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君は危ないクスリ  作者: マーベル
1/1

初めての。

 私の名前は委員長だった。小学生の時も中学生の時も名前どころか苗字で呼ばれることは稀だったと思う。

 怖くて冷たくて真面目な委員長。それが私、近江 陽向(このえ ひなた)だった。髪は黒く、小さい頃から伸ばし続けた髪はお気に入りなので切れなかったが、目元が隠されていた長い前髪は切り捨てた。みんなに恐れられてきた冷たい目。それを隠すための長い前髪。ただ見ていただけで怖がられるなんて御免だと思っていたが、そんな自分にも嫌気がさす。

 教育熱心な両親に昔から期待をされ、それを壊すように志望校に落ち、そのまま滑り止めの私立高校に入学することになった。両親に狂うほど怒られたことを思い出し、浅くため息をつく。

 私は親なんて大嫌い。どうせ自分のことしか考えていない。小さい頃から習い事もいっぱいさせられて、こっちの身にもなってほしいものだ。だから、志望校に落ちたのもただの反抗心だったのかもしれない。なんて両親が知ったら私はどうなるんだろう。終いには殺されたりするのではないだろうか。しかし、学校では浮いていて、家庭でもただの操り人形なんて救いようがなさすぎる。

 歩いていた足を校門の前で止めた。そして学校を見上げた。春だというのに強く、熱い日光に目が霞む。天気は晴れ。雲ひとつない、快晴。

 私のようだ。悩みなんてもう一つもなくなった。

『委員長ってヒナタって名前だっけ?意外〜!』

『ヒナタというより、ヒカゲっぽいよ』

『全然名前に合ってないねー!』

 私は陽向。陽を向くと書いて、陽向。私は今日から日陰から1歩踏み出そう。

 そんな思いのまま、教室のドアをガラガラと音を立てて開けた。ザワザワとした教室だったが、バッと皆顔をこちらに向けた。強く心臓が鳴るのを感じる。しかし、クラスメイトたちはすぐ私から目線を外し、話をし始めた。

 もう新しいグループが出来上がっている。少し出遅れたかもしれないという焦りが私の中でも出始める。

 黒板の席表を確認し、真ん中の最後列に目を向ける。しかし、私の席は大勢の人達に阻まれていた。私の隣の席の人が人気者なのだろうか。その人の周りにたくさんの人がいるのが嫌でも目に入る。

 集う人の中は楽しそうで笑い声なんか聞こえてくる。中心にいる人はどんな人なのだろうか。寄り集まる人混みに目を向けると、人混みの中心にいる人が一瞬見えた。

 一瞬だったが、確かに“人気者”だ。人気者、いわゆる陽キャラ――。勿論、外見は良かった。少し明るい髪色にミディアムレイヤーな髪型。しかし陽キャラの特徴は顔がいいだけじゃない。性格も優しいのだ。だからその人の優しさに甘えてその人に人が集っていく。だから私は陽キャラに集う人達も、その中心にいる鈍感バカも大嫌い。

 と、思っているが自分の人生を変えるなら、このバカたちと仲良くするしかないのだ。

 席に寄り、座ろうとしたが椅子を引くところに人がいる。

「あの、じゃ……」

 邪魔。そう言おうとした時、ある声にかき消された。

「キキー。そこ邪魔なってるぞ」

 キキ、と呼ばれた男子はハッとさせ、私に顔を向けた。そして邪魔だったことに気がついたのか「ごめん!」と謝り、素直にどいてくれた。

 私より先に注意をしてくれた人に顔を向ける。その人はあの輪の中にいる中心の人だった。机に肘をついていて、私と目が合うとニコッと笑った。

「……」

 ウザイ。なんだか、ムカつく。自分に――。

 私が予想した通りだった。陽キャラは優しい。性格が良い。しかし、その優しさに漬け込んでいる人たちも大嫌い。そういったのは誰。紛れもなく、私だ。

 なのになのに!今嬉しく思ってしまった。私が『邪魔』だと言葉を発していたらどうなっていただろうか。彼が私の気持ちを代弁してくれたおかげで私には何も害はなく、収まった。それが彼のおかげだというと私は彼の優しさに漬け込んだ…ということになるんじゃないか。

