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pier7 ほろ苦い笑顔を訪ねて

 



 砂浜では客の撤退が本格的に始まった。ようやくロッカーにも空きができて、邪魔なカバンを放り込んだ里花子たちは真の自由を得た。もう荷物番はたくさんだ。肌は焼けるし、ナンパされるし、なぜかやたらと顔に水を浴びる。

 バーベキューエリアに陣取っていた『Reunion』も、ご多聞に漏れず、午後五時を回る頃になって撤退準備を始めた。鹿骨や大杉の指揮のもと、水着姿のメンバーたちが続々と調理器具の撤去やゴミ集めに取り掛かっているのを、浜辺の貝をほじくり返して遊んでいた麻希たちが見つけた。


「もう帰るんだ」

「早くない?」

「これから楽器の練習だったりして」

「まさか。楽器なんて誰も持ってないでしょ」

「ホラでも吹くんじゃないですか」

「それはあんただろ、船堀」

「ひどい! 嘘なんか一度もついてないもん! 怜菜先輩の指示で先輩を撃ったことも正直に白状したじゃないですか!」

「その怜菜を騙してTDS(テーマパーク)へ連れていこうとしたのは誰よ」

「だって本気にするなんて思わなかったしー!」


 空虚な応酬を続ける里花子や悠紀をよそに、瑛子は砂浜に立ち尽くしたまま、作業を進める大学生たちの姿を一心不乱に見つめていた。こういうときは奥手な子ほど態度に出る。怜菜の見立ては実に正確だった。ひとりぼっちで心細い思いをしているところへ手を伸ばし、頑丈な腕でナンパから救い出してくれた大杉に、瑛子はものの見事に堕ちてしまったようだ。

 二十分と経たずに撤退作業を終え、大学生たちの軍団はぞろぞろと橋へ向かい始めた。


「行きましょ。お礼を言わなくちゃ」


 意味ありげな目くばせを飛ばした怜菜が、五人の先頭に立って歩き出す。意図を察した里花子が軽く背中を押すと、おずおずと瑛子も歩き出した。向こうも怜菜の姿に気づいたようで、少し歩くコースを変え、こちらに寄ってきてくれた。


「あの、先ほどは本当にありがとうございました。とってもご馳走になりました」


 怜菜の(うやうや)しい物腰に、鹿骨も大杉も「こちらこそ」と頭を下げ返した。


「うちらも助かったからさ。Win-winだよ」

「そうそう。鹿骨が食い過ぎで豚骨になるのも避けられ──ごふッ!」

「あ、お礼は要らないからね」


 裏拳の一閃で大杉を撃沈した鹿骨が、小切手を取り出そうとしている怜菜を笑顔で牽制した。気の回りの早さに改めて里花子は感服した。怜菜も大人だが、気配りの行き届いている鹿骨は別の意味で大人だと思う。いつか自分も彼女のように、無条件の優しさとおおらかさをもって誰かを笑顔にできるだろうか。水鉄砲を構えて悠紀を追いかけ回しているうちは無理かもしれない。

 突っ立っている瑛子の傍らに、悠紀や麻希が「ほら」と耳打ちした。


「チャンスじゃん。いるかいないかだけでも聞き出しなよ」

「でも……」

「そのためにシオフキガイ集めたんでしょ。話のきっかけに渡すんだって」


 見れば、瑛子の両手は何かを隠し持っている。ここ三十分ほど、後輩どもが潮干狩りと称して砂浜をいじくっていたのを里花子は思い返した。嫌な予感がこめかみによみがえった。


「……あんたたち、まさか(それ)、プレゼントするとか言わないよね」

「他のなんだと思ったんですか?」


 ニヤニヤ笑いながら悠紀が聞き返す。驚愕と呆れのあまり里花子は激しい眩暈(めまい)を覚えた。──貝を? 取りたての貝を? アクセサリーとかじゃなく? 正気の沙汰とは思えないが、当の瑛子も熱を上げすぎてだいぶおかしくなっているらしい。

