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【完結】桃娘と愛を乞う鬼  作者: 小鈴 莉子
第2部 鬼と桃娘の新生活
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第37話 媚薬

 カフェでお茶をしていた時、みことは懸命に暁斗から今日の目的を聞き出そうとしてきた。


 でも、暁斗ははぐらかすばかりで一向に答えを与えなかったからか、みことは諦めたような気配を見せたのだが、唐突に思いがけない質問を繰り出してきたのだ。


 いきなりどうしたのかと問えば、みことはアイスレモンティーで喉を潤してからこう答えたのだ。


「だって今のあきくん、沙夜ちゃんの縁談を片っ端から潰して、囲い込んでるようにしか見えないんだもの」


 みことは何食わぬ顔でそう指摘してきたものの、別にそういうわけではない。


(冗談じゃない……誰が、あんな馬鹿な女を花嫁に欲しがるか)


 みことや香夜みたいに、鬼社会で女性が生きていくための最適解をもっと早いうちから選び取れば良かったのに、我を通すことを諦めきれなかった、理想とプライドばかり高い愚かな女など、鬼柳本家の花嫁には相応しくない。


 沙夜を暁斗付きの女中として雇っているのは、ただ叔母である美夜に頼まれたからだ。


 香夜同様、沙夜にも幸せな結婚をして欲しい。

 だが、沙夜の元に届く縁談はお世辞にも条件が良いとは言い難いため、鬼柳本家の当主である暁斗に裏で手を回してもらい、破談させていただけの話だ。


 美夜自身が過去、幸せな結婚生活を送れなかったからなのだろう。

 叔母の、娘たちには何としてでも嫁ぎ先で不幸な思いをさせたくないという執念は、なかなかに凄まじい。


 暁斗も、自分の父親とその元妻、叔父夫婦がどれだけ悲惨な末路を辿ったか、幼い頃に見てきたから、少しでも沙夜に相応しい結婚相手を探してやりたいと思ったのだ。


 だから、叔母の申し出を引き受け、暁斗の目が届くところで花嫁修業の延長として沙夜には仕事をしてもらっている。それだけの話だ。


 もし、沙夜の愚かしさも頑なさも笑って受け入れられるだけの度量を持つ男鬼を見つけたら、さっさと手放すつもりだ。


 そもそも、恋も愛もよく分からない暁斗が、恋や愛を望む女性を真っ当に幸せにできるわけがない。

 だから暁斗は、互いの利害が一致してさえいればそれで良いと言ってくれるような、心身ともに強い人間の女性を見つけ出し、結婚を申し込むつもりだ。


 本当は結婚なんてしたくないのだが、鬼柳本家の当主である以上、跡継ぎとなる子供が求められる。


 暁斗の理想を叶えてくれる女性を探し出すには、まだ時間がかかりそうだが、人間の女性は女鬼よりも圧倒的に多いのだ。根気強く探し続けていれば、いつか巡り会えるに違いない。


(それにしても……ゆきが幸せそうで、何よりだ)


 暁斗には、弟が最も辛い時に心に一生消えない傷跡を残してしまった負い目がずっとあった。

 十代の頃は、自身の胸に巣食う感情の正体が罪悪感であることさえ認められなかったが、二十代も半ばを過ぎようとしている今、さすがに受け入れざるを得ない。


 今さらあの時のことを詫びたところで、幸斗は嬉しくも何ともないだろう。

 だから、代わりに祝福の言葉を贈ったのだが、幸斗にはそれすら必要なかったみたいだ。


 しかし、それでも構わない。

 幸斗が幸せそうにしていれば、暁斗の罪の意識は和らいでいくのだから、ただ弟の心が満たされていれば、それ以上は何も望まない。


(みことは、色んな意味で強いからな。そう簡単に、ゆきを置いて()ったりしないだろ)


