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【完結】桃娘と愛を乞う鬼  作者: 小鈴 莉子
第3部 修羅と桃娘の婚姻
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第48話 喪失と決意

 みことが二歳の誕生日を迎える頃には、ひかりはろくに起き上がることすらできなくなっていた。

 でも、ベッドの上に横になったままでも、ひかりは娘の誕生日を精一杯祝い、みことは素直に喜んでいた。


 ――この調子ならば、何とか年を越せるのではないか。


 病室で開かれた、娘のささやかな誕生日会の光景を眺めつつ刀眞はそんな淡い期待を抱いてしまった。


 だが、刀眞の望みが叶うことはなく――十月三十一日。

 ひかりは、最期の瞬間まで喘息の発作に苦しめられながら、息を引き取った。



    ***



 ――ひかりの命が(つい)えてから葬儀が行われるまでの日々を、刀眞はよく覚えていない。


 呼吸器を取り付けられたひかりの苦悶に歪んだ顔も、どこからそんな力が出てくるのかと思うほど強く刀眞の手を握り返されたことも、みことが「まま! まま!」と泣き叫ぶ声も、嫌というくらい脳裏にこびりついて離れない。


 それなのに、ひかりの葬儀の手配をしていた間の記憶はひどく曖昧で、思い出そうとしても断片的なことしか覚えていないのだ。


 ひかりの最期を看取った後、泣きじゃくるみことをあやすのに、いつもの倍以上の時間がかかってしまったこと。


 機械的にみことの世話をすることで、どうにか自分を保とうとしていたこと。

 みことに着せる喪服がなかったから、慌てて買いにいったこと。

 何故か、みことに関わることしか思い出せない。


 通夜も葬式も参列者を極力絞り、粛々と執り行われた。


 納棺した時も、棺の中に花を入れた時も、出棺した時も、死に際の苦痛に満ちた表情が消えた、ひかりの安らかな死に顔に内心安堵してしまったことに罪悪感を覚えたものの、他には特に問題は発生しなかった。


 納骨まで済ませ、みことを連れて家に帰ってきた時――そこで、ついに緊張の糸が切れてしまったかのように、何の気力も湧かなくなってしまったのだ。


 とりあえず黒いネクタイを外し、ずるずるとカーペットの上に座り込んでしまった刀眞の元に、まだ黒いワンピースを着たままのみことが、とことこと歩み寄ってきた。


「――ぱぱ、ままは?」


 みことのあまりにも無邪気な問いかけに、刀眞は最初、この娘は何を言っているのかと、状況を上手く呑み込めなかった。


 納棺の際にも、参列者たちがひかりの周囲を多種多様な花々で彩る時も、出棺の間際にも、少しでもみことの記憶に母親の存在が残るようにと、しっかりと見せたではないか。


 しかし、よく考えてみれば、みことの疑問は(もっと)もなものだ。

 みことはまだ、死の概念を理解できる年齢の子供ではない。

 刀眞が娘の目に焼きつかせようとした光景の意味も、みことには微塵も分からなかったのだろう。


「みこと……ままに、あいたい」


 だから、みことからすれば、毎日のように会いにいっていた母に、ある日を境に突然会えなくなってしまったという認識なのかもしれない。そして、会おうと思えばまだ会えると、信じて疑っていないのかもしれない。


「みこと……ママはな、お空の綺麗なところに行ったんだ。だから、もう……みことがどんなに会いたくても、会えないんだよ」


「――どうして?」


 少しでもみことに伝わりやすい言葉を、刀眞なりに選んだつもりだった。

 でも、まだ物心もつかない幼い娘から返ってきたのは、あまりにも無垢で残酷な疑問の声だった。


 みことの疑問に答えようと、もっと分かりやすい表現を考えなければと思ったのに、思考はろくに巡らず、声も出てこない。


「ぱぱ……?」


「みこと……」


 ようやく喉の奥から絞り出せたのは、愛しい娘の名前だけだった。

 すっかり力が抜けていた腰を上げると、みことの小さくて脆い身体をそっと抱きしめた。


「みこと……ごめんなぁ」


 こういう時でも上手く立ち回れるような、要領の良さがあればよかったのに。

 以前の自分は、大抵のことはもっとそつなくこなせていたはずなのに、今はちっともできやしない。


(なにが……先祖返りだ、現代最強の鬼だ)


