第39話 逃げ道
「刀眞くん、貴方……なんって、真っ当な感性の持ち主なの……!」
「は?」
手どころか全身を震わせるひかりに、眉根を寄せる。
だが、返答に迷う刀眞を意に介さず、ひかりはうんうんと何度も頷く。
「そうよね、そうよね! 十六歳になった途端、鬼に娶られて子作りに励むなんて、どう考えてもおかしいわよね! モラルが完全に欠落してるわ!」
「あんた、言い方容赦ねぇ上に鬼社会全否定してんな?」
「だって今の時代、ありえないわよ。しかも、わたし早生まれで、先月十六になったばかりなのよ? それで『じゃあ、もう結婚できるね!』って、頭沸いてんの? って感じじゃない?」
「それは同感」
刀眞も二月生まれなのだが、ひかりも二月生まれだったのか。
刀眞がすかさず同意を示すと、ひかりはそれはもう深い息を吐き出した。
「よかったぁ……わたしの旦那様がまともな鬼で、本当によかったぁ……!」
「まともな鬼って、すげぇパワーワードだな」
本当にひかりは見た目に似合わず、かなりパワフルな女の子だ。
物理的な力では敵わなくても、そこらの男鬼が相手ならば精神的にぶんぶんと振り回してしまいそうだ。
(へぇ……結構、面白そうな娘じゃねぇか)
式や披露宴の間に見せていた人形然とした姿は何だったのかと問いたくなるくらい、今、目の前にいる女の子には明朗快活という言葉が相応しい。
感動に打ち震えていたらしいひかりは、何の前触れもなく刀眞の手をぱっと放したかと思えば、いそいそと布団に潜り込んだ。
「じゃあ、今夜何もしないなら、わたしはもう寝るわね。疲れちゃって、眠いのよ」
「それで疲れてんの?」
「疲れ過ぎて、かえってハイになってる感じなの!」
つまり、夜中のテンションというわけか。
納得した刀眞は布団に潜る前に灯りを消そうとしたところで、はたとあることに思い当たり、寝入ってしまう前にと、今にも目を閉じてしまいそうなひかりを軽く揺さぶる。
「ひかり、ちょい待ち。まだ寝んな」
「何よ、枕投げでもやりたいの?」
「修学旅行かっ! ……そうじゃねぇよ。全くなんもしねぇのも問題だから、ちょっとばかし小細工するだけだ」
「小細工?」
緩慢とした動作で上体を起こしたひかりが、怪訝そうに刀眞の言葉を繰り返す。
微かに眉間に皺を寄せるひかりに一つ頷くと、刀眞は自身の右手の親指に歯を当て、躊躇なく皮膚を食い破った。
「ちょっ……!?」
ぎょっと目を剥いたひかりを余所に、刀眞は親指の嚙み傷から溢れ出してきた鮮血を敷布団の上にぱたぱたと落としていく。
「うん、こんなもんだろ」
こうすれば破瓜の痕跡に見え、刀眞たちがきちんと初夜を遂行させたと錯覚させられるだろう。
あまりにも出血量が多いと、刀眞の技量が疑われて癪に障りそうだから、ある程度のところで切り上げる。
しかし、加減を誤ってしまったのか、まだ出血が止まらないため、噛み傷に舌を這わせていたら、不意にひかりと目が合った。
「ん? どうした?」
「……今日会ったばかりの相手に、普通そこまでする?」
「別に、ひかりのためだけにやったわけじゃねぇよ。半分以上は自分のためだ」
刀眞がわざわざこんな面倒くさい真似をしたのは、単に自分の親に難癖をつけられたくなかったからだ。
そして、刀眞の都合でひかりが謂れのない非難を受けることになったら、ますます申し訳なさに拍車がかかるから、火の粉が降りかかる前に予防策を取っただけに過ぎない。
出血が止まったことを確認すると、室内の灯りを消してから布団の中に潜り込む。
万が一にもひかりを怖がらせないよう、背を向けて横になっていたら、砂糖菓子みたいに甘い声がぽつりと耳朶を打った。
「……ありがとう、刀眞くん」
