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1.
目の前を無彩色で彩られた女性たちが歩いてゆく。がやがやとうるさい街並み。現実世界の渋谷のようだ。私はその街の中を歩いていた。人の多い場所はあまり好きではないので足取りはこころもち早足になる。
きょろきょろしながら歩いていると、しばらくして目的の人物を見つけることができた。赤いダウンのベストを着た20代ほどの男性。彼こそがこの夢の持ち主だ。後ろから肩を叩く。
彼が振り返る。あ、やっぱり。久しぶりだね。私だよ、私。なんて。二言三言、適当な言葉を交わして、私は彼の手を握った。こういうのは勢いが大事なのだと最近学んだ。結局目覚めた時には忘れているのだ。旅の恥はかき捨てと言うではないか。
にこりと笑う私と違和感に怪訝な顔をする彼。だけど、今更、もうちょっと遅い。
この程度なら、このままいけそうだ。
彼をつかむ手に力を込めた。彼を中心としてギュルギュルと縮んでゆく世界。建物が歪み、空と街路樹が混ざり合う。彼ははっとして私の手を振りほどいた。とたん世界の縮小が止まる。その手をつかもうと私は再び手を伸ばす。しかし届く前に彼はかけて逃げてしまった。縮むのをやめた世界は今度は混沌の螺旋をえがきながら暗く濁っていく。濃い紫色の闇の中に私と逃げていく彼の背中だけが明確に浮かび上がった。地面の感覚さえも次第に薄れていくようだ。不安定な足下に少しひるむ。しかしこの世界に限っては、地面なんてそこにあろうとなかろうと、私が歩こうとすればそこに足場はできるのだということを、私は知っていた。意外なしぶとさを見せる相手を私は急いで追いかける。男女差や、日ごろの運動量などから現実世界では決して追いつけないスピードも、夢の世界でなら追いつける。彼が自分の夢に対してかけるエネルギーと私のそれとでは私のほうが強いからだ。普段はしない運動にハッ、ハッと強く呼吸をした。
「あーあ。油断は禁物って言ったのに。中だるみか?」足元で茶々を入れてくるやつ。それを無視して私は再度彼の腕をつかむ。腕をつかんで彼を引き倒しそのまま馬乗りになる。世界がまた縮小を始めた。青い顔をして恐怖に暴れる彼を押し籠めて、私は世界をどんどんと凝縮していく。世界はどんどんと小さくなる。輪郭が丸くなり、彼ひとりがやっと入るくらいの大きさになってもまだ縮み続ける。縮むにつれてはみだした彼の足や手の先が見えなくなる。彼の方ももう暴れる元気はなくなったようで目はかろうじて開いているもののぐったりとしている。そして体の半分も見えなくなったころ、モザイクをかけるようにゆっくりと、彼の体は薄れていった。
最終的に、私のてのひらにはビー玉ほどの透明な石が残った。私は馬乗りを崩して地面に寝そべる。
「おー。おめっとさん。」やついわく、これは水晶に似ているらしい。私にはガラス玉にしか見えないのだが。石を確かめるように握って一息つく。硬質な感触。達成感に口もとをゆるめる。
「ちょっと手こずった。大した相手じゃないって言ってたのに。」
「それはお前が油断してかかったからだろう?もっとちゃんとつかんでればあんな追いかけっこなんてしなくてすんだのに。」
私の周りをクロネコが優雅に歩く。まんま図星をついてきたので何も言い返せずに黙る。
「ほら、帰るぞ。起きろ。」
彼は夢の世界の水先案内人だ。彼がいなければ、私はたくさんの夢が漂う宇宙のなかをやみくもに歩くことになる。ハッキリ言って自殺行為だ。人は自分の夢の中からでしか現実世界に帰ることができない。迷ってしまったら、思念体のこちらはいいかもしれないが、現実世界の私は昏々と眠り続け、いずれは死んでしまうことだろう。
「待ってよ。」私は歩き出したクロネコの後をあわてて追いかける。そこから私の世界までは遠いのか、近いのか。個人の夢の中ではない夢の外側は何もかもがあやふやで、時々足もとが抜ける感覚がして心臓に悪い。やつはいずれ慣れると言っていた。一見何もない世界の中を、やつはときどき何かをよけるように蛇行して歩く。きっとそこに誰かの夢の入り口があるのだろう。人間の私には見えない。扉のような形だったり、ただの裂け目だったり、ブラックホールのような穴があいていたりするものらしい。もし間違って入ってしまったら大変なので注意をしなければいけない。
