第54話 決断
「……俺、一応大怪我してんだけど」
英泉に呼ばれ、客間から居間に移動した刀眞は女中が用意してくれた座椅子に腰かけながら、溜息を吐く。
まだ安静にしていなければならない身なのに、こうして呼び出すなんて、どういう了見かと視線で訴えれば、座布団の上に腰を下ろした英泉も深々と溜息を零した。
「悪いとは思ってる。だがな……お前に報告しておきたいことがあってな」
「――うちに襲撃してきた鬼どものことで、何か分かったのか」
英泉の口振りから察してそう問いかければ、重々しく頷かれた。
「ああ。奴らは、鬼頭の鬼だったよ。信じたくないけどな」
「鬼頭の……」
「まあ……鬼頭っつても、分家の分家、そのまた分家といった具合の、末端も末端ってところだけどな。首謀者もそうだ」
「……なんで、鬼頭の鬼が俺を殺そうとした? しかも、みことまで攫おうとするなんて、正気の沙汰じゃねぇぞ」
刀眞としては真っ当な指摘をしたつもりなのだが、英泉は微かに眉を動かすのみだ。
「なんでって、お前……そりゃあ、お前が桃娘のみことを冬城一族にさっさと預けなかっただろうが」
「は……?」
予想だにしていなかった答えを上手く咀嚼できずにいると、英泉が溜息交じりに説明を始めた。
「あのな……お前が桃娘を冬城一族に預けることがどういう意味なのか、どこまで理解してるのか知らねぇが……桃娘を冬城一族の元に置くってことはな、鬼頭でも鬼柳でもない、中立の立場だっつう意思表示でもあるんだよ」
「……家族に疎まれやすい桃娘を保護して、花嫁修業をさせるためだけじゃなかったのか」
「もちろん、そういう名目もあるさ。特に、後者は周知の事実だな。でも、一番の理由は……鬼頭だろうと鬼柳だろうと、親元に置いておくと、桃娘の結婚相手選びの公平性に欠ける可能性が高いんだよ」
確かに、一般的な鬼は親に結婚相手を決められることが多い。幼いうちに、許嫁を決められる場合だってある。
そして、そうなると、どうしても父親が属する一族にとって少しでも利のある相手と結婚させようとする傾向が出てくる。刀眞とひかりの結婚だって、まさにそうだ。
「ま、それがルールってやつだな。そんでもって……一度決めたルールを破るってのは、頭の固い連中には許せねぇもんなんだよ。で、お前がいつまで経っても聞く耳持たねぇから、強硬手段に出たってとこだろうな」
「……石頭め」
「否定はしねぇが……それに、今回の件で余計に、お前と桃娘を一緒にさせておくことを危険視する奴らが出てくるだろうな」
「……どういうことだ」
英泉は両腕を組むと、改めて刀眞をひたと見据えてきた。
「みこと……自分が攫われそうになった時、大人顔負けの抵抗をしたらしいな。しかも、それができたのはお前がそう教えたからなんだって?」
「それは、そうだが……」
「このままお前の手元に置いておくと、鬼社会に対して反抗的な娘に育つんじゃねぇかって危惧する声を上げるにゃ、今回の事件は充分過ぎる根拠を出しちまった。もし、お前がこのまま我を通して今までの生活を続けるってんなら……また、今回みたいなことが起きてもおかしくねぇぞ」
――刀眞としては、ただみことに自分の身を守る術を伝授しただけのつもりだった。
桃娘という立場上、これから先みことを無理矢理花嫁にしようとする輩に狙われる可能性は、充分ある。だから、幼いうちからしっかりと仕込んでおこうと思ったのだ。
それが、まさかあそこまでの判断力と実行力を発揮されるとは予想だにしていなかったが、同時にこれで娘は自分の身はある程度自分で守れるだろうと、安堵した部分もあった。
だが、刀眞が良かれと思ってしたことが、みことの存在そのものやただ一緒に暮らしているということを危険視される要因になるとは、夢にも思わなかった。
「それに、お前は鬼柳本家の問題に口出しして、ゆきを引き取ろうとした前科もある。お前にゃ悪いが……このままみことと一緒にいるってなると、次はどうなるか分かったもんじゃねぇぞ」
――ひかりを亡くしてすぐにみことを冬城一族に預けなかったのも、幸斗を引き取って育てると息巻いたのも、当時の刀眞にとっては最善策のつもりだった。
しかし、こうして英泉の話に耳を傾けているうちに、ただの刀眞のエゴだったのではないかと思えてくる。
特に、みことと二人で暮らすと決めたのは――娘を思いやってのことではなく、ただ自分が寂しかっただけではないのか。
「刀眞……お前の怪我が治り次第、鬼頭と鬼柳合同で話し合いの場を設ける予定だ。だから、それまでに決めてくれ。今後のみことの処遇を。それから……」
英泉は腕を組むと、また嘆息した。
「……今回、馬鹿な真似を仕出かした連中の処遇もな。あんまり私情を挟まれても困るが……最大限、お前の意を汲んでやる。なんなら、奴らを拷問しても構わねぇぞ。沙汰次第では、死刑執行の権利もお前に譲ってやる」
英泉にここまで言わせるとは、あの連中は鬼頭本家の当主の怒りを相当買ってしまったに違いない。普段の英泉ならば、さすがにここまで物騒な許可は出さないはずだ。
(先祖返りを殺しかけた挙句、幼い桃娘を危うく疵物にしかけたとあっちゃ……相応の落とし前をつけなきゃ示しがつかねぇってわけか)