 ぷいと彼から目を逸らし、あからさまに無視するような態度を取った。

「お礼のひとつもなし?」

「感じ悪くね?」

 ああ。せっかく害なく収まろうとしていたのに、結局これだ。彼に集っていた人たちの声が嫌なくらい飛んでくる。

 何をしているんだろう、私。これじゃあ、昔と同じじゃないか。昔と変わろうとしているのに周りが変わってくれるのを私はただ、待っているだけ。結局は自分が変わろうとしないとダメなんだ。

 もう1度、彼の方に顔を向けた。しかし、どうせ彼は私のことは見ていない――。

「……!」

 パチッと目が合った。こちらを見ていた彼と視線がぶつかり合う。もしかして、私が彼を見るまでずっと見ていたのか、待っていたのかという考えが頭をよぎる。

 言うべきだ。『ありがとう』と――。

「…ぁ。……」

 しかし、言葉が出ない。喉につっかえて言葉を上手く発音できない。いや、言わなくてもいい、伝えたい――。

 パクパクと口を『ありがとう』と言うように動かした。すると彼は驚いたような顔を見せたが、またニコッと微笑み、

 “どういたしまして”

 と、口パクをして返事を返してくれた。

 バカみたいだ。彼は優しい。そんな優しさに漬け込む私も、バカだ。



「ということで、今から委員会決めるぞ。」

 その担任の言葉に教室中に批判が飛び散る。その理由も分からなくもない。入学一日目にして委員会を決めるとは急な話である。

「静かに。えーと、まずは学級委員長だな。あと、副委員長も」

 ドキンと胸が鳴るのを感じる。小学、中学と成績を残すために委員長に立候補していたが、それもやらなくていい。私は委員長という名前を捨てたんだから。もう私は委員長となんて呼ばれない。――と、思っていた矢先だった。

「はいはーい!推薦しまーす!」

 中学が一緒だった川本。川本は右手を挙げ、大きな声を出した。なんだか嫌な予感がする。予感は、確信に変わる。

「委員長…じゃねーわ。近江さんがいいと思いまーす!」

 クラスがしーんと静まり返ったと思うと、ザワザワとどよめきだした。ドキンドキンと心臓が痛いくらいに波打つ。やめて、お願いだから。

「近江って誰?」

「あの人だよ。めっちゃ目付き怖いって話してたじゃん」

「あのあからさまに冷たい人な。一匹狼みたいな…」

 バッと視線が私に集まる。私は膝の上でぎゅっと握った拳をただ見つめていた。じわじわと汗が滲んでいく。

 目付き怖い?冷たい人?一匹狼?