足が何か柔らかいものを踏んだ。次いで粘着質な液体に包み込まれるような感触。両足と、体を全部入れ終えて、ふと腕を見たらびっしりと鳥肌が立っていた。うわ、気持ち悪い。
その部屋は廃墟のようだ。いたるところが壊れ、壁紙がはがれ、カーテンはもれなくビリビリになっている。その中央にはテーブルと椅子が3脚。一つの椅子の上には若い少年がのっていて、胸ををナイフで突かれ、ぐったりとしている。暗い闇の中で細かくは見えないがきっと死んでいるのだろう。これが私の夢の世界だ。この少年が死ぬことが、私の夢。
そしてテーブル。木でできていて脚は真ん中に一つだけ。どこかの洋館にでもありそうな造形。少し背が高い。テーブルクロスも何もしかれていない質素な机の上に丸い金魚鉢のような入れもの。金魚鉢の、上のひらひらを切り取ったような形だ。中空の球体の上を少しだけ切り取った形、と言ってもいいかもしれない。透明でつるつるしている。中には透明な液体がほんの少しだけ溜まっている。私は微笑みながら、先ほどとってきた彼の夢をその中に落とした。球体がコロン、という音を立てて容器の底につき、氷が解けるのを早回しにするように、3秒ほどで液体に溶けて混ざった。液体のかさが少し増す。それを見て微笑んだ。ああ、うれしい。
「よくそんなんで喜べるな、お前。まだこんなしか溜まってないぞ。」クロネコがこんな、と言って容器の下の方を舐めた。その体制のままこちらを見て憎たらしく笑う。
「まあ、それは始まったばかりだからしょうがないでしょ。…でも、この調子で。どんどん溜めて、この容器が夢で満杯になったら、そのとき」
「お前の夢は叶う。」
私はにじみでる笑みのそのままに、容器に頬ずりをした。
頭の奥でゴーン、ゴーンと鐘が鳴る。そろそろ目覚める時間だ。
2.
それは突然の出来事だった。夜中に突然電話が鳴った。時計を見るときっかり12時。それだけはよく覚えている。
私や彼の周りの人にとってだけ、突然の出来事だった。
きっとそのほかの人にとっては何の変哲もない夜のこと。幸せに包まれて眠りについた人がほとんどだろう。この世界の、いや、日本の中に限定したって、これはそう珍しいことではないのだ。今この瞬間にだって生まれる人は生まれているし死ぬ人は死んでいるだろう。同じ時に、幸せの絶頂にいる人と何もかも無くして路上で途方に暮れている人も、何でもいる。それから比べたら全然、全然、他の人にとっては関係のない、突然のことなんかでは…、
――回りくどいことをいっても仕方がない。父が死んだ。
そんなに突出していい父親ではなかったが、早くに母を亡くした私を男手ひとつで育ててくれた。
恩は感じていた。普段はそんなこと、言ったことはないが。
交通事故だったらしい。ある少年が載っていたバイクと細い路地の曲がり角でぶつかった。
当りどころも悪かったのだそうだ。
父は死んだ。
通夜や葬式は親戚のおじさんおばさんが手伝ってくれたので何とかこなすことができた。学校にもその間は行っていられなかった。忙しかったのと、なんだかいく気がしなかったのと。友達も父が死んだことは知っていたので、無理してまでこなくていいよ、と言ってくれていた。
まだ父が死んだことを実感できない。半月が過ぎた。
見慣れた母の写真の隣に見慣れない父の写真。仏壇はないので適当な棚に置いて、時々線香をあげている。
なぜ父は死んでしまったのだろう。
私一人だけのがらんどうとした部屋。二人でいたときも部屋が余っていたくらいなのに、一人で暮らすとなるとこれは私の手には余る。ここを引き払って手伝ってくれていた叔父夫婦のところに引き取ってもらおうか、という話もあったが、私ももう二十歳になるのでまだ考え中、と言ってある。本当に申し訳ないことだ。他にもいろいろと考えなければいけないことはある。しかし
なぜ父は死んでしまったのだろう。
警察に聞いた事故当時の状況を頭の中でシュミレーションする。
くらい真夜中に、細い路地で。外灯もほとんどついていない。飲み会の帰りに酔っぱらいながら、紺色のスーツを着て歩く父。少しスピードを出したまま曲がり角に入るバイクと運転する若い少年。頭の中でバイクのギュルギュルギュル、というエンジン音が大きく響く。――あっ!
