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13.
それからずっと、考えていた。
これからどうすべきか。
私は負けてしまったのだろうか。エリカに。
これからどうすればいい?
靄のかかった空虚な部屋でただそれだけを考えていた。
私はこのまま夢を集め続けるべきなのだろうか。それとももうやめるべきなのだろうか。
私の夢はそこまでしてかなえるべきものなのだろうか。私に夢を奪われた人々、その総数よりも、ずっと私の夢はかなえるべきものなのだろうか。里ちゃんのあの美しい夢よりも?
それにだって少年だって、あんなに青い顔をして謝っていたのだし、おばさん達が追い返していたけれど葬式にも真新しい喪服を着て現れた。あの少年にだって夢はあるのではないか。私の夢をかなえるとすれば彼の夢までも永久に奪うことになるのではないか。彼の可能性をすべて奪ってしまうのではないか。彼には彼の未来が、これから先の輝かしい未来が、待っているはずなのに、それを私が勝手に奪ってしまっていいのだろうか。
いやいやでも父だって。私の父も私には絶対に必要な人だったし、ずっと面倒を見てくれていたし。高校生のころはむかつくことも多かったけれど、今ならちゃんと愛されていたのだと思えるくらいには世話をしてもらっていた。私は父が好きだった。なぜ彼が永遠に奪われてしまったのだろう。あの少年がいなければ。あの少年がいなければ、父は今も私の隣の部屋で眠っていたのだ。私の隣の部屋で寝て起きて、私に朝食の催促をし、ごみの袋を持って出勤していたのだ。なぜ彼は今いなくなってしまった?
一方に傾けばもう一方が盛り返し、そちらに傾けばまた片方の論が口調を強める。
堂々巡りのまま、私はまどろんでいた。
14.
「おはよー。となり空いてる?」
「ああ、うん。おはよー」
千尋の席の隣が開いていたので座らせてもらう。
「なんか久しぶりじゃない?」
「んー、そうかも。最近ひきこもってたから…。」
「おいおいー」
ははは、と笑いあう。
「でも今日からは頑張って授業でるからね!ってことでノート見せてーー!」千尋を拝む。周りにも無断で欠席のため、代返も頼んでいなかった。一応ノートはそろえておきたい。
「まあ、授業終わったらねー。って最近里子も見ないんだよねー。何か知ってる?」
「へ!?里ちゃんも?いやいや全然知らないー!」
「そっかー。なんか会っても元気なさそうだったりで…。何かあったのかなー。」
最近、最近…。里ちゃんにかかわることで何かあった気がするんだけど…。何だったかな…。
「へえー。私最近会ってないからわかんないなー。どうしたんだろ。」
「んー…。ああ、それよりさあ…」
そのあとは最近はやりの映画の話をした。好きな俳優さんが出ているらしい。絶対見るよーー。と約束をした。
昨日の朝、目が覚めると胸にぽっかりと穴が開いた気がしていた。何か空虚な感じ。今まで大切にしていたものがすっぽり根こそぎ取り去られた感じ。でも不思議とその分胸が軽くなってさわやかな気分。カーテンを開けて、窓を開け、朝の空気を吸い込んだ。より一層さわやかにはなったけれど、何だこれ…。
脱いだ服がそのまま放り投げてあるし、頭はべとべと。それになんだか埃っぽい。
一瞬我にかえって、何か大切なことを思い出した気がしたけれど、すぐに霧散してどこかへ行ってしまった。
部屋を出てもまたひどい。ごみがあふれている。特にカップラーメン。確かに最近寝てばかりで散らかした記憶はあるけれど…。全く。なんであんなにぐーすか寝てられたんだろ。頭が痛くなりそうなものだけど。――そこでまた何か違和感がした。何かを忘れている気がする。何か大切なことを忘れている気がする。
…いや、関係ないか。
結局その日は掃除で1日が終わってしまった。あーあ。
それにしても里ちゃん休んでるんだ…。心配だなー。
15.
