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【完結】桃娘と愛を乞う鬼  作者: 小鈴 莉子
第3部 修羅と桃娘の婚姻
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第52話 崩壊

 ――それは、雪が静かに降る真冬の日だった。


 正月明け早々、娘を預けている保育園ではインフルエンザが流行し、四歳のみことも感染してしまったのだ。


 正月も休日返上して仕事漬けで、ようやく休みが取れた刀眞にとって、高熱と咳に苦しめられる娘の看病は、かなりの痛手だった。


 ただでさえ疲労が蓄積している状態で、みことの看病と家事を並行して進めなければならない状況に、目が回るような忙しさを感じた。


 仕事の予定が入っていなかったことだけが、唯一の救いだったものの、それで看病と家事の負担が軽減されるわけではない。


 手を抜けるところは抜き、慌ただしく日々を過ごしているうちに、だんだんとみことの症状も軽くなっていった。


 まだ喉が痛むらしくて咳は出るものの、熱はすっかり下がり、ベッドから起き上がっては大人しく絵本を読んだり、アニメ鑑賞をしていたりする。

 まだ出席停止期間中だから、今は保育園には預けられないが、この様子ならば間もなく通えそうだ。


 その日も、いつでも寝られるようにベビーピンクのパジャマ姿ではいたものの、グリム童話の絵本を熱心に読んでいた。


 刀眞が忙しそうに動き回っているからか、みことは絵本を読んでとはせがんでこない。一人で黙々とページをめくっている。

 こういう状況では、娘の察しの良さと物分かりの良さが本当に助かる。


 ちょうど刀眞が昼食の後片付けを済ませた時、不意にインターホンを鳴らす音が聞こえてきた。

 そういえば、みことが一人で過ごしていて退屈させないようにと、大好きなアニメ映画のDVDをネット通販で注文していたことを、ふと思い出す。


 急いで玄関へと向かい、ドアスコープで訪問者の姿を確認すると、両手に段ボール箱を持つ格好からして、宅配業者で間違いなさそうだ。


「はーい――」


 荷物を受け取るため、玄関の鍵とチェーンロックを外してから扉を開けた途端、腹部に衝撃が走った。


「――ぁ……?」


 頭が状況に追いつかなくて視線を落とせば、刀眞が身に纏っている厚手のアイボリーのニット越しに、いつの間にか段ボール箱を手放していたらしい宅配業者が代わりに握り締めているものが、腹部に深々と埋まっていた。


 そして、ずるりと引き抜かれると同時に、赤黒く濡れた刃渡りの長い大振りのナイフが視界に映り込む。その刃の色合いや輝きからして、おそらくは銀製だろう。


 ――完全に、油断していた。


 いくらここしばらく忙しかったとはいえ、目の前の相手の殺気にも気づけなかったなんて、先祖返りが聞いて呆れる。


 舌打ちを零し、咄嗟に扉を閉めようとしたものの、宅配業者に(ふん)していた男鬼が刀眞にタックルを仕掛けてきた。


 本調子だったならば、相手の攻撃を受ける前に投げ飛ばせたのだが、今は足に力を込めただけで腹部に激痛が走った。もしかすると、内臓が傷ついたのかもしれない。


 それでも歯を食いしばり、その場に踏み止まったのだが、今までどこに隠れていたのか、近くに身を潜めていたらしい鬼が怒涛の勢いで現れ、刀眞に向かって突進してきた。どうやら強行突破し、刀眞たちの家に上がり込むつもりみたいだ。


「――おとうさん?」


 透明感のある愛らしい声に呼ばれ、素早く振り返ると、リビングのドアの隙間から目を覗かせているみことの姿があった。


 異変を察知したから気になったものの、念のためリビングから出ないで様子を窺うことにしたに違いない。


「――みこと、絶対にそこから出てくるんじゃねぇぞ!」


 自分自身の教育の賜物である娘の判断力に、心の底から喝采(かっさい)したい気分だったが、まだ危機が去ったわけではないのだ。


 刀眞がそう叫んだ直後、みことは間髪入れずにリビングのドアを閉め、ぱたぱたと駆け去っていく足音が聞こえた。


 とりあえずみことが父親の言葉に従ったことを確認するなり、正面に視線を戻して刀眞を刺した鬼の手からナイフを叩き落し、家の中に侵入してこようとする鬼の一人の横っ面に拳を叩き込む。