 何も話していないのに、私は存在するだけでそう決めつけられる。

「あー。俺も賛成だわ。中学3年間ずっと委員長やってたじゃん」

 中学3年間同じクラスだった佐川も声を上げた。すると、その事実が強かったのかみんな口々に賛成の意見をあげていった。

「真面目そうだしいいねー!俺も1票!」

「じゃあ、アタシも!」

 何も知らないくせにそうやってみんなが賛成するからって賛成して…。上辺だけで人を判断して……。

 ああ。みんな嫌いだ。

「ってことだが、近江。いいよな?」

 いいよな?というのは確認のための言葉だ。どうして圧をかけるんだろう。私はやっていいなんて一言を言っていない。

 反論しようと頭をあげ、ハッと息を飲んだ。クラス中がこちらを向いている。面倒な仕事だからって、押し付けている。

「……は、はい。大丈夫、です」

 そう言うと、乾いた拍手がクラスの中を包んだ。賞賛なんて意味の無い拍手。勿論、嬉しくなんてない。虚しい。

 席を立ち上がり、黒板の前に立った。

「じゃあ進行はお前に任せた。まず、副委員長からな」

「はい」

 先生は出番が終わり、というように事務机に座った。先生もだ。全て私に押し付ける。

 副委員長なんて決まるだろうか。もし、誰も手を挙げることがない時はどうしようかと考えながら口を開いた。

「副委員長の立候補はいませんか。推薦も可能です」

 しんと静まり返った。先程私が推薦されたように、誰も誰かを推薦するようなことはしなかった。そうだろうな。“私”だから推薦したんだから。

 すると、静かな教室にひとつの右手が挙がった。その人の顔を見て、息を飲んだ。

 私の隣に座る、人気者の彼だった。彼は机に手をつき、席を立ち上がった。

「俺、大倉 影介(おおくら えいすけ)はー。副委員長に立候補しまーす!」

 ザワッと一瞬でクラスにどよめきが走った。クラス中に色んな声が飛び交う。

「えっ?大倉マジで!?面倒だぞ、委員長なんて」

「影介そんなキャラじゃねーだろ」

「そうだよ大倉くん。やめときなよー」

 あははー。呆れをこえて笑えてくるね。

 面倒だって?その面倒な仕事を押し付けられた私の身にもなってよ。

 悔しくてジンと目じりが熱くなる。ここで泣くなんて有り得ない。歯をかみ締めて涙が出るのを必死に押えた。すると、たくさんの飛び交う声に被さるように彼の声があがった。

「面倒な仕事を勝手に押し付けてるお前らの方がひでーんじゃね?」

 なんで。

「まぁ、とにかく俺は副委員長だから。異論は?」

 先程のどよめきは一気に消え去った。誰も異論の声をあげない。

「よし。決まりだな!そんじゃ、他の委員会決めていきましょー!」

 大倉くんは笑顔でこちらに寄ってきて、チョークを手に持った。そう思うと私の手にチョークを握らせ、

「黒板に書いて。俺が進行するから」

 と、耳打ちをした。俯いたまま、こくんと頷く。目元にはたくさんの涙が溜まっていた。顔なんて見せてないはずなのにどうして泣きそうだと分かったんだろう。どうして私が今ほしい言葉、行動をしてくれるんだろう。

「んじゃ、まず風紀委員からな!」

 そうして、大倉くんの進行のおかげか委員会はすぐに決まっていった。

 ――また私は彼の優しさに漬け込んでしまった。



「……あ。どうもありがとう」

 クラスのみんなが帰って行った放課後。私と大倉くんは早速、委員長の仕事を任されていた。というより扱きを使わされていた。

 たくさんの教科書を運びながら彼と並んで廊下を歩く。さっき、大倉くんが私の持っていた教科書の山を半分貰ってくれたため、大分楽になった。しかし、彼の教科書の山はもちろん増えた。

「いえいえー?女の子に重いもん持たせるとか男失格だしな!」

 グイッとこちらに寄ってきてまた優しく微笑んだ。それにドキリと胸が鳴ってしまう。大倉くんのこめかみ辺りには汗がじんわりと滲んでいるのが見えた。疲れているように見えないのはただのポーカーフェイスだったらしい。男の子だって、重いものを持つのは辛いものだ。

「よーし。到着ーっと。」

 教室の中へと入り、机の上に教科書の山をずしりと置く。本番はここからだ。

 机を2つで1つにくっつけ、向かい合って席に座る。私たちの仕事はこの何教科あるのか分からない教科書の全ての数を確認しないといけないのだった。そしてそれを報告するという面倒な作業だ。正直、先生がやればいいと思う。

「はぁ。先生がやればいいのに。なーんで面倒な作業を俺らに押し付けるんかなー」

 そうケチケチと文句をつけながらも彼は教科書の数を確認していく。

「…今日はありがとう」

 私のその言葉に私はハッとする。何か自然に声が出ていた。今日はありがとうとか…恥ずかしい。

「ん?なにが?」

 彼はポケーと阿呆な顔で頭を傾けた。私は驚いて目をパチパチと見開くことしか出来ない。

「今日の委員長決めの時、みんなを叱って…くれたり、私が泣きそうになっていた時とか、変わってくれたり……」

 俯きながらも今日あった出来事を述べていく。やはり泣きそうになっていたことを話すのは抵抗があったのか、自然にそこだけ声が小さくなった。恐る恐る大倉くんの表情を確認するように顔を上げた。

「あー!そのことね!あれは叱ったっていうより、俺が思ったことを言っただけ。つーかさ、泣きそうになってたの?」

 グイッと机越しに彼の顔が寄ってくる。言ってしまったと後悔をする。そして、またまた恥ずかしい!

