第20話 鬼柳暁斗
本日から第2部連載開始です!
――三月も終わりに近づいている今、麗らかな陽気に誘われるように桜の蕾は次々と開き、明るさと華やかさを振り撒いている。
だが、幸斗とみことが今いる屋敷には、そんな雰囲気は微塵も漂っておらず、まるで底冷えのする真冬のごとき空気が流れている。
ここは、鬼頭一族と鬼柳一族が共用で管理している、二つの一族が話し合いを行うための屋敷だ。
そして今日、幸斗殺害未遂、瑠璃への暴行、みことの女鬼としての力の覚醒及び暴走についての裁判が行われるため、大広間には大勢の鬼が集まっている。
その証拠に、幸斗たちから少し離れたところにある、大広間の障子戸越しにざわめき声が絶え間なく聞こえてくる。
ちらりと隣を見下ろせば、桃の花が描かれた淡いベージュの着物と萌黄色の帯を身に纏い、濡れ羽色の髪を綺麗に結い上げ、桃の花を模った簪を挿した姿のみことが、密やかに深呼吸を繰り返していた。
みことは、基本的に注目を集めることを好まない。
しかし、今から足を踏み入れなければならない場所では、否が応でも周囲から様々な視線を浴びせられることが目に見えているから、緊張しているのだろう。いつもよりも、呼吸が浅く速い気がする。
だから、みことの心の準備ができるまで、こうして廊下に立っているのだ。
必死に自分を落ち着かせようとしているみことの手に、するりと幸斗の手を絡ませると、はっと黄金の双眸がこちらへと向けられた。
「……もし、どうしても広間に行くのが怖いなら、無理しなくても大丈夫ですよ」
幸斗の言葉に、みことの大きな瞳がさらに大きく見開かれる。
「でも――」
「――今回の件、過剰防衛は否めませんが、それ以上にみことは被害者の側面が強いですこれから加害者とも顔を合わせなければいけないんですから、怖気づくのも無理はありません。それに、つい最近まで通院してたんですから、体調が優れないとでもいえば、誰も咎めたりしないはずです」
意識を取り戻してからのみことの体調は、すぐに退院の許可が下りるくらい、ずっと絶好調だ。
でも、桃娘にあるまじき力に目覚めたため、それについて調べるために病院へと通うように、退院する際に担当医から言い含められたのだ。
だから、決して体調不良のために通院していたわけではないのだが、そんなことは言われなければ分からない。
多少の誤魔化しで嫌なことから逃げられるのだと伝えたら、みことは目を伏せて考え込む素振りを見せた。
だが、即座に視線を上げたかと思えば、はっきりと首を横に振った。
「……ううん、行く。自分が関わってることなんだから、ここで逃げるわけにはいかないよ」
揺るぎない黄金の眼差しを注がれ、その眩しさに思わず目を細める。
――みことは、特別強いわけではない。ただ、いつも強く在ろうとしている。
どれだけ涙を流しても、迷うことがあっても、最後には必ず自らの意志で立ち上がるみことが、幸斗にはひどく眩しく感じられるのだ。
「ただ……ね」
幸斗と繋ぐ手に視線が落とされるなり、きゅっと力が込められた。
「……ゆきくんと、このまま手を繋いでいたい。そうしたら、もっと頑張れる気がするの」
もう一度視線を上げたみことは、どこか頼りなく眉尻を下げた。
「駄目……かな?」
――妻にこんな風に可愛らしく強請られて断れる夫が、果たしてこの世に存在するのだろうか。
つい、そんなことを真剣に考えつつも、みことの希望に応えてその手をそっと握り返す。
「……こんなことでいいなら、いくらでもしますよ」
幸斗がそう答えれば、みことは嬉しそうに微笑む。
「ありがとう……ゆきくん。ゆきくんがいてくれたら、百人力だよ」
「いや、さすがにそれはないでしょう」
「そんなことないよ! それに、今日のゆきくん、いつもと違って和服姿だから、眼福だし……うん、あとでじっくり堪能するためにも頑張る」
みことの言う通り、今日の幸斗は黒い着物と灰色の袴に身を包み、その上に銀鼠の羽織を纏っている。
鬼の集まりに参加する時には礼装が必須であるため、男鬼である幸斗は和服かスーツを着ていかなければならないのだ。
幸斗としては、スーツで参加しようと思ったのだが、こういう場には和服で行けと刀眞に助言されたため、今に至る。
「眼福……ですか」
身支度を終えて一応鏡に映る自分の格好を確認した幸斗が真っ先に思い浮かんだ感想は「着物の着付け体験中の海外からの観光客」だった。それくらい、異国の血が濃く出ている自分が和服を身に纏う姿に違和感を覚えたのだ。
だから、みことの感性がいまいち理解できない。
「うん! ゆきくんの袴姿、すっごく新鮮で素敵だよ!」
つまり、物珍しさに心惹かれたということだろうか。
「ありがとうございます。でも、みことの方がもっと素敵ですよ。他の誰にも見せたくないくらいです」
