第30話 過去
「みことは俺と結婚したことで、兄さんと義理の兄妹になったでしょう? それで、親戚認定されたみことに鬼柳の一族なら誰でも知ってる話を打ち明けようとしているのかもしれません」
「それって……」
まさかと息を呑むみことに、幸斗は大きく首を縦に振る。
「ええ。もしかしたら、俺たち親世代に起きた事件の話をするつもりなのかもしれません」
それは――間違いなく、幸斗が冬城一族の屋敷に預けられるに至るまでの経緯ということだろう。
みことは長年、幸斗と一緒に暮らしてきたものの、どういった経緯があって冬城家の屋敷に居候しているのか、本人の口から直接聞かされたことはない。ただ、時折漏れ聞こえてくる話から、断片的な事情を知っているだけだ。
「そういえば、みことに話したことはありませんでしたよね」
「う、うん……興味本位で訊いていいことじゃないことくらいは分かってたし、ゆきくんに辛いことを思い出させたら、嫌だったから……」
そうもごもごと答えれば、幸斗は目を伏せて逡巡する素振りを見せてから、みことを真っ向から見据えた。
「……ちょうどいい機会かもしれません。今までは、わざわざみことの耳に入れるようなことじゃないと思って黙ってましたけど……あき兄さんの口から聞かされるくらいなら、先に俺の口から説明しておきたいです」
「うん、分かった。でも……ゆきくん、無理はしないでね」
念を押すようにそう告げると、幸斗は浅く頷いた。
それから、何故かみことの両手を掬い上げ、その大きな両手で包み込んだ。
「俺の母……鬼柳アリア・カンパネッラが、イタリア出身の純血の吸血鬼だということは、ご存知ですよね」
「うん、それは知ってる」
「母は、海外からの留学生によくありがちな、日本の文化に興味があるからという理由で来日したらしいんですけど……そこに、鬼柳一族が目をつけたそうです」
その辺りの感覚は、人間だろうと人外だろうと変わらないのだなとみことが考えている間にも、幸斗の話は続く。
「鬼柳一族は、海外の人外との交流を図り、交渉を行う役割を代々担ってきたこともあって、話を通しやすかったんでしょうね。何度か顔合わせをしてるうちに、すぐに母と俺の父――鬼柳秋志の婚約が決まりました」
「ゆきくんのお母さんは、ゆきくんのお父さんの婚約者だったんだね」
「はい。伯父の鬼柳柊一はその時既に、鬼柳乙葉という女性と結婚してましたから。それに、祖父母が本家の長男の子に異国の血が混ざるのが嫌だったみたいで。だから、次男坊だった父に白羽の矢が立ったそうです」
「そう……なんだ」
「父と母が、出会ってすぐに懇意にしてたというのも後押しになったとは思いますけどね。ですが……父だけじゃなく、伯父も一目で母に心奪われてしまったそうです。母は……大層美しかったそうですから」
「うん……あきくんやゆきくんを見てれば、そうだったんだろうなって、簡単に予想がつくよ」
この説明には、思わず大きく頷いてしまった。
暁斗の容貌は母親似で、幸斗の容貌は父親似らしいが、二人とも綺麗という表現が似合う美形だ。暁斗も幸斗も異国の王子様然としているのは、明らかに母方の血が為せる業に違いない。
「そこで、伯父が踏み止まれれば良かったんですが……両親の婚約が調った後も、伯父は母に自分との結婚を迫り続けたそうです。今の妻とは別れるから、どうか結婚してくれないかって」
この時点で、みことが小耳に挟んだことがある噂話と食い違っていたから、内心首を傾げる。
(わたしが聞いた話だと……アリアさんが既婚者の柊一さんを誘惑して妊娠した挙句、今度は弟の秋志さんとも関係を持ったって話だったけど……)
実際には、逆だったみたいだ。
「母は父以外の鬼と結婚するつもりはなかったそうで、伯父の申し出を拒み続けたそうです。ですが、それでも伯父は諦めきれなかったらしいです。伯父夫婦の間には子供がいませんでしたから、余計に引き際を見失ってたのかもしれません」
「……いや、それ乙葉さんに失礼でしょ」
話を聞く限り、幸斗の伯父であり暁斗の実父でもある鬼柳柊一という男鬼には、妻への誠意に欠けていたとしか思えない。
暁斗という息子がいるため、二人の間に子供が産まれなかったのは、父親側の原因ではないのは明白だが、だからといって妻を蔑ろにしていい理由にはならない。
だが、そこまで考えたところで、そもそも鬼社会には子供を産めない女鬼には風当たりが強い風潮があったのだと、今さらながら思い出す。
(わたしの周りの男鬼さん、みんなお嫁さんを大事にする鬼さんばっかりだからなぁ……)
父は母が亡くなってからも大切に想っており、幾度も再婚の話が上がっても拒絶し続けてきた。
はとこである恭矢は、溺愛を通り越して妻を熱心に推している。
英泉と六花夫妻は、友人みたいなあっさりとした関係ではあるものの、夫婦仲そのものは良好だ。
幸斗もみことのことを大切にしてくれて、幸せな結婚生活を送っているから、つい忘れかけていた。
みことが眉根を寄せて指摘したら、幸斗は表情を曇らせた。