 赤い顔のままこくりと頷く。すると、大倉くんの顔はいつものような笑顔になった。

「マジ!?俺、近江って人前で話すの苦手なんかなって思って考慮したつもりだったんだけど…。見事に外れたな!」

 その笑顔にぎゅんっと心臓が引っ張られるような感覚がした。

 わかった。彼のことが、わかった気がする。

 大倉くんは、すごく優しい。そして、その優しさに甘えてその人に人が集っていく。それは間違いだった。甘えてなんていない。彼自身をみんな信頼しているんだ。だから、彼についていくのも彼が正しい判断をしていると信じているからなんだ。

 そうして、辛いことや苦しいことがあれば、大倉くんがいるだけで何処かにそんな感情は消え去ってしまう。

 なんというか、大倉くんって――。

「薬みたい」

「……く、クスリ?」

 いつの間にか声に出ていたみたいだ。少し動揺しながら首を縦に振る。

「大倉くんは苦しいことも痛いことも治してくれる薬。だからみんな大倉くんを求めてやってくる……って痒いね」

 そう話しながら顔の熱が一気に上昇していくのを感じる。私は意外とポエマーなのかもしれない。

「クスリ……、ってさ―――」

 教科書を数えていき、大倉くんの言葉が止まったので顔をあげた。

「いや。やっぱりなんでも!それより、LINEやってる?」

 話題の変え方が無理矢理な気もするが、大倉くんはポケットからスマートフォンを取り出した。少し小さめで昔の機種なんだと勝手に想像をする。

 友達なんていなかったため、自分にはスマートフォンや連絡網は必要がなかった。しかし、高校に入り、親に携帯を持たされたのだ。使い道はないと思っていたが、…それはただの思い込みだったよう。

「あるよ。交換しよう」

「すごっ。新しい機種じゃん!」

「…え?そうなの?」

 それから機械音痴の私は大倉くんに教えられながらもLINEの交換をした。ペットの写真だろうか。アイコンは真っ黒な猫だった。写真だが、きゅーんと心が癒されるのを感じる。

「…色々、ありがとう」

「う、うん…。こちらこそ?」

 私は日陰だった。そして日向というものに憧れていた。でも、私は日陰から出られないんだと思っていた。

 しかし、それはただの勘違い。

 無理矢理日向に行こうとなんかしなくてもいい。だって、大倉影介(太陽)がすぐ側にいるから。

 ―――私はもう、日向に立っている。



「ははっ。それマジかよ!おっもしれ〜!」

 昼休みの時間に大倉くんの目立つ声があがった。本から目を離し、彼の席の方をチラッと見ると、女の子たちが大倉くんを囲って話をしている。

 なんだか嫉妬してしまう自分が嫌だ。大倉くんと少し話しただけなのに、大倉くんは皆に優しいんだから。

 入学式から2週間近く経った。大倉くんと隣の席だからといい、たくさん話すことはなく、勿論親交も深まっていない。時間はあっという間に過ぎていった。そうする間にも席替えをし、私と大倉くんは離れてしまったというのもある。

 そんな事を思っていると、ハッとあることに気づく。放課後まで担任の教師にクラス全員分の入部届を提出しろと言われていたのだった。昨日で仮入部期間が終わり、今日までには入部届を提出しなければならない。

 ちなみに私は帰宅部だ。運動は不得意というわけではないが、特別したいとも思わない。中学でも勉強に励むため、帰宅部だったというのもある。

 委員長の私に提出していない人――それは(はやし)くんだった。林碧海(うみ)。ちなみに話したことは無い。

 席を立ち上がり、窓側の1番前の席に座っている林くんのほうに近づいた。林くんは何か一生懸命書いては消しゴムで消してを繰り返している。そっと近づいて何を書いているのかと思い、静かに紙を覗き込んだ。それは入部届だった。まだなんの部活に入るか決めていないのだろう。分かりやすく頭を抱え込んでいる。

