碌に果たせぬと思っていた者はそれが誤解だと気付いた。隠された顔が醜いものだろうと思っていたものは言うまでもない。そして、それでも聖女を蔑もうとした者は神殿から放逐された。もはや彼女は言われたこと蔑まれたことに反論せず大人しくしているだけの奴隷聖女ではないのだ。普通に不快に思えば相手にリアクションをする。なにより現人神たる幼き女神である。

「不貞など…俺の心は初めてお前を見た時からお前のものだったとも。お前より美しい娘を俺は見た事がない。リナリアは二番目…いや、二番目以下だ。顔が崩れてしまったからな」

「口先だけで私を口説けると思っているのならそれは酷い侮辱ですね。己の所業への謝罪すらできない者など論外です。おかえりください。王宮には婚約に関しての使いを出しておきます」

聖女は溜息をついて顔を隠したままの令嬢に視線を向ける。

「美しくないと思うものを蔑む人間同士がお似合いでしょう」

「は…」

「人としては死んだ私はこれ以上肉体的に成長することはありません。孕むことはできませんから、子を成すために夫を持つ必要はありませんし、神に愛欲はありません。恋人や愛人を求めることはありえませんし、夫を必要とすることがあるとすれば政治上の理由でしょう。美しいものを侍らせ貪りたい男など近づける理由すらありませんね」

「ほ…本当に、俺はお前が好きなんだ。本気でお前に惚れたのだ!」

「私は一切好きではありませんし、惚れていません。寧ろ、嫌いです」

聖女の王子に向ける目には一切愛情がない。靴底に貼りついた残飯でも見るような目だった。踏みにじることすら不快だという視線に、王子も流石に怯む。彼女の名を呼ぼうと口を開いて、また閉じた。彼女の名前を知らないことに今更気付いたので。

「彼らを送って差し上げてください」

彼女の命を受けて騎士たちが王子たちを連れていく。そして二度と聖女と顔を合わせることはなかった。

聖女から送られた第三王子との婚約破棄と、かの令嬢と王子の婚約を求める手紙を受けて、王宮は事実の確認をした。そして聖女に送られた毒入り菓子の贈り主が王子であったこと、直接的に毒を仕込んだものがまるで毒を飲んだかのような不審死をしていることがわかった。つまり、聖女が死に現在の状況になったきっかけは王子であることが知れてしまった。王宮はそれを隠蔽しきれず、貴族たちは王子の処刑を求めた。王宮は庇うこともできず王子を処刑、そそのかした令嬢も共犯として処刑した。身分から言えば王子は毒杯を賜るのが自然だったが、貴族からの反発により令嬢共々斬首された。

王宮は他の王族や貴族との婚約を聖女に打診したが、聖女はそれを一蹴した。婚姻を結ぶことに彼女は一切のメリットを感じなかったのだ。まあ彼女から好感を持たれている男がいなかったので当然ではある。

「そもそも、王子との婚約自体、私の望みは一切聞かずに決めたことだったでしょうに」

彼女には結婚願望はない。人だった頃も薄かったが、生殖能力のない女神となって一切なくなった。神自体に生殖能力がないわけではなく、神は生まれた時が完全であって成長しないものなので、人との合いの子として生まれた時に、人の部分が成長するなりすれば肉体変化が起こる性質だった。要は人間として生殖機能が熟す前に死んだためそれ以上成長しない存在になったのだ。産めるようになってから死んでいれば、産める女神になっていた。

彼女自身、そのあたりに色々思うことはあるが、既に終わった事であるため口にしない。

「…処刑されない方が良かったのですけど」

彼女は死を一種の救いだと捉えている。不幸な死より不幸な生の方が苦しいものだと。だから、皆そのまま生き続けるべきだと思っていたのだが。

「…ああでも、明確な落ち度があるのなら、反乱が起こるのかもしれませんか」

既に王宮の求心力は喪われていた。




異文化衝突事故 ある意味クトゥルフ的な恐怖なのかもしれない

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] これは面白いですね。 神の代理人というか、神そのものな訳ですね。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