 里花子の煩悶など知るよしもないまま、瑛子は黙って唇を結び、裏拳のダメージで座り込んでいる大杉のもとに寄ってゆく。その後ろ手には無数の貝が掴まれている。綺麗な年輪状の模様をもつ小型の二枚貝、シオフキガイ。葛西海浜公園の潮干狩りでは最もポピュラーな存在だ。里花子の眩暈(めまい)はいよいよ悪化を極めた。


「あの」


 震える彼女の声に、大杉は苦しそうな顔を上げた。


「さっき、わたしのこと助けてくれて、その……」

「だから気にすんなってー。おれも見てて気分悪かったからさ」

「それで、あの、その、この」


 とめどなくあふれ出るこそあど言葉を、瑛子はぐいと飲み込んだ。悠紀が、麻希が、固唾を飲んだ。肝心の貝を渡し忘れていることにも気づかないまま、彼女は本題を切り出してしまった。


「大杉さんって今、彼女とか……いるんですか」


 背後の大学生たちが一斉に鹿骨と大杉を見交わした。噴き出すのをこらえるような彼らの表情が残酷な真実を物語っていたが、肝心の瑛子は大杉を見つめることに必死で視界にも入れていない。果たして、大杉は目を見開き、眉を傾けて思案したかと思うと、控えめに「あー……」と唸りながら傍らの代表を見上げた。


「悪いな」


 鹿骨も困ったように微笑している。

 瑛子の目が二人のあいだを往復した。言外に事情を理解した彼女は、それでも気丈に笑顔を繕った。


「……変なこと聞いてごめんなさい」

「ううん。気持ちはとっても嬉しいよ」


 瑛子の頭を撫でるように軽く叩いた大杉が、行こうか、と背後の衆に呼びかける。そういう行動が誤解を生むんだ──と呆れつつ、立ち去ってゆく彼らの背中を里花子は見送った。いまさら里花子が声高に指摘しなくとも、きっと彼は嫌というほど彼女に説教されているだろう。優しい笑顔には不釣り合いなほどの苛烈な暴力とともに。

 ざらざらと貝の落ちる間抜けな音が響いた。

 見ると、瑛子は両手で顔を覆ってしまっている。


「……分かってました」


 指の間から悲痛な声が漏れた。


「仲良さそうだし、付き合ってるのかなって思ってたし……ガキのわたしなんて相手にされるわけないって分かってたのに……もしかしたらって……変な期待しちゃったから……」


 なまじ純情であるばかりに、慰めの言葉がひとつも思いつかない。それにつけても恋は盲目とはよく言ったものだ。ひときわ真面目で感性のしっかりしているはずの瑛子が、意中の人にシオフキガイなんか渡して一体どうするつもりだったのか。おそらく(そそのか)したのは両隣の悪友二人なのだろうが──。

 途方に暮れて突っ立っていると、その悪友の片割れがおもむろに水鉄砲を構えた。

 嫌な予感を抱いた里花子が後ずさりするや否や、銃口を飛び出した海水が瑛子の顔を直撃した。


「わぶっ!」

「わははー! 冷や水の味はどうだー!」

「しょっぱい……! 何すんの悠紀ちゃん!」

「悔しかったらあたしのこと撃ってみろ!」


 水鉄砲を投げ捨てた悠紀が笑いながら逃走する。憤慨した瑛子は水鉄砲を拾い、水を汲みに海へ駆け込んだ。彼女の目元が赤く見えたのは泣いていたのか、それとも海水をぶちまけられたせいか。その真相はきっと、神すら知らない。


「横暴な悠紀に目にもの見せる時だと思いませんか、生徒会長」

「そうね。瑛子ちゃんが悠紀ちゃんを捕まえられるとは思えないし、手伝っちゃおうか」


 頷き合ってニヤリと笑った麻希と怜菜が、逃げる悠紀の背中を追って走り出す。とっさの出来事に面食らって出遅れ、「ちょっと!」と叫びかけた里花子の手を、怜菜の後ろ手が力強く掴んで引っ張った。