 林くんは1:9の前髪で短く、斜めにカットされていた。黒髪でいかにも爽やかスポーツ少年のような容姿なので何の部活に入るのか決めていそうだった。上辺だけで判断するなと思っているくせに私だって判断しちゃっている。直さないといけない。まずは彼のことを知るべきだろうと林くんに話しかけた。

「…あの。林くん」

「うわぁっ!」

 耳元で声を出してしまったせいか、林くんは肩を震わせ見事に驚いた。笑いをこらえていると、たまたま空いていた窓から風が入ってきて彼の入部届が宙を舞った。

「あっ!」

 私は宙を舞う入部届に手を伸ばしたが、すっと空振ってしまった。そしてそのまま風に流されるまま、入部届は窓から外に出ていってしまった。

「うっそだろ…!」

 林くんは焦った表情で窓から身を乗り出した。

「あー。木に引っかかってる。不幸中の幸いだ。じゃあ、俺取りに行ってくるわ」

「え!?いや、ま、待って!」

 林くんは切り替えてササッと教室を出ていってしまった。謝ることも出来ないまま、彼について行く。

 廊下を走る際、彼を見失ってしまった。そのまま1人で校舎裏へと行くと林くんが大きな木を見上げていた。

「あ…林くん」

「え。こ、近江?ついてきたのかよ」

 名前を覚えてくれているということに嬉しくなる。林くんの方に歩いていき、同じく木の上を見上げた。木の枝の間にかろうじて挟まっている。今日は不幸にも風が強いので、今にも飛んでいきそうな勢いだ。

「ごめんね。私のせいで」

「はぁ?近江の悪いとこどこだよ?とにかく、入部届をどうにかしねーと」

 林くんは大きくため息をついた。私の責任なのにそれを責め立てない。良い人か人に興味が無い人……おそらく彼は前者だろう。

「いいよ。私が先生に頼んでもう1枚くれるよう頼むから」

「もうそんな時間ないだろ。はぁ…。どうするか…」

 林くんの言う通りだ。今日中なのでもう時間はない。仕方がない。

 私は風に揺れる入部届を見た。そしてゴクリと息を飲んで覚悟を決める。

「私が木に登る!」

 制服の袖をまくり、木に近づいていく。ラッキーなことに足をかけやすく、登りやすくなっている。

「ちょちょちょ!何言ってんの?!危ねーよ!?」

 グイッと止められるように腕を掴まれる。

「危ないから私がやるんでしょ!」

 手を振り払うようにブンブンと手を振った。しかし、離してはくれない。責任を取らせて欲しいのに。

「お願い!登るの、好きだから!」

 ああ。なんていう言い訳だろう。馬鹿げている。

 林くんは驚いたように目を瞬かせたが、ふっと吹き出した。柔らかい笑顔にきゅんとする。

「わかったよ。好きなら仕方ねーな。危なくなったらすぐに降りてこいよ!?怖くなったら無理しないこと!」

「……林くんってお母さんみたいだね」

 そう言うと林くんはゲッと顔を歪ませて「まじか」とショックを受けたような声を出した。そんな彼に背を向け、木に登るため足をかけた。そして折れなさそうな枝を掴む。その繰り返し。ただの興味で振り返り、下を見下ろした。意外と高くて背筋がピンと凍るのを感じる。すると、下にいた林くんと目が合った。彼の顔は真っ赤になって何故か両手で顔を覆い隠すようにしていた。もしかして……。

「…っ!?」

 スカートから下着が見えているらしい!手を離しそうになったが、慌てて手に力を入れ、体勢を戻した。

「お、俺は見てねーから!」

 そう林くんは必死に弁解しているが、照れている=下着を見たという解釈で合っているだろう

 逃げちゃいたい気持ちになりながらも、入部届に必死に手を伸ばす。人差し指の先が入部届に当たった。

「……あっ」

 すると、またもや風が吹いてまた入部届が宙に舞った。何故か入部届が遠くに行ってしまうような気がして、木から体を身を乗り出し、両手で入部届を掴んだ。ほっとしたのも、つかの間。私は何をしているのだろう。もちろん、体は重力に従って下に落ちていく。臓器が浮く感覚がしたと思うと、おしりにドンッと衝撃が走った。

