第34話 真意
暁斗に念願のハンバーガーを堪能させるというミッションを遂行した後は、予定通り、映画館に向かった。
これも暁斗のリクエストで、みことたちはサスペンス要素を含んだラブロマンスを鑑賞することになったのだ。
確か、みことの記憶が正しければ、暁斗はミステリーやサスペンスは好んでいたものの、恋愛ものはあまり得意ではなかったはずだ。
それなのに、何故この作品をチョイスしたのか。もしかして、みことに気を遣ったのか。
いや、暁斗はみこともミステリーやサスペンスが好きだと知っているはずだ。
チケットを購入し、席に着いてからも悶々と考え込んでいるうちに辺りが暗くなり、映画が始まった。
とにかく、せっかくなのだから、物語の冒頭を流すスクリーンへと意識を向けるなり、肘掛けに置いていたみことの手に隣に座っている人物の手が重なった。
(は?)
どうして、付き合っているわけでも何でもないのに、暁斗がみことに恋人みたいな振る舞いをするのか。
即座にみことの手に重ねられた暁斗の手を払い落とし、膝の上で両の拳をぎゅっと握り締め、防御態勢に入る。
(本当に、何なの……?)
暁斗が何を考えているのか、全く分からない。
幸斗も言葉にしてくれないと何を考えているのか読めないところがあるが、そんなところは似なくてもいいのにと思わずにはいられない。
(妙なところで、似た者兄弟なんだから……)
内心ぶつくさと文句を垂れ流しつつも、今は映画に集中する。
昼食代もチケット代も、何故か暁斗がスマートに電子マネーで支払ってくれたが、だからこそ感謝の気持ちを込めて受け取ったものをしっかりと堪能するべきだ。
もう暁斗が妙な真似をしてくる気配はなかったから、これまた買ってもらったジンジャーエールを一口飲んだ。
***
映画を観終わってからは、また暁斗の希望で今度はパンケーキがおいしいと評判のカフェに足を運んだ。
みことは結構食べる方だから、迷わず生クリームとミックスベリーソースがたっぷりとかかったパンケーキを注文したのだが、食が細いらしい暁斗はカプチーノだけを頼んでいた。
それから、談笑しながらそれとなく今日の目的を探ってみたものの、暁斗はやんわりと躱すばかりで、明確な答えは一向に与えてくれない。
みことがさりげなくしたつもりの質問が余程下手だったのか、暁斗が追及の手から逃れるのが得意なのか。
どちらにせよ、みことが望む成果は得られなかった。
そうこうしているうちにカフェを出て、どうしてかみことの一歩前を歩く暁斗の後ろを大人しくついていく。
もう時刻は夕方に差し掛かる頃なのだが、五月の上旬である今、外はまだまだ明るい。
(これ……多分、このまま解散になる流れだろうなぁ)
何となくこの奇妙な時間の終わりを悟り、バッグからスマートフォンを出すと、自宅からここに辿り着くまでの時間を逆算し、幸斗に迎えの連絡を入れる。
幸斗からの了承の返事を受け取り、ミニショルダーバッグの中にスマートフォンを戻していたら、暁斗は遊歩道へと進んでいった。
もしかして、もう解散になるだろうという読みはみことの早とちりで、暁斗にはまだどこか行きたい場所があったのだろうか。
「あの、あきくん――」
「――みこと。今日は付き合ってくれて、ありがとう。あいつ……ゆきとは、こういうデートをしてたのか?」
みことがもう迎えを呼んでしまったことを伝えようとした直前、暁斗に先手を打たれてしまった。
続けようとした言葉を呑み込み、みことに背を向けたままの暁斗の問いに答える。
「……うん、映画はよく一緒に観に行くよ」
映画館デートは、定番中の定番だ。
幸斗の恋人になる前もなった後も、どちらか一方が観たいものや、二人とも観たいものを観るために、よく映画館に出かけた。
結婚してからは、次から次へと問題発生して忙しかったため、まだ一回しか行っていないが、幸斗が気になると言っていた映画がそろそろ公開される予定だから、そのうち映画館に足を運ぶつもりだ。
「ふぅん……」
呟くような声が聞こえてきたかと思えば、暁斗が笑みを含んだ吐息を漏らす音が耳を掠めていった。
「あきくん?」
「いや……普通の恋人らしいことを試しにしてみようと思って、今日みことに声をかけてみたんだが……どうやら、俺にはこういうことは合わなかったみたいだ」
みことの前を歩いていた暁斗が、ゆっくりとこちらへと振り返る。
その薄くて形の良い唇には、やはり微笑みが湛えられていた。
「……わざわざ、そんな実験に付き合わせるためだけに、わたしを誘ったの?」
「周りが、どうしてみことと結婚しなかったのかって、うるさかったからな。だから、試しにデートでもしてみるかって思って声をかけたんだが……定番のデートの型をなぞっても、退屈とまではいかなくても、そこまで楽しいものじゃないな」
「そりゃあ、そうでしょ。だって、あきくん、わたしのこと好きでも何でもないでしょ? 気持ちが乗らなきゃ、デートは楽しくないんだよ」
逆に、好きな相手とならば、ただ一緒に散歩をするだけでも、それこそ何をするでもなく一日中家でまったりと過ごすだけでも、幸せな気持ちになれるのだ。少なくとも、みことが幸斗と一緒にいる時はそう思う。
みことの指摘に、暁斗は意外そうに目を瞬いた。
「……俺、何を考えてるのか分からないって、よく言われるんだけど」
「うん、そうだね。あきくんもゆきくんも、言葉にしてくれないと何を考えてるのか分かりづらいタイプだよ。それでもね、どういう感情を向けられてるのかくらいは、言葉にされなくても何となく伝わってくるよ」