ドンっという音とともに父が跳ね飛ばされた。
思わず目を開く。その後のことは想像していられない。
同時に一度だけ会ったその若い少年の顔を思い出す。青い顔をして私に謝っていた。
悪い人ではないのだろう、とは思う、が。
頭の中で何度もその若い少年を殺す。曲がり角で父とぶつかるその前に。父の死んでいた病院で怒りにまかせて。はたまたただ突っ立っている彼の腹を突きさして。切り刻んだ。想像上の彼はまぬけな顔をしていた。
頭のどこかでこのままではいけないという思いはあった。父が死んでひと月近くたとうとしているがまだ立ち直れない。友達もそろそろせかしてきた。今期の単位は危ないかもしれない。
頭の中で少年を殺す。少年を殺す。少年の存在をすべて消し去りたいと願う。彼がいなかったら父が死ぬ事なんてなかったのに。
ソファーに寝っ転がりながらもぞりと身動きをする。頭の奥のどこかで、鐘が鳴った気がした。
3.
「あーーーー、終わったーーー」
3時間以上学校のパソコンの前にかかりっきりで、やっとレポートを仕上げた。途中ずっと休んでいたこともあって話がもうついていけない。友達に助けてもらわなかったらきっと落としていただろう。もうこの先生やだーーー。
「でも内容はユーコ好きでしょ?」
「でーもさー」
「っていうかまたクマひどいよ。ちゃんと寝てる?」
「んー、いや寝てるけどさ。昨日からもうわけわかんなくて。これはもう里ちゃんに頼むしかないって思ったんだ。ほんと助かったよ。」
「ならいいけど。」
父が死んでふた月ほど。ひと月を超えたあたりから学校に来出した私を、まだ友達はときどき心配そうな顔で見る。
「まあでも。今日はもう帰って寝ようかな。」
「そーしなよ。」
「うん。じゃね。」
「バイバーイ。」
里ちゃんはまだ学校に用事があるらしい。一人家路につく。
「遅い。」昨日の夜から頭の奥でごんごんと鐘が鳴っているのは気づいていた。気づいていたがレポートの提出日は今日の17時までだ。寝るのが遅すぎて、夢を追う気力よりも睡眠欲が勝ってしまったのだろう。不思議と夢の世界で目覚めることはなかった。
「…もう、うるさいなあ…。しょうがないじゃない。レポートあったんだから。」
「お前は夢を集めるよりもレポートのほうが大事なのか。」
「そういうわけじゃないけどさぁ。あの先生とりあえずレポート出さないと単位くれないんだもん。」
「ふんっ」黒猫は尻尾をぴんと立て、尻をふりふり歩く。「最近の奴はよくわからん。」なんだか不機嫌そうだ。いや、ここの何日かはずっとこんな感じか…。
私も彼の後ろについて歩き出した。
「今日の相手はどんな人?」
「20代後半、男。」
「…なんかそんな感じの人多いね。」
クロネコが眉根をよせて私を振り返る。
「バカか。」開口一番。思わずむっとする。黒猫はまた正面を向いて歩き出した。
「お前はまだ力が弱い。下手なやつにぶつけたらお前がつぶされて終わりだ。」つぶされて、というのは他の人の夢に圧倒されたりして自分の夢を追う気がなくなったりすることを指すのだそうだ。実はそこのところ、私はまだよくわかっていない。ただ、つぶされてしまうのはだめらしい。
「ガキの夢は無邪気すぎて引きずられる。あんまり歳くったやつらの夢は執着質。人にもよるけどな。お前の相手はせいぜい10代から30代までだ。」
「ふーん」
「いいか、俺らは慈善事業やってんじゃないんだ。お前たちは上の奴らの娯楽に供するために選ばれたにすぎない。俺にとっても仕事だ。ノルマもある。せいぜい苦労もしつつピンチも入れつつ、かつお前を負けさせずに夢をかなえてやらなきゃいけない。面倒なことこの上ない。」