私はずうっと考えている。
私はあの少年をどうするべきなのだろうか。どうしたいのだろうか。父は私にどうすることを望んでいるのだろうか。考えても詮のないことばかりぐだぐだと考えていた。わかっていても問い続ける。問い続けることしかできなかった。エリカにとらわれた私には。
私だって少しは考えている。あの少年を欲に任せて殺すこと、殺してもらうことは人道にもとる行いではないか。少年は事故を起こしたとして罰金刑は課されているのだし、その意味では十分裁かれているその上に私が彼らに頼んで彼の命までも奪うことは法に反する行いともとれるのではないだろうか。頭では分かっている。私の理性は何度もそう叫んできた。けれど父を失ったことによる日々の違和感や喪失感は理性などでは補えない。そもそも理屈が出張って自分を納得させようとしている時点でもう駄目なのだ。私は父が死んだことに対して心の底では納得していない。私はあの少年が憎らしい。そしてその思いがクロネコたちを引き寄せたんだろう。全国で毎年何万人の交通事故での死亡者がいると聞いても、まさか私に関係する日が来るとは思ってみなかった。いくら何万分の一もの事例でありふれているからと言って、刑務所にも入らず罰金で済むほどの軽い刑だなんて思っていなかった。人が一人死んでいるというのに。状況からいっても、人は出会いがしらの不幸な事故だという。少年の過失は小さく、避けることの難しい事故であったと。私も正直それは思う。けれど、それと少年が父を殺したという事実とは別だ。親戚がいくらかいるとしても、私の直接の肉親は父一人であり、その父一人を私はどれだけ頼りにしていただろう。その父が少年によっていきなり奪われてしまったのだ。私はまだそれにとらわれている。私は父が死んだと聞いた日から一日たりとも経過していない。私が前へ進むにはこれにけりをつけなければいけないのだ。すなわち少年を殺す、と。けれども、ああ、私は怖いのだ。これほど大きな思いが少年を殺すというただ一つのことで果たして解消されるのだろうか。私は少年という対象がいるばかりに彼を殺せば父の無念が晴れるとそう勝手に信じ込んでいるだけではないのだろうか。もしかしたら他にも道はあるのかもしれないし、そちらのほうが正しい可能性は十分すぎるほどにある。
父さん、私はいったいどうすればいいんだろう。
ねえ、父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん父さん
「ああ」
16.
何かを忘れている。はっきりとそう感じる。何か大切なことを忘れている。それはわかるのにそれ以降のことが一向にわからない。考えて考えて、わからずにもう二週間近くがたっている。
忘れていることにおそらく関係のあること、つまり日常で違和感を感じる点は二つ。里ちゃんと睡眠だ。
いったい何の関連性があるのかは全く分からないが、この二つについて考えるときは何かの違和感を感じる。この二つに関しては何かがおかしい。里ちゃんは私が何かを忘れたころから元気がないし、この2週間寝ている間夢を見ない。偶然かもしれないし、夢に関しては起きた時に忘れているだけ、ということも十分に考えられる。けれども何かがおかしい、と私は感じるのだ。
授業帰り、家についてドアを開ける。
「ただいまー」
返事はない。当然だ。だれもいるはずがないのだから。
それでもつい言ってしまうこれは癖だろうか。頭の奥から父の「おかえり」という声がした。
空虚な気持ちになってため息をつく。父はもう死んだのに。
部屋着に着替えてリビングへ行き、テレビをつける。
大したものはやっていない。
暇だ。
そのままだらだらとみていると6時になった。
ニュースが始まる。どこの球団が勝ったの、芸能人の熱愛発覚だの殺人事件がどうたらこうたらいっていた。
そろそろ夕食を作らなければいけないだろうか。
ぼうっとニュースを眺めながら冷蔵庫の中身を思い出す。
ああ、その前にご飯を炊かなくては。
テレビに飽きて姿勢を変えると母と並んだ父の写真が目に入った。
そこに黒い影が視界をよぎる。
ああ、まただ。
何かの予兆だろうか。それにしても黒とは縁起が悪い。