 そんなもの、だんだんと衰弱していき、忍び寄る死に怯え、苦しみながら息絶えた妻の前では、何の役にも立たなかったではないか。

 まだまだ母親が恋しい年頃の娘に、何もしてやれていないではないか。


「ママに……会いたい、よなぁ……」


 ひかりに恋をしていたのかどうか、自分のことなのに今でもよく分からない。

 ただ、間違いなく愛してはいたのだ。


 どうして、失う前に気づけなかったのだろう。

 ひかりが生きていた頃に自覚していれば、何かしてやれたかもしれないのに。


 ひかりは明るく見えてその実、愛に飢えた憐れな女だった。だからきっと、刀眞が自分の気持ちにもっと早く気づいていたら、それだけで充分に喜ばせることができたはずなのに。

 何故――今なのか。


「ぱぱ……たいたいの?」


 余命を宣告されたひかりが、ふとした拍子に流していた涙に気づいた時、みことは決まって母にそう問いかけていた。


「たいたいの、とんでいけー」


 それから、母の膝の上に乗るなり、そう声をかけつつ小さな手で懸命に頭を撫でていた。今も、背伸びをしながら父親の頭を撫でていく。

 今の刀眞は涙を零していないのだが、みことの目には泣いているように見えるのだろうか。


「よしよし、よしよし」


 現状を把握できずとも、みことは舌足らずな声で父親を励まそうとしている。


「ぱぱ、だいじょぶだよ」


 伏せていた顔をのろのろと上げれば、先刻まではどこか不安そうな面持ちをしていたみことが、にっと不敵に笑ってみせた。


「みこと、いるよ。まま、いないけど、みことは、いるよ」


 みことの顔立ちはひかりに瓜二つなのに、その表情は驚くくらい刀眞にそっくりだった。

 自分がいれば大丈夫だと、心の底から信じきっている顔をしている。


「……そうだな」


 確かに、みことの言う通りだ。

 ひかりは、もうこの世界のどこにもいない。


 だが、みことならばこうして刀眞の目の前に存在する。ひかりが命がけで産んでくれた、誰よりも愛しい娘は生きているのだ。


「……みこと。パパ、もっと良い父親になれるように頑張るから」


 だからみことには、ひかりに与えられなかった分まで愛情を注ごう。失ってから後悔するなんて、もう二度と御免(ごめん)だ。


「だから……もうちょっとだけ、こうしててもいいかなぁ……」


「うん、いいよ!」


 みことの返事を聞く前に再度娘の肩に額を預ければ、すぐに元気よく答えが返ってきた。


「よしよし、よしよし」


 そして、小さくて柔らかい手にまた頭を撫でられた。

 これでは、どちらが親でどちらが子供なのか、分からない。


(……ひかり、見てろよ)