やっぱり不機嫌だ。
立ち止まる。
「着いたぞ。」
「うん。」
クロネコが先に中に入る。私も続く。
「さっさと仕留めちまえ。」
標的は目の前にいた。聞いていたよりも少し年のいった男と、きれいめの女性、子供が二人。しあわせ家族計画というやつだろうか。びっくりした顔でこちらを見ている。
私はリビングのど真ん中に現れた不審者だ。旦那さん、おそらくこの夢の持ち主、が代表して私に話しかける。
「君は…誰だ?」
「…」
クロネコを見るとめんどくさそうに顎をしゃくられた。まあ、問題も見当たらなかったので、
私は彼の腕を力いっぱいつかんだ。
「なっ!!」
もともとリビングしか見えていなかった夢の世界。夢はあっという間に消え失せた。手の中にはいつものようなガラス玉。しかし心なしか軽い気がする。
終わったのを見てやつはさっさと歩き始める。帰るのだろう。私はそれを追いかける。
「ちょっと、これ…。」
「なんだ」歩みは止めない。
「いや、だってこれ…。」
「うるさいな。もうこの近辺のはあらかたとりつくしてんだよ。その上目えつけてた最後の一個は昨日あいつらに持ってかれた」
「あいつら…、って、いや、誰?」
「お前みたいのがほかにもいるんだ。俺みたいのもな。いわゆる同僚ってやつ。前は比較的夢も多かったからこんなことはなかったんだが…最近は量も質も悪くなってな。他の奴がやってるところでも平気でとっていきやがる。まあ、今の状況で手っとり早くかなえようと思ったら量集めなきゃならねえしな。」
ってことは、「ライバル…?」
「にもなんねえよ。あっちの方が強い。…いや、今は同じくらいだろうけどな。あいつら、特例コンビだから。」
意味はよく分からないが、状況は悪いらしい。
「ちょっと、それ、大変なんじゃないの?」
「大変、…だがまあそこまででもない。ユーコが頑張って遠出すればいいだけだ。」クロネコはお前のせいだと言わんばかりに、牙を出していーっ、という表情をする。最近機嫌の悪い原因はこれだったのか、とようやく思い当たる。
「まったく、俺の負担も考えろと言うんだ。お前はボケっと後ろ歩いてるだけだから疲れるだけかもわからんが俺はちゃんと道のりも考えて歩かなきゃいけないんだぞ。しかもちゃんとお前が捕まえられる範囲の夢に連れて行ってやらなきゃならない。」
遠くにちゃんと夢があるならそこまで連れてってくれればよかったのに。
やつが鼻を鳴らす。「今日はもう時間がない。お前、レポートで疲れすぎだろ。そんな状態でやっても大した成果は出ない。――現実ではあんまり疲れてくるなよ。」
無茶を言う。そんな毎日でもない夢集めのために昼間を犠牲にはできないのに。それならちゃんといついつ行くから準備しとけとかそんなさあ…。
「おい、ぐちぐちうるさいぞ。」
「って頭の中読まないでよ。っと、」いつの間にか私の夢についていたらしい。いつものぐにゃりとした感覚。やつは普通に歩いて行くからそれがあるまで気づけない。
「お前が勝手に垂れ流してるだけだ。聞こうと思って聞いてるんじゃない。」
「そろそろ寝ないと寝坊するぞ。」頭の奥で荘厳な鐘の音が響く。意識が急速に薄れていった。
手からガラス玉がコロンと落ちる。あっ、と思って見ていると、クロネコがそれをくわえて容器に落とした。そこで途切れる。
それにしても夢の中からまた「寝る」だなんて。ちょっと可笑しい。
習作です。
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