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9.
「なに、これ」
そこはまるで廃墟の一室だった。
「何がだ?」
部屋の真ん中にあるテーブルに猫がうずくまっている。
黒猫はグイッと伸びをして自分の背中を舐めた。
「ここはお前の夢の中だ。」
「猫が、しゃべった?」思わず声が裏返る。ちょっと恥ずかしい。
「夢だからな。」
「――ああ、そっか。夢だからか。」にしてもしゃべる猫なんて魔女の使い魔みたい。
「そう。夢。――ところでお前の夢ってこいつか?」
テーブル手前の椅子に少年が座っている。ヨーロピアンなこげ茶色の椅子だ。
よく見ると胸を刺されて死んでいる。
「キャッ!!」
「…きゃっ、ってお前。自分のやったことだろう?」
「え?!そんな。私そんなことしてない…。」
「顔をよく見ろ。心当たりはないか?」
「えぇー…」気味は悪かったが妙に力強い猫の目に促されて顔を見る。
「!この人…!」
まだ少しあどけない顔つき。青い顔をして私に謝っていた、彼は。そう。
「この人は…。」そう、確かに私が殺したのだ。
彼は驚いたように目を見開いて固まっている。ぴくりともしない。
「心当たり、あるようだな。」
なら話は早い。
黒猫がニイッと笑う。なんて表情豊かな猫なんだろう。
「これ、はまだ想像上の死体だ。お前が頭の中で殺したやつの死体だ。なあ、――」
思いもかけないことを言われた気がする。
「え、なに」
「現実のものにしてやろう。この男を、殺してやろう。」
「そんな。どうやって。」
黒猫がははっと笑った。
「これだよ。」
彼は立ち上がり、尻尾で背後の容器を撫ぜた。
ガラスのようなものでできた透明な容器があった。丸く、装飾はない。入口だけがぽっかりと空いている。
「なに」
「今も中に少し入っているだろう。」
来い、と目配せされたような気がするのでふらりと近づいていく。
直径30センチほどの丸い容器の底に申し訳程度に数滴の水。
「お前の夢の総量だ。」
「え?」意味が分からない。
「お前の夢にかける気持ちを可視化したものだ。…まあ量が多ければ多いほどいいと思ってくれればいい。」
「え?」
「この中に夢をためる。」
「ためる?」
「そう。この世界にはお前以外にも夢を持っているやつは大勢いる。そいつらから拝借してくる。」
「それって、…そんなこと、していいの?」
「ただの夢だからな。現実世界でちょっと心変わりするくらいだ。」
「…ふうん」
「で、やるか?」
「やる、って何を?」
「この中に夢をためて、この容器を満杯にすれば褒美としてお前の夢をかなえてやる。」
「えー…?」
「なんだ、お前、信じてないな?」
なぜわかった。
「顔に書いてあるっての。」
「…」思わず顔に触れてしまう。
「言っとくけど、ほんとのことだぜ?本当に、かなえてやる。」
私はじっと黒猫を見た。
「…そう、信じられないならちょっと裏話をしてやろう。」
彼は楽しげに笑った。
「これはな、慈善事業じゃないんだよ。俺らにとってお前の夢をかなえてやるのはおまけでしかない。」
「?」
「俺は…、まあ地獄、と思ってもらえればいい。そこの世界の下っ端だ。見てもわかるだろうが人間じゃない。」
猫だしね。
「そこの上の奴らってさ、すごい暇なんだよ。毎日同じことばかりで娯楽がない。んでどこかに娯楽が転がってないか、と思ったら、ビンゴ。お前たちがいた。」
笑いがいやらしいものに変わる。本当に、表情豊かな猫だ。
「お前らの夢をかなえてやるかわりにおもちゃになってよ。ってこと。お前がこれを承諾すれば俺は上にこのことを報告して、お前はめでたくおもちゃの仲間入り、ってわけ。どこからかは知んないけどさ、上の奴らには見えるようになってんだよ。この世界のことはどこだって。」
だんだん話が見えてきた。
「お前らが夢を集めるのに四苦八苦してるのを見て、やつらは喜ぶわけ。」
「…夢を集めるのって、大変なの?」
「大変といえば大変だしそうじゃないといえばそうじゃない。夢の強さは人それぞれだからな。ローリスクローリターンをとるかハイリスクハイリターンをとるか、って感じ。まあそこのところは俺が調整するから。お前は行った先で夢を集めればいいだけだ。方法は追って説明する。――な、どうだ?やる気になったか?」
「そんな、おもちゃ、だなんて。」
「でもやつらは見てるだけだからさ。本当に。実害はないんだぜ?ちゃんと夢を集めてれば、絶対に夢はかなえてやるし。な?」
「危なくないの?」
「お前らが危なくないように、俺がついてるんだ。俺だって遊びじゃない。ノルマもある。こっちもお前に何かあったら困るようになってんの。だからできる限りサポートする。」
「なんか、いまいち…。」
黒猫が私を見る。
「だって、夢の中の話だし…。」
「じゃあ、とりあえず考えるだけ考えといて。今日はもう朝に近いし、返事は今度聞こう。」
遠くの方で鐘が鳴る音がする。
「でも忘れてるかも…」
「夢だからか?」
「うん…」
音が近づいてくる。
「忘れないよ。これは。」
瞼か重い。
「ちゃんと、考えておけ。悪い話ではないはずだ。」その黒猫の、口元をじっと見ていた。
10.