みことの評価にはやはり疑問を禁じ得なかったものの、褒められたこと自体は悪い気がしないため、素直に感謝の言葉を伝える流れで、妻の着物姿を賛辞する。
実際、今のみことの姿は桃の花の妖精みたいに可憐で、できれば他の男鬼の目には触れさせたくないのが本音だ。
「あ……ありがとう……気持ちの上で負けないように、今日は気合を入れておめかししてきたんだ」
みことは相手を褒める時はぐいぐいと来るのに、自分が褒められる側に回ると、途端に照れてしまうところがまた可愛らしい。
妻の愛くるしさに頬が緩みそうになったものの、大広間が近づいていくにつれ、自然と気持ちが引き締まっていく。
「みこと、行きますよ」
「うん、こっちはいつでも大丈夫」
二人、顔を見合わせて頷き合った直後、幸斗がエスコートする形でみことと共に青々とした畳が敷き詰められた大広間へと足を踏み入れた。
すると、先程までの喧騒が掻き消え、波を打ったように場が静まり返った。その代わり、どこからともなく聞こえてくる囁き声が、鼓膜に纏わりついてくる。
大広間にひしめき合っているのは、ほとんど屈強な男鬼だ。そんな男鬼が何事かを囁き合っている様は、なかなかに不気味だ。
しかし、先刻まで緊張に駆られていたのが嘘みたいに、みことは堂々とした足取りで幸斗に手を引かれて進み続けている。
常ならば表情豊かな顔からは感情が読み取れず、本当に技巧を尽くして作られた人形みたいだ。
それでも、まっすぐに前を見据える黄金の双眸からは強い意志が感じ取れ、みことが相手に付け入る隙を与えないように気を張っているのだということが、間近にいる幸斗には伝わってくる。
「……ゆきくんは、すごいね」
空いている席に腰を下ろす間際、幸斗にしか聞こえない程度の小さな声でみことが囁きかけてきた。
どういう意味だろうと思いつつも、無言でみことが座布団の上に座る補助をしていると、透明感のある愛らしい声が言葉を継ぐ。
「わたしは、こんなに緊張してるのに……ゆきくんは、ここに来る前も今も、ずっと落ち着いてる。しかも、無理してそうしてるわけじゃなくて、自然にできてるんだよ。それって……誰にでもできることじゃないと思うから、ゆきくんはすごいよ」
みことの声音からも表情からも、心から幸斗を尊敬してくれているのだと、ひしひしと伝わってくる。
賞賛の眼差しに苦笑いを浮かべ、幸斗も腰を下ろしながら言葉を返す。
「別に、すごくなんてありませんよ。俺の場合、ただ……心の一部が麻痺してるだけだと思いますから」
幼い頃から――正確には両親を失ってから、幸斗は他者から負の感情を向けられても、何も感じなくなった。
前向きな感情を差し出されれば、人並みに喜びや照れ臭さを覚える。
でも、幸斗自身が言葉にしない限り、思ったことが伝わりにくい上、いくら負の感情を突きつけられても、欠片も心が動かないのだ。
だから、きっと幸斗の心の一部が上手く機能しなくなっただけで、強さとは違うはずだ。
きょとんと目を瞬いたみことの、紅を引いた花びらみたいな唇がうっすらと開いて何か言いかけた時、不意に上座から声が上がった。
「――全員、揃ったようだな」
この場にいる全員の耳朶を打ったのは、中性的で上品な声だ。
その声に引き寄せられるかのように上座へと視線を移せば、上座には鬼頭本家の当主である英泉と、先程の声の主である男鬼の姿があった。
神秘的で艶やかなシルバーブロンドに、露草色と呼ばれる鮮やかな青い瞳の持ち主である青年は、中性的な美形であり、男鬼にしては細身であるため、その容姿は異国の王子さながらだ。
秘色の着流しと勝色の羽織に身を包み、感情が読み取りにくい薄い微笑みを浮かべながらみことを眺めているその男は――幸斗の従兄であり、異母兄でもあり、鬼柳本家の当主でもある鬼柳暁斗だ。
「それでは――鬼柳幸斗殺害未遂、鬼頭瑠璃への暴行、鬼柳みことの女鬼としての力の覚醒及び暴走について、これより裁判を始める」
暁斗が視線を流すと、今まで閉められていた襖障子が静かに引き開けられていく。そして、幾人もの男鬼が後ろ手に縛られ、監視の目がついた状態で大広間の中へと通されていく。
今日という日を迎えるまでの間に、おそらく拷問を受けたに違いない。ほとんどの鬼の顔は、原型を留めないほど腫れ上がり、覚束ない足取りで歩かされている。
だが、それでも尚、その顔には見覚えがあった。
(……俺たちを襲った奴らか)
この場へと連れてこられた鬼たちは英泉と暁斗の前に、これから裁きを受ける罪人らしく跪かされた。
ちらりと隣を横目に窺えば、みことは表情を強張らせつつも、自分たちを襲撃し、自らの手で報復した鬼たちをひたと見据えていた。
次回更新は今日のお昼の12時です