「行きましょ、里花子」


 振り向きざま、怜菜は笑った。


「走り回って忘れた方が、今は瑛子ちゃんのためになるわ」

「……そうかもね」


 溜め息を押し隠して里花子も苦笑した。悔しいが、今は怜菜の言うとおりだ。いま浮かべるべきは暗い顔じゃないと、怜菜のほころんだ面持ちを前にして思い立った。

 放水で感傷を台無しにされた瑛子が、給水の終わった水鉄砲を構えて猛然と悠紀を追いかけている。つらい現実から逃げ出したければ、ほかの何かへ夢中になって現実を忘れるしかない。思い返せば今日、こうしてみんなで浜辺へ遊びに来たのも、仕事や勉強に追われる日々に音を上げかけていたからだ。瑛子のために、みんなのために、そして他ならぬ自分自身のためにも、一色里花子は全力で波打ち際を走らなければならない。

 人影の減り始めた砂浜を五人で駆け抜けた。哀れな二枚貝たちは里花子の手で海へ戻してやった。砂浜の果てまでたどり着いた悠紀はしまいに「疲れた!」と叫んで立ち止まり、追いついた麻希や怜菜に羽交い絞めにされ、そこに瑛子が水鉄砲を噴射した。仲良く海水を浴びた三人の顔つきは子供みたいに愉快げだった。すかさず悠紀が水鉄砲を奪還し、「水鉄砲の刑!」と叫んで麻希の顔めがけて発射する。麻希は「残虐刑反対っ」と叫んで海水を蹴り上げる。激しい水しぶきがあたりの空気を染め、無数に散った水滴が一瞬、あざやかな虹を映して消える。揃いも揃って全員びしょ濡れになった挙げ句、誰がいちばん大きな水しぶきを上げられるかという競争になり、五人で並んで思いっきり海を蹴った。ひときわ強力な蹴りを見舞ったのは、またしても完璧生徒会長の怜菜だった。


「すごいすごい!」

「ほんと何でもやれちゃう!」

「全校生徒の模範にならなきゃだもの。当然よ」

「こんなことまで模範にならなくたっていいんだからね、怜菜……」

「あーっ、一番ちっちゃな水しぶきしか上げられなかった甲和女子高校生徒会副会長が何か言ってる」

「瑛子よりしょぼいのはさすがにまずいですよ、甲和女子高校生徒会副会長」

「頼むからその呼び方はやめて! 身バレするから! 見てなよ、もういっぺんやってやるっ」

「わ、わたしももう一回やります!」


 むきになって蹴り飛ばした金色の水が、飛沫の一つ一つにきらめきを宿しながら海面へ降ってくる。瑛子の水しぶきも同じくらい大きかったと思う。首元を吹き抜ける爽快感に身体を震わせていたら、はしゃいだ悠紀が「いぇーい!」とハイタッチしてきた。無垢な海を蹴り上げて、飛び散る光を見上げながら叫んで、わいわい騒ぎながら意味もなくハイタッチを繰り返した。意味がなくても、意義がなくても、楽しかったからそれでよかった。もはや瑛子の頬に悲しみの色は見えない。汗と飛沫にまみれたみんなの顔は、年頃の少女みたいに隙間なく、屈託なく輝いていた。

 ウミネコの群れが歓声を上げている。

 銀翼を(ひるがえ)しながら旅客機が空を舞う。

 蜃気楼の彼方のビル群が揺れている。

 さざ波の打ち寄せる浜辺には、いつしか夕刻色の影が伸びつつあった。







「地図アプリ?」

「学校までの道、検索しなきゃと思って」

「なんでそんなもん調べる必要あんの」

「私、方向音痴なのよ。いまだに学校の周りで迷うことがあるの」


 ⊿次回「pier8 ヴィーナスの夢」(終)




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