 だが、多勢に無勢の状況で一人ずつ沈めていったところで、埒が明かない。

 それに、みすみすと不意打ちを許して深手を負ったこの身体が、いつまで動くかも分からない。

 それでも、一人でも多く戦闘不能にしていかなければ、みことにまで危害が及ぶかもしれない。


(こいつら、鬼頭と鬼柳……どっちだ? 何が目的だ?)


 内心疑問に思いつつも応戦していたら、他の鬼が持っていた銀のナイフが再度繰り出された。

 首筋すれすれのところで避けたものの、その際に身体を(ひね)って仰け反ったたため、また腹部が強い痛みに襲われ、態勢を崩してしまった。


 鬼たちはその隙を見逃さず、刀眞を押し退けるや否や、土足で家の中に上がり込んでいく。


「……おい……待て……」


 迷わずリビングに突入しようとした鬼は、ドアに阻まれて中に入れずにいた。

 肩から突進したり、蹴破ろうとはしているみたいだが、リビングのドアの()りガラス越しに何かが置いてあるように見える。


 きっと、父親の教え通りにみことが自分で運べるものを搔き集めてバリケードを作り、ドアを封鎖したのだろう。


 しかし、それで諦める鬼たちではない。

 刀眞が敵の腹部に蹴りを放ち、相手から奪ったナイフで敵の両目を斬りつけている隙に、突破した鬼がキッチンの方からリビングへと回り込もうとした。


 急いで刀眞も追い縋ろうとしたが、次から次へと雪崩れ込んでくる鬼のせいで、ろくに身動きが取れない。本当に、どこにこれほどの鬼が隠れていたというのか。

 そうこうしているうちに、みことの悲鳴が聞こえてきた。


「……おい、退け!」


 ちょうど近くにいた鬼の顔面に肘鉄を食らわせて鼻の骨を折り、鬼の群れにナイフを投擲(とうてき)する。それから素早く身を翻し、キッチンへと飛び込む。

 でも、そこには信じ難い光景が広がっていた。


「……は?」


「――やぁあああああああああああああ!」


 キッチンのドアの前にもバリケードを設置しようとしていたのか、武器になるものを探していたのか、キッチンの床の上には物が散乱していた。


 そして、ちょうど刀眞がリビングに足を踏み入れたのとほぼ同時に、みことが自分に向かって手を伸ばしてきた男の足の甲に、あろうことか包丁を振り下ろしたのだ。


 四歳児からのまさかの反撃に加え、()いだばかりの包丁を足の甲に突き立てられれば、いくら大の鬼といえども不意を突かれる。


 みことは、今度は刀眞が先程洗ったばかりのフライパンを構えたかと思えば、元々自分に向かって手を伸ばすために腰を(かが)めていた上、足の痛みで態勢を崩してしまった鬼の顔面に何の躊躇もなく叩きつけた。


「ぁあああ! やぁああああああああああ!」


 みことも無我夢中なのだろう。続けてフライパンで鬼の鳩尾を何度も殴打し、さらに態勢が崩れたところに飛びかかった。肩からの体当たりを食らわせ、鬼の腹の上に馬乗りになると、次はまた顔面をフライパンでごんごんと叩き始めた。


「――みこと! そのまま続けろ! 一瞬でも躊躇うんじゃねぇぞ!」


「うん!」


 父の姿に目を留めたみことは元気よく返事をしながら、痙攣しつつも自分の猛攻を止めようとした鬼の手にフライパンを振り下ろした。いくら正当防衛とはいえ、本当に欠片も躊躇いがない。