肩越しに振り返れば、先程までの満面の笑みではなく、散り際の花のように儚げな淡い微笑みを湛えた黄金の眼差しと、青に成り損なった灰の眼差しが絡み合う。
「わたし、刀眞くんとなら、上手くやってける気がする。だから……これから、よろしくね」
ひかりは再び頭を下げると、刀眞同様、こちらに背を向けるようにして布団の中に潜った。
今日は、本当に怒涛の一日だった。
ひかりから視線を引き剥がして枕に頭を預けるなり、あっという間に睡魔に意識を攫われた。
***
「それはそれは……話には聞いてたけど、本当に大変だったんだね。刀眞」
「秋志……他人事だと思いやがって」
「だって、他人事だから」
ダークブラウンの柔らかそうな髪に、光の加減で茶にも緑にも見えるヘーゼルの瞳の持ち主――鬼柳秋志はいっそ嫌味なほど軽やかに肩を竦めた。
穏やかな雰囲気を纏う、物腰柔らかな色男がやると、無駄に絵になる光景になるのだなと、黒塗りの高級車内のシートに背を預けつつ、呆れ半分、感動半分に眺める。それから、誰かに運転してもらう車に乗っているというのは、気楽で心地よいとも考える。
「でも……それは悪いことをしたね。僕たちのせいで、新婚の二人を引き離してしまって」
「こっちが先に予定に入ってたんだから、仕方ねぇだろ。秋志が謝ることじゃねぇよ。ひかりも、仕事なら仕方ないって納得してたしよ。気にすんな」
そう、自分が結婚するとは知らなかった刀眞は当然のことながら、通常通りに鬼の一族の護衛の任務をスケジュールに組み込んでいたのだ。
おかげで、もうゴールデンウィークが終わりを迎える時期に差し掛かったのに、ひかりとの新居探しもろくに進んでいない。
しかも、刀眞の長期出張先はイタリアだったのだ。
日本とイタリアでは八時間も時差があるから通話が難しかった上、ひかりは携帯電話を保護者に買ってもらえなかったらしく、メールのやり取りもできなかった。顔を見ていないどころか、しばらく声すら聞けていない有り様だ。
ひかりが携帯電話を所持していないと判明した時点で、こうなることは目に見えていたから、刀眞はまたもや華麗なる土下座を披露する羽目になった。
その結果、これまた散々爆笑されたものの、笑顔で許してもらえたのだ。
その代わり、「帰ってきたら、わたしの行きたいとこ全部連れてってね」と可愛らしく強請られたが、そのくらいお安い御用だ。所謂、新婚旅行みたいなものではないか。
(そういや、あの糞爺と糞婆のせいで、ひかりのこと新婚旅行にすら連れてってやれなかったんだよな……)
事前に知らされていたところで、刀眞があの両親の勧めてくる縁談を素直に受け入れたとは微塵も思えない。
でも、ひかりと顔合わせをしていたら、なんだかんだで最終的には納得した気がする。そうしたら、結婚早々にひかりを刀眞の実家に置き去りにせずに済み、もう少しまともな新婚生活を送らせてあげられたのではないか。
(とりあえず、帰ったらまず、ひかりに携帯を持たせてやらねぇとな)
そうしないと、報告も連絡も相談もままならないと、今回嫌というほど思い知らされた。
そんなことを悶々と考えていたら、秋志が面白がるような笑みを浮かべた。
「それにしても、意外だね。君のことだから、親が決めた結婚相手にそこまで気にかけるなんて。てっきり、素知らぬ顔で花嫁を放置してるんじゃないかって、実は冷や冷やしてたんだけど」
「……俺のこと、何だと思ってんだよ。そこまで鬼じゃねぇわ」
刀眞が内輪のジョークを口にすれば、秋志はくすりと笑みを深めた。
「経緯がどうであれ、大事にしたいって気持ちがあるのは、良いことだよ。刀眞なら、きっと花嫁を守り通せる……僕みたいにはならないさ」