「いぃ"っ!」

 ビリビリと雷のように痛さと熱さがジリジリとやってくる。痛みで固く歯をかみ締めた。

「えっ!?近江!?なんで落ちてんの!?」

 林くんは顔を覆っていたから事の始終を知らないのだろう。この際、とても助かった。自分の下着に感謝しよう。

「林くん。これ」

 まだ痛みは引かないまま、その場に立ち上がった。スカートについた砂を手で払い、入部届を彼に差し出す。

「……。なんで」

 林くんは入部届を受け取り、ポツリと小さな声で何かを呟いた。

「なんで、そこまでする?俺、近江に恩とかあった?」

 彼にとって私のとった行動はお節介だっただろうか。図々しかっただろうか。

「私は、委員長だから」

 そうニカッと笑って見せた。

 委員長なんて大っ嫌い。好きになんてなるはずなかった。……そう。私は矛盾している。嫌いなのに、委員長という今の役目が誇らしくて仕方がない。委員長という役目が好きで好きでどうしようもない。みんなにもっと頼られたくて、大倉くんのように信頼してほしい。

 林くんは驚いたように目を大きく未開けたが、優しく微笑んだ。

「俺、近江のこと勘違いしてた。入学式の時から冷たくて正直苦手だと思ってんだ。…ほら、覚えてるかな?近江が席に座る時、俺が邪魔してて―――」

「あ!もしかして、キキって呼ばれてた人?」

 キキというのは林くんのことだったらしい。林くんは「そうだ」というように首を縦に振った。

 私と林くんは教室に戻ろうと歩き出した。今の時間が昼休みでよかったと安心をする。まだ時間には余裕がある。

 隣を歩きながら彼に質問をした。

「林くんってどうしてキキって呼ばれてるの?名前…碧海だよね?…あ!魔女の宅急便のキキに似てるから!?あの、黒い猫!」

「ははっ。ちげーよ。それに、キキは女の子の方で黒い猫はジジだ。」

「あー…。そうだっけ?」

 ジジかキキか名前が似すぎてごちゃごちゃになってしまう。

「林って木と木の2つから漢字が出来てるだろ?だからキキだって」

「…。大倉くんって意外とセンスないんだね」

 キキだなんて誰でも思いつきそうだ。

 すると、林くんは遠慮がちに苦笑した。

「つけたのは影介じゃねーよ?影介の――。いや、俺らの友達かな」

 何故か林くんは言葉を濁した。少し気になったが、図々しいと思われるのも嫌なので詮索はやめておこう。

「そういや、林くんって大倉くんと仲がいいよね?」

「うん。中学からの仲だけどな。……知りたい?アイツのこと」

 林くんは半歩前を歩いている。そして後ろを振り返ってわざとらしくニヤけた。それにカッと熱くなる。

「影介はモテるからなー。」

「ちっ、違う!好きじゃない!」

「…え?俺好きだとか一言も言ってないけど」

 墓穴を掘ってしまった。顔だけじゃなく、身体中に熱を帯びるのを感じる。

「俺より影介のこと詳しいやつがいるんだけど、会ってみる?」

「会わない!別に知りたくないから!」

 否定すると林くんは「嘘つくなよー」と言ってからかわれる。すごく恥ずかしくて嫌だ。からかわれるなんて人生で初めてで嬉しいと思っている自分を憎めない。

「……でもさ。」

 いきなり林くんの声のトーンが落ちた。思わず廊下の真ん中で立ち止まってしまう。彼は数歩歩いて止まった。そのまま私に背を向きながら言葉を放った。

「アイツはやめといたほうがいいよ」

 表情は分からない。だけど、冗談ではないのはわかる。どうせなら冗談の方がよかった。何が何だか分からない。

「完全に好きになっていない今ならまだ間に合う。まだ身を引ける。実らない恋なんてする必要、ないでしょ?」


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