 みことに指示を飛ばした刀眞も、四歳の女の子とは到底思えない容赦のなさと攻撃力に怯んでいた鬼の後頭部に、キッチンの床の上から拾い上げてきた鍋を叩きつけた。


 みことに、それなりに重いフライパンで殴られ続けた鬼も、刀眞に後頭部を強打された鬼も意識が飛んだらしく、片方はぴくりとも動かなくなり、片方は膝から崩れ落ちて床に沈んだ。


 その間に、刀眞は残りの二人のうち、一人の頭を鷲掴(わしづか)みにしてテーブルに叩きつけ、もう一人には仕返しとばかりに、みことが手放した包丁を腹部に深々と突き刺した。


 ――だが、一見刀眞たちに優勢の戦況も、そう長くは続かなかった。


「いやぁああああああ! はなして! はなして!」


 もう一度上がった娘の悲鳴に即座に振り返れば、フライパンを取り落としたみことが腕を掴まれて持ち上げられるところだった。必死の抵抗として、みことがじたばたと手足を動かして暴れるものだから、小さな身体が危なっかしくぶらぶらと揺れる。


 みことの身体が持ち上げられたことで、先刻までフライパンで顔を滅多打ちにされた鬼の顔面が、自らの血で真っ赤に染め上げられ、気絶していることが見て取れた。


「――みこと!」


「この……化け物が……っ!」


 滅茶苦茶に暴れまくるみことに手を焼いた鬼は舌打ちをすると、幼くふっくらとした頬に張り手を飛ばした。


「う……っ!」


 みことは呻き声こそ上げたものの、泣き出しはしなかった。

 しかし、抵抗はぴたりと止まり、その隙に鬼はみことを小脇に抱えた。

 ――鬼たちの狙いは、みことか。


「てっめぇ……」


 刀眞が一歩踏み出した途端、みことが伏せていた顔をのろのろと上げた。


「お……とう、さん……」


 そして、刀眞と目が合った直後、みことの両目からぼろぼろと大粒の涙が零れ落ちていった。幾筋もの涙が、痛々しいほど赤くなった左側の頬を濡らしていく。一応、みことは桃娘だから手加減されたみたいだが、それでも痛かったに決まっている。


 不意に、唇を震わせたみことが右手を弱々しく持ち上げ、刀眞に向かって伸ばしてきた。

 ――これまで泣きもせず、それどころか応戦さえしてみせた娘が、涙を流しながら父親に助けを求めている。


 その時、ふと耳元でひかりに囁かれた気がした。


 ――何があっても、みことのこと憎まないで。みことが産まれてきたことを、否定しないで。みことを、愛して。お願いよ……。


 その声はみことを守れと、暗に願っているかのようだった。


 未だ手にしたままだった包丁の柄を、ぐっと握り締める。

 それから、包丁を両手で構え直すなり、みことを小脇に抱えた鬼に向かって突進した。


 案の定、鬼はみことを盾にしてきた。

 でも、みことの身体はまだ小さい。攻撃を防げる範囲としては、せいぜい首から上半身までが限度だ。

 それでも、刃物から急所を守るには充分に違いないが――刀眞の狙いはそこではない。


「……そう簡単に死ねると思うなよ」


 元より(もも)に狙いを定めていた刀眞は、渾身の力を込めてそこに刃を沈めた。

 相手の態勢を崩すだけならば、下手に急所を狙うよりも、足や脇腹に狙いを定めた方が手っ取り早い。

 そして、強引にみことを奪い返すや否や、男の首を掴んで壁に後頭部を思い切り叩きつけた。


「が……っ!」


「お前……見かけねぇ顔だな。鬼頭と鬼柳、どっちの鬼だ?」


 そう問いかけたところで、すぐに答えが得られないことくらい、織り込み済みだ。

 だから、首を掴んでいた手で今度は顔面を掴み直すと、幾度も幾度も壁に叩きつける。


 先程よりは控えめではあるものの、それでも物騒な物音が聞こえてきたからだろう。またリビングに増員が雪崩れ込んできた。

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