でも不思議と、刀眞たちを襲った連中への恨みはそれほどなかった。
そんなことよりも今は、みこととの今後をどうするのか、真剣に考えなければならない。
「俺は――」
***
「――おひっこし?」
「ああ、そうだ。あのおうちには、もう住めねぇからな」
――二月の半ばが近づく頃には、みことの熱はとっくに下がり、刀眞もこれまで通り動けるようになっていた。
居間で宿題をしている恭矢の隣で、クレヨンで画用紙に絵を描いていた娘にそう話しかけたら、みことはきょとんと目を丸くした。
だが、自分たちが暮らしていた家の惨状を思い出したのか、納得したように頷いた。
「わたしたち、こんどはどこすむの?」
「それは明日のお楽しみだ。みこと、今度のおうちは前のおうちよりも広いぞー」
「ほんと?」
広いおうちと聞いたみことは、興味津々に目を輝かせた。
――みことに伝える前から引っ越しは決定事項だったから、荷造りは既に済んでいる。あの家からも、無事だったものは全て救出し、手元に残すものと処分するものを分けている。あとは、あの家を取り壊してもらうだけだ。
ひかりと一緒に選び、ひかりと共に過ごした家を失うと考えただけで胸が痛むが、さすがにあそこまで血と泥と雪解け水で汚れた家をあのままにしておくわけにはいかないだろう。
「……みこと。お父さん、明日持ってく荷物の確認してくるな」
「わたしもおてつだいする!」
「いや……みことには、ここでこのままお絵描きを続けて欲しいなぁ。きょう、みことのこと見てやってくれ」
「はい、刀眞さん」
恭矢は素直に頷いてくれたものの、みことが大人しくまた絵を描き始めたから、やることがないと判断したに違いない。恭矢も宿題にもう一度取り掛かり始めた。
子供たち二人に背を向けると、刀眞は客間へと引き返していった。
***
「――初めまして、琴子さん。今日から娘がお世話になります……みこと、ご挨拶は?」
顔を上げ、刀眞の隣に立つ娘の背を優しく押して促せば、みことはおずおずと一歩前に出る。
「はじめまして、みことです。よんさいです。よろしくおねがいします」
昨日、挨拶の言葉を噛まずに口にできるようになるまで練習した甲斐もあり、緊張した様子ではあるものの、みことの唇から滑らかに零れ落ちてきた。
「みこと、よく言えたなー」
刀眞がすかさず褒め言葉と共に頭を撫でれば、みことは誇らしそうに胸を張った。
「あらあら、可愛らしいお嬢さんだこと。初めまして、冬城琴子といいます。こちらの男の子が、鬼柳幸斗くんよ。ほら、ゆきくんもご挨拶を」
そこで、ずっと琴子の後ろに隠れていた幸斗が、渋々といった様子で顔を出す。
「……鬼柳幸斗です、初めまして。刀眞さんは……お久しぶりです」
「おう、久しぶりだな」
――幸斗は元々、あまり感情表現が得意ではない子供だった。
しかし、久しぶりに会った幸斗はますます表情が希薄になったように見受けられる。
「みこと。今日からここで、琴子さんとゆきと一緒に暮らすんだ。他にもお手伝いさんもいるから、できるだけみんなと仲良くやるんだぞ」
「うん。わたし、なかよしできる!」
鬼頭本家で過ごしていた時の様子からも、保育園の連絡帳に書かれていた内容からも、みことの対人コミュニケーション能力の高さが窺えたから、きっと他人との共同生活も何とかなるだろう。
「じゃあ、琴子さん……娘を、本当によろしくお願いします」
「はい。大切なお嬢さんですもの、こちらにお任せください」
「……おとうさん?」
再び頭を下げた刀眞と琴子の言葉から、何かがおかしいと感じ取ったのだろうか。みことの声には、父親を怪しむ響きが含まれていた。
今、娘と目を合わせたら、決意が揺らいでしまいそうな気がしたから、みことの服とおもちゃが詰まったボストンバッグと段ボール箱を上がり口に置くや否や、即座に身を翻した。
「――おとうさん!」
後ろから娘の叫ぶ声が聞こえたが、歩みを緩めずに雪道を進んでいく。
「おとうさん! おとうさん!」
冬城一族の屋敷の敷地の外に出てしばらく経ってからも、みことの呼び声が追い縋ってくる。
「あ……っ!」
それでも、娘の声を振り切るように歩き続けていたら、不意に派手に転ぶ音が聞こえてきた。
咄嗟に背後を振り返れば、薄茶色のスノーブーツを履かせていたのだが、雪に足を取られたらしく、みことがうつ伏せに倒れていた。
「おとう、さん……おとうさぁん……!」
普段のみことならば、転んだくらいでは泣かないのだが、今は泣きじゃくりながらくしゃくしゃに表情を歪めていた。
「みこと、どうした!? 怪我したか? 痛いか?」
慌ててみことの元に駆け寄り、膝をついて助け起こしてみたものの、目立った外傷はない。
念のため、口の中を切っていないか確認してみたが、そういうわけでもないみたいだ。
でも、みことはわあわあと声を上げて泣き続けている。
「みこと。泣いてるだけじゃ、お父さん分からないぞ」
ルビーレッドのコートやジーンズについた雪を払い落としていると、みことに刀眞が着込んでいる黒いダウンジャケットの袖を掴まれた。