ごろり、とベッドの上で寝返りを打った。
エリカ。勝気な瞳が印象的な彼女。
『ねえ…』
笑う唇。
ああ、想像上の言葉だというのに。
『私に、ちょうだい?』
一瞬あげられるものならあげたいと思ってしまった。
――でも、だめだ。
私にはかなえたい夢がある。父の仇を討つのだ。
あの少年を、殺すのだ。
『―でも本当に…―』
彼女の言葉がよみがえる。
『本当に?』
今日の私はどうかしている。もう寝よう。
寝ればきっと、朝になる。朝になれば今日の事なんて覚えていない。
毛布を顔まで引き上げた。
11.
ベッドの上に寝そべったままゲームをしていた。午後4時。寝すぎて頭が痛い。さっさと寝て夢を集めに行きたいが目を閉じても全く眠れない。お腹が空いた。インスタントラーメンを食べる。
お腹が満たされたからだろうか。ベッドに寝ていると眠気が襲ってくる。逆らわずに目を閉じた。脳裏ではあの少年がバラバラに引きちぎられている。血が至る所に飛び散り、少年の悲鳴が辺り一面に響く。いい気味だ。
今日も夢を集める。
眠る。
集める。
眠る。
集める。
眠る。
12。
今日の相手は7、8歳の子供だった。夢の世界を縦横無尽に駆け巡る。分別のつかない子どもだけに、この世界では厄介。思いもよらない行動を仕掛けてくる。
「ちっ!」
捕まえようとする手をするりするりとすり抜ける。
突然後方をうかがっていたクロネコが叫んだ。
「逃げろ!!」
私は何事かと後ろを振り返る。その前に
脇腹から二本の腕が生えて私を捉える。
「つーかまえた。」
「!!あなた!」
足元でクロネコが吠えている。
「おい!どういうことだ!!先に入ってたのは俺らのほうだぞ!!」
「だって…」と答えたのはエリカのパートナーらしき外人の男性だ。
「エリカが行きたいって言ったから…。」
「はあ!?エリカがなんっつったからって非常識だろ!これは!!」
クロネコが怒鳴っている。
私と追いかけっこをしていた男の子が不思議そうにこちらを見ている。
「お姉ちゃん、つかまっちゃったの?」
「んん〜?」エリカが男の子を見る。
おいでおいで、と手招き。
トコトコと近寄ってきた男の子の頭を撫でるそぶりをして、つかむ。
夢がしゅるる、とガラス玉の中に凝縮された。
「ふふ。もーらい!」
「おい!エリカ!!」
「ふふーん。いいじゃない、これくらい。…それにね、今日はあなたに用があってきたのよ。ユーコちゃん。」
エリカが弾む声で告げる。
「突然だけど、今日はね。」お腹に回る腕がぐっと強くなる。
「あなたの夢を、もらいに来たの。」
体にかかる重圧。「おい!!」遠くでクロネコが叫んでいる。
「ねえ、」
間近でのぞく、エリカの瞳にぞっとした。
狂っている。
――私よりも。
「『ちょうだい』?」
赤い唇がニイッと笑う。
力が抜けた。