たとえば、ふとした瞬間に向けられる眼差しから滲み出てくる想いというものがある。
幸斗の場合は、「ああ、本当にわたしのことを大切に想ってくれてるんだな」と眼差しから感じ取れることが多々あるし、今日の暁斗の場合は、「自分から誘ってきたのに、あんまり楽しそうじゃないな」とその目を見て思ったのだ。
「そうか……それは申し訳ないことをしたな」
「別にいいよ。わたし、時間だけは融通が利くから。でも、今度からはこういうことはやめてね。ゆきくんが不安がるから」
「俺に、みことを取られるんじゃないかって? もう結婚してるのに?」
「ゆきくんとは違って、あきくんには力づくで物事を自分の思い通りにできるだけの権力も財力もあるから。それに、鬼柳一族の横暴さを嫌っていうほど知ってるから、警戒しちゃうんだよ」
この間、幸斗はみことの魅力がどうのこうのと言っていたが、突き詰めれば、みことの魅力とやらが自分の両親と同じような事態を引き寄せてしまうのではないかと、恐れていたのではないかと思う。
(ゆきくんのお母さんも、その美しさが原因で悲惨なことになったみたいだし……)
幸斗の過去を知ったことで、その不安の本質を以前よりも理解できるようになった気がする。
「……その口振りだと、俺たちの親に何があったのか、ゆきから聞いたのか」
「……うん」
みことが言葉少なに肯定すると、暁斗にじっと見下ろされた。
「ゆきは……みことには心を開くんだな」
「さすがに結婚してるんだから、お互いに信頼できないと困るよ」
信頼できない相手との結婚生活なんて、先が見えている選択を幸斗がするとは到底思えない。
みことも、信頼関係を構築できない相手と生活を共にするなど、若干の恐怖すら感じる。
「そうか……そういうものか……」
思わず呆れ交じりに言葉を返したら、暁斗に初めて目の当たりにする生き物を見るような眼差しを注がれた。
(あ……あきくん、小さい頃にお母さんが家を出てっちゃったから、夫婦がどういうものか、あんまり分からないのかな……)
だが、両親という本来ならば最も身近な夫婦像を見る機会がなかったとしても、祖父母に育てられたというのだから、夫婦の在り方を知る機会が全くなかったわけではないだろう。
たとえ祖父母が参考にならなかったとしても、暁斗と同い年の友達である恭矢は妻子持ちなのだ。そちらも、一つの夫婦像として参考にはなるはずだ。
(まあ、あのテンションにあきくんがついていけるとは思わないけど……)
恭矢と香夜夫妻は、いつまで経っても恋人みたいな雰囲気の夫婦でもあるし、アイドルとそのファンみたいな謎の関係性までも構築しているのだ。あれを手本にするには、それ相応のバイタリティが必要に迫られるに違いない。
「……話は戻るが、みことのことが好きでも何でもないって、目を見ただけで分かるものなのか?」
恭矢と香夜夫婦に想いを馳せ、つい遠い目をしていたら、何の前触れもなく暁斗に問いかけられた。
「え、そんなのすぐに分かるよ。だってわたし、あのゆきくんと一緒に育ったんだよ?」
目は口ほどに物を言うとは、先人たちが残した立派な諺だ。
表情が薄い幸斗でも、その眼差しだけは雄弁に感情を物語っていた。
だから、みことは相手が自分をどういう目で見ているのか、他の人や鬼よりも敏感に察知できるようになったのかもしれない。
「むしろ、あきくん――わたしのこと、昔からちょっと怖がってたよね?」
好きとか嫌い以前に、初めて会った日から暁斗には何故か怖がられている気がしていたのだ。
別に、怖がらせるような真似をした記憶はない上、初対面を果たした時、暁斗は中学三年生でみことは小学二年生だ。こんなにも歳の開きがあるのだから、余計に怖がらせようがないと思う。
しかし実際、暁斗は内心の怯えをひた隠しにするかのように、みことの前では殊更笑みを張り付け、万が一にも逆鱗に触れないよう、細心の注意を払っているように見えたのだ。
虚を突かれたように露草色の双眸が見開かれたと思えば、暁斗が苦笑いを浮かべた。
「……なんだ、そんなことまで気づいてたのか」
「え、やっぱりそうだったんだ……わたし、あきくんに何かした……?」
もしかして、出会い頭に失礼なことをしたのではないかと、今さらながら戦々恐々と訊ねると、暁斗は首を横に振った。
「いや? みことは何もしてない。ただ俺が勝手に、みことは将来、化け物並みに強くなりそうで、敵に回したら厄介だと思って、無難な距離を取ってただけだ」
思いがけない返答に、今度はみことが驚きに目を見張る番だった。
「でも、こんなこと、誰にも言えるわけがないだろ? 周りにはみことはどう見ても、可愛い女の子でしかなかったし、俺もただの気のせいかもしれないって何度も思ったからな」
確かに、当時言ったところで、誰にもまともに取り合われなかっただろう。
それどころか、七歳も年下の女の子に恐怖するなんて臆病者かと、嘲られた可能性すらあるのだ。
暁斗の言う通り、気のせいで片付けたくもなるに違いない。
でも、結果としては暁斗の予感は当たったのだから、その先見の明には舌を巻く。
「だから、わたしのことを恋愛対象として見られなかったし、当然、結婚も考えられなかったんだね……」
「まあ、そういうことだ。それに――」
中性的で上品な声が途切れたと思った時には、暁斗の綺麗な顔がすぐ目の前まで迫っていた。