 刀眞はみっともなくて不甲斐ない夫だった上、父親としてもそうだ。


 しかし父親としてなら、これから少しずつでも成長していけるだけの猶予があるから、刀眞の努力をどうか見守っていて欲しい。

 ここからずっと、ずっと遠い、痛みも孤独も苦しみもない、美しく清らかな場所から。


 その日は結局、家事に取りかかるだけの気力など欠片もなく、夕食はファミレスで済ませてしまった。

 固めたばかりの決意とは裏腹の結果になってしまったものの、お子様ランチとデザートのアイスクリームを前にしたみことは大喜びしていたから、今回はそれで良しとしよう。



    ***



「みことー、パパだぞー。今日はもう帰るぞー」


「はーい!」


 ――あれから、一年が経った。

 英泉と六花夫妻と協議を重ねた結果、みことは保育園に通うことになった。


 教室の入り口から声をかければ、室内で遊んでいたみことはいそいそと帰り支度をして、刀眞の元へとぱたぱたと駆け寄ってきた。


「おとうさん、おまたせ!」


 悲しいかな、ひかりの葬儀が終わった日以降、みことは刀眞のことを「ぱぱ」ではなく「おとうさん」と呼ぶようになってしまったのだ。


 刀眞としては、娘にはまだまだパパと呼んで欲しかったのだが、みことはあの日の父親の姿を見て、もっと自分がしっかりしなければと意気込んでしまったみたいだ。


 元々、言葉の発達が一般的な子供よりも早い方だったのに、あの日以来、飛躍的に口が達者になった気がする。


 その上、積極的に父親の手伝いをしようとするのだから、世の親からすればこの上なく理想的な手がかからない子供に違いない。


(俺としては、もっと我儘を言ってくれても良いんだけどなぁ……)


 これが、贅沢な悩みというものだろうか。

 でも、あまりにも聞き分けが良くても、それはそれで無理をさせているのではないか、本人も自覚しないままに我慢しているのではないかと、不安に駆られてしまうのだ。


 自分でせっせと淡いピンクのスニーカーを履く娘のつむじを眺めていたら、無事靴を履いたみことが勢いよく顔を上げた。


「おとうさん、おかえりなさい。おしごと、もうおわったの?」


「おー、今日からはまたおとうさんとおうちに帰ろうなー」


 みことと手を繋ぎながら笑いかければ、黄金の双眸が分かりやすく笑み崩れた。


「うん!」


 刀眞は相変わらず、護衛職を続けている。

 その関係で、仕事は不定期である上、家を空けることもしばしばある。


 ひかりが元気だった頃はそれでも問題なかったのだが、まだ幼いみことを家に一人でいさせるわけにはいかないし、保育園への送り迎えをする保護者だって必要だ。


 そのため、刀眞が仕事の都合で家を空ける時には、鬼頭本家でみことを預かってもらうことにしたのだ。


「英泉おじさんと、六花おばさんと、きょうと仲良くできたか?」


 鬼頭本家に滞在していた間の様子を訊ねると、みことは考え込むように宙に視線を投げた。


「んーとね……えいせんおじさま、きょうにいさまとわたしをけっこんさせたいって、ゆってた!」


「……あ?」


 みことの発言を耳にした直後、普段の刀眞ならば娘には到底聞かせない、地を這うような低い声が自然と出てきた。

 だが、みことに怯えた様子は砂粒ほどにもなく、きょとんと大きな目を瞬かせるだけだ。


 その代わり、全く無関係の通行人がびくっと身を竦めたかと思えば、刀眞の顔を恐々と窺ってすぐに素早く目を逸らされた。まったく、失礼な人間だ。


 しかも、今の刀眞はスーツ姿ではなく、コーヒーブラウンの薄手のニットにアイボリーのカーゴパンツという出立ちなのだ。どこからどう見ても、休日のお父さんスタイルではないかと、内心呆れる。


「みこと……それは本当か?」


「わたし、うそつかないもん」


 刀眞が先程の発言の真偽を確かめようとしたら、みことは可愛らしくむっと唇を尖らせた。本当に可愛い。


「そうか……なら、英泉には自分の迂闊な言動を死にたくなるほど後悔してもらわねぇとなぁ……」


「おとうさん、けんか、だめ、ぜったい」


 この台詞を聞いても動じないどころか、父親の不穏な気配を察して(たしな)めてくる辺り、さすが刀眞とひかりの娘だ。肝の据わり具合が違う。

 その後も、刀眞が一緒にいられなかった間の出来事を、みことにあれこれと質問しつつ家路についた。

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