 あの黄金の双眸を思い返せば、自然と苦笑いが浮かぶ。


 みことは、敵に回すと厄介だが、味方であれば心強い存在だ。

 何があっても弟を守り抜いてくれるに違いないし、きっとそう易々と消えていなくなったりしないはずだ。


 そんなことを考えながら、暁斗は家路を急いだ。



    ***



 ――兄の唇がみことの唇に重なり合う瞬間を目の当たりにした途端、神経が焼き切れるかと思うほどの怒りが全身を駆け巡った。


 今さら、みことの心変わりを疑うことはない。冷静になって見てみれば、兄がみことを恋愛対象として捉えていないことは、すぐに察せられた。


 でも、それはそれ、これはこれだ。

 暁斗がみことの唇を奪ったという事実がただただ不快で、許せないと思ったのだ。そして、二人のキスを未然に防げなかった自分自身にも、腹立たしさを覚える。


 自宅の玄関に入ってドアを閉めたところで、ようやくみことの左手を解放した。


 駅に向かう間も、電車に揺られる間も、エレベーターに乗っている間も、沈黙を貫いていた幸斗がみことの手を放さなかったからだろう。黄金の瞳が、幸斗の顔色を窺うように見上げていた。

 だが、怯えた様子は露ほどにもなく、やがて淡く色づいた花びらみたいな唇が開かれた。


「……ゆきくん、誰に……何に怒ってるの?」


 透明感のある愛らしい声が鼓膜を震わせるなり、みことの顔のすぐ脇に左手を突いた。

 突然の幸斗の行動に瞠目(どうもく)するみことに構わず、答えの代わりにその唇を自分の唇で塞ぐ。


 幾度も角度を変えてキスを繰り返しつつ、目の前のみことを観察する。


 今日は、ピンク系統のアイシャドウを使ったに違いない。豊かな睫毛(まつげ)に縁取られ、今は閉ざされている(まぶた)はほんのりと色づいている。普段よりももっと血色が良く見えるのは、チークを頬に乗せたからだろうか。


 しかし、唇だけはいつもと何も変わらなかった。


 あの現場を目撃したのだから、みことが自分でぐいぐいと乱暴に拭ったせいでリップグロスが落ちただけだと、充分理解している。

 でも、あの兄が強引にみことにキスをした証でもあるため、やはり面白くない。


 徐々に息が上がってきたみことから顔を離すと、閉ざされていた瞼が緩やかに持ち上がり、蕩けた眼差しを注がれた。


「……ゆき、くん……?」


 濡れた黄金の双眸は、泉に映し出された満月のよう。

 何度もキスを繰り返したためか、常ならば淡く色づいているだけの唇の血色がより一層良くなっているおかげで、本当に花びらそのものみたいだ。白く滑らかな頬も、上気してうっすらと赤く染まっている。


 ――媚薬を女の形に練り上げたならば、こうなるだろうという形をしている。


 代々の桃娘は、そう評されてきたのだという。

 正直なところ、みことを可愛らしいと思っても、まるで媚薬のようだと感じたことはなかった。

 ――三年前のクリスマスイブの夜に、みことと初めて口づけを交わすまでは。


 普段のみことは天真爛漫で愛くるしいものの、それほど色気は感じられない。

 だが、和服を身に纏う時や、意識が蕩けそうなほどのキスをした時には、匂い立つような色香を醸し出すのだ。


 しかも、桃みたいな甘く瑞々しい香りも濃く立ち上ってくるものだから、じりじりと理性が溶かされていきそうだ。


「……みことにキスした兄さんにも、隙だらけだったみことにも、もっと早くに駆けつけられなかった自分にも腹を立ててました。だから、せめてみことの唇を消毒しようと思ったんです」


 幸斗が不貞腐れたような声音でそう告げれば、みことはぱちぱちと目を瞬かせた後、苦い笑みを零した。


「……全方向に怒ってたんだね……」


「そうですよ、悪いですか」


「別に、悪くはないよ。でも、そっか……そういうことなら――」


 今のみことは、普段と比べてヒールの高いパンプスを履いているからだろう。背伸びもせずに幸斗の首に両腕を回してきたかと思えば、今度は自分から唇を重ねてきた。


「――もっと、消毒してくれますか?」


 繰り返されるキスの合間に、吐息交じりの声でそう囁きかけてきた。

 甘えるような声が鼓膜に沁み込むや否や、(うめ)くような声を漏らしながら目の前の唇を再び(むさぼ)った。


 ――みことは、男の理性を何だと思っているのだろう。


 先月は入籍したり、新居を決めたり、引っ越しの準備をしたりと、ただでさえ忙しかったのに、そこであの事件が勃発(ぼっぱつ)した。


 それから、ようやく身辺が落ち着いてきたかと思いきや、(しゅうと)である刀眞に幾度となく邪魔された挙句、幸斗の学生生活が本格的に忙しくなってきたため、なかなかキスのその先に進む機会が巡ってこなかったのだ。