「……あれは、秋志が責任感じることじゃねぇだろ」
そう言いながら、ちらりと秋志の隣に視線を流す。
秋志の肩には、緩やかに波打つプラチナブロンドが見事な、国を傾けてしまいそうな美貌の女性がもたれかかっている。
だが、見ていて不安になるほど、生気というものが感じられない。
世にも珍しい赤い双眸は、虚ろに宙を眺めるばかりで、本当に意識があるのかどうか疑わしい。
――鬼柳アリア・カンパネッラ。
それが、秋志に身を預けている女吸血鬼の名だ。
「……アリア、今日は静かだな」
「ああ。今日は比較的、調子が良いみたいだね」
刀眞が今回携わった任務は、吸血鬼の一族と外交を担う鬼柳一族のイタリアでの会合が行われる間、鬼側の身辺警護だった。
会合の目的は、鬼と吸血鬼の友好関係を築くためにアリアを鬼柳秋志の元に嫁がせたにも関わらず、あんなことになってしまったため、協定違反ではないのかという、吸血鬼側の尤もな糾弾を鬼側が甘んじて受け、吸血鬼側に有利な協定を結び直すことだった。
その中で、吸血鬼たちはアリアの身柄を返せと声高に叫んだのだが、意外にも本人がその申し出を固辞したのだ。
肉体的にも精神的にも、秋志がいなければ生きていけなくなったアリアはそれはもう錯乱し、会合どころではないほど暴れ回った。
また、こちら側に非があるとはいえ、鬼側も譲歩できることとできないことがあるため、会合は難航を極め、長期間に渡って繰り返し行われたのだ。
だから、刀眞たちの帰国予定日も大幅に遅れ、ひかりには本当に申し訳ないことをした。
「秋志。アリアと一緒にイタリアに移住するっていうのも、一つの手なんじゃねぇの?」
イタリアに滞在している間、幾度も浮上してきた案だ。
刀眞としては、この案が事態を丸く収める最善策だと思うのだが、この提案も他ならぬアリアに却下されたのだ。
「僕も、アリアのためにもできればそうしたいんだけどね……アリアは暁斗への情を捨てきれてないから。暁斗をイタリアに連れていくことはできないだろ?」
そうなのだ。
アリアは鬼柳本家の嫡男を出産しただけではなく、母性も責任感も強いがために、精神に異常を来しつつも、息子を手放すことができずにいる。
刀眞としては、そこであえて手放すこともまた一つの愛だと思うのだが、アリア自身が納得できないのであれば、外野がとやかく言ったところで何の解決にもならない。
(せめて、産まれてきたのが女の子だったら、話は違ったんだろうけどなぁ……)
そう心の中でぼやいてみるも、どうしようもない。それに、こういう考え方は暁斗に対して失礼だと、即座に考え直す。
「まあ……お前らが現状維持のままでいいってんなら、これ以上口出しはしねぇけどよ……もし、どうしても今が辛くて仕方ねぇってんなら、別に逃げてもいいと思うぞ」
――これから、秋志とアリアは鬼柳本家の屋敷へと帰る。
自ら地獄へと戻ろうとする秋志の気持ちが、刀眞には欠片も理解できないものの、全く逃げ道がないわけではないのだと、別れる前に伝えておきたかった。
「そん時は、俺に言えよ。力くらい、いくらでも貸してやる」
秋志と刀眞は、歳が一回り近く離れている。
しかし、刀眞が幼い頃から不思議と気が合い、未だに二人の友情は継続されている。
友が苦しむ姿を見ていることしかできないのは御免だったから、あくまでも自分のために刀眞はそう告げたのに、秋志は驚愕に目を見開いた後、どこか泣き出しそうな気配を漂わせた微笑みを浮かべた。
「……ありがとう、刀眞。今は……そう言ってくれるだけで、充分だ」
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