バチンとテレビを消した。
お米をといで、炊きあがるまでには一時間かかる。
テレビを見る気分にもならなかったので、マンガでも読もうと部屋へ向かう。
ドアに手をかけて、考えた。
この隣は、父の部屋だ。
静まり返った部屋のなか。父が死んで以後、片付けをするのに何度か入ったが、それでも普段は入ることはない。
私の中で、隣の部屋はまだ父の部屋だった。
なんとなく中に入ろうと思った。
ドアをノックする。…なにをしているんだ、私は。
返事を待たずに中に入る。返事なんてするはずがないし。
心なしか父の匂いがした。
イスに座ったり、本棚に置いてある本をぱらぱらとめくったりして暇をつぶした。
イスはよくオフィスにあるような、丸くてふかふかのクッションがついているイスで、くるくる回るのが楽しい。
背もたれをギイギイいわせながらイスの上にしゃがんだ。上を見上げる。
父が生きていたころと何も変わらない天井。電気のかさのところに埃がたまっている。
リビングからピーっと鳴る音がした。
炊飯器だ。
思ったよりもぼうっとしていたらしい。
いけない。まだおかずを何も作っていない。
もう。どうしようか。
適当に野菜を切っていためた。
夕食は結局8時近く。おいしくもまずくもない野菜をぱくつく。
半分だけ食べて、あとは明日の朝食にすることにした。
顔をあげると父の写真が目に入る。
またしても黒い影。
今日はなぜか父が気になる。
死人なんてもうどうしようもできないのに。
食器を片づけて、洗って、しまった。
線香を出してきて、火をつける。
父と母の写真に手を合わせた。
頭がまともに働かない。今日はどうも、むなしい気分だ。
きっとそれは今、父さんが死んでいるからだ。
少年の青ざめた顔がふっと脳裏に浮かんだ。それをかき消す。
息をつき、目を閉じて祈った。
ねえ、父さん。私、どうしたらいいんだろう。
父さん、父さん。
黒い影が猫の形であると気付く。
「ああ」
17.
「起きたか。」
だいぶ近くから男の声がした。
茶髪に外ハネ、そばかす。クロネコだ。
私は固い地べたに寝ている。黒猫はそのそばで片ひざを立てて座っていた。私をのぞきこんでいる。
頭がぼうっとする。
「起きろ。」
もう起きてるって。
「立て。」
起きぬけに何よ。
クロネコが立ち上がって手を差し出す。
「もう…」
立ち上がる拍子に地面が見えた。
「!!何これ!」
ガラスのように透明で、奥に行くほど暗くほのかに青い地面の中に何人もの人間が沈んでいた。
「エリカの集めた夢だ。」
もう大分、ぎっしり詰まっている。
「さっきまでお前もこの中にいた。ほら、ここがあいてるだろう?上のほうにいるほど、力が強いんだぜ。よかったな。」
「…よくないわよ。」いや、だとか、怖い、だとか、気持ち悪い、だとか、いろいろ思っていたのだが、クロネコがあまりにあっさり言うものだからなんだか脱力してしまった。
「いや、よかった。あともう少し遅かったらエリカの夢がかなえられてしまうところだった。」
クロネコがほっとしたように言った。
改めて地面を見る。
「エリカの夢はここがぎっしり詰まったらかなうの?」
「ああ、そうだな。あともう少しだ。」
調度品も何もない空間。天井に暗い青が反射して、まるで洞窟の中のようだ。
海の上に立っている気がして、ぞっとした。
「逃げるぞ。」
クロネコが人間の姿のまま私の手を引く。
早足で歩くたび黒猫の革靴がコツコツと音をたてた。
場違いにも存在するごく普通のドアを開けるとその向かいにはさらに同様のドアがあった。
クロネコはそれを無視して右へ曲がる。白を基調とした廊下にドアが乱立している。
今にもそこからエリカが出てきそうな気がして内心気が気ではなかった。
しばらく歩いていると不意に水から上がるような感触がした。夢から出たのだ。
後ろを振り返ると何もない空間がただ広がっていた。
クロネコはどんどん歩いていく。手をひかれて私もてくてくと歩いて行く。
こうして夢の中を歩くのは久しぶりだ。時々足もとが抜ける感覚がして怖い。
かっちりした黒いベストを着たクロネコの背中をじっと見つめる。
迷いのない足取りに、とりあえずこのままついていけばいいか、と思った。