 その上、幸斗の過去を明かした夜に、ようやく機会が訪れたかと思えば、吸血されたみことがそのままソファの上で寝落ちしてしまったため、結局ベッドまで運ぶことしかできなかった。


 つまり、幸斗はここのところずっと、お預けを食らっていたのだ。

 その上で嫉妬と怒りに火を点けられただけではなく、扇情的(せんじょうてき)な妻に煽られたら、我慢なんてできるはずがないし、するつもりもない。


 再度みことの唇を解放すると、黄金の瞳にはうっすらと涙の膜が張っており、今にも溢れ出しそうになっていた。


「みこと……よろしいですか」


 みことの左耳にほとんど吐息に近い囁き声を吹き込めば、華奢な肩がぴくりと揺れた。そして、頬だけではなく、耳や首まで真っ赤に染まっていく。


 みことは視線を右往左往させた末、ぎゅっと目を瞑り、先程よりも強い力でぎゅっと幸斗の首にしがみついてきた。


「そ……その前に、お風呂に入らせてください……! それか、せめてシャワーだけでも……っ!」


 今にも泣き出しそうな声で訴えてくる言葉に、思わず頬が緩む。


 ――なんて、可愛らしい返事だろう。


 全てを晒し出す前に身綺麗にしたいというささやかな願いが、愛しくてたまらない。


「……せっかくですから、お湯を張りましょうか。焦らなくていいから、ゆっくり汗を流してきてください」


 この欲望を押し殺すつもりはないが、みことを怖がらせたいわけでもない。

 心の準備ができるまで待っていると暗に伝えれば、こくこくと何度も頷かれた。


「……ゆきくん、先にお風呂に入る?」


「いえ、みことからどうぞ」


 幸斗はざっとシャワーを浴びることができれば、それで構わないから、みことに先を譲れば、首筋に頬擦りをされた。


「なるべく早く上がってくるから……待っててね」


 ならば、幸斗も可及的速やかにシャワーを済ませなければならないと、心に深く刻み込む。

 しかし、みことは幸斗にしがみついたまま、一向に動き出す気配がない。


「……みこと?」


「……ゆきくん、靴を脱がせて中まで運んでください」


 よく分からないものの、今のみことは甘えたい気分らしい。

 みことは基本的に素直で物分かりが良いのだが、時々とてつもない甘えん坊になるのだ。


 でも、幸斗はみことのそういう側面を好ましく思っている。


 みことは、父親を筆頭とした真に心を許した相手にしか甘えない。

 つまり、みことが甘えてくるということは、それだけ幸斗に心を開いてくれている証拠なのだ。


 みことの脇に左腕を入れて背に回し、持ち上げると、シルバーのパンプスを片足ずつ脱がしていく。それから、膝の裏にも右腕を差し入れ、所謂(いわゆる)お姫様抱っこをする。


 幸斗もダークブラウンの革靴を脱ぎ捨てたところで、ふと紫の眼差しと黄金の眼差しが絡み合う。すると、みことが照れ臭そうにはにかんだ。


「実は……ゆきくんに、こうやってお姫様抱っこして欲しかったから、お願いしたの」


 みことの愛くるしさが見事炸裂し、くらりと軽い眩暈(めまい)に似た感覚に襲われたものの、淡く色づいた花びらみたいな唇にまたキスを落とす。そして、みことを抱えたまま玄関から上がる。


「――おかえり、みこと」


 愛しい我が家に、この腕の中に戻ってきてくれた感謝を込めてそう囁くと、みことは不思議そうに目を丸くしたものの、すぐに笑顔で応えてくれた。


「――ただいま、ゆきくん」

第2部、これにて完結です

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