「……そうですね。伯父も……みことみたいに考えてくれる鬼だったら、あんなことにはならなかったんだと思うんですけど」
「あ、ごめんね。話の腰、折っちゃって。続けてください」
「はい。それで……母への執着を捨てられなかった伯父は、父が留守にしてる時を狙って、当時両親が同棲してた家に押し入って、母を、その……暴行したそうです」
「……は?」
古い考え方をする鬼社会の中で、婚約を結んでいたとはいえ、未婚の男女が同棲していたということにも驚いたが、それ以上に幸斗が言い淀みながらも口にした言葉が聞き捨てならなかった。
「母が伯父から暴行を受けたのは、その一件限りでしたが……それが原因で、母は身籠りました。その時の子が、あき兄さんです」
「ちょっ……と……待って」
続けざまにもたらされた衝撃的な事実に、眩暈がしそうだ。
つまり、暁斗は――母親にとって望まずに産まれてきた子供だったということか。
みことに待ったをかけられて素直に口を噤んだ幸斗に、深く息を吐き出してから続きを促す。
「ごめん……ちょっと混乱した……お願い、続けてください。それで……ゆきくんのご両親は、その後どうなったの?」
「はい……母が鬼柳本家の跡継ぎの子供を身籠った以上、見過ごすわけにはいかないと、母は本家に連れていかれました。ですが……伯父や本家にとっては誤算だったそうですが、母はその時にはもう父以外の血を受け付けない体質になってたそうです」
「……まさか……」
「ええ。二人を無理矢理にでも引き離せば、せっかく本家筋の子を身籠った母は妊娠したまま死ぬ。しかも、母は純血の吸血鬼で、吸血は毎日欠かせませんでしたから……最終的には二人の関係はそのままに、父も本家に呼び戻されたそうです」
鬼柳本家の鬼たちは、一体どういう神経をしていたのか。
二の句が継げずにいるみことに気遣うような眼差しを向けつつも、幸斗は言葉を繋ぐ。
「それに、当時の母は精神的にかなり不安定になってたみたいで……少しでも目を離したら何を仕出かすか分からなかったそうなので、自暴自棄になった母を止める要員は一人でも欲しかったそうです」
「それは、そうでしょう……」
幸斗の母であるアリアが――尊厳を踏み躙られ、恐怖を味わった女性がその時、どれほど心身ともに傷つけられたか、周りの鬼たちは想像できなかったとでもいうのか。
ようやく絞り出せた声は、怒りからか、あるいは失望からか、震えて掠れていた。
「ですが……産まれてきた子供は――あき兄さんは、伯父とは全く似てなかったので、母は愛そうと努力してたらしいです。ただ……あき兄さんは、幼い頃は鬼にしては珍しく身体が弱かったので……とてもじゃないけど、当主の器にはなれそうにないと、当時は散々言われてたみたいです」
鬼柳本家の跡継ぎになり得る男児が産まれたと判明した当初は、十中八九、一族内はお祭り騒ぎだっただろう。
しかし、その子供が理想通りの子供ではないと、後々分かったら、どうなったのか。
あまりにも身勝手で無責任な男は、次にどんな行動に出たのか。
「伯父は、実の子をネグレクト及び虐待をするようになっていったそうです」
「何、それ……」
我欲の果てに誕生したのが、暁斗ではなかったのか。
そして、始まりが何であれ、最初のうちは愛していたはずの女性が命がけで産んだ子を、責任を持って育て上げるのが親の務めであるはずだ。
それなのに、そんな仕打ちをするなんて、アリアも暁斗もあまりにも可哀想だ。本来、アリアと何の障害もなく結ばれるはずだった秋志も、気の毒としか言いようがない。
「母は……そこで、心が折れてしまったんでしょうね。我が子を置いて、父と共に本家から逃げ出したそうです。父も……きっと、精神的に限界だったんでしょう。その時、兄さんは四歳だったと聞いてます」
そういえば、自分の両親の身に過去何があったのか説明し始めてから、幸斗の声が感情を極力排除したものになっていたことに、ふと気づく。
この辺りの事情は、幸斗自身も他者から伝え聞いた話だからなのか。
もしくは、感情を抑制しなければ、言葉を続けられないからなのだろうか。
「その後は、両親は北海道に居を構えました。だから、俺も生まれは北海道です。それで、兄さんは……父方の祖父母に育てられたそうです」
それはそうだろうなと、先程聞かされたばかりの話を思い返しながら考えていたら、不意に疑問が湧いた。
「そういえば……乙葉さんは、どうしたの?」
途中から忽然と消えた女鬼の名を出せば、幸斗は苦い顔になった。
「まあ……あんなことがありましたからね。実家からの抗議もあって、さすがに離婚したそうです。それから間もなく再婚されたそうですが……そちらでも、子宝には恵まれなかったと聞いてます」
どうしてだろう。乙葉のその後を聞かされてから、何故か嫌な予感がする。
既に過去のことなのだから、予感という表現は相応しくないのかもしれないが、この動悸が激しくなるほどの感覚をなんて呼べばいいのか、みことには分